第274話 停戦交渉
俺とミャロは、ハリーファを連れて船室の一つに入った。
「――さて、まずは、先ほどの見事な謝罪ぶりを褒めておこう。外交官として十分以上に優秀な男のようだな」
ゲザったことで彼のプライドが必要以上に傷つけられていると問題なので、まずは褒めておいた。
「……なるほど、私を試していたわけですか」
「実際に怒ってもいたがな。さすがに、あの程度のことは気を利かせるべきだ」
外交というのは感情に任せるものではないが、怒るべきところで怒らない者は、それはそれで問題がある。
侮辱をされてもヘラヘラ笑っている者が周囲からナメられるのと同じで、安く見られてしまう。それは些細なように見えるが、長期的には非常に大きな不利益を生む。
「本当にあの者しか適任者がいなかったのです。お許し願いたい」
「構わない。だが、奴隷身分からの解放は、言葉だけでなく実行しろ」
「それは確かに行います――それで」
本題を始めようとしたハリーファを、俺は手で遮った。
「まずは名乗っておこう。俺はユーリ・ホウという。シヤルタ王国の摂政をしている。こっちは、貴殿と同じような立場にいるミャロだ」
「よろしくお願いします」
と、ミャロはぺこりと頭を下げた。
「なるほど……そうでないかとは思っておりましたが、耳にしていた話以上にお若く見える」
「そちらの人種の人々にはよく言われるが、シャン人は実年齢以上に若くみられる。若造とは思わないでもらえると助かる」
「それで、アーディル皇太子は現在どうしておられますか?」
早速、本題を切り出してきた。
あまりにも性急だな。かなり焦っているのか、なりふり構っていない感じだ。
まあ、だからこそあんな初歩的なミスを犯したのだろうが。
「その質問をするということは、アクナル三世陛下の権力が揺らいでいるということですか?」
ミャロが口を挟んだ。
俺が残党の降伏交渉に出向いている間、ミャロはガリラヤ連合の外交官だった男から、クルルアーン竜帝国の内部事情を学んでいた。幸運にも手に入ったアーディル皇太子を最大限に有効利用するためだ。
なので、この件に関してはミャロのほうが俺より詳しい。
「アーディル皇太子という後継者が欠けた今、出身の卑しいミーディア皇后は立場が大変危うくなっているのではありませんか? アクナル三世陛下がそれを庇えば、場合によっては共倒れになりかねない」
「…………」
ミャロにあけすけに考察を述べられ、ハリーファは口ごもった。
答えようのない質問をされ、少し非難するような目でこちらを見ている。
「ボクたちはアクナル三世陛下の治世を快く思っていないわけではありませんので、倒れてしまうのは困るのです。停戦については可能な限りの条件を引き出しつつ、あなた方には政権を存続していただきたいと考えています。これは嘘偽りのない本音です」
ミャロは端的に立場を表明した。
外交の場で嘘偽りがないなどと言うのはおかしな話ではあるが、問題解決に向けて話し合っているのに、双方が建前をぶつけていても話が進まないのも事実である。
そもそも、アーディル皇太子はアクナル三世の嫡子であるから価値があるのであって、政権が倒れて他の何者かがクルルアーン竜帝国を握った場合、当然のことながらアーディル皇太子には何の価値もなくなる。
アクナル三世は奴隷出身で贅沢好きなミーディア皇后という弱みがあるのに、愚かにもそれを捨てられない男だ。
例えば軍を率いている将軍が蜂起し、アクナル三世を討ったとしても、皇后が政治を牛耳って贅沢三昧しており、その負担が民に重税という形でのしかかっているのを見るのが忍びなかった云々などと声明を出せば、そこそこの大義名分が立ってしまう。
あとは、アナンタ一世の皇胤とされているどっかの家から女を娶ってきて、子どもを産ませればいい。
竜帝国ではそれで上手くいった成功例が歴史上いくつもあるので、そういった簒奪はハードルが低い。
そういったことが起こると、こちらとしても折角手に入れたコマが無駄になってしまうわけだ。アクナル三世の政権は無事でいてもらわなければならない。
「……それが本心であるならば、即時停戦して、皇太子をお返し願いたい。条件が纏まっているのであれば、それを教えて欲しい」
「当然、ユーリ閣下と私がここに来ている以上、条件については纏めてあります。先にそれをお話しましょうか」
「そうしてください。まず、それを聞かないことには交渉が始まらない」
ハリーファがそう言って答えを促すと、ミャロはやや緊張した面持ちで、ふう、と小さく息をついた。
考えてみれば、ミャロがまともな外国ときちんとした外交をするのは、これが初めてである。カソリカ派の連中とは外交自体が成り立っていないので、血なまぐさい戦争や策略、陰謀のやりとりしかしていないし、アルビオ共和国の時には本土を守っていて参加しなかった。
「停戦の条件は二つあります。一つは、テリュムウール海峡の自由な通行。もう一つは、エヌギラ島の三十年間の租借です。交換条件として、こちらは即時停戦をし、アーディル皇太子に対しては、恵まれた環境でこれからも遇し続けます」
ミャロが条件を提示すると、ハリーファは眉をひそめ、言われた条件を二、三回咀嚼するような沈黙をした。
ややあって、
「要するに、皇太子を人質に取って、こちらに一方的に条件を飲ませよう、ということですね」
と、恨みがましい、睨むような目でこちらを見てきた。
「この条件は、それほど重いものではないと私たちは考えています」
ミャロは、その視線に怯むでもなく続けた。
「まず、テリュムウール海峡の自由な通行ですが、これは貴国が損をする話ではありません。今までガリラヤ連合に対して得てきた便益が、彼の国家の消滅とともに消えるだけのことです。続いて、エヌギラ島の租借に関してですが、これも大きな損失とは言えないでしょう。もちろん我が国にとっては、地中海に拠点を持つことはたいへん大きな意味があります。ですが、エヌギラ島は貴国にとってはさほど重要な島とは言えません。数多ある島嶼のうちの一つに過ぎず、大きな産業があるわけでもない。小さな漁村があるだけの島で、港のある一部分以外は遊休地になっていると聞いています」
要は海峡を自由に通らせ、小島を一つ、三十年間貸してくれというだけの話だ。これは法外な要求とは言えない。
「確かに、その条件は常識的かもしれません。アーディル皇太子が囚われの身でありつづけることを除けば、ですが」
まあ、そうなるよな。
「安心してくれ。実のところ、停戦の条件は二種類持ってきているのだ。アーディル皇太子をお返しする場合の条件と、返さない場合の条件。まずは返さない方の条件を提示したが、貴国が望めば、返す方を選ぶこともできる」
「……さっぱり、意図が飲み込めませんね。貴殿がまともな政治感覚をお持ちならば、我々が皇子を失う選択をするわけがないことは、一々説明するまでもなく理解できることだと思いますが」
案の定というか、脳みその出来を疑われているな。
「ところが、それがそうでもないと俺は考えているのだ。ひょっとしたら返さないほうが貴国にとっては利益になるかもしれない。これから話す内容を聞いてみて、もし気に入らなければ蹴ってもらっても構わない。貴殿がまともな見識を持っていたら、おそらくは気に入る提案だと思うがね」
◇ ◇ ◇
全てを話し終わった後、ハリーファは船上にいた。
「実りのある会談でした。至急、龍帝陛下と相談の上、シャンティニオンに伺わせて頂きます。それでは、失礼を」
俺の話した内容は、ハリーファの独断で決められるものではないので、持ち帰って龍帝と話すようだ。
彼は交渉に関して全権を委任されてここに来ていたので、論外と切り捨てることもできたはずだ。少なくとも相談するに値する条件ではあったのだろう。
「待ってくれ、一つ聞き忘れたことがある」
「はい?」
「エンターク竜王国のことだ。仲裁役をやっていたようだが、貴国が竜王に要請を出したのか?」
「ああ、そのことですか。考えてみれば、あのような提案を貴方が用意していたのであれば、竜王国に借りを作る必要はありませんでしたね」
ハリーファは、商売の失敗で要らぬ損失を出してしまった商人のような顔をした。
「質問の答えですが、違います。竜王は、我が国が援軍を出すという情報をどこからか入手し、援軍が出立したときには、既に大使に指示を出していたのですよ。もし会戦があなた方の勝利に終わり、両国が交戦状態のままになった場合は、仲介役を買って出るように、と」
あらかじめ指示を出していたから早かったのか。
先見の明があると言ったら言い過ぎかもしれんが、細かい所にまで気が回る王様である。
「実際には、ご存知の通り会戦は大敗に終わり、それどころかアーディル皇太子が捕虜になるという最悪の状況になってしまいました。あの時は、我々を唆したフリッツ・ロニーを心底恨みましたよ」
思わぬところで思わぬ人名が飛び出てきた。でもまあ、それはちょっと恨まれても仕方がないかもしれん。
「ですが、恨んでも皇太子が帰ってくるわけではありません。あなた方の性格について殆ど無知であった我々は、すがりつくような思いでその提案に飛びついたわけです」
「なるほどな。様々なことに合点がいった」
一刻も早く皇太子を取り返すべく、宰相自身が大使を連れて、テリュムウールに駆けつけたわけだ。そこに俺たちが船に乗ってやってきたと。
「借りを作りたくないところ申し訳ないが、大使にはそれなりに華を持たせてねぎらってもらえないか。腹を割った話をするのに邪魔だったから帰ってもらったが、エンターク竜王国とは関係を悪化させたくはない」
こいつに全てを任せるのも問題なので、公式文書をアルビオ共和国のルートから送る必要があるだろうな。
テリュムウール海峡が封鎖されて、地中海の拠点とアクセスが絶たれてしまった場合は、拠点は簡単に孤立してしまう。そうなったときエンターク竜王国から補給を受けられるのと受けられないのでは、大きな違いがある。
「……なるほど、まあ、構わないでしょう。我が国も、いつまでも昔の話で関係をこじらせているのは得策ではありません。借りを作るのは業腹ですが、良い機会かもしれません」
関係をこじらせてる?
二つの国は、兄弟のような関係だと聞いていたが、関係がこじれていたのだろうか。
この場で尋ねてみたい気もしたが、無知を晒すのも良くはない。ミャロが知っているかもしれないし、後で調べることもできる。ここはスルーしておこう。
「話はそれだけだ。龍帝陛下によろしく」
「はい。それでは、失礼させていただきます」
ハリーファはそう言って、頭を下げると手すりを乗り越え、縄梯子を降りていった。







