第253話 港町*
バジーリオの一行は夜半、港町に到着した。
馬車が止まり、ベネディクトが御者席から降りる音がした。
ドアが開かれ、松明の光が目に入る。
本来、光は目立つのでよくない。だが、夜間に馬車を走らせるには、どうしても必要なものだった。
松明程度の光でもあるとないとでは大きな違いがあり、なければ事故を起こしてしまう。
「着きましたよ。行きましょ」
「来い」
バジーリオは、ベネディクトから一つだけ教わった悪魔語を放ち、女の両手首に繋がった縄を引いた。
「ムーッ!」
女は猿ぐつわを噛まされているので、叫ぶことができない。
その声はくぐもっている。このくらいの音であれば、よほど近づかれない限りは、人に気づかれることはないだろう。
「最後の男とは、中央広場というところで待ち合わせだったな」
頭の中には入っていたが、バジーリオは一応懐のポケットから薄い紙を取り出して港町の地図を確認し、記憶を補強した。
「よし、松明を消せ」
「ういっす」
ベネディクトは松明を地面に落とし、火の部分を靴で転がして消した。
辺りが暗くなる。事前の打ち合わせ通り、ここは港町への通り道から少し外れた郊外のようだ。
遠くで、灯台がぴかり、ぴかりと明滅する光を発している。バジーリオは、その光を見て、目的の場所であることを確認した。
灯台の光は海の彼方に向かうよう仕組まれているようで、闇に慣れた目でも眩しくは感じない。
事前の情報によると、この灯台の明滅は近隣の灯台とは別のものにしてあるようだ。事実、来たときに乗ってきた船から見た、いくつかの灯台の光は、常に光っていたり、あるいは消える時間が長かったりした。船乗りが他の所にある別の灯台と間違わないようにしているらしい。
潜入する側としては、夜間でも目的の港を見失わない、便利な代物だ。
「――チッ、しまったな」
松明の光が消えると、バジーリオは、すぐに自分の犯した愚かな失敗に気がついた。
白衣を着させてしまったことだ。
十分に厚手で禁欲的で、かつ羽織れる衣類が近くにあったので、あの時はとっさに指定してしまったが、純白の白衣は闇の中で目立ちすぎる。
後に暗闇の中で歩かせることを考えれば、多少時間がかかったとしても暗色の上着を探してきて、着させるべきだった。
暗闇の中で見ると、彼女の白衣はあまりにも浮いている。明らかに目立っていて、許容範囲を優に超えていた。
彼女は両手を前で縛られているので、服を着替えさせるには縄を外さなければならない。それは気の乗らないことであったが、こうなっては仕方がない。
「白衣は目立ちすぎるから、着替えさせる。ベネディクト。それを説明して脱がせろ。オルベルト、上衣を脱いで羽織らせろ」
「えっ――」オルベルトは嫌そうな声を出した。「俺ですか」
「早くしろ。時間がない」
オルベルトは細身で、彼女と体格がそこそこ合っている。現地で入手した衣服は様々だが、オルベルトのものが最も着せるのに適しているように見えた。
「わ、わかりました」
オルベルトはすぐに頷き、服を脱いだ。
最初に嫌がったのは、悪魔に自分の着ている衣服を纏わせるのが嫌だったのだろう。
貴族の落し胤であるオルベルトは、若くして修道院に入れられ、物心がつく年齢までそこで育った。そういった生い立ちの団員は信仰心が特に強く、こういう忌避感が芽生えることが多い。
元々が捨て子だったバジーリオは、信仰心というよりは将兵への憧れから挺身騎士団に入った。
「ベネディクト、早く翻訳をしろ」
「×××、×××××。××××××」
ベネディクトの言葉を聞くと、暗闇の中で彼女は頷いた。
バジーリオは、それを見て手早く縄を解く。
「―――ッ!!」
腕から縄を外した瞬間、女は突然、あらぬ方向へ走り出した。
バジーリオは、とっさに白衣の背中をがっしりと掴む。
が、女が両腕を少し後ろに回すと、白衣はすっぽりと脱げてしまった。
ひそかにボタンを外していたのだろう。だが、オルベルトが瞬時に反応し、自分の服をその場に捨てて追いかけた。
さすがの俊敏さで、数歩駆けたところで、女は捕まってしまった。
「貴様ッ!」
オルベルトが一喝すると、女は彼の頬をひよわな拳で殴ろうとした。
オルベルトがその腕を掴んだときには、一瞬の時間差で股の間に蹴りが飛んでいた。
市井の女の護身術としては及第点だろう。だが、そんなものが通用する挺身騎士団ではない。
オルベルトは、最初に捕獲した腕を離すと、股の間に入れて、冷静にその蹴りも受け止めた。
暗闇の中で、オルベルトが激高し、女の胸ぐらを掴むのが見えた。
「このっ――!」
「オルベルト、止めろ!」
バジーリオの制止が入るが、オルベルトの拳は止まらなかった。
腹に一撃がめり込む。
「ぐっ――ンンン――ッ!」
「あっ……」
「馬鹿がっ」
バジーリオはすぐさま女のところに向かい、猿ぐつわを外した。
腹を殴られると、人間は口で呼吸しようとする。吐瀉物も出る。口に詰め物をしていれば、窒息してしまう。
「グエッ―――ゲフッ、ケハッ、ゲホッ! ゲホッ――! ハアッ、ハアッ」
運良く呼吸が通り、女は呼吸を始めた。
これなら大丈夫だろう。
「オルベルトッ」
バジーリオは名を呼ぶと、オルベルトの頬を思い切り拳で殴った。
「ウ――ツッ、すみませんでした。バジーリオさん」
自分でもしまったとは思っていたようで、オルベルトは萎れた様子だった。
オルベルトは悪魔を憎んでいる。それはそうあるべきことだが、作戦の性格上、その気持ちは抑えているべきだ。
今までの任務では常に冷静な人間であったため、油断していた。彼の憎しみの重さを見誤っていた。
「――貴様は、自分のつまらない怨恨が、教皇猊下や大司馬のお考えより優先されると思っているのか?」
若さゆえの過ちとはいえ、腹立たしい。
どれほど重要な作戦だと思っているのか。子どもの使いではないのだ。
「いえ、そんなことは……でも、つい」
「この作戦では、既に何人もの人員が命を散らしている。教皇猊下や大司馬が、それでも必要と考えた作戦なのだ。貴様はそれを己のつまらない感情で台無しにしていいと思っているのか?」
「……すみません」
「反省しろッ」
バジーリオは、もう一度、今度は女と同じ腹を思い切り殴った。
「グッ――ウウウッ」
これで女の溜飲も少しは下がるかと思ったが、さすが鍛えられているだけあって、オルベルトは地面にのたうち回るようなことはなかった。
これでは大して痛そうには見えない。
が、かといって二度やるのは憚られた。
「着ろ」
このくらいの内容なら仕草で分かるだろう。バジーリオは、オルベルトが地面に落とした上着を拾って土を払い、彼女に渡した。
「ベネディクト。翻訳するんだ」
「……またっすか」
「女、別にお前は我らに連れ去られても辛い思いをするわけではない。他の長耳と違って、十分に恵まれた接遇をするつもりだ」
それは嘘ではなかった。現時点では、という話ではあるが、死なれては困るため、恵まれた待遇に置くという話にはなっていた。
少なくとも、役立たずになるまでは十分な待遇を受けられるだろう。
「それほど抵抗する必要はないし、悲しむ必要もない。ついて来さえすれば、十分に恵まれた生活を送れるのだ」
ベネディクトが後を追って翻訳をすると、
「×××、×××××! ××××!」
と、女は言い返してきた。
「なんと言っているのだ?」
「自分のことを馬鹿だと思っているのか。連れ去られるくらいなら死んでやる……みたいなことですかね。正直、良くわかんないっす」
良くわからない?
「どういうことだ。お前が分からないとは」
「田舎の方言みたいなもんスかね? この女のシャン語は普通とはちょっと違ってて、所々よく分かんないんです。大まかには理解できますが」
この女の悪魔語が田舎言葉ということか。
まあ、それならば仕方がない。
「翻訳しろ――言ってわからないなら、無理にでも連れて行くまでだ。安心しろ。乱暴はしない」
ベネディクトが翻訳するのを聴きながら、バジーリオは女に新しい布を噛ませ、両腕を再び縄で縛った。
「白衣は捨てるな。ベネディクト、お前が懐の中に入れておけ」
ベネディクトの上着は広めのコートのようになっている。十分に腹に入れておけるだろう。
元々戦闘力に期待はしていない。
「オルベルト。縄は俺が持つ。騒ぎで人が来ないとも限らん。速やかに移動して、離れた場所から入るぞ」
「……わかりました」
バジーリオは馬車を置いて歩き出した。
*****
さほど大きくもない港町には、夜明け前の深夜に歩いている者もおらず、バジーリオたちは拍子抜けするほど簡単に目的の場所まで来ることが出来た。
港町の、海に面した広場の片隅。ここでは、四匹のスパイのうち最後の一匹と落ち合うことになっていた。
最も重要な役回りの一人は女中として潜入し、一人は馬車と衣服を調達した。もう一人は、ここよりかなり北の接岸地点からバジーリオたちを招き入れ、王都まで招き入れる役目だった。
その三人は、既に死んでいる。
最後の一人は、帰りの船を調達する役回りだった。
船は港から盗んでもいいのだが、できるなら合法的に手に入れたかった。追手がかかる危険が少なくなるというのもあるが、船倉に十分な食料と水を積んでおくのが重要だった。
それらを満載にした状態で出港できれば、途中で調達のため上陸をする必要がなくなる。
盗んだ船では、さすがにその条件は満たせない。
ただ、必要ではあっても必須ではない。最後の一人が逃げていれば、船は盗んで出発する予定だ。
最後の一人とは、既にシビャク近郊で一度顔合わせをして、船を購入するのに十分すぎる金を渡してある。口だけのことだが、引き渡しの際にはその十倍の金額を払うことになっていた。
しかし、彼だけは例外的に、前金だけでも相当な額を渡している。
後金を渡さずに殺すのではないか、と洞察する知能があったのなら、ここには現れず金だけ持って消えるだろう。
のこのこと待ち合わせに現れ、船を渡し、殺されてくれるのが最善ではあるが、ここに現れるという保証はなかった。
だが、約束の場所には、既に人がいた。
「ベネディクト」
「ういっす」
ベネディクトが先頭に出て、会話をする。
最後の際の際だ。つい、懐に忍ばせた刃に手が行った。
「×××」
一般的な挨拶なのだろう。ベネディクトが隙だらけの様子で近づき、その言葉を発すると、男が顔を見せた。
顔合わせの時に見た顔に間違いない。
「………?」
続いて、女も顔を見せた。女は、売春婦のような薄手のドレスを身に纏い、男の片腕に胸をくっつけている。
その手には、女性的な細かい意匠が施された、使い込まれた様子の小さいランプが握られていた。
金を貰って早速、女を買う予定だったのだろうか。
「……バジーリオさん」
ベネディクトが口を開いた。
「火を消せと言え」
「あの女はさすがにお持ち帰り可っすよね?」
ベネディクトは、バジーリオの言葉を無視し、頭をかかえたくなるようなことを言った。
ベネディクトの顔を見ると、情欲に支配されたような目をしている。
確かに、女は相当に見た目が上等と言えたが、この男の下劣な性欲に振り回されるのは、本当にうんざりさせられる。
「……まあ、いいだろう。ただし、大声を出されないようにしろよ」
バジーリオは、ここで否定するほうが面倒なことになると判断し、そう言った。
どのみち、港を出ればベネディクトは用無しだ。
船には保存食と水が山積みにされているはずで、それを手に入れたならば、もうティレルメ地方にたどり着くまで補給の必要はない。
もしどこかで敵の船に捕捉され、臨検のようなものを受けたとしたら、その時点で任務続行は破綻したと見るべきだろう。
女を殺し、決死の覚悟で死線に挑むのみだ。どのみち、ベネディクトの話術でどうにかなる状況ではない。
出港したら、ベネディクトと売春婦は殺して、海に投げ捨てる。耳をそぎ取っておけば、水死体が悪魔か人類かなど分からない。
どの街でもそうだが、売春婦が突然に不審死を遂げるなどということは日常茶飯事のはずだ。問題にもなるまい。
「さっさと、船に案内させろ。それが本題なのだからな」
「××××、×××××」
「×××? ××××××」
悪魔語で反応したのは女のほうだった。
「×××××××××?」
「×××!」
売春婦はベネディクトを客候補と見ているのか、媚びるような笑みを浮かべて会話をはじめた。
どことなく奇矯な態度から、白痴のようにも見える。
どちらにせよ、会話をさせている状況ではない。
「ベネディクト……いい加減にしろ」
「……わかってますって」
「×××、来い」
ベネディクトの翻訳を待たず、男が言い、こちらに背を向けた。
来い、という言葉が混ざっていたのを、バジーリオは聞き逃さなかった。ついてこい、と言っているのだろう。
もう翻訳も必要ないか。
少し歩いたところで、女が突然振り向き
「リリー××、×××××。××××××××××、××××××××××」
と、ふざけるように言った。
「×××××、×××××××」
「ベネディクト、女は何と言った。リリーと聞こえたが」
ベネディクトを見ると、何かを確認するように、あらぬ方向を向いていた。同時に、辺りがぱっと明るくなる。
持っていた縄が引っ張られる。明るさに眩んだ目でリリーを見ると、地面にうつ伏せになっていた。
次の瞬間には、バジーリオの体は強い衝撃に貫かれていた。







