第222話 薄暮
実家の庭に白暮を降ろす途中、庭にリリー先輩とシャムが居たのが見えた。
南側の庭のベンチに並んで座り、日向ぼっこをしていたようだったが、鷲が降りてきたのを見て驚いて立ち上がった。
見舞いに来ているのだろうか。
前にリッチェと呼ばれていた、メイド見習いの少女が、玄関を勢いよく開けて駆けてくる。
鷲の羽の圏内にまで走ってきて、ぶつかりそうになった羽に驚き、「キャア!」と声を出して尻もちをついた。
俺は焦りで手間取りつつも拘束具を外し、地面に降り立った。
「キャロルはっ!?」
「けっ、今朝から起きなくて……危篤だって……」
少女が泣きそうになりながら言った。
ティレトが言っていたのは本当だったのだ。
俺はたまらず駆け出し、開けっ放しの玄関のドアを通り、そのまま二階に駆け上がった。
キャロルの部屋のドアを、破るように開ける。
「キャロル!」
名を叫びながら、ベッドを見る。
そこには、病衣を着たキャロルがいた。
上体を大きなクッションに預け、こちらを見て微笑んでいる。
昏睡どころか、しっかりと起きていた。
「――っ、はあ……なんだよ」
生きてるというか、起きてんじゃねえか。
最悪の事態を想定してしまった。
大丈夫じゃん。
なんだよ、大げさに言いやがって。
「ご当主様」
傍らに立っていたメイド長が、俺のそばに寄って来た。
「ご当主様が来る音を聞いて、お目覚めになったのです。どうかお二人でお過ごしください」
メイド長は、そう言って俺の肩に一瞬手を置くと、すぐに部屋から出ていった。
俺はベッドの横の丸椅子まで歩き、座った。
「やれやれ――」
「ユーリ」
「ったく、大げさだな。ティレトのやろう」
「ユーリ」
キャロルは、痩せこけた青白い顔で自慢気に微笑みながら、腕に抱いていた何かを揺らした。
なにか布にくるまれた包みのようなものを、腹の上で支えており、そこから肌色をした何かが見えている。
「なんだ、そりゃ……」
「どうだ、やってのけたぞ」
腹を見ると、膨らんでいたところがぺっこりと無くなり、元に戻っていた。
「産んだのか。すげえな。良くやったよ」
そうか。産めたのか。
「嬉しくないのか……?」
キャロルが不安そうな顔をした。
「いや、嬉しいよ。どちらかといえば、お前が生きていたことのほうが嬉しいけど」
あ、死んだかと思ったってのはまずいか。
「ティレトが来て、お前が死にそうだから戻れって言うんだ。元気そうで安心した……」
まあ、無事出産できたのなら、もう快復に向かうだけだ。
子どものほうは、どうも眠っているらしい。
生きて産まれてくれたのなら結構なことだ。
「……それで、戦いは……勝ったのか?」
「もちろん勝ったよ。大勝利だ。今ごろは追討戦をやってるはずだよ」
俺がその報告をすると、キャロルは、
「あぁ……」
と呟き、肩の荷が降りたように、ぐったりと脱力した。
元々大きなクッションに預けていた体が、更に沈み込んだようだった。
「そうか……よかった。よかった……」
張っていた糸が切れ、崩れ落ちるような力の抜け方だった。
「そんなに安心したか。まあ、とにかくこれで一安心だ」
「なあ、女の子なんだ。体重は軽いが……産婆の話では大丈夫らしい……」
キャロルは、抱きかかえるというより、腹の上に置いた赤ん坊を、母親の目で見ていた。
そうなのか。
まあ、健康ならよかった。
「私の乳には毒が混じっているかもしれないから、あげられないんだ。でも、乳母がいるから……」
「そうか。まあ、大丈夫だと思うけどな」
万全を期したいのなら、幾らでも乳母を使ったらいい。
「これで、この国は安定する……」
「別に、元気になったら戴冠式をやって、お前が女王になればいいじゃないか」
「残念だけど、それは無理だな……」
「なんでだよ? 弱気になるなって」
俺がそう言うと、キャロルは、
「はぁ――…………」
と、長く息を漏らすような息を吐いた。
口から魂が出てきそうなほど深い吐息だった。
「おい、大丈夫か?」
思わず椅子を寄せて、近くに寄る。
「よかった……私は、私の仕事を成し遂げた……」
なにをだ。
「成し遂げちゃいない。これから戴冠式をして、女王になるんだ」
「それは……この子にゆずるよ……」
なんだって?
見ると、キャロルは俺のほうを見ながら、少しへんな方向を見ていた。
俺を見ているようで、見ていない。
微妙にずれたところをずっと見ている。
なんだ、おい。
「おい、気をしっかりもて! どうした!」
俺は思わず椅子から立ち上がると、キャロルの肩を強く握った。
反射的に力を緩めてしまった。
華奢な椅子の背でも掴んでいるような、驚くほど薄い肩だったからだ。
「きいてくれ……」
キャロルは、細い声を発した。
酷く億劫そうな声色だった。
「どうした、どこか痛むのか?」
「……リリーとシャムを責めないでやってくれ……私が無理を頼んだ……」
なにかを懸命に喋っている。
嫌な感じだ。
まるで、これを言い終えることが人生最後の仕事だとでもいうような。
深い睡りに落ちるのを、細い糸を掴んで、やっと拒んでいるような。
「もう喋るな。あとで聞いてやるから……」
俺がそう言うと、キャロルは赤ん坊を支えていないほうの手を、肩を掴んでいる俺の手に添えた。
俺の居場所を確かめているような手つきだった。
「たのむ……きいてくれ……もう一つ頼みがある……」
その細い声には、切実な響きがあった。
「……なんだ? なんでも叶えてやる」
どんな望みでも。
「ミャロと、他のおんなと、いつか一緒になってくれ……わたしのことはわすれて……」
……は?
何を言っているんだ。
「お前は、俺の妻だろ」
浮気を薦めるな。
いったい、どういう頼み事だ。
「いいんだ……おまえのこころは、おいていかせてくれ……」
意味がわからなかった。
「私は、ミャロのてがみをよんだのに……とられてしまうと思って……ああ、すまない。すまなかった………」
いよいよ、意味不明な、懺悔のようなうわ言をいいはじめた。
ミャロの手紙……?
「おまえのこころまで、つれていってしまったら、わびのしようが……わすれないで……」
俺は、間近で手を重ねていながら、キャロルと自分との間が離れていくような、不思議な感覚を覚えた。
キャロルがどこかへ行ってしまう。
蜘蛛の糸のように細く伸びた線が切れたら、キャロルは永遠に二度とは会えないどこかへ行ってしまうような気がした。
「おいっ! 行くな――!」
俺は、肩を掴んだ手に力を込め、小さく揺すった。
「ハァ――ハッ」
そこで、キャロルは二度、奇妙に強く呼吸をした。
それは、それまでの霞を吐くような呼吸とは違う、息遣いまで聞こえる力強い吐息だった。
瞳の焦点が急に定まり、俺を直視する。
「さいごに……キスしてくれないか……?」
「あぁ」
俺は、顔を近づけ、キャロルの唇に口づけをした。
水気のないささくれた唇が、するりと離れる。
キャロルは、重ねていた自分の手を離し、俺の頬を撫でた。
「……あのとき、頬を叩いてごめんな」
一瞬、なんのことかわからなかった。
入学式の時の話か。
「馬鹿、いつのことを言ってやがる……」
「はは……あぁ、お前と出会えてよかった……」
キャロルは軽く笑った後、再び目の焦点を失った。
近くで目が合っていたので、瞳孔が開くのがはっきりと見えた。
「まんぞくだ……」
そう言って、キャロルは目を閉じ、人形の糸を手放したように、頭をくてんと落とした。
「おい――っ!」
キャロルの首元を指で押さえ、脈の有無を調べる。
なんの脈動もなかった。
口と鼻に手を添えても、息を感じない。
「ばっ――か野郎!! させるかよ!!」
俺は、怒号に驚いて泣き出した赤ん坊を、とりあえずテーブルの上に置くと、キャロルが背中を預けていたクッションを取り、仰向けにして寝かせた。
病衣を破るようにはだけさせ、心臓マッサージを開始しようとした。
だが、その時目に飛び込んできたものは、腹を縛る包帯だった。
ああ。
頭の中で何かが繋がった気がした。
帝王切開か。
糞、どいつもこいつも。
「くそっ――!」
考えている暇はない。
「おい! 誰か来てくれ!!!」
まずは心臓を動かさなければ。
俺は両手をキャロルの胸に当て、心臓マッサージを開始した。
*****
――一時間後。
「……もういい」
俺は、次の人工呼吸をするのを止めた。
心臓マッサージをしているメイド長も、手を止めた。
これ以上の試みは、もう意味がない。
俺は、キャロルの痩せこけた頬に、そっと手を添えた。
「頑張ったな……よく休んでくれ……」
意味がないと知りつつも、かつてキャロルだったなきがらに語りかけると、心の中を虚無感が満たした。
俺はなんのために戦ったのか……。
「あとは頼んだ」
誰ともなくそう言うと、俺は歩きだした。
「ユーリさま、あのっ――」
廊下に出ると、少女が、手に抱える赤ん坊を見せてきた。
金髪を宿した猿のような赤ん坊は、つぶらな瞳でこちらを見ている。
自分でも驚くほどに愛着が湧かなかった。
「あっ――」
少女を避けて通り過ぎると、俺は階段を下って、外に出た。
外はもう夕方で、夜の帳が落ちようとしている。
外で待っていたリリー先輩が、俺に話しかけてきた。
「……ユーリくん、あのな、その……」
「―――」
返事をする気になれなかった。
キャロルの腹を裂いたことに対する怒りが湧くかと思ったが、何も湧いてこなかった。
たぶん、それがなかったら、俺が今日キャロルと話すことはできなかったはずだ。
俺が聞き分けないと思って、母子ともに死ぬくらいならと、秘密裏に術式を頼んでいたのだろう。
だが、ありがとうと感謝の言葉を返す気にもなれなかった。
「ユーリくっ――ッ……」
リリー先輩の横を通り過ぎる。
俺は、帰巣本能に導かれる獣のように、自然と足を両親の墓へと向けていた。
月光に照らされた夜道を歩き、森の中に入る。
とにかく一人になりたかった。
ところが、後ろから、ずっと跡をつけてくる人の姿があった。
一言の会話もなく丘の頂に辿り着くと、そこには俺の埋めた両親の墓があった。
俺は、木の根本に腰を下ろす。
すると、後ろからついてきていた人が、すぐ隣の木の根元に座った。
「――帰れ」
俺は、シャムに向けて言った。
一人になりたかった。
「家族なので」
シャムは意味不明な返答をする。
「だからなんだ」
「家族なので、隣に座ってます」
帰れ、ともう一度言おうとしたが、喉元で止まった。
シャムの言葉には何かしらの決意が感じられ、言われた通り帰るとは思えなかったからだ。
押し問答をする気分ではなかったし、殴りつけてでも帰らせるような気分でもなかった。
俺は、それきり何も言わず、木の根元に座って、星空を背景に月光に照らされた墓を見ていた。
その先には、民家の窓から、何もなかったように、家中で焚かれる火の薄い光が漏れていた。
静かだった。
時折、ふくろうの声がする。
このあたりでは、人間に害をなす獣は狩りつくされている。
シビャクの決戦場には、今も幾万の骸が打ち捨てられているだろう。
キャロルの魂は、今どこに在るだろうか。
シャムは、身じろぎ一つせず、一つの声もあげず、ただ俺の隣に座っていた。
俺は、墓を眺め続けていた。
シャムは、その隣に、ただずっと座ってくれていた。







