第221話 決戦 後編
階段を駆け上がり、戦場を見回すと、既に前線同士がかなり接近していた。
だが、まだ接触はしていない。
中央前線で、微速で前進する歩兵隊を置いて、ジーノの率いる戦闘馬車隊が進出するのが見えた。
ジーノ自身も馬に乗って進出している。
敵の銃火が届かないギリギリのところで、地面に上空に登った矢が降り注ぐようなゆるやかなカーヴを描き、敵前に45度の角度で斜めに後部を見せながら、馬車が停車する。
練習を重ねただけあって、馬車の配置はほぼ一直線になっていた。
御者によって牽引していた農耕馬が切り離され、あらかじめ鞍が乗せられたそれに御者が跨った。
それぞれ一頭の馬の手綱を手に持って引きながら、味方の戦列の眼前を駆け、戦場を後にする。
馬車は置いてけぼりだ。
それから少しして、敵陣が更に接近すると、百三十九台の横並びになった馬車が発砲を始めた。
敵兵たちによる応射が始まる。
だが、残念ながらそれは効かないだろう。
公民問わず広く集められた大型の馬車に屋根を取り付け、左側面と後部に鉄板を張った戦闘馬車は、殆どの部分で敵弾の直撃を防ぐ防弾性能を持っている。
各所から集めてきた鉄を手当たり次第に叩き伸ばし、張り付けただけのものが、厚さは最低三ミリを越えるよう調整されている。
彼らは、避弾経始と防弾面積の増大を目的にするため、側面ではなく斜めで敵の射撃を受けている。
中に閉じ込められた元第二軍の兵たちは、自身の発砲によって生じた煙を手動の換気扇で一生懸命排気しながら、雨あられと鉄板を叩く敵弾の音を聞いていることだろう。
換気扇は上手く回っているようで、各馬車の屋根に取り付けられた換気扇口からは、煙突のようにもうもうと硝煙が吐き出されていた。
乗員は九名で、一人は換気扇回し役であり、残りはスリットのように開けられた銃眼から、四人づつ交代に装填と射撃を繰り返しているはずだ。
敵前線からはおびただしい量の白煙がもうもうと上がっているが、そのほとんどは無駄に鉄板を叩いただけに終わっているだろう。
重要なのは、これらの馬車は銃を持たぬ白兵戦のみが能の歩兵の壁になることができ、かつ銃撃戦では敵銃兵を一方的に攻撃できるということなのだ。
敵が接近戦によって馬車を落とそうとしても、そのときには距離が縮まっているのだから、ディミトリの精鋭兵は白兵戦を挑め、また接近されても射撃を続けることができる。
白兵戦の戦いになれば、こちらに弱みはない。
望遠鏡で覗くと、追いついた歩兵たちが馬車に取り付けられた鎖を、隣の馬車に引き渡して結んでいるところが見えた。
これにより、間を縫っての突撃も勢いがなくなる。
元々は、数千騎規模の敵騎兵の突撃があった場合を想定しての装備だったが、どうもそれはないようだ。
そして、想定通り敵の攻撃は中央が一番激しい。
それはそうだ。中央が明らかに薄く、そこを突破すればこちらの軍は敗走するのだから。
銃兵によってこちらを圧倒しようとしたのが、運の尽きだったな。
左翼では、ルベ家とガリラヤ連合の戦いが展開されている。
想定通り方陣を組んだ彼らは、ルベ家の騎兵三千百を、千騎ほどの騎兵と協力して完全に防いでいた。
そして右翼では、この決戦のキーとなる運動が展開されようとしていた。
*****
森林から現れた敵重騎兵の集団は、一度集まるのかと思いきや、秩序より速度を重んじたのか、一瞬も留まることなく、一直線にこちらに驀進してきた。
砂埃が硝煙のように立っている。
無限に森から湧き出すのかと思われるほどの騎兵は、ようやく途切れ、前方が速度を緩めることで合流し、一つの塊となった。
意外と少ない。
一万騎以上いるのかと思ったが、おおよそ六千から七千騎くらいか。
重騎兵といっても、彼らの装甲はこちらでいう重騎兵とは格が違う。
かつて戦ったカンカーのように、鋼色をした全身鎧を身にまとっており、場合によっては馬にまで鎧を着せる。
だが、見た所、鎧をつけた馬はいないようだった。
途中で置いてきたのかもしれない。
彼らはまず、右翼の端から少し離れたところにポツンと佇む、ソイム率いる軽騎兵の小集団をまず一蹴しようと、物凄い勢いで突っ込んでいった。
だが、ソイムはそれを相手にはせず、速度に勝るカケドリをもって、引きつつも急速に曲がり、闘牛の突撃をいなす闘牛士のように回避した。
ソイムの軽騎兵隊を追うために無理な急旋回をした敵騎兵群は速度を落とす。
そのとき、意思の疎通ができていない弧の外側が直進したため、密集陣形が散じてバラバラになってしまった。
ソイムの軽騎兵隊は、軽妙な動きで速度を落とした部分を狙うと、くしゃりと突っ込み、すぐにまた離れていった。
ソイムの軽騎兵たちは、対装甲騎兵用の、断面が菱形のような形をした錐のような槍で武装している。
側面の刃は鋭くなく、人を斬るのには何の役にも立たない無用の長物であるが、鎧や鎖帷子を突き通すにかけては無類の強さを発揮する。
離れたあとには、やはり幾つかの死体が転がり、あるいはどこかを刺された馬が暴走し、混乱を生じさせていた。
彼ら装甲された騎兵は、極端に防御性の高いヘルメットを被るため、視界が悪い。
首を回すのでさえ装甲との兼ね合いで難儀し、また周辺の音も聞き取れない。
歩兵戦列に突っ込むには良いが、複雑な機動をする軽騎兵は目に追えず、個々は状況の判断ができないので、ああいった攻撃には対応できない。
そして、こうやって一度被害が生じてしまえば、もうソイムの軽騎兵隊を無視するというわけにはいかない。
無視して歩兵戦列に突っ込もうにも、ソイムの軽騎兵隊は執拗に追ってくるだろう。
カケドリは元来馬の騎兵より足が早く、ましてや武装の面で背負っている重量に格段の開きがあるからだ。
ソイムの軽騎兵隊は、あざ笑うように逆襲に打って出た騎兵を振り切り、距離をとって出方を伺う。
重騎兵団は今度は逃げられぬよう、隊列を整え、横幅を十分広く取った。
そして、再び突撃を開始した。
俺はそこで、ようやく勝利を確信した。
右翼の騎兵戦から目を離し、中央に目を向ける。
ルベ家軍が押していた。
そんなに頑張らなくてもいいと伝えておいたのにな。
ティグリス軍も、予想外の抵抗を見せている。
恐らくユーフォス連邦と思われる敵軍を相手に、敗走しているところがない。
俺は再び右翼の騎兵戦に目を戻した。
ソイムの軽騎兵団が、一定の距離を取りつつ、敵装甲騎兵団の突撃から逃げ、南東のほうに引き寄せている。
「ユーリくん」
傍らにいたミャロが言った。
「旗を掲げよ。ホウ家騎兵団及びドーン騎兵団、作戦に変更なし、直ちに出撃せよ」
俺がそう言うと、屋上に待機していた連絡役が大声で復唱し、新たな連絡旗が掲げられた。
それと同時に、高々とラッパの音が吹き鳴らされる。
俺の後背から、ドドド……と音が聞こえ始めた。
市街地の中に隠してあった、ホウ家と第一軍の騎兵団が、一斉に駆け出したのだ。
その数、七千三百騎。
一分もかからず大街路を駆け抜けると、郊外に抜け、街道の上を驀進していった。
あっという間に、敵戦列の端を守る教皇領軍の側面を抜け、そのまま敵後方に大迂回をする。
それを止めるべき機動防御戦力は、敵にはいない。
ソイムが寡兵をもって釘付けし、南東方面に引っ張られてしまっており、その馬は長時間の襲歩により疲れ切ってしまっている。
迅速に戻ることはできない。
七千三百の重騎兵は、そのままティレルメ神帝国の後背に突っ込んだ。
さらに背後に予備隊として幾らかの兵がおり、それらが反応したようだが、千かそこらの兵で七千三百騎の騎兵突撃を止められるものではない。
ガリラヤ連合の兵ならば止められたかもしれないが、彼らはあらかじめ見せていたルベ家の三千百の兵を止めるために、左翼側に布陣している。
「旗を掲げよ。全軍、敵崩壊につき直ちに総攻撃をかけよ。その後追撃戦に移れ」
肩の荷が降りた気がしていた。
後ろで兵が復唱をし、旗が付け替えられる。
上空で待機していた鷲が、同様の旗を用意し、ロープに下げて落とした。
その間にも騎兵の突撃は進み、後背を衝かれたティレルメ神帝国の陣は、大混乱に陥っていた。
ディミトリ率いるホウ家の精鋭兵が、十数年前の敗戦の屈辱を晴らすかのように突撃を開始する。
更に後背にいた予備隊がそれに加わり、敵を圧倒し、騎兵と歩兵は敵陣の真っ只中で顔を合わせた。
敵中央を打通したのだ。
ジーノ率いる戦闘馬車だけが、移動した戦線に置いてけぼりにされ、転がっていた。
中にはひっくり返されている馬車もある。
終わったな。
「ああ……」
傍らで、こちらも望遠鏡を覗いていたミャロが陶然とつぶやいた。
「歴史を見ている気分です」
正にそうだった。
この戦いこそは歴史に燦然と輝くだろう。
あるいは、ユーリ・ホウが暗部をむきだしにした戦いの決着として語り継がれるだろう。
「ミャロ。後を頼めるか」
「はい。なんとかしてみます」
キャロルのところへ行こう。
「ティレト」
俺は、なおも望遠鏡を眺めながら言った。
敵の軍勢は、敗走しようにも、どこに逃げたら良いか分からぬ有様で、中央突破を成し遂げたディミトリと予備隊の軍勢が左右を包囲するような流れとなっていた。
予め、降伏すれば命は取らないという伝単を撒いておいたのが正解だったようだ。
勝利は決定的となり、もはや敗北の可能性はない。
俺は、ようやく望遠鏡から目を離した。
「はい……」
ティレトは屋上の隅で待機している。
「この景色を見ないのか。あとで、仲間にも伝えてやれ。お前らには酷い汚れ仕事をさせた」
死刑になる魔女を原料にして天然痘の病膿を生産するなど、地獄の獄卒にも匹敵する修羅の所業だ。
いくらこいつらが鋼の精神を持っていたからといって、人であるからには心もあるだろう。
頭がおかしくならないはずはない。
「お前らの陰働きのおかげで、この栄光がある」
あれがあったからこそ、敵は幾度伏撃を受けようと意に介さぬという無茶な行軍をしたし、脆弱極まりないティグリスの軍でさえ敵軍を支えることができた。
なかったら、この戦いもどうなっていたか分からない。
少なくとも、ここにいる敵軍は十万を超えていただろう。
「それよりも」
「分かっている。ただ、気を病んでいる仲間に伝えてやれ。お前らの働きは無意味ではなく、それが勝利の栄光に繋がったのだと。それが長たるものの務めだ」
俺はそう言って、返答を聞かぬうちに屋上から降りた。
「総指揮権を一時的にミャロ・ギュダンヴィエルに預ける! お前らは証人となれ!」
大声でそう叫んで、本部附きの兵らに周知させると、俺は下に留めてあった白暮に跨った。







