第218話 伏撃隊の出発
執務室には、ディミトリ・ダズが報告に来ていた。
「我らが精兵四千、集結いたしました」
俺の机の前で、ビシッと立って敬礼している。
王都に最も近い精兵はディミトリの軍だった。
ディミトリのダズ家領地はノザ家国境にあるが、そちらには現在難民が大量に送られている。
基本的方針としては、軍は王家天領の近くに置き、難民は遠くで食わせるという方針だったので、ダズ家の軍は国境付近に展開し第二軍の連中を鍛えていた。
訓練と再編成が一通り終わり、こうして北に急遽駆けてきたわけだ。
「ご苦労だった。道中、何もなかったか」
「順調でございました。混み合うこともなく」
そのへんはキッチリやってあるからな。
カラクモからシビャクの大街道は交通が滞ると兵輸送が上手くいかなくなるので、大部隊の移動が同日に重なり合わぬよう調整しつつ、二週間前からは民間人も使用禁止になっている。
民間人はカラクモからシビャクへの兵の流れと逆流して動こうとするので、それを許すと大混乱に陥るからだ。
「今日、ルベ家が伏撃に成功したという報告があった。それなりに損害を与えたらしい」
「それは良かった」
「だが、敵は伏撃に殆ど動じず、進軍を急いでいるそうだ。ルベ家の損耗が五千のうち千だというから、少なくとも二、三千くらいは戦死させたはずなのにな」
普通、それほどの大規模な打撃があれば、いくらかの再編が必要になるし、士気にも関わる。
殺した数と同程度は重傷者が発生し、それらを後送する手配もしなくてはならないからだ。
当然、重傷者はしばらく戦列復帰できない。
例えば、足を槍で突き刺されたような人間が、次の日に包帯を巻いただけで戦列に出れるわけはないからだ。
俺はペンでコツコツと机を叩いていた。
悩ましい。
「敵軍の途切れる合間を縫って、鷲で降りて確認してみたら、死体は道に倒れていた分を道路脇にどけてあるだけで、死体は狼に食われていたとさ」
そこまでするなら、重傷者はその場に捨てて行っているのかもしれない。
通常、軍隊ではそういうことはしない。
軍属にとっては負傷というのは日常であって、兵には明日は我が身という実感があるからだ。
糸で縫って汚い包帯で巻かれ、後送され、雑なベッドに横たえられる。
たったそれだけでも、戦場に放置されるよりはずっとマシなのだ。
後送されるということは、安全地帯にまで戻されるということを意味する。
勇ましく戦って負傷した結果、いつ敵が来るとも知れない戦場に置いてけぼりにされるというのでは、やってられない。
当然、逃げ出したくなるだろう。
まあ、ここはシャン人国家の奥地なので、逃げ出したくても逃げ出せないという事情はあるだろうが。
「成る程……相当急いでいるようですね」
「敵は既に、かなり王都に迫っている。間に合うか?」
俺の予想通り、コツラハは切り離された軍に包囲されている。
ルベ家軍が待ち伏せをかけたのは、コツラハよりかなり南に行った地点だった。
「間に合わせます」
「指揮官には、ソイムの独立騎兵隊と連絡を密にさせろ。あいつが一番良く動向を知っている」
「ええ。部隊は私が率いるので、大丈夫です」
なぬ?
「お前自身がか」
「ええ、私の鍛え上げた軍ですから」
まあ、そりゃそうだけど。
「いいけどな。ただし、死ぬなよ。お前はここで使い潰すには惜しい」
「了解しました。死にません」
ディミトリはそう言って敬礼をした。
「では、行け。期待しているぞ」
「ハッ!」
そう返すと、踵を返して執務室を出ていった。
*****
「ユーリくん?」
ミャロの声がした。
「ああ、ここにいる」
「また見ているんですか」
「うん」
俺は王城の尖塔の物見台に立ち、望遠鏡を持って、既に細やかに暗記した地形を改めて眺めていた。
王都の北には荒野が広がっている。
王都の南の牧草地は森を切り開いたものだが、北はそうではなく、最初から木など生えていなかったという感じで、痩せ衰えている。
表土を頼るようにモシャモシャと生えている草も、総じて低くて細く、南部の牧草地のように鬱蒼とした感じがまったくない。
たぶん、王都中心部を流れる川を挟んで、何か地学的な変化があるのだろう。
地学には余り詳しくはないので、よく分からなかった。
「よいしょ、っと」
半径一メートルほどの円形の物見台に、ミャロも上がってきた。
「一週間以内に、ここに総軍が並ぶんですね」
俺と同じ方向を見ながら、そう言った。
「ああ、六万三千の軍がな。ま、大半は雑兵だが」
鉄砲の数も千三百丁程度にすぎない。
火炎瓶など、敵が持っていない兵器もあるが、全体から見れば、汗を流すことで強くなるしかない貧乏所帯と言ってもいいだろう。
「ディミトリさんの軍に輜重を回したおかげで、備蓄が三日分目減りしましたよ」
「そうか」
王都に残っている食料はそう多くない。
募兵に応じた分を合わせた六万三千の軍が結集すれば、その食を支える食料は一か月分程度しかない。
それが、ディミトリの持ち出し分のお陰で三日分減ったということだろう。
糧食は行動に余裕を持って配分する必要があるので、使わなかった分は燃やすなどして廃棄することになる。
撤退のときに余計な荷物を持っていくわけにはいかないし、残しておいても敵に使われてしまうからだ。
まあ、食料で苦しんでいるのは、敵も同じことだ。
ホウ家領の東の端から鷲を出して、船舶は洋上で片っ端から潰してるし。
「敵はどう布陣して、どう動くんでしょう? 大体想像がついているんですか?」
「まさか」
会ってもいない奴がどう考えるかなど、分かるはずもない。
何回も戦ったことのある相手ならまだしも。
相手はドッラ級のアホかもしれないし、ミャロ級の頭脳かもしれない。
「お前に聞きたいくらいだよ」
「ボクにですか?」
ミャロはきょとんとしている。
「斗棋はお前のほうが上手いじゃないか」
もちろん、騎士院で机上演習もやっている。
ミャロはかなり上手い方だった。
「う~ん……。敵は、勝利を焦っているはずですから……逃げるフリをして本隊を釣って、騎兵で包囲とか、ですかね」
「そのへんが鉄板かもな」
こちらから攻めるメリットはないから、釣られても攻めてはいけないのが難点だ。
ただ、戦史を紐解けば、そのような状況でも攻めてしまった例はけっこうある。
相手が上質の餌をちらつかせれば、俺だって釣られる魚のように餌に食いついてしまわないとも限らない。
策にかかって攻めてしまった将軍たちだって、釣られて負けるために攻めたわけではない。
判断当時は間違いなく勝とうと思っていて、勝機を掴もうと利を追って釣られたのだ。
「数に頼んで正面から押してくるかもしれませんよ。斗棋と違って、戦力が同等というわけではないんですから」
「そうしてくれれば嬉しいがな」
どうだろう。
敵は、自らの兵が体力面でこちらより劣っていることは承知しているだろう。
肉弾戦になれば劣勢だ。
逆に、明確に凌駕しているのは、火器の質と量、そして人数だろう。
だとすると、銃撃戦を主体にして、一度崩してから騎兵を投入して決めたいと考えるかも知れない。
まあ、どのみち相手が陣張りしてからでないと、なかなか意図は掴めないな。
「油断して、侮ってくれると助かるんですけどねぇ」
ミャロは、物見台の手すりに両腕をかけながら言った。
後につかえている仕事がないのか、どこかのんびりとしている。
「それはないな。連中の行軍からは鉄の意志を感じる……。連中も必死だよ」
ホット川のところで戦ったのならともかく、もう既に連中を飢えと打撃でさんざん苦しめている。
かといって、もう引き返せないところまで来てしまった。
油断などしないだろう。
「十万以上の兵ですからねぇ。ここまで来るまでの費用だけでも、幾らかかっているやら……」
「笑っちまうくらい金がかかっているだろうな。装備に、遠征費、それに給料……まぁ、船の代金は想定外の出費だろうが」
引き返せば、その金は海に捨てたのと同じなのだ。
遠征費は戻ってこないし、戦わなかったので給料は払いませんよということにはできない。
ここまで入り込んでしまったら、撤退する途中で餓死者も出るだろう。病死者も出る。
もちろん、こちらは追撃をかけるのだから、更に被害は甚大だ。
引き返せるわけがない。
「こっちが勝ったら、大殊勲ですね。連中はしばらく立ち直れないでしょう」
「勝てばな」
こちらの軍勢は、あくまで六万と三千でしかない。
相手は……まあ、ディミトリがどれだけやるかにもよるが、九万程度はいるだろう。
火炎瓶も殆ど使ってしまって、大して残っていない。
どう考えても劣勢だ。
「ユーリくんの作った軍なんですから、負けないと思いますよ」
「どうかな。こう見えて凡将かもしれん」
いざ実戦となったら、馬鹿みたいな采配を連発するかも。
それが一番怖い。
「ふふっ、凡将ならホット橋のあたりで決戦してしまっていますよ」
まあ、それはそうか。
実際、キエンあたりと役目が逆だったら、彼はホット橋近辺かミタルの北あたりで決戦していただろう。
ホット橋で戦わなかったお陰で、訓練の猶予を一ヶ月ほど伸ばせた。
訓練で流した汗は、実戦で失う血を節約する。
その効果はでかい。
「ユーリくんは、有能だし戦上手です。ボクが保証します」
嬉しいことを言ってくれる。
「勝てたとしても、俺の手柄ではないさ。ミャロがいなかったら何にもできなかった」
「……なーに、言ってるんですか。誉めても何も出ませんよ」
「本当だよ。避難民の流れ、食料の調査、配分。監督したのはお前じゃないか」
それがなかったら、女王が暗殺され王権が乱され、混乱の極みにあったこの国が、再び戦う体制になるなんてことはなかっただろう。
軍を揃えることができなかったとは言わないが、その軍の大半は以前と変わらぬポンコツだったはずだ。
武力でケリを付けたのが俺なら、事務で秩序をもたらしたのはミャロだ。
その功績は計り知れない。
「お前がいなかったら、各地にばらまいた軍を、時機を同じくして結集させるなんてことは難しかった」
内陸の軍は早めに出発させ、海沿いの軍は船で運ぶ。
言うは簡単だが、緻密な事務処理がなければ実行できないことだ。
まあ、運んだはいいものの船倉がゲロでグシャグシャになってしまったので、清掃に半日時間を要して出港が遅れるとか、細かいアクシデントは後を絶たないが、それでも遅れは一週間の予備期間で吸収できるだろう。
それらのスケジュール管理は、全てミャロが中心になって行ったのだ。
だから兵は誰も飢えていないし、あれほどの難民移動だったにも関わらず、民衆にも餓死者は出ていない。
「ここに六万三千の兵が揃ったとしたら、それはお前の手柄だ」
それは自信を持って断言できる。
「ふふっ、嬉しいです。そういっていただけると……」
ミャロは確かに嬉しそうだった。
なんのかんの言っていたが、やはりこういう仕事は楽しいし、誇りを持っているのだろう。
「あっ、あれがディミトリさんの軍ですね」
「ん?」
下界を見ると、王都の北の大街道を進む一団が見えた。
間違いなくディミトリだろう。
上から見ると、四千人というのは意外と少なく見える。
「それじゃ、ボクはそろそろ行きます。仕事の詰めをしないと」
「そうか。俺はもう少し考えてから行く」
内心では心配でたまらない。
勝つための布石を全て打ったとは思うが、それでもなお勝てるとは限らない。
こうして考えていないと、何か見落としがあるんじゃないかと心配になってしまい、手が震えてくる始末だった。
ミャロは、俺の袖を握って引っ張ると、両手で強く手を握った。
「勝てますよ。大丈夫……勝ちましょう」
「そうだな」
ミャロは俺の手を離すと、梯子を降りていった。
しばらく棒振りから離れたお陰で、手の角質が落ちてきたのだろうか。
手には、ミャロの柔らかで温かい手の感触が、しばらく残っていた。







