第184話 王城島
王城から出ると、そこにはホウ家の天騎士とは思えぬ連中がいた。
どうも、近衛第一軍らしい。
彼らは整然と整列して、こちらを見ている。
どうも攻めてくる様子はない。
その中から、見覚えのある顔が現れた。
「ユーリくん、じゃなかった、ユーリ閣下と呼ぶべきかな」
ガッラ・ゴドウィンだ。
ドッラの親父だ。
「やめてください、気恥ずかしい。ガッラさんは僕の部下ではないんですから」
「そうだな、今のところは」
今のところは。
確かに、そうかもしれない。
「第一軍の件、ありがとうございました」
良くはわからないが、ここまで来たということは、少なくとも動かないという約束以上のことをしてくれたのだろう。
「ああ、上層部は全員、拘束した。全軍掌握というわけにはいかなかったが、有志のみで千人ほどの隊は作れたからね。及ばずながら協力させてもらっている」
隊の後ろのほうから、やたらとギャアギャアうるさい女の声が聞こえてくるが、あれは拘束された幹部の声だろうか。
「第二軍の抵抗はありませんでしたか」
「ほぼない。ここにいるのは三百名で、他七百名は王城島全体を巡って、順に制圧しているんだが、激しい抵抗に遭ったという報告はない。ホウ家の騎士とは戦わないよう命じてあるが、衝突していたらすまないな」
「それは構いませんよ。どうしても起こることですから」
戦場においては、まったく同じ陣営でさえ、時には斬り合うことがある。
殺し合いという極度の緊張状態の只中で、目の前に武器を持った者が突然現れる。思わず斬りかかってしまい、慌てて止める。あるいは怪我を負わせ、場合によっては殺してしまう。
そんな出来事はゼロにはできないし、それを一々持ち出して、大げさに敵対行為だなどと言っていたらキリがない。
「メティナ・アークホースは?」
「捕らえたよ。自害しないよう見張りをつけて、軟禁させてもらっている」
「なるほど。さすが、完璧ですね。ありがとうございます」
ティレトの話では、動くか動かぬか定かではないが、たぶん動いてくれる。みたいな報告だったが、ちゃんとやってくれているじゃないか。
「行きがかり上、他にも二十人ほど捕縛したのだが、うちの駐屯地には獄のたぐいがなくてね。この近くに王城島全体で使っている監獄がある。二十人全員に見張りをつけるのは大変だから、きみに会うついでに、収監しにきたというわけだ」
軟禁だから見張りが必要なわけで、縄で縛っておけばいいような気もするが。
リンチされるのを恐れているのかな。
第一軍だし、かつての上官を多人数で強姦……みたいなことは、さすがにないと思いたいけど。
「ええ。そうしておいてください。死刑になるにしても、使いようがあるので」
「そうだな、裁判は受けさせたほうがいい」
裁判か。
この国の裁判は人治主義もいいとこなので、俺は裁判の権威についてほとんど認めておらず、本来の意味での公正な裁判を考えれば、相当馬鹿らしいと思っているのだが、それでもしておいたほうがいいのだろう。
一応、踏むべきプロセスは踏んでおかないと、正当な政権交代とは思われなくなる。
「ところで、うちの馬鹿息子とは会ったかい?」
ガッラが話を変えてきた。
ドッラのことか。
「いえ、残念ながら」
「あの事件があったあと、きみに会いに行くと言って出ていったのだ。恐らくホウ家領に向かったのだろう。会っていないのなら、どこかですれ違ったのだろうな」
マジかよ。
「でしょうね。ひょっとしたら、ウチのところで捕まえてしまっているかもしれない」
ユーリに会わせろ、ユーリはどこだー。
おまえ、なにものだー。
近衛のガッラの息子だーユーリをだせー。
おのれ怪しいやつ、おとなしくお縄につけー!
すごくありそう。
かなりリアルに想像できた。
「まあ、そうしたら出してやって欲しい。あいつも悪気があったわけではなくてな。キャロル殿下の関係で、周りがよく見えなくなっているんだ」
「分かりました」
ドッラには会っておく必要があるだろう。
このザマを見て、なんて言われるかな。
殴られるだろうか。
想像すると、それほど気鬱には感じなかった。
考えてみれば、あの件について誰も俺を責めてこない。
俺は責められたいのかもしれない。
「さて、王城島は一段落ついたみたいなので、僕はちょっと本陣のほうを見てきます。どうなっているか分からないので」
負けてるって事はないだろうけどな。
その前に、急いで王剣を探さなきゃ。
たぶん、燃えてる橋のところに一人か二人はいるだろう。
そいつに、カーリャの遺体を頼んで、それからだ。
「ユーリ閣下、ご報告です!」
ガッラに別れの挨拶をしようとしたところで、突然声がかかった。
髪の整った顔のいい青年で、伝令の制服を着ている。
ホウ家では、伝令(に専任されている天騎士)は特別な制服を着ることになっている。
速度が重要な仕事なので、止めてはならない存在であることを、分かりやすく周囲に知らせるためだ。
伝令は、例えば順番待ちの列などがある場合は、列をすっ飛ばして通ることができるし、混んだ道を行く場合は、余程の高官だろうが道を譲らなければならない。
俺の前を走り抜けるときだって、敬礼をする必要はない。
「さすがホウ家だな。良い兵が揃ってる」
俺が状況を知ろうとしたところで、丁度伝令が来たからか、ガッラがおべっかのようなことを言った。
まあ、近衛と比べれば良い兵なのかもな。
実戦を経験してきただけあって、締めるところは締めている。
第二軍などは、見た限りはどこもかしこもユルユルだ。
「いいぞ、話せ」
「ご報告します! 近衛第二軍、壊滅いたしました! 我が軍の大勝利であります!」
俺はピンと伸ばした男の膝を、正面から踏み込むようにして、思い切り蹴り込んだ。
膝が崩れ、ゴクリと嫌な感触が足に伝わる。
「うおっ!」
ガッラが驚いた声をあげた。
「はっ!? あっ、ぐううううっ!!!」
膝を蹴り崩された男がうずくまった。
唐突な事態に、ガッラの後ろにいる第一軍の騎士たちが、何事かとこちらを凝視している。
「こいつ、ついでに牢屋に入れておいてください。たぶん魔女の間者だ」
壊滅じゃなくて、起こるとしたら降参、だろう。
もちろん、状況によっては戦闘の幕が切って落とされて、壊滅させたということもあるかもしれない。
そこのところの真偽は分からないが、敵だったら暗殺者なわけだから、先制攻撃しておくのがいい。
「――どうして分かったのだ? あらかじめ、第二軍が降伏したという報告を受けていたのか」
「髪が整いすぎていましたから」
「……は?」
ガッラは理解していない様子だ。
天騎士ではないから、ピンとこないのかもしれないな。
「鷲に乗ってきたなら、髪は乱れているはずでしょう。こいつのは、家で梳かしてきたようにキッチリとしていた。ま、今は乱れていますけどね」
地面に転げ回っているので、既に髪どころではない。
どこで服を手に入れたのか知らんが、姑息な真似をするものだ。
身格好を整えたほうが騙しやすいと思って、キッチリ整えてから家を出たのだろうが、もうちょっと設定を凝るべきだったな。
「だが、それくらいなら……」
「伝令というのは、一分一秒でも早く情報を届けるのが仕事です。手で撫で付ける程度ならともかく、仕事の最中に櫛できっちり髪を整える伝令などいませんよ」
まあ、この世界のどこかには、そういう伝令もいるのかもしれないが、俺の間違いだったとしても、ホウ家軍には必要のない男だ。
「それじゃ、行きます。ガッラさんも恨みを買っているでしょうから、お気をつけて」
「あ、ああ……気を付けるとしよう」
*****
俺はガッラと別れて、白暮のところへ歩いていった。
王城島の見慣れた街路には、所々に鷲が留められていて、異様な風景になっている。
中には、手綱をひっかける出っ張りが見つからず、そのへんの石を手綱に置いてあるだけの鷲すらいたが、鷲は逃げていなかった。
周りの鷲が飛び立っていないので、なんとなく雰囲気に飲まれてそこに居るのかもしれない。
後の動物学者が見たら、社会性がどうのこうのと言うのだろうな。
そんな事を思いながら、白暮の手綱をかけたところに辿り着くと、物陰からひょっこり王の剣が出てきた。
ティレトではない。エンリケだった。
「ちーっす、エンリケちゃんでーっす!」
何やら妙なことを口走りながら、エンリケは出てきた。
「なんのつもりだ」
自分でも思った以上にシラけながら、俺は言った。
こいつってこんなキャラだったっけ?
ていうかこいつ、ほんとに王剣なのか?
「あっ、そうですか……やっぱり最初のキャラがありますもんね」
エンリケのテンションは急降下した。
「ん……ティレトさんに言われて、王城を張っていました。どうなりましたか?」
あっという間に、前に王城で会った時のエンリケになった。
ただテンションが下がったというわけではない。
なんというか、弦楽器のチューニングでペグを回して、ピッチを合わせたようなテンションの下がり方だった。
最初のキャラも、無理をして明るく振る舞っていたという感じではなかった。
前のキャラクターを知っていなければ、ただの元気のいい女の子と思っていただろう。
一瞬にして別人に切り替わったような、不思議な感覚がある。
エンリケは、左右前後をこれみよがしに見ると、
「カーリャさんが降ってくるかと思って、待っていたんですが」
と、少し声のトーンを下げながら言った。
「カーリャを投げるのはやめだ。六階に安置してあるから、うまいこと着替えさせて、服毒自殺に見せかけてくれ」
「なんだ、情が出ましたか。存外、甘いんですね」
エンリケは目を細めて、俺を値踏みするように見た。
小首をかしげて目を細める動作は、なんだか、妙な色気がある。
リリーさんほどではないが、胸がでかいし。
顔もいい。童顔なのに、どこか蠱惑さが滲み出た表情をしている。
男が女を感じる、心の繊細な部分にそっと触れられたような気がした。
ああ、なるほどね。
確かに、ティレトじゃそういう小器用な任務はこなせそうにないからね。
こいつみたいに、適度に脂肪がついている感じではないし。
だから王城に最後に残したわけですか。
実際、こうやって元気に生き延びてるしね。
人の中での生存性能は、こいつが一番高いと踏んだのだろう。
「あれでも、昔なじみだからな」
俺はエンリケを置きながら、白暮の近くに寄る。
エンリケは、なぜか俺を追って着いてきた。
話は終わったので、俺は白暮の手綱を取り、開けたところまで誘導するために歩き始めた。
「カーリャさんをやったとき、どんな気持ちでした?」
なんだこいつ?
そんなこと、答えたくはない。
王剣独特の感じるところがあるのだろうか。
こいつらとしては、なんだかんだカーリャが殺されることに抵抗があったとか?
「趣深かったよ。あれでも昔なじみだ」
「カーリャさんは苦しみましたか? 恨みつらみを言って死にましたか? 昔なじみを手にかけた今の気分は?」
……なんだ?
若干イラっとしたが、湿った怒りより先に、違和感のほうが先にくる。
質問にあまりに必要性がない。
なにやら、挑発されているような感じがする。
俺を怒らせたいのか。
なんで怒らせたいんだ……?
「さあな。よく覚えていない」
俺は適当に茶を濁した。
「怒ってくださいよ。ふざけんなーって、殴ってくれてもいいですから」
「なにをいっとんだ、お前は」
頭大丈夫かこいつ。
「つまんないですよ。あの時は痺れるほどの怒りを感じたのに」
「面白がりたいなら、漫才でも見に行け」
開けた場所まで辿り着いたので、俺は白暮に跨った。
「薄いですね。あの時は濃かったのに。案外薄い人なんですか」
鷲の下から、意味不明なことを言っている。
薄いだの濃いだの。
「さあな」
「ねえ、殺すぞってもう一度言ってもらえませんか」
「殺すぞ」
どうでもよいので、言ってやった。
「うっすい………」
エンリケは、とんでもなくつまらなそうな表情をした。
どうでもいい。
白暮の拘束帯も付け終わった。
「趣味もいいが、仕事はちゃんとしろよ」
俺はそう言い残すと、白暮を羽ばたかせた。







