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第177話 伝単

 白暮に乗って、カラクモのホウ家本邸に降りると、控えていたトリカゴ番の男が、すぐに駆けつけてきた。


「ルーク閣下! やはりご無事で――!」


 その男は、ヨルンと言う平民の男で、俺の見知った顔だった。

 見知ったというか、幼い頃の一時期、一緒に牧場で働いていた時期もある。


 ゴウクの時代のトリカゴ番が老衰で引退したあと、ルークが連れてきたのが彼だった。

 牧場時代にルークと一番気が合った彼は、鷲に乗れないので調教などはできないが、地上での世話は完璧で、信頼が置けたからだ。


「――ユーリ様」


 鷲に乗っていた俺の姿を見ると、ヨルンはガクリと頭を垂れた。

 白暮は、その名の通り、他の鷲と較べると白いところが若干多く、ちょっと特徴的な外見をしている。

 降りてきた姿を見て、俺をルークだと思ったのだろう。


 俺は拘束帯を外して、鷲から降りた。


「やはり、噂通りルーク閣下は……」

「父上は、毒を盛られて亡くなった」


 嘘をついても仕方がないので、俺は真実を告げた。


「そう、ですか……」

「白暮は、今際(いまわ)(きわ)に父上から譲り渡された。王城からは、こいつでキャロル殿下と二人乗りをして逃げたんだ。故障を見てやってくれるか」

「はい、はい……」


 ヨルンは涙を流しながら、俺の持っていた手綱を預かり、主人を喪った鷲を慈しむように撫でながら引いていった。


「ユーリ様! ルーク閣下がお亡くなりになったというのは――」


 次に声をかけてきたのは、ホウ家邸に古くからいる女中の一人だった。


「本当だ。ちょっと急いでいるんだが、着替えの用意をしてくれないか。鷲に乗る服を」


 俺はまだ皮の鎧を着ていた。

 下には鎖帷子まで着込んでいるので、単純に鷲に乗るのに良い格好ではない。


 当たり前だがカラクモに諸侯が到着するまでには時間がかかるので、その間に別の用事を済ませたかった。


「はい、はい……すぐにご用意いたします……」


 老女中は、袖で涙を拭いながら歩き始めた。

 あまりこっちには来なかったから知らなかったけど、ルークって人望あったんだな……。


 歩きながら、本邸の中に入る。


 以前来た時は、良い意味でピリピリした空気が漂う武家の屋敷、という感じだったのだが、今は皆が不安がった目をしていて、浮ついた雰囲気になっているように感じた。

 武官や役人、女中さんなどが遠回しに俺を見ている。

 噂だけが飛び交っている状況なのだろう。


「こちらでお待ちを」


 と言われた部屋で待っていると、老女中は隣のクローゼット室に入っていき、幾つかの服を抱えて戻ってきた。

 頭から足までの服を一揃い、机の上に並べて、


「いかがでしょうか?」


 と言う。

 仕立てが良すぎるほどの服だったが、装備としては申し分ない。


「ああ、これでいい」


 着替えを手伝ってもらい、すぐに着替えた。

 元々はルークのものだったのか、少しサイズが大きかったが、これで十分だ。


「明日には戻る。諸侯が着いたら、待たせておいてくれ」



 *****



 白暮とは違う鷲に乗り換えたあと、スオミに到着したころには、もう空は暗くなりはじめていた。

 港にある事務所の屋上に鷲を降ろすと、ほぼ俺しか使っていない鷲留めの施設に鷲を留めた。


 簡易的なトリカゴのようなもので、鷲が一羽乗れる大きな枝に、手綱をかけておくカラビナのような道具がついている。

 本当は犬を縄のついた首輪で縛るように鷲を置くのは良くないのだが、トリカゴは大施設になってしまうので仕方がない。

 トリカゴは鷲の体が入ればいいというわけではなく、羽を広げられるサイズがないと怪我をしてしまうため、最低でも五メートル四方の床面積に六メートルほどの高さの空間が必要となってしまう。


 階段を降りると、事務所にいた社員は帰ろうとしているところだった。


「こんばんは、会長?」


 ぺこりと頭を下げてきたのは、スターシャという事務員さんだった。

 若く見えるが、これでも未亡人で、子どももいる。


 流石にスオミには情報が出回っていないのか、いつもと同じ調子だった。


「隣に人いるか? もう帰っちまったかな」

「印刷所ですか? どうでしょう……」


 俺は事務所の玄関を開けると、小走りに隣の建物に向かった。

 ここが印刷所となっている。

 活版印刷の聖典は、ここで原始的な活版印刷機を使って印刷しているのだ。


 印刷所のドアを開くと、強いインクの匂いがした。

 活版印刷用インクは原料に煤とヤニを使っているので、墨汁にヤニ臭さを合わせたような匂いがする。


 新しい技術を使い、日夜異教の聖典を製造している社員は、こちらも今日の仕事を切り上げて帰ろうとしていた。


「会長!? どうしたんですかい、こんな時間に……」


 印刷所の所長というか、作業監督をやっている男が言った。


 もう日が暮れようとしており、印刷所の中は相当暗い。

 電灯などないので、普通夜は仕事などしない。


「帰るの待った。今日は残業だ」

「残業!?」

「シャン語の活字は半分くらいできてたよな。今から印刷してくれ」

「えっ、夜ですけど……」

「残業代を一人につき金貨一枚やる。ロウソクをありったけ用意して、そこら中に立てて一晩中作業してくれ。できるか?」

「は、はあ……」


 俺は、後ろを振り返ると、ついてきていたスターシャさんに声をかけた。


「スターシャさん、君にも残業代出すから、悪いけどロウソクをありったけ買ってきてくれ。店が閉まってたら、ホウ家の名を出してでも開けさせて」

「はあ……構いませんけど」

「大急ぎでな。金庫に金はあるよな」

「あります、あります」


 そう言うと、スターシャさんは踵を返して駆けていった。


「なにか急ぎの仕事ですかい? 一人金貨一枚払ったんじゃ割に合わないんじゃ……」

「昨日女王陛下が崩御された。それ関係だ」

「はあっ!?」


 相当びっくりしたようだ。


「まあ、ちょっと重要なんだ。俺は原稿を書いてくるから……シャン語の活字はどこまでできてるんだっけ?」

「良く使うやつから作ってるそうなんで……まだ全然できてませんけど」

「棚はどこだ? メモと鉛筆をくれ」


 俺は明るいうちにランプに火をつけ、メモと鉛筆を持ちながら、活字棚に向かった。

 在庫にある活字のみで文章を作るためだ。


 活字棚を見ると、なるほどスカスカだった。

 ただ、言っていた通り使用頻度の高い文字から揃っているので、なんとかなりそうだった。


 それにしても、物凄く眠い。

 考えてみれば、もうずっと寝てないもんな……。


 ちゃんと書けるかな。



 *****



 皇暦二三二〇年 三月十四日ヨル 王都シビャク王城ニテ

 ホウ家ユーリ フル・シャルトル王家キャロル ゴ婚約ニサイシ

 両家顔合ワセノ会オコナワレタリ ソノ席上ニテ カーリャ姫

 席上ノ酒ニ毒ヲ入レ 両家コトゴトク抹殺セシメント企テタリ


 コノ企テニヨリ シモネイ女王陛下 毒ヲ召サレ崩ギョセリ

 ルーク・ホウ家長 スズヤ・ホウ 夫妻 又毒ヲ飲ミ死セリ


 ユーリ・ホウ 酒ヲ飲マズ 健在 キャロル殿下 又健在

 之ヲ見テ 王都巣食ウ魔女ノ兵団 王城ヲ攻メ立テタリ


 王城脱シ王都去ラントスル オ二人ニハ 追討ノ兵ケシカケタリ

 之一切ノ企テ魔女ニヨル企ミデアルコト 軍旗ニヨリ明明白白


 カーリャ・フル・シャルトル 親ヲ殺セシ 大逆者ノ名ナリ

 ホウ家 之ヲ奉ゼズ キャロル・フル・シャルトル 唯一汚レナキ

 王統ナリ サンダツ者奉ゼシ者 ホウ家ガ怒リ 恐ルルベシ



 *****



 こんなもんかな。


「聖書の組版は一度外してさ、同じ組版を何個も作って並べて、一枚の紙にできるだけいっぱい印刷してくれ」


 活字は鋳型で大量生産するものなので、文字の種類はなくても、それぞれの数だけはたくさんある。

 同じ内容であれば、何個だって組めるはずだ。


「え、本にするんじゃ?」


 なにいっとんだ。


「逆に、全部一枚一枚の小切れにして、鷲に乗って王都の上空からバラまくんだよ。そこら中の都市にもな。あれだよ、ビラだよ」


 この国は識字率はそんなに高くないが、都市部に限ってはそれなりに読める者が多い。

 少なくとも流言飛語を抑制するくらいの効果はあるだろう。


「え、タダでですか」


 そりゃタダだろう。

 タダで紙を配るということに違和感があるようだ。

 結構お高いしな。


「いいんだよ。こういう時はみみっちいこと言わないほうが勝つんだから」

「はぁ……」

「じゃあ、あと頼めるか」

「はい?」

「手伝ってやりたいけど、昨日の晩コレがあってから」

 俺は持っていたメモを振った。

「徹夜で、もうずっと寝てないんだ。ちょっと気絶しそうだから、あと頼んでいいか」


 意識が朦朧として、すぐにでも倒れてしまいそうだった。


「もちろん。煩くなるんで事務所のほうが良いかと思いますが」

「あぁ、そうするよ」


 俺はフラフラと事務所のほうにいくと、入り口の待ち合いスペースの長椅子に横になった。

 意識を繋ぎ止めていた手を放した瞬間、スッと意識が消えた。



 *****



「ユーリ様、ユーリ様!」


 けたたましい音によって起きた時、外には陽が差していた。

 大分長く眠っていた気がする。


 寝ぼけ眼で、事務所に設置してある柱時計を見ると、午前七時だった。

 日没の時間を考えると、十時間くらい寝てた計算になるか……。


 声は玄関の外から聞こえていたので、眠い目で玄関のドアを開けようとすると、カギがかかっていた。

 スターシャさんが閉めて行ったのかもしれない。


 内側から解錠して門扉を開くと、そこには土下座しているジャノ・エクがいた。

 大昔、ゴウクの後任会議で一悶着起こしたラクーヌの甥で、改易されたエク家の代表として、この地の代官をやっている。


「どうした、一体」


 まあ、大体想像つくけど。


「魔女との一戦、わたくしも戦列にお加えください! お願い申し上げます!」


 石畳に叩頭してお願いしている。


「悪いが、無理だ」

「お願い申し上げます!」


 頭を石畳に打ち付けても、ダメなものはダメだ。


 俺は商売柄、このスオミという街の事情について相当明るいが、この男は代官として最悪の部類だった。


 この土地は、元々はエク家の封土だったのだが、あの一件があってから、ホウ家が取り上げた。

 代官というのは、そのホウ家の名代という形になる。


 こいつは、まず経済について明るくないし、裁判に関しては縁故主義で係累の親戚を贔屓したり、揉み手をしながら賄賂を持ってきたやつを有利にしてみたり、ロクなことをしない。

 それが領地経営にどのような影響を与えるかまったく理解しておらず、まるで騎士院出の悪い側面だけ煮詰めたような男なのだった。


 領民にも事あるごとに無体を働くので、市民はホウ家の跡継ぎである俺を頼ってこのホウ社にまで陳情しにくる始末で、本当にどうしようもなかった。


 ルークの時にも、もう何度も「あいつ処罰してくれませんか」と言ったのだが、結局やってくれなかった。

 誰かさんがスオミを拠点に仕事を始めたおかげで、地域経済が爆発的に活性化してしまい、表向きの統治成績が極めて良好になってしまったからだ。


 こんな野郎を復権させたら、ロクでもない事にしかならない。

 騎士という存在の負の側面がコイツだ。


 ましてや、今のスオミは俺のせいで一大経済都市になってしまったのだから、コイツを復権させるようなことができるわけがなかった。


「そうはいっても、戦はこれからすぐに始まるのだ。貴殿も知っての通り、自ら騎士団を持ち、兵を鍛えねば、手勢を自分の手足のように扱えるものではない。貴殿が復権してのち、自ら軍を作り上げないうちは、戦場には出せない」


 俺は嘘をついた。


 俺がホウ家頭領になった時最初にやることは、難癖つけてオメーをクビにすることだ。

 などと言ったら、ただでさえ糞多い面倒が一つ増えるだけだ。

 それは避けたかったし、こいつの処理は今の戦争が一段落ついてからにしたかった。


「そこをなんとか――ッ!」


 ジャノ・エクはもう一度頭を石畳にこすり付けた。

 こいつも必死なのだろう。それは伝わる。


 でも、内面が邪悪すぎる。


「すまないが、時間が足りない。貴殿にはいつか存分に働いてもらうつもりだ。今は堪えてくれ」


 俺はそう言って、ジャノ・エクから目を逸し、隣の印刷所へ向かった。


「か、会長、とりあえず刷り上がった分はこれですが……」


 事態にびっくりしている作業監督が、手提げの布袋を渡してくる。

 中を見てみると、裁断された紙が撚り糸でギッチリ縛られた束が、ゴロゴロと入っていた。


「あ、これ見本です」


 渡された一枚のビラを見ると、割と良い仕上がりだった。

 活版印刷特有の、一文字一文字が刻印されたような窪みの中に、きちんとインクが乗っている。


「ありがとう。この三倍くらい刷ったらやめて、聖典に戻ってくれ」

「わかりやした」

「スターシャさん」


 スターシャさんは、すぐ近くで貴族がずっと土下座し続けているという異常事態に、所在なさげにしていた。


「こっちに」


 俺は手招きしつつ事務所に戻り、先程貰った見本のビラの裏面に、文章を書いた。


「アルビオ共和国の便、帰港予定はいつだったっけ」

「三日後ですが……」


 帰港予定というのはアテにならないので、数日くらい前後するのが普通だが、ちょうどよく最近来るらしい。

 俺はカウンターの奥に勝手に入ると、場所を知っている封筒を取って、ビラを入れ、ライターの火で蝋封した。

 封筒にサインと宛名を書き入れる。


「これ、船に載せてくれ」

「はい。承りました」


 スターシャさんに封筒を渡すと、俺はそのまま事務所の屋上にあがって、カラクモへ飛び立った。

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[一言] 裏切りそうランキング1位のジャノさんの未来は如何に
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