第150話 女王陛下の苦労
キャロルが、茶器を持った女中さんと同じタイミングで戻ってきた。
勝手に部屋に入ってくると、さきほどの椅子に座った。
「やれやれ……ユーリ、失礼したな」
心配していたが、キャロルはどうやら怒っていないようだ。
黙っているのもやめたらしい。
「俺はいいんだが、なんかずっと黙ってたな」
「カーリャは、私がユーリと話すと怒りだすものでな。面倒なことにならないよう、黙っていたのだ」
なるほど。
「口を開いたら説教したくなるからかと思った」
「む……まあ、それもある。口喧嘩をしているところなど、見られたくはない」
キャロルとカーリャの口喧嘩か。
正論VS感情論の酷い争いになりそうだ。
「カーリャちゃんはユーリくんが大好きらしくてね、困ったことなのよ」
まあ、それはそうだろうな。
好いていなかったら付き合ってくれとか言わんだろうし。
「困りますね。一体全体、なにが原因なのか、さっぱり分かりません」
カーリャにどう思われようと、それはどうでもいいのだが、女王陛下に俺が誘惑した結果のように思われると困る。
「普段どういうふうに接してるんだ?」
キャロルが聞いてきた。
「いや……」
女王陛下の前だと言いづらいな。
けど、誤解されたら困るし、言っておいたほうがいいだろう。
「かなり、粗雑だけどな。ぶっちゃけた話、優しくしたことなんて一度もない」
いやマジで。
粗雑というより、ほっぽって逃げてるんだが。
どこに惚れる要素があったのだろうか?
顔か……?
「そこが良かったのかも知れないわねぇ」
女王陛下が言った。
「えっ」
マゾなの?
「お母様、私も同意見です」
えっ。
「カーリャには対等に接してくれる者などほとんど居ないんだ。私とは性格が合わないしな……対等に接してくれたお前に、強く惹かれたのかもしれん」
キャロルは、俺に解説するように言った。
「あぁ……そういうことか」
なんだ。
マゾなのかと思った。
対等に接してくれる者、というのはどういうことだろう。
俺はキャロルと対等に接している。
キャロルは俺の他にも、身分の差を超えた友人が何人かいるはずだ。
シャムだって、公的に言えば相当身分が高いはずだが、リリー先輩とは対等の関係でいる。
カーリャにだけそれが居ないというのは、白樺寮の特性というわけではないのだろう。
性格なのか?
「私としては、カーリャちゃんとくっついてもいいのだけれど」
女王陛下がとんでもないことをいい出した。
「どうも見ていると、脈はないみたいね」
そして一人で勝手に締めくくった。
「ありえません」
キャロルが勝手に答えた。
なぜお前が答える。
「そうですね。無理です」
まあ、実際ありえないのでいいんだが。
どうせ付き合うなら意思疎通の難しい宇宙人は嫌だ。
あいつ、すっげーーーめんどくさそうだし。
「……ま、お茶を淹れましょうか」
女王陛下は、会話を区切るように言った。
椅子から立ち上がって、お茶を淹れ始める。
女王が立っているのに俺が椅子に座っているというのはおかしいので、反射的に俺も立ったほうがいいのかと感じたが、それも異常だしキャロルは普通に座っているので、若干の気まずさを感じながら座ったままでいた。
女王陛下は、ティーセットにいくつも置いてある小さな茶葉淹れから、何種類かの茶葉を少しづつ選んで大きなポットに入れてゆく。
薬缶をとると、高い位置からお湯を入れはじめる。
薬缶が置いてあったところを見ると、上品な彫り込みがしてある、年季の入った木製の鍋置きのようなものがあった。
貴重品ではないが、なんというか生活骨董として価値のありそうな趣深さを感じる。
ポットにお湯をなみなみと注ぎ、蓋をして蒸らしの行程に入ると、女王陛下は再び椅子に腰かけた。
相変わらず、鮮やかな手並みだ。
特別なことはやっていないのだが、茶道のような所作のなめらかさがある。
「じゃあ、キャロルちゃんとならどう?」
と、なんでもない会話の続きのように言った。
内心で緊張しながら、女王陛下を見ると、目が冗談を言っている目ではなかった。
先程とは違って、何かを探っている目だ。
だが、ここで気取られてはならん。
「キャロルとなら、まあ……」
「えっ」
キャロルが驚いた顔をした。
嬉しそうだった。
「でも、まだ結婚は考えていないので」
「そう?」
女王陛下は、ポットを円を描くようにゆらゆらと回している。
「女王の夫、というのは気が重いかしら」
そう言って、女王陛下は伏せてあったティーカップを置き直し、ポットから茶を淹れ始めた。
蒸らし時間はさほど必要ないらしい。
所作をなんとはなしに見ながら、口をつぐんだままでいる。
そりゃ、気は重いよ。
女王陛下は、三つのティーカップに茶を注ぎ終わると、別にあった小瓶から、小さなトングで濃い色をした濡れた葉っぱのようなものを拾い、一摘みほどの量を茶に入れた。
謎の物体だ。
「はい、どうぞ」
すっ、とティーソーサーに乗ったカップが置かれた。
「ありがとうございます」
間近で見ると、入れられた物体は何かの新芽を漬けた物らしかった。
透けた赤茶色の茶の向こうで、パラパラとばらけて濃い色を出している。
桜葉漬けみたいなものか?
全員にカップが行き渡ると、
「いただきます」
「どうぞ」
というお決まりの会話を挟んでから、口をつけた。
塩で漬けたらしい新芽は味が強く、混ぜられていないだけに濃度に差があって、食事の延長を楽しむような気分にさせてくれた。
それと混ざりあった茶の芳香が、邪魔をしないように舌を楽しませ、爽快な香りが食事で賑やかになっていた口の中を洗う。
美味しい。
なんというか、お茶には混ぜない美味しさというのもあるんだな。
ほっとする感じだ。
「凄く美味しいです」
「そう? よかったわ」
お茶を褒められて、純粋に嬉しそうに見える。
「ところで、ユーリくんはこの先どうするつもりかしら?」
「?」
よくわからない質問が来た。
「私はね、今とっても複雑な気分なの。良いことと、悪いことが起こったから」
なにが複雑な気分なのだろう。
女王陛下の声には、若干の緊張感があって、お茶でほぐれた心がささくれ立つのを感じた。
羽毛で逆撫でされる程度の、形にならない不快感が心を撫でる。
「悪いことのほうは、キルヒナが滅びてしまったこと。正直にいうとね、今度もなんとかなるんじゃないかなぁ、って思っていたから。本当にこれは困ったの」
勝手に喋りはじめるようだ。
まあ、そりゃそうだろうな。
考えてみりゃ、このシモネイ女王陛下は、歴代のシヤルタ国王の中で、一番キツい役回りだ。
平気な顔をしているが、胸中は不安でいっぱいだろう。
歴代の女王の為政でも、将家がオラついたり、対十字軍に援軍を出したり、そういった血なまぐさいことはあったが、彼女らの殆どは戦火など脅威に感じないところで生きてきた。
ほとんどの女王が、極々ふつーに平和な国を統治して、それで済んだことを考えれば、彼女に与えられた役目は歴史上最悪といってもいいかもしれない。
不運にも程がある。
背負って立つ国が焼ける。その時の王というのは、どういう気分だろう。
しかし、前に茶に招かれた時は、茶の間は雑談をするものだ、とかいって歴史談義を始めた気がするが。
会話の流れがちょっと急だし、何か焦っているように感じる。
キルヒナが滅びてしまったことで、平気を装ってはいても、精神が不安定なのだろうか。
「良いことは、ユーリくんが帰ってきたこと」
………あー。
「これは本当に良かった。ユーリくんとキャロルちゃんが、もし死んでしまっていたら、私は頭がおかしくなっていたかも知れないわ。だって、もうお手上げだものね」
やっぱり、今日の女王陛下は凄くあけすけに話すな。
こんなに素直でいいのだろうか。
聞いているこっちがハラハラする。
「でも、ユーリくんは綺羅びやかな戦功をあげて帰ってきたわ。これで、誰もがユーリくんに期待するでしょう」
うわ。
気持ち悪い。どんな期待だ。
「竜を斃し、キャロルちゃんを一人で守り、敵陣を破って、敵の毒牙にかかろうとしていた民衆を導き、テルルさんをも連れて帰ってきた。最後には民を見捨てず、百の兵を率いて千の軍勢と戦い、勝利さえした。十分すぎるわ」
なんて気持ち悪い言葉だ。
確かに、失敗と名のつくものを全て取り払って、やったことを全て美化し、それを言葉にすれば、そういう言葉ヅラにもなるだろう。
だが、実際は自分でしでかした失敗の尻拭いを、自分でやったというだけのことにすぎない。
「これは、私が無理に宣伝をしなくてもそうなるのよ。民衆は必ずユーリくんを英雄視するでしょう」
「俺は英雄などではありません。失敗ばかりでした」
「ユーリくんがどう感じているかは関係がないのよ。民衆というのは、不安になれば必ず縋るものを求めるものだわ。その対象はユーリくんになる」
よく分からないな。
なんでこんな話をしてくるのか。
民衆に縋られたところで、どうだというのか。
彼らが何をしてくれるわけでもない。
勝手に期待をして、俺が応じなければ怨嗟の声をあげるのか?
裏切られた。期待して損した。
そんな身勝手な話はない。
俺は顔も知らぬ他人のために生きているわけではない。とんだ迷惑だ。
なんだか苛ついてきたので、茶を飲んだ。
相変わらず、茶は美味かった。
「僕は僕で考えていますし、行動もしています。だけど、それは僕がやりたい事のためです。民衆の願望を叶えるためには動きません」
「でも、この国を残さなかったら元も子もないでしょう。そのためには戦争に勝つしかないわ」
まあ、当然そういう思考になるわな。
俺はもう新大陸発見の報をきいているから、別の選択肢が浮かぶが、新大陸のことを発想すらしなかったら、やはり戦争に勝つという思考を持っただろう。
女王陛下の考えとしては、俺にメッチャ活躍して超スーパー大将軍になって十字軍メッタメタに叩き潰して~、みたいのが理想なんだろう。
そんな活躍を俺に望まれても、正直いって困るんだが。
「簡単そうに言いますね」
「簡単ではないのは分かっています」
本当に分かっているのか?
「僕の考えでは、戦争に勝つには、大きな犠牲が必要ですよ」
「戦いに犠牲はつきものです」
分かってなさそう。
「いえ、犠牲というのは、内戦のことですよ」
「内戦?」
女王陛下がさすがに気色ばんだ顔をした。
そういう発想はなかったようだ。
「五将家がそれぞれに軍権を持っているのでは、どうしようもありません。ただでさえ数の上で不利なのに、こちらが烏合の衆では、なんとも」
「敵と戦う前に、味方と戦うの?」
信じられない。
何を考えているのか。
と言外に言いたげだ。
だが、俺からしてみれば、国を一つにしない状態で十字軍の大軍団と戦って勝て、というほうが、無理な相談なのだ。
今のままで続けるよりも、将家を潰し、魔女家も潰し、国の形を一旦まっさらに壊した上で全部作り直したほうが、たぶん上手くいく。
もちろん、そうすれば戦争に勝てるという意味ではない。
だが、どちらにしろ、現状のままでは無理なのだ。
俺もそんなことをする気はないが、勝つのだとしたら、そうでもしないと勝ちの目は見えない。
必要最低限の準備として、それが必要ということだ。
五分の一の力を委ねるから、どうにかしてくれ、と言うのは、いくらなんでも虫がよすぎる願いだろう。
希望を委ねられても、その希望は夢見がちな綺麗事では叶えられないのだ。
「そうは言ってません。というか、ホウ家の軍はまだ傷が癒えていないので、そんなに戦えませんしね」
前の戦争でボロッカスになってから十年も経つし、実際のところは傷が癒えつつあるのは知っているが、こう言っておこう。
でも、どちらにせよ将家三つと戦うなんていうのは、どだい無理な話だ。
「……そうね」
「言いたいのは、僕が仮にホウ家を継いだとしても、僕の采配が効くのはたかがホウ家一家だってことです。どれほどの工夫をして、調練を効かせても、十万の十字軍が押し寄せてきたら、勝ち目はありません」
ホウ家などというと王都にも立派な別邸を持っていて、権勢著しい大領主のように見られるが、逆を言えばその程度の存在だ。
どんだけ頑張ったって、シヤルタより豊かな国が何国も集まってドカドカ攻めてくるもんを、押し返せたりはしない。
「じゃあ、キャロルちゃんと結婚してみたら?」
不意打ち気味に来た。
俺は意識的に心に重い石を乗せた。
きょ、キョドってないし。
「そうしたら、近衛も好きにしていいんだし、万々歳じゃない?」
まあ、そりゃそうなるよな。
近衛っつっても、第一軍と第二軍とがあって、第二軍のほうは実質的に魔女家の私兵となっているので、第一軍だけとなると、ぶっちゃけ大したことはないんだが。
「それにしても、キャロルちゃんは嘘がつけないわねぇ。お母さん心配だわ」
女王陛下はキャロルのほうを見ていた。
キャロルは、なんとも隠しきれない様子で、後ろめたそーな、親に叱られる子どもみたいな顔をしている。
あ、こりゃバレてるな、と直感的に思った。
「お、お母様、誤解です」
残念ながら、誤解ではない。
「いいのよ。お互いを悪く思っていない男女があんな経験をしたら、普通はそうなるわよね」
まあ、たしかに。
だが、証拠があるわけではない。全ては推論だ。
なんか許してくれそうな感じか?
「ユーリくんは、魔女の人たちと渡り合っているから、さすがに内心の隠し方を心得てるみたいね」
「……いえ」
俺のポーカーフェイスも捨てたもんではないらしい。
「でも、悪い話ではないと思うのよ。近衛も手に入るし、大義名分としても動きやすくなるし」
いや、そらそうだろうが……。
そもそも、俺は別に新大陸があるから、戦争に勝つことにそこまでこだわっているわけではないし。
最初から分が悪いと思っているので、どちらかというと会社経営のほうに力を傾注したいところだ。
王配になんぞなったら、それどころではなくなる。
「さっきの話を本気にしないで欲しいのですが」
ホウ家が内戦を考えている、などと思われては困るので、とりあえずこう言っておこう。
「私は、ユーリと結婚するつもりはありません」
突然口を開いたキャロルが、そう言った。
えっ。
女王陛下が、さすがに驚いた様子で、口を開きながらキャロルを見ていた。
「どういうこと?」
感情が顔に出て、少し眉間を強張らせている。
さすがにこれは想定外だったのだろう。
「結婚相手は、然るべきときに決めます。遠征でのことを盾にユーリに結婚を迫るのはやめてください」
ああ、そういうことか。
その場限りの、都合のいい関係でいい、みたいなことを言っていたもんな。
母親の独断とはいえ、それを使って無理に結婚を迫るというのは、約束破りのように考えているのだろう。
律儀な女だ。
「はあ……うーん……」
女王陛下は、目をつむって悩ましそうにうつむいた。
なんか色々考えているのだろう。
ユの字が襲った、とかユの字が誘った、とかいうなりゆきではないみたいだ。それだと弱みを責めるにしても、ちょっと話が変わってくるわねぇ。
根がまっすぐ過ぎるというのも困ったものだわぁ。
といったところか。
「まあ、いいでしょう」
女王陛下は、小さくため息をつきながら言った。
「こういうのは本人のやる気ですしね。無理にさせても良くないわ」
とりあえず、この場は諦めるようだ。
「でも、ユーリくん、いいの? キャロルちゃんは王族なのだから、そのうちには結婚して、子どもを産むのよ。それが自分以外でも構わないのかしら?」
……それを言われると苦しかった。
「よく考えるのはいいことだけれど、優柔不断では全部をなくしてしまうわ。ユーリくんはそんな人ではないと信じているけど、よく考えてね」
「……肝に銘じておきます」
「ふう」
女王陛下は、その細い両肩にかかった難題に疲れたように、小さくため息をついた。
「堅苦しい話が続いたわね。お茶も冷めてしまったようだし、淹れなおしましょうか」
場の空気を変えるように、女王陛下はそう言うと、給仕を呼んで、新しい湯を運んでくるよう命じた。







