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第132話 テルル・トゥニ・シャルトル*

 その夜、テルル・トゥニ・シャルトルは、キルヒナに居た。


 すぐ近くの橋は大渋滞で、夜中だというのに、人が通っているようだ。

 遠く怒号が飛び交い、人々は事情を知らされないまま、見ず知らずの兵に急き立てられ、夜通し橋を渡っているらしい。


 テルルもまた、一度はその橋を渡った。

 その時は、恐らくは顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、一時的に橋を占領し、馬車に乗ったままシヤルタに渡った。


 その橋はおかしな橋で、立派な石造の橋の横に、粗末な木造の橋が寄り添うように造ってあった。

 テルルは馬車に乗って、石造の橋を渡ってシヤルタ側に来た。


 が、そのあと日が暮れそうになってから、鷲に乗った使者が来ると、急遽馬に乗せられ、今度は細い木造部分をせき止め、石造の橋いっぱいに大量の人々が渡っているのを横目に見ながら、こちら側に引き返してきた。


 その際、世話人であるヒナミ・ウェールツとも引き離されてしまっている。


 テルルは、わけがわからなかった。

 改めて、晩の寝床として幌付きの馬車を用意されても、とても眠れる気分にはなれなかった。


 今は、毛布にくるまったまま、カンテラの灯火をただ見ている。

 緊急にしつらえたものなのか、毛布はボロボロの使い古しで、ベッドは藁に布をかぶせただけのものだ。


 これほど質の悪い寝床は、さすがに初めてだった。

 それでも眠ろうと思い、一度は横になったものの、どうしても眠れない。


 結局、起きだして何をするでもなく、火を見ながら想いを巡らせている。

 この夜は……というより、この夜も、悪い考えばかりが頭を巡った。


 馬車後部の幌布がゆっくりと開けられたのは、そんなふうに無為に時間を過ごしていた時だった。

 開けたのは、ここ十日ほどですっかり見慣れた顔となっている、ドッラ・ゴドウィンだ。


 彼らはテルルの専属でついている護衛のようなもので、馬車の周囲を寝ずに警護している。

 こちらに戻るとき、テルルの乗った馬の手綱を引いてきたのも、ドッラだった。


「……何か用ですか」


 テルルは、消えるような声で言った。


「いや……寝ているのかな、と」


 ドッラというこの男は、言葉が不自由というわけではないが、宮廷の人々のように流暢に色々な形の言葉を操るのは苦手らしかった。


「眠れるわけが……」

「そうですか……お邪魔してもいいですか」


「どうぞ」


 テルルは、聞きたいことがあったので、幌の中に入るのを許可した。

 彼は、編み上げの靴をほどき、外に置くと、馬車の中にゆっくりと入ってきた。


 腰をかがめてもなお、頭が幌のてっぺんに迫るような大男だ。

 体重はテルルの倍以上あるだろう。


 だが、意外にもこの男は、騎士院の腕自慢にありがちな、粗暴なところがない。

 むしろ、この十日余りの間は、静かに座って、どこか哀しげに物思いに耽っていることが多かった。


 そのまま、入り口においてあった木箱にゆっくりと腰を掛けた。


「あの……あなた方は、私をどうするつもりなのですか」


 テルルはか細い声で言った。

 旅に出てからこの方、何も事情を知らされてはいないが、昨日から何か異常な騒ぎが起こっていることは察している。


 そうでなければ、このように怒号をあげながら民を追い立てる必要はないし、そもそも自分をこちら側に戻したのは、何かしら意図があってのことだろう。

 つまりは、テルルを利用するために呼び戻したのだ。


「さぁ……俺は、何も聞かされていないので」


 彼は、演技ができるほど器用な男性ではないように見える。

 だからこそ、聞いたのだ。


 やはり、嘘を言っているようには思えなかった。

 だが、なにも情報は得られなかった。


「そう、ですか……」

「あの……悪いようにはならないので、それほど心配しなくても、大丈夫かと」


 この言葉は、根拠あってのことではないだろう。

 それくらいのことは解った。


「ユーリ……様は、私をあちら側に渡すつもりなのでしょうか」


 テルルが心配しているのは、そのことだった。

 難しいことは分からない。

 だが、そういう取り引きをする、というのが、連れて戻った理由としては、もっとも腑に落ちるのだった。


 つまりは、自分の身柄をクラ人のほうに売る、ということだ。

 その代わりに、敵が迫っているなら見逃してもらい、あるいはお金を得る。


「は……? ええと、ユーリがあなたを売ると?」

「はい」


「ふっ、ハハッ」


 ドッラは軽く吹き出した。

 顔を見ると、おかしそうな顔をしている。


 テルルは、ドッラが笑ったのを初めて見た。


「それは、ありえない。あいつは、()()()()()()をする奴じゃない」


 質の悪い冗談を否定するように、ドッラは断言した。


「なぜ、そんなことが分かるんです」

「なぜ……? さあ、俺が勝手に思っているだけなので」


 勝手に思っているだけ。

 これこれこうだから、ありえない、という理屈があるわけではないらしかった。


 笑みは、もう消えてしまっている。


「あなたは、あの人を良く知っているのですか?」

「ユーリのこと……でしょうか?」

「はい」


「騎士院では八年来同室ですが……知っているわけではないです」


 同室というのは、テルルにとって初耳であった。


「八年も一緒なのに、知らないのですか?」

「まあ、他の奴よりは知っているでしょうが……俺は馬鹿なので理解できない、という感じです。あいつを理解できている、とは言えません」


 なんとも、よく分からない話だった。

 理解の範疇を超えた人間、ということなのだろうか?


「それなのに、なんであの人が私を売らないと分かるのです?」

「……うーん、あいつは強いから、かな。なんでも自分でどうにかしちまうし……。まぁ、売られるだーなんだのってのは、心配のし過ぎですよ」


 答えになっていないが、どうやら彼には何かしらの確信があるようだ。

 理解はできていなくても、人となりから考えて、というような話なのかもしれない。


 馬鹿にしてはいないが、馬鹿げた話だ。とは思っている感じだ。


「私は、あの人が信用できません」


 テルルは、思い切って突っ込んだことを言ってみた。


「そうですか」

「なにを考えているか分からないし……なにか空恐ろしいものを感じます」


 それは、彼に初めて出会ったときから抱いていた印象だった。

 顔立ちは端正で、あの年で王と対等に話せるほどに優れているのに……いや、だからかもしれない。

 どこか底知れないものを感じるのだ。


 深い谷の底を覗いた時と同じような恐怖……。

 話せば、どこか遠い所に連れ去られてしまうような……。


「まあ、二日三日で他人を信用するってのも馬鹿げた話だし、いいんじゃないですか」


 ドッラはどうでも良さそうだった。


「でも、信用できなければ、不安で眠れません……」


 テルルは、いつも侍女に慰めを求めるときの口調で言った。


「眠れなくても大丈夫です。担いで行きますから」

「そういう問題では……」


 理解しては貰えないのだろうか。


 いや、この先シヤルタに身を置くのだから、キルヒナの生まれの自分は誰からも理解されないのかもしれない。

 滅びる国の王族などというのは、そういうものなのだろう。


「それなら、あなたが売られるようなことになれば、俺が助け出しますよ」


「……えっ」


 なんて言った?


「俺が納得できる理由がなかったら、敵の手に渡る前に連れて逃げるし、納得できる理由があった時は……まあ、取引は見ているだけかもしれませんが、あとで追っていって助け出します」


 言葉の内容とは反対に、ドッラはどこか気だるげだった。


 気分が高揚しているふうでもなければ、情欲めいた響きもない。

 ただ、薄暗がりの中で、木箱に座りながら言った。


 そんなに心配ならこうしますよ、と。


「その途中で……死ぬかも知れなくても?」


「はい。安心できましたか」


「いえ……なんであなたがそんなことを?」


 テルルからしてみれば、困惑を覚える提案だ。

 テルルは死にたくないし、ドッラというこの男も死にたくはないだろう。

 どうしてテルルのために死をいとわないなどと言うのだろう。


「言っても仕方ないが……つい最近、命の使い道が無くなったんでね」

「はあ……」


 よく分からない。


「まぁ、もしユーリがあん……あなたを売ったら、の話です。ありえねえと言った手前、もしそうじゃなかったら、責任は取りますよ。そんなことをするようなら、ついていく値打ちもありませんし……まあ、ありえねえ話ですが」

「そうですか……」


 なんとも、変人の理屈のように思える。

 だが、なんとも、やたらと、頼もしくも感じる。


「あー、迷惑でしたか。そんなら……」

「いえ、よろしくお願いします」


 テルルは、座ったまま小さく頭を下げた。


「代わりに……じゃあないんですが、ちぃとここで寝ていいですか。見張りが……三時間ほどで交代するまで。警備にも都合がいいので」


「どうぞ、構いません」


「それじゃ、姫様も眠ってください」


 ドッラは、そう言うと、余程疲れていたのか、その場で膝に肘をかけ、うなだれるように頭を垂れた。

 少しづつ力が抜け、一分も経ったころには、どうも眠っているらしい格好になった。


「……」


 テルルは、それを見てから、音を立てぬよう粗末な寝床に身を横たえ、少し臭いのする毛布を体にかけた。


 意外にも、意識は簡単に(かげ)り、眠りはすぐに訪れた。

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