第120話 女王謁見
夜半、日付けが変わる十分ほど前、コンコン、とドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
そう言って入ってきたのは、熟女といっていい年の女性だった。
女中が着るような服は着ておらず、平服を着ている。
熟女という表現に反して色気のようなものは全くなく、肉付きの薄い体にキツ目の顔が乗っている。
体つきは薄いが、どうも鍛えられているように見える。
なんというか、そこらの女秘書や女中と違って、立ち居振る舞いに高いポテンシャルを感じる。
「女王陛下、王配殿下の命により、お迎えに上がりました」
スッ、と丁寧に頭を下げた。
「そろそろと思っていました」
こいつは、シヤルタでの王剣にあたる存在なのかもしれないな。
ここ数時間の間に、さすがにこの状況下では風呂は作っていないようで、湯浴みはできなかったが、熱い湯で湿らせた布で体を清め、食事もすることができた。
もうちょっと遅れてたら、眠気が襲ってきていたかもしれない。
「車いすをご用意しました。お乗りください」
後ろからもう一人、同じような女性が現れ、そちらは車いすを携えていた。
油を差したばかりらしく、なめらかに車輪が回り、スルスルと部屋の中に入ってくる。
まー、こいつらが歩く横を、松葉杖ついた俺たちがえっちらおっちらついていく、というのは、ちょっと様にならないからな。
熟女も一度廊下へさがり、廊下に置いてあったらしい車いすを運んできた。
車いすは、ここに来るときに使ったものより随分と格調高いものだったが、やはり形状は洗練されていない。
本当に、椅子に車輪がついただけ、という感じだ。
あくまで「他人が押せる椅子」であって、後輪を大きく作ってあるわけではないので、座った人間が自力で移動できるようにはできていない。
まあ、仕方ない。
俺は車椅子に座りなおすべく、椅子を立った。
「よろしくお願いします」
***
車椅子に座ったまま連れられたところは、数ヶ月前に初めてリフォルムに招かれた際、夕食を食べた部屋だった。
女がノックをすると、「入れ」という声がした。
熟女がドアを開ける。
「失礼します。御二方をお連れしました」
そう言うと、椅子の後ろに回って、部屋に押し入れた。
部屋のテーブルには、今は二人が座っている。
女王陛下と、王配殿下だ。
あの時と違って、テルル殿下はいない。
「罷り越しました。座ったままで失礼」
俺は上半身だけ最敬礼の形をし、頭を下げた。
「お久しぶりでございます。陛下」
キャロルのほうは、ぺこっと略式の礼をするに留めた。
王族同士であるので、これは失礼には当たらない。
それより、お三方は会ったことがあるのか。
不思議ではないが、初めて知った。
「どうぞ」
女王陛下が手で椅子のない対面を指し示すと、熟女が椅子を押して俺たち二人を卓につかせた。
それにしても、女王陛下はなんだかやつれている様子だな。
なんというか、覇気といったら変だが、迫力が感じられない。
国主としてかぶっている冠が外れかけているから、そうなっているのだろうか。
それとも、俺が滅び行く国の権威を敬わなくなっていて、それで後光が消えたように、以前は感じた迫力を感じなくなっているのだろうか。
どちらが原因なんだろう。
両方かな。
「まずは、君たちの無事を喜びたい。よくぞ生きて戻ってきてくれた」
女王が言った。
「ご厚情痛み入ります」
俺が答える。
「ありがとうございます」
キャロルも追従した。
貴国のご助力のお陰様で~みたいなことは言わんといたほうがいいだろうな。
「我らにとっても久々の吉報であった。最近は、凶報ばかり聞こえてくるものでな」
そりゃそうだろう。
「シヤルタの将家たちが、さっさと引き上げてしまったことなどは、私としても残念であった。やはり、常より戦事に親しんできたホウの家とは、性質が違うらしい」
シヤルタの援軍を下げつつも、俺の実家を持ち上げる感じか。
追従してシヤルタを下げる発言をすれば、シヤルタに落ち度……というより、負い目があるような流れになってしまう。
キャロルがいる現状では、その流れには矛先の向かい先がある。
「そうですね。我がホウの家が軍を出していれば、このような不甲斐ないことにはなっていなかったでしょう。残念ながら、そうは行きませんでしたが」
もちろん、ホウ家が軍を出せなかったのは、キルヒナに対して有り得ないほどの献身をした結果のことだ。
出陣しなかったことを責める展開にはできまい。
俺が増上慢の糞ガキと思われる恐れはあるが、これから死ぬ人間にそう思われたところで、痛くも痒くもない。
それにしても、つまらんやり取りだな。
なんでこんなことを考えながら会話せにゃならんのか。
「ふむ……残念なことであるな」
女王の目が、それが癖なのか、一瞬見定めるように細くなった。
生まれてこの方、ずっと人の上に立ってきた人間特有のしぐさだ。
「そうですね。僕もせめてもと思い力を尽くしましたが、勝利には結びつかなかったようです」
「そのようであるな。我々も貴殿らを随分と探したのだが」
うーん。
それにしても、茶が飲みたいな。
キャロルの母、シモネイ陛下であったら、まずは茶を勧めておいて、「大変だったわねぇ」などと言うところから、会話をはじめるだろう。
最初はよく判らん風習と思ったものだが、あれはぐっと気がほぐれる。
今思えば、良い風習なんだな。
「我々に特殊な事情があり、森のなかを歩んでいたなどということは、想像のしようもできぬことでしょう」
「ふむ……感謝の一つもして欲しいところなのだがな」
直接来たか。
望むところではないが、こう来るなら、喧嘩別れのような形になっても仕方ないな。
「そこは、持ちつ持たれつでしょう。僕が竜を落としていなかったら、今頃は竜がこの城を脅かしていたかもしれない。また、火をつけて後背を脅かさなければ、今頃は攻城が始まっていたかもしれない」
「自らの手柄を誇張するのは……」
「女王陛下」
キャロルが言葉を遮った。
横を向いて、目を見ると、眉根を若干寄せて、少し不快そうな目をしている。
「失礼ながら、ご夫婦はリフォルムが墜ちた後も逃げ延びるおつもりなのですか?」
なにを言い出すんだ、こいつは。
どんな質問なんだ。
リフォルムが略された時には、二人とも逃げずに死ぬべきだ、とか言うつもりか?
「……いや、生きるにせよ死ぬにせよ、我らがリフォルムの民に先んじて逃げるということはない」
女王陛下が言った。
横の王配は、じっと黙っているが、異論を述べないところを見ると、同じ意見なのだろう。
女王陛下はどうなるか知らないが、王配は……まあ、死ぬだろうな。
「私には、わかりません」
「ふむ、なにがだ?」
「死の間際の時間を、このような政治遊びに浪費する感覚が、です。それが本意であるというのなら、何も言うことはありませんが……」
キツいこといいよる。
「彼は誰に恥さらしと罵られようと、やらぬと決めたことは、絶対にやらない男です。この口喧嘩で勝ったところで、意味があるとは思えません」
そう言い放つと、言いたいことはそれまで。とばかりに、キャロルは口をつぐんだ。
大演説を始めるつもりはないようだ。
まあ、言いたいことは分かる。
無意味だ、ということだろう。
事実無意味なわけで、俺は場の空気をいくら傾けられようと、己を曲げて要求を飲むことはしない。
街頭演説で討論を始めた政治家ではないのだから、それで困ることもない。
それだったら、最初から誰も気を悪くせず、煩わされないように、真正面から当たれ、というのは正論だろう。
が、そうもいかないのが、政治の難しいところだ。
「……ふむ。すまぬな、歳を取ると、どうもこういった手管に頼りたくなる」
そうなのか。
というか、さっきのキャロルの発言で丸め込まれたのか。
となると、今までの無意味な会話は終わりか。
「単刀直入に言おう。貴殿らに頼みたいことがある」
ほれきた。
やっぱそういう事だったわけだ。
まあ、そうでなかったら、ああいう話にする必要はないわな。
「いいですか」
俺は陛下の発言を遮った。
「なんだ?」
「頼みごとは構いませんが、僕の目的は、隊の青年たちを無事故郷へ返してやることです。引き受けられるのは、この大目的に支障をきたさない範囲に限られますし、その範囲はとても狭い。ということを了承いただきたい」
「わかっている」
本当に解ってるのかよ。
「ここからは私が話そう」
と、ここではじめて王配が口を開いた。
なんだ。説明はこいつがするのか。
***
「君たちには、我が娘を逃がしてもらいたい」
……え、あの娘か。
逃してなかったのか?
まー、そんくらいは構わんか。
「幾つか質問があります」
「どうぞ」
「今まで逃さなかったのは、士気低下を防ぐ目的があるからですか? つまり、キルヒナ……というより、リフォルムの防衛にあたる兵士及び市民には、秘密にする必要がある。ということですか?」
「さすがに、察しが良いな。そういうことだ」
ほーん。
つまらないことを気にするなぁ、というのはあるが、そういうこともあるか。
情報というのは広がるものだから、キルヒナの軍に護衛を任せてしまえば、漏洩は免れまい。
王剣にでも守らせる形で落ち延びさせろよ、とは思うが。
いや、王剣もついてくるのか?
それとも、王剣は他に任せたい仕事が死ぬほどあるから使えないのか?
後者の可能性は高そうだ。
情勢を考えたら、すでに危険任務を命じすぎ、消耗し尽くして人数が払底している、ということも考えられる。
「そういうことであれば、そのくらいは引き受けます。といっても、安全度は部隊員と同程度になりますが。部隊の過半数を捨て駒にしてでも守る、といった待遇は確約できかねます」
「同程度ということにならんだろう。万が一追手が迫れば、戦うのは君の部隊だ。矢面に立つぶん、危険性は隊員のほうが高いはずだ。私の娘を、戦わせたり、囮にしたりするつもりでなければ」
そりゃそうか。
俺も、さすがにそんな非道をするつもりはないし。
「それは、そうですね。僕も、そういうつもりはありません」
「食事を取る荷物以上の扱いは望まない。そちらのほうが、都合がよいということもあろうしな」
悪目立ちしなくて都合がいい、ということだろう。
「あとは、出発するときの荷物をカバン一つほどに留めるのと、見た目に王女殿下と分からないようにして頂きたい。端的に言えば、物乞いのような格好……とは言いませんが、中の下程度の服装を着、金髪を隠すことを納得して……いや、納得させていただきたい」
見た目についてはどうでもいいんだけどな。
王族が逃げたことが知れて困るのは、向こうの方であって、俺らではない。
向こうが気にするべきことだ。
「それも、大丈夫だ。動きやすい平民服を着させるし、髪も黒く染めさせるつもりだ」
なんだ、そうなのか。
「それならば、引き受けましょう」
「そうか。助かる」
「……頼みたい事というのは、それだけですか? そのくらいの事ならば、なにもあんな面倒なことをしなくても、引き受けましたが」
「実を言うと、違う」
違うのか。
なんだ、嫌な予感がするな。
「明日、リフォルムから最後の民間人が千人、兵が三百名、出てゆく。貴殿らには、それらの面倒も見て貰いたい」







