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第117話 リフォルム帰還

 二日後。


 俺はリフォルムの城壁を見ていた。

 あっけないほどに難なく辿り着いた城壁は、未だ城攻めに晒されておらず、無事なままだ。


 それは、何度か夢に見た光景とそっくりだった。

 頬をつねってみる。


 痛い。


「……なにをやっている」

 王剣が訝しげな眼差しで俺を見ていた。

「いや、なんでもない」


「私は、ここで別れる」

「えっ、何故だ?」


 キャロルが驚いた様子で聞いた。


「ここは、二人で帰参したほうが宜しいかと。私は陰ながら殿下をお護りします」

「いいのか?」


 と、俺は王剣に一応尋ねた。

 キャロルを救出した手柄は貰わなくていいのか? という意味だ。


 例えばこれが何処ぞの騎士であったのなら、誰であれ名誉に浴す必要を感じるだろうが、王剣は違う。

 一種の秘密警察のような性格を持っているこいつらは、そういった陽に当たる名誉とは無縁の職務に殉じている。


「私が関わったことは、陛下がご存知であればよい」


 やっぱり、そういう事だろう。


「そういうことなら、分かった」

「ではな、ティレト。感謝する」


 王剣はさっと会釈をすると、馬を走らせてリフォルムのほうへ行ってしまった。

 恐らく、先に入って衣類を整えたりするのだろう。


 近いうちに戦場になるであろう、リフォルムの平野を眺める。

 元は森林だったであろう原が、薪を取られ材木を取られをしているうちに、広い草原のようになっている。

 春めいた陽気に照らされ、茂り始めた草がじゅうたんを作っていた。


 ああ、それにしても。

 解放されたな。


 知らぬ間にかけられていた鎖が壊れたような開放感を感じる。

 もはや命の危険はない。

 心が軽い。


「行くか」


 そう俺が声をかけると、


「うん」


 と、キャロルは朗らかな笑顔で頷いた。



 ***



 市門の前は、意外と閑散としていた。

 既にいつでも城門を閉められる体勢になっているようで、中はゴタゴタと兵士がいるが、避難民が幅いっぱいに密になって長蛇の列を作っているということはない。


 大要塞が落ちてからの夜逃げさながらの脱出では、こうはいかないはずだが、落ちる前からあらかじめ避難させていたのだろうか?


 戦争に挑む者の態度としては、(いさぎよ)すぎるほど後ろ向きな行為に思えるが、大要塞が落ち、進撃を阻む組織化された大集団も存在しない現在では、結果的には良い選択だったのだろう。


 市門をくぐって普通に入ろうとすると、呼び止められた。


「誰か!」

「シヤルタ特設観戦隊隊長のユーリ・ホウ及び副長キャロル・フル・シャルトルである」

「シヤルタとくせ……? どこの配下だ?」


「どこの配下でもない」

 実際、誰の下についているわけでも、どこの命令系統に属しているわけでもないので、こう答えるほかなかった。

「……少し待て」


 うーん。

 スパイの類が入らないように厳重になってるのかな。


 俺もキャロルも、ニッカ村で拝借した衣服を着ているので、軍属には見えないし。


 というか、名前言っても通じてないっぽい。

 こっちのほうが早えか。


「待て。キャロル、フードを脱げ」

「解った」


 キャロルがフードを脱ぐと、金髪が露わになった。


「……っ!」


 周囲の視線がキャロルの頭に集中し、衛兵が息を呑んだ。


「見ての通り、彼女はシヤルタの王族である。これで、身元を証明するに不足か?」

「いっ、いえっ!」


 効果はてきめんのようだ。


「我々は恐らく遭難ということになっているが、今自力で帰った。できれば早急に王城に連絡して貰いたいのだが、鳥は飛ばせるだろうか」

「ハッ、至急鳩を飛ばして伝えます」


 俺は一般の命令系統に属していないので、彼の上官でも上司でもないのだが、この場は適当に流しておくのがいいだろう。


「では、よろしく頼む。通るぞ」

「ハッ!」


 俺は偉そうに門をくぐった。



 ***



 城下町を見て回りながら、大通りを遠回りしながら進む。

 城塞都市の入り口となっている市門から、まっすぐに王城の入り口まで伸びた道は、現在は障害物がそこかしこに置かれ、建造され、閉鎖されていた。


 いざとなったら城下町で抵抗しながら引く構えなのだろう。

 トコトコと馬を歩ませながら、案内板通りに歩いていると、そこかしこに市民と思われる人々が働いていた。


 逃げぬことを心に決めているのだろうか?

 数は少なく、市街全体を見ればかなり閑散とした雰囲気となっているが、人がいることにはいるようだ。


 かなり遠回りして王城までたどり着くと、城門の前には人だかりができていた。

 城門の奥には、なにやら物々しい人々が控えている。


 うち一人には見覚えがあった。

 王配(プリンス)、つまりキルヒナの女王陛下の婿さんだ。


 飛んだ鳩についた手紙を見て、慌てて出てきたのかもしれない。

 王族が出てくると大騒ぎになるので、正直、出てこなかった方が助かったのだが、しょうがない。


 俺は程々に馬を進めると、王配の前で馬から降りた。

 流石に、この状況で「怪我のため馬上から失礼」と言って話を始めるわけにはいかない。


 百万歩譲って平時だったら許されることだったとしても、決死の防衛戦を控えてピリピリした兵士たちの前で、指揮官たる王配に対して取って良い態度ではない。


 俺は、キャロルに手で合図をすると、痛みを押して馬から降りた。

 都合、左足に一瞬体重を預けることになり、痛みが走る。


 キャロルのほうも、降りた。

 本来なら、キャロルは王配と同等あるいは格上の身分にあるので、王配は迎える立場になる。

 つまり馬上にあっても良かったのだが、この状況では王配を立てるに越したことはないだろう。


 俺はわざとらしく杖を突いて歩み寄ると、王配の前で頭を下げた。

 臣下でもなければ部下でもなく、キルヒナの国民でさえないのだから、この場合は跪いての最敬礼はせずとも許されるだろう。


「王配殿下直々のお出迎え、痛み入ります」

「よい。よくぞ戻られた」

「ご心配をおかけしました。道中怪我をしてしまいまして……」

「いや、あの状況からよくぞ戻った。その年にして、貴君の武勇は並々ならぬものがあるな」


 褒めて貰えるのは嬉しいが、実際に王配は俺が陥っていた状況を知らないだろう。

 行方不明になって、帰ってきた。知っているのはそれだけのはずだ。

 陥った状況を知っていることにして、こうやって褒めるのは、兵たちの前でポーズをとっているだけだ。


 実際、俺とキャロルが帰ったのは良いニュースだし、それを大げさに褒め称えることは、兵の士気高揚にも繋がる。

 つまりは、劣勢の軍にあっては明るいニュースが必要、ということで、これも政治なのだろう。


 実情など知らなくとも、俺が報告をすれば後追いで知れることだし、後々広めることもできる。

 俺も報告を嫌がることで生じるメリットはない。


「必要であれば、医者を呼んで怪我の治療をさせたいが」

「よろしければ、甘えさせていただきたく存じます」

「よし、車いすを持て!」


 そう王配が大声で話すと、すぐに車いすが運ばれてきた。


 持っている人は、落としきれない血で染みのついた白衣を装っている。

 シヤルタにもキルヒナにも、軍医という種別はないが、医者の仕事をしている人なのだろう。


 医者といっても、創傷の処理に長じているというだけで、様々な病理の知識があったりするわけではない。

 外科医は男の仕事で、内科医は薬草師といって、女の仕事になる。


 しかし、こんなに汚れていると感染症が怖いな。


「……っ、どうぞお座りください」


 恐縮した様子で車いすを差し出される。


「いえ、彼女を先にお願いします。手を貸してやってください」

「承知いたしました」


 医者は、ぺこりと一礼をすると、俺の脇を通ってキャロルのほうへ行き、手を差し出した。

 衆目がそちらに集まった瞬間、王配が一歩進んで俺に近づいた。


「一息ついたら話がある。六時間後に呼びに行かせるので、そのつもりでいてくれ」


 俺にだけ聞こえる小さな声で、そう言った。

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