第111話 人としての暮らし
読み終わった。
読み終わった感想は、当たり前だが「もう一日はやくここに来れていれば」だった。
参ったな、こりゃ。
ミャロが妙に心理的に追い詰められているふうなのも気がかりだし。
まあ、それは当たり前か……。
向こうからしたら、何か手がかりがあるでもないんだし、十二日間も情報なしだったら死んでんのかと心配にもなるだろう。
しかし、もう既に要塞は陥落してるのか。
参ったなぁ。
また十日かそこらかけて、歩いてリフォルムまで行っても、攻城戦してる裏手に出るだけの可能性が高いわけか。
はあ。
つくづく参った。
頭を抱えたい気分ってこんなんかなぁ……。
はぁ~~~あ……。
***
「――×××!」
………ん…?
なんだ……?
「――おいっ」
肩を揺られると、ぱっと意識が覚醒した。
慌てて声のしたほうを見ると、キャロルがいた。
「わっ……えっ、眠ってたのか、もしかして」
「そのようだな」
おいおい。
自分が信じられねえ。
目を開けると、目の前には机の上に散らかされた手紙がある。
夢ではなかったらしい。
手紙を読みおわって、参ったなぁ、と思って、少し考えようと背もたれに背を預け、目を瞑った覚えがある。
はあ、と一つため息をついたのが、疲れが逃げていくようで少し気持ちよかった。
その後はもう覚えていない。
ストンと意識を失っていたらしい。
「すまん」
謝った。
自分が怪我を押して働いてたと思ったら、相方は椅子で寝てたとなったら、さぞかし気分が悪かろう。
「いや、べつに構わんが……食事も冷めてしまうし、寝るならベッドでと思って」
「ああ……そうか。どれくらい寝てた?」
「そんなでもないと思うぞ」
そんなでもないか。
外を見ると、日はまだ落ちきっていない。
小一時間といったところか。
「悪かったな……」
「いや、疲れていて当たり前だ。それより、料理ができたんだ。その……運んでは来なかったんだが」
キャロルはバツが悪そうに言った。
運んでこなかったのは、皿を落とす可能性があるからだろう。
たった五メートルかそこらの距離でも、複数の皿を落とさないように往復して運ぶというのは、この足ではなかなか難しい。
「ありがたい。いただこう」
俺は椅子を立った。
***
足を庇いながら歩いてゆくと、炊事場の机の上には、思いの外きちんとした料理が並んでいた。
なんの種類かはわからないが、なにやら鳥肉を皮の油で揚げ焼きにしたものに、果実のジャムと油を混ぜたようなソースがかかっている。
それがメインディッシュで、他に野菜のスープもあった。
この時期の野菜類はあまり程度がよくないが、スープにすればまた別だ。
その他に、小さな網カゴにはパンがたくさん入っていた。
「凄いな」
なんだかんだ、キャロルの料理を見たのは初めてだった。
ぶっちゃけあまり期待はしていなかったのだが、見た感じでは大した腕前だ。
「手習いだよ」
「茶と一緒にこんなのも勉強するのか?」
「まあ、少しな。いざという時、炭のようなものしか出せなかったら恥ずかしいだろう。それより、早く食べよう」
それもそうだな。
冷めてしまっては料理が台なしになってしまう。
席に座って、フォークを手に取った。
「いただきます」
「めしあがれ」
なんの鳥だか不明な鳥肉を頬張ると、ソースの甘酸っぱ風味の他に、独特の香ばしい香りがした。
燻製にしてあったらしい。
そりゃ生肉だったら腐っちまってるもんな。
それにしても、水気が飛んで締まった肉が、甘酸っぱいソースに良く合う。
スープをさぐると、葉物の野菜の他に、同じ鳥肉がゴロゴロと入っていた。
透明な鳥の油がスープの表面にうすく浮いて、なんとも美味しそうだ。
野菜をフォークで口に運ぶと、鳥油らしい甘みを感じる油の風味が移っており、体の奥から温まる思いがした。
「美味い」
「そうか……よかった」
なにやらほっとしたような顔をしながら、キャロルは自分の料理に手を付けず、俺が食べるのを見ていた。
「どうした? 食欲がないのか?」
と言うと、
「え? ……あっ、ああ。いや、食べるぞ」
気づいたように言って、食べ始めた。
***
あっという間に料理をたいらげると、お茶が出てきた。
濃い緑色をしている。
キャロルの茶も、久々に飲むな。
どんな味のするお茶なのか、楽しみだ。
俺はお茶に口をつけた。
「……うえっ」
強烈な苦味が舌の根をしびれさせる。
エグみのようなものも感じ、お世辞にもいい味とはいえない。
「フフッ、不味いだろう」
キャロルにとっては想定内だったらしい。
「ああ……ちょっとな、これは……」
「これが体にいいらしいんだ」
体にいいのか……。
薬湯みたいなもんなのかな。
キャロルのほうは、同じものを平気な顔で飲んでいる。
「じゃあ、いただくか」
「それがいい」
ごくごくと一気に飲みほす。
口の中に味が残るかと思ったが、飲み終わった後は意外とさっぱりとしていた。
「ユーリ、あとはもう寝るだけなのか?」
「そうだな……できれば風呂でも作りたい所だが、もう暗くなってきたしな」
湯を作るのは重労働だし、今これからというのは無理だろう。
「じゃあ、傷を見せてくれ」
「そういうことか。わかった」
そうだった。傷の治療をしなければいけないんだった。
カンカーとの戦いで悪化した傷は、布も取らずにそのままだ。
キャロルは片足を庇いながら食器を片付けると、食卓に蒸留酒と布を置いた。
本格的に日が暮れて真っ暗になってきたので、竈にひざまずいて、ランプに火を移した。
火のついた竈にかけられていた鍋の蓋を取ると、盛大に湯気が立ち上った。
湧いた湯が入っているようだ。
小さな取手鍋を使って、洗面器のような容器に湯を汲む。
いろいろと準備がいい。
俺が寝ている間に用意しておいてくれたのだろう。
ガラガラと椅子を移動させると、キャロルは俺の左斜め前に座って、膝の上に大きな布をかけた。
俺の方も、座ったまま若干左に椅子をずらす。
「そのまま、ここに足を置いてくれ」
「わかった」
ぐっ、と左足を上げ、キャロルの腿の上に、汚れた靴を履いたままの足を乗っける。
途中、左膝に重い痛みが走るが、今日だけで数えきれないほど経験した痛みなので、もう慣れてしまっている。
キャロルは、靴を脱がせると、汚れた包帯……というか布切れをはがした。
布切れは、乾いては濡れを繰り返した血でぐじゅぐじゅに染められ、その上に土がこびりついている。
ランプの火の下では、赤というより黒く見えるほどだ。
キャロルは、布を丁寧に剥ぐと、炊事場の土間に置かれたバケツに捨てた。
ベシャ、と濡れた音が聞こえた。
「うっ……」
キャロルが、傷口を見て顔をしかめる。
そんなに酷い状態なのだろうか。
「血を拭うぞ」
キャロルは、洗面器の湯に洗いざらしのタオルをくぐらせ、手で軽く絞った。
ぱたぱたと振って粗熱を取ると、汚れた足を傷を避けて全体的に拭いてゆく。
少し染みるが、足湯に入っているようで、なんとも気持ちよかった。
汚れを拭き終わると、そのタオルをバケツに捨てる。
新しいタオルを、また湯に通した。
今度は強く絞らず、濡れたまま傷口に当てた。
「……くッ」
ギュっと奥歯を噛んで、刺激に耐える。
さほど熱くはないが、水分が傷にしみた。
「大丈夫か?」
「続けてくれ」
ぐっぐっ、と軽く押し当てられながら、傷口が清められてゆく。
「どんな具合だ?」
「……私より、自分で判断したほうがいいかもしれない」
「それもそうだ」
俺はキャロルの膝に足を乗せたまま、足首を捩った。
こちらから覗きこむように足裏を見ると、遠いながら見ることが出来る。
キャロルが、気を利かせてランプを傷口の近くに寄せた。
塞がっていない傷口からは血が漏れ、突っ張られたせいで糸の通っている穴が引き攣れ、こちらからも血が出ているが、そう悪くない。
一応は縫えていて、傷口はズレてないし、開いてしまってもいない。
縫い糸の引き攣れのせいで傷は酷く見えるが、どのみち化学繊維でないなら炎症は起きるし、こんなのは抜糸した後いくらでも治る。
問題は、創傷が閉じているかどうかだ。
それより、患部が腫れているのが気になった。
まあ、あんだけ無理をおして歩けば腫れもするか。
「糸が切れていないなら、そのままでいい」
「切れてはいない……みたいだ」
「それなら、酒で消毒だけしておいてくれ」
「わかった」
キャロルは、蒸留酒の蓋を開け、新しい布にたっぷりと染み込ませると、トントンと叩くように傷口を洗っていった。
やっぱり染みる。
「あと……よくわからない軟膏があったのだが、塗ったほうがいいか」
キャロルは、机の上に載っている木の容器を見た。
平べったく、丁度ハンコの朱肉入れのような形をしている。
「見せてくれ」
渡してもらい、容器を見てみると、”ユルミ養命軟膏”と手彫りでほってある。
わりと達筆で、子どもに小銭を渡して掘らせたようには見えない。
こういう薬って、場合によっては魔女家が製造してる場合もあるんだよな。
というか大本をたどれば、連中にとってはむしろこっちが本業なんだけど。
蓋を開けてみると、ふわりと青臭い匂いがした。
精油かなにかと蜜蝋を混ぜているのだろう。
メントールのようなハッカ臭はせず、色は白濁とした黄色をしている。
手にとって見ると、とても柔らかく、クリーム状になっていた。
よく出来た軟膏だ。
とはいえ、創傷面につけてもいいものだろうか。
良いとも悪いともわからない。
痛むようだったら洗い流せばいいか。
「つけてみてくれ」
「わかった」
キャロルはネットリと軟膏を指にとると、創傷面に塗りつけた。
痛くはない。
痛いことには痛いが、それはキャロルが傷を押すからで、軟膏が染みている痛みではない。
塗り終わり、新しい当て布をして、長めの布でギュっと強めに閉められると、圧迫止血されているような格好になった。
これは具合がいい。
「あっ」
キャロルが短く言う。
しまった、という感じだ。
「下を先に脱いでおいたほうが良かったかもしれない」
あぁ。
そうだな。
布で縛り上げたせいで膨れた足が、ズボンを通らないかもしれない。
さすがに、このズボンで綺麗なシーツを張ったベッドに寝るというのは、気が引ける。
ずっと履きっぱなしだったズボンは、そのくらい汚かった。
というか、服とか全部変えたい。
「まぁズボンは脱げるだろ」
かなり広めだし、無理だったら切っちまってもいい。
「じゃあ、脱いでくれ」
「えっ?」
脱いでくれ、とは?
「着替えは用意してある。湯はまだ結構あるから、拭くだけでも体を拭いたらどうかと思って」
なんとまあ。
まあ体は拭きたいけど。
土間だから水が滴り落ちても問題はないし。
「なんだ、全裸になるのか」
「ちっ、ちがうっ! わたしは後ろを向いているからっ……」
「じゃあ、脱ぐかな」
「ちょ、ちょっと待て」
キャロルは、これも用意してあった大きめのサンダルを、布を巻いた左足にかぶせるように履かせた。
今日はなんとも気が利いてるな。
俺の左足を太ももの上から下ろすと、キャロルはさっと反対側を向いた。
俺はその場で服を全部脱ぎ、裸になった。
服は、もう着る機会もなさそうなので、そのまま土間に捨てた。
綺麗な布を湯で濡らし、軽く絞って蒸しタオルにすると、まずは顔を拭いた。
汚れの少ないところから、体中を清めてゆく。
気持ち悪いくらいに汚れてしまったので、一度布を変えた。
左膝の傷は、もう血が止まっていた。
挫滅した傷はそのままに、酷い青あざができている。
湯で濡らした布で血を拭い、酒で消毒してから、あて布をしてギュっと縛った。
そのうちに肉が盛り上がって、潰れた部分を埋めるだろう。
骨や腱が見えているわけでもない。
傷痕は多少残るだろうが。
「キャロル、嫌じゃなかったら、背中を拭いてくれないか」
「えっ……ああ、いいぞ」
キャロルに背中を向けながら、椅子に座る。
「ンッ……!」
顔は見えないが、何か悲鳴をこらえたような、切迫した気配がする。
「下くらい穿かないかっ」
「濡れちまうだろう」
雫が垂れたら、腰の後ろのところが水浸しになってしまう。
「まったく……」
キャロルは布を絞って背中に当てた。
拭いてくれるようだ。
ギュ、ギュっと、強めに擦ってゆく。
「……引き締まっているな」
「まあ、ドッラほどじゃあないが、俺も棒振りをしてるからな」
「そういう話じゃなくて……筋肉のつきかたが、女とは全然違うんだな」
「そりゃそうだ」
流石にあんだけ鍛えてて女みたいな体つきだったらキツいわ。
「……よし、これでいい」
ギュッと下まで拭き終わると、キャロルはそう言った。
「ありがとな。じゃあ、むこう向いててくれ」
「わかった」
キャロルの用意した服を着る。
この家の住民が使っていたものなのか、程度の良い平民服だった。
つぎはぎもない。
「済んだぞ」
と言うと、キャロルはこっちを向いた。
「よかった。サイズは良かったようだな」
満足なようだ。
「ああ。お前も体を拭くんだろ?」
「もちろん。服も着替えたことだし、そろそろ寝たらどうだ?」
寝て欲しいのか。
そらすぐ眠れそうではあるけど、急だな。
「背中は拭かなくていいのか?」
「あのな……おまえに女心への理解は期待してないが、女というのは汚れた体を見せたくないものなんだ。特に……」
……特に?
「……なんでもない。早く寝ろ」
「そうだな。そういうことなら、眠るとしよう。リャオの部屋を使うからな」
リャオは一階の客間を使って寝起きしていた。
二階に上がるのは億劫なので、それでいいだろう。







