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第097話 横断路

 墜落した日から四日が経った。


 俺の目の前では、森が切れて、まっすぐに目の前を横切るように道が走っている。


 この道は、古くからある産業道路で、今は要塞となっている岩山から切り出した石材は、この道を通って輸出された。

 ヴェルダン石をシヤルタなどに輸出する際に、石を海まで運ぶ馬車が往来していたわけだ。


 といっても、ヴェルダン石の採石は現在でもチビチビと行われているから、現役といえば現役なのか。

 路面は、当然だがヴェルダン石で舗装されていた。


 道に顔を出して、往来がないことを確かめる。

 路面には木の葉くらいしか落ちているものはなかった。


 ああ、よかった。


 俺が歩いてきた森は、この石畳の道によって、用途上大要塞から海まで一直線に断たれていることになる。

 ということは、ここに兵を配置されたら、もう逃げ出しようがない。


 網を閉じられれば、もはや海以外の三方は敵なのだから、虫取り網で捕まえられた虫のように絶体絶命となってしまう。


 もしそうなったら、夜の間にイチかバチか突破するつもりではいたが、身の毛がよだつほどの冒険となるだろう。


 そして、ここを無事に抜ければ、こういう道はリフォルムまで存在しない。

 森の中で暮らす集落の者たちの生活道が、縦横無尽に走っているだけで、そういった道は兵を使って検問を張るのに向かないから、脅威ではない。


 そして、もう一つ。

 やはりキャロルの素性は向こうにはバレていないようだ。


 向こうが認知しているこちらへの理解は、素性不明のシャン人の鷲乗り(これは貴族とイコールだろう)が一人、あるいは偽装がバレていれば二人逃げている。というものであって、金髪の女のシャン人が逃げている。ではない。


 金髪の女のシャン人が逃げているとなれば、よっぽどの脳なしでなければ、兵を惜しまず道に歩哨を張り、森を封鎖するだろう。


 それだけの価値があるからだ。

 千人からの兵を常時道路に並べ、森を封鎖するという行為は、数万人規模の軍団においても大きな負担となる。

 どこにでもいる木っ端の貴族一匹であれば、そこまでして捕える価値はない。

 だが、キャロルほどの高価値目標であったら話はまったく別だ。


 俺は、道に背を向けて引き返した。



***



「どうだった……?」


 少し奥に入ったところで、木に背を預けていたキャロルが不安そうに言った。


「大丈夫だ。張ってはいないらしい」

「じゃあ……行くのか?」

「ああ。本当なら夜まで待ちたいところだけどな」


 常時の監視はしていないといっても、人通りはあるだろう。

 曲がりくねった道ではなく、整備された一直線なので、遠目にも俺たちが通ったのは見えてしまう。


「だが、それだと今日が丸一日潰れるからな」


 今は、まだ日がやっと登り切ったかという時間帯だった。

 追手が掛かっている可能性はゼロではないので、午後を丸々休みに当てるのは、それはそれでもったいない。


 追手以前に、あんまりのんびりしていると、リフォルムに辿り着いた時には、既に要塞が陥落し、リフォルムも包囲されていて、入り込めない。といったことにもなりかねん。


「わかった。では、行こうか」


 キャロルは松葉杖を器用に使って立ち上がった。

 逆に俺はしゃがみこんで背中を向ける。


 キャロルの胸が倒れこむように俺の背中に当たり、すぐに首に手を回してきた。

 両足をとって、ぐっと立ち上がる。


 ここ数日で何度も何度もやってきたので、だいぶスムーズにいった。

 キャロルが松葉杖を俺の胸の前で持つと、俺は歩き始めた。


 五分も歩くと、先ほどの道が見えてきた。


「ユーリ」


 耳元でキャロルが呟いた。


「何か音がする」


 俺はぞっとして立ち止まった。


 息を乱しながら歩いていたせいか、まったく聞こえなかった。

 ぐっと呼吸を止めて耳に意識を集中すると、疲労で高鳴る心臓の他に、遠くから確かに無機質的な音がする。


 引き返すか。

 いや、引き返すにしても、徒歩の斥候でもいたら背中を見られるかもしれない。

 そっちのほうが怖い。


 俺はしゃがんで、隠れられる木の後ろに、ゆっくりとキャロルを下ろした。

 その頃には、既に十分音は大きくなっていた。


 馬の蹄が石畳をうつ音だ。

 パッカパッカという特徴的な音が聞こえてくる。


 馬の蹄は石畳の上を長く歩けるようにはできていないから、必ず蹄鉄がうってある。

 鉄と石畳がぶつかりあい、分厚い繊維質の蹄が音を響かせると、こういう音になる。

 こういう音を響かせるものは他にはない。


「喋るなよ」

「ばかにするな」


 言うまでもなかったか。


 しかし、キャロルが音に気づいてくれて本当に良かった。

 道に出たところで見られでもしたら、大変なことになるところだった。


 いや。

 そもそも敵軍と決めつけるのが早計か。

 何らかの事情があって、敵方が決戦場からの進軍に手間取っているとも考えられるし、通るのは友軍かも知れない。


 そうしたら、もう状況は一気に好転する。

 おぉい! と出て行って、助けてくれぇ! と叫ぶだけで、現在俺を悩ませている問題は、全て快刀乱麻に解決するだろう。


「………」


 待つか……。


 蹄の音が近づく。

 断続的にかき鳴らされる音から、馬が一頭どころではない数いることが分かる。

 馬の音と一緒に、ガタガタと車輪が荒い石畳を打つ音も聞こえてくる。


 どんどんと音は大きくなり、余程数が多いのか、次第に煩いほどになった。


「お前は顔を出すなよ。万一髪が見られたら厄介だ」

 と小さな声で言う。


 黄金色の色彩は森の中であまりにも目立つ。

 木陰からひょいと覗いただけで注意を引いてしまいかねない。


「わかってる」

「俺が見るからな」


 しばらくして、完全に音がすぐ隣の道に差し掛かったところで、俺は幹から顔を半分出し、一瞬道を見た。


 視界に入ったのは、馬車と人との行列。


 すぐに頭を引っ込める。


 違った。

 敵のほうだった。


 服の意匠からしてシャン人とは明らかに違う。

 クラ人だ。


 ああ、敵か……。

 やっぱり、物事はそう都合よくはいかんよな。

 こうなったら、通り過ぎるのを待つしかないか。


 しかし、あの様子だと、こいつらは補給段列か。


 方向的には、港のほうから大要塞の方へ向かっているわけだ。

 となると、港はもう落ちたと考えるのが妥当だろう……。


 ……はあ。

 帰れんのかなこれ……。


 こういう状況の場合、悲観的な思考は活動力を奪う。

 悲観は前に向かおうとする気力を挫くし、不安と戦っているだけで脳はカロリーを消費する。

 そういった意味のない消費が、状況を更に悪化させてしまう。


 だから意識的に悲観的な思考は遠ざけるようにしていたが……。

 でも、ここって、つい一週間前までは完全にこっちの土地だった場所だろ。

 そこを堂々と敵の補給段列が通っているわけで……。


 泣きてぇ。


 いや……。

 要塞ってのはこのためにある設備だし、悲観することもないか……。


 要塞は、それをスルーして先に進むこともできる。

 だが、そうしてしまえば、要塞から出てきた集団に後背を突かれ、前方にいる集団との間で挟み撃ちという格好になる。

 もちろん、補給線も絶たれるので、そんな馬鹿をする人間はいない。


 絶対に要塞から出て来られないように大軍団を貼り付けて包囲を続ければ、あるいはスルーして先に軍を進めることもできるが、今度は次の目標、例えばリフォルムを叩く分の軍団が足りなくなる。


 要塞というのはそうした厄介さを秘めた施設だ。

 だから、敵は要塞を攻略するまでは、ここより先には来ない……かも知れない。


 だが、実際の所、それは期待してもよいのだろうか……。


 と、思い悩んでいたところで、唐突に道のほうから、


 ガゴッ!


 という硬い音が聞こえた。

 びっくりしたのだろう。一緒に隠れているキャロルの身体が、足元でビクッと大きく震えた。

 俺も、かなりびっくりした。


 なんだ……?


 そう思いつつも、顔を出すのは怖い。

 ただ道をのんびりと進んでいたときより、トラブルのあった今は、確実に警戒心が強まっているだろう。

 なんでもない森の風景も意味を変じ、見る目も変わり、その数も増す。


 どうしようか。


 そう考えていると、ギィギィと車体をきしませながら、馬車が止まったような気配がした。


「ったあー、落ちちまった」


 という声を理解できたのは、俺だけだ。

 クラ語……テロル語なので、キャロルには理解できないはずだ。


 そのうち、パカッパカッという小気味よい音が南側から聞こえてきた。

 何も引いていない、つまりは人が乗っている騎馬だろう。

 すると、


「落としたのか! なにをやっている!」

 司令官格なのか、偉そうな口調の男ががなりたてる声がした。

「すいません!」


 俺は、ハロルと違って、ネイティブなテロル語はイーサ先生の口から発せられたものしか聞いたことがない。


 イーサ先生のそれと比べれば、だいぶ方言めいていて、違和感のあるイントネーションをしていたが、聞き取れないことはない。

 イーサ先生のテロル語は、ヴァチカヌスで話されている最も正当な発音だが、テロル語圏もよっぽど広いので、教皇領から離れれば方言めいてもくるのだろう。


「チッ……さっさと積み直せ!」

「へい!」


 何を落としたのだろう……。

 音の大きさから考えて、かなりの重量物のように聞こえたが……。


 リンゴのような果物を多数落としたような音でもなく、重い物が詰まった木箱が落ちたような音でもなかった。


「ッンーーーーーーーーッ!!!!」


 何者かが踏ん張る声がここまで聞こえてきた。

 なんだなんだ、随分頑張ってるみたいだな。


 そんな場合じゃないんだが、笑いそうになる。


「ハァハァ……おいっ、突っ立ってないで手ぇ貸せよ!」


 と言ったのは、先ほど偉そうに指図していた馬上の男に向けてではないだろう。


「あぁ」

 という返事は、初めて聞く声だった。

 なんだかボケっとしているような印象で、ダルそうだ。

「ほら、そっち持てよ」


「ッン゛ンーーーーーーーーッ!!!!」

「―――――――――――ッウ!! っくう……」


「はぁ、はぁ……こりゃなかなか……」


 二人がかりでもダメだったらしい。

 よっぽど力を入れてたのに持ち上がらんのか。


 大の大人(かどうかは知らないが)二人がかりでも持ち上がらない荷物というのは、なんだろう。

 満タンの酒樽かなにかか……?

 そんな音にも聞こえなかったし、重いものが入った樽だったら、落としたら割れちまうか……。


「なんだ!! 持ち上がらんのか!!!」

「ハァ……しかしこりゃあ、やってみりゃあ解ると思いますが、ピクリとも動きませんや」


 なんとまあご苦労なことだ。

 どうすんだよ。

 俺はおまえらが通り過ぎるのを待っているわけだが、いつまで待ってりゃいい。


「人間の腕で持ち上がらんのなら、どうやって港で積んだというのだ!」

「そりゃあ……あんな化物みたいな大男がテコ使って載せてたもんを、この細腕で持ち上げんのは無理ですって」

「チッ……使えんッ!」

「はぁ………」


 そんならお前も馬から降りて、三人がかりでやりゃいいだろう。


 と、他人ながらに思ってしまったが、それは言わないお約束なのだろう。

 貴族の体面とかもあるんだろうし。


「もういいッ! それは置いていけ!」

「えっ、いいんですかい?」

「一つくらい構わん。しかし、次落としたらお前の腕を切り落とすからなッ! しっかりと幌を縛っておけ!」

「はぁ……」


 それから、時間にして一分ほどだろうか。

 何やら紐を縛る音やらがして、ペシッと手綱を振るう音がすると、再び蹄鉄が石畳をうちはじめ、馬車は進んでいった。

 停滞していた補給段列も再び動き、ゴトゴトと音を鳴らし始めた。



 ***



 なんだったのだろう……。


 完全に音がなくなってから、俺ははじめて動き、道を確認した。


 先ほどの緊張に満ちた喧騒がウソのように、静まり返っている。

 人っ子の一人もいない。


「見てくる……」


 小声で言うと、キャロルはこくりと頷いた。

 慎重に道に向かい、まずは本当に何者もいないか確かめる。


 見える範囲には、動物も人も、何もいない。

 俺は改めて、何を落としたのか、路面を見て探した。

 すると、探すまでもなく、一目瞭然にそれと分かるものがあった。


 石だ。

 俺の肩幅ほどもある大きな石だ。


 といっても、そこらの森のなかにあるような石ではない。

 ノミかなにかで削られ、大方まんまるの球状になっている。


 材質は……こりゃ花崗岩かなにかか。

 砂岩だの石灰岩だの、ああいったハンマーで軽く叩けば割れるような石とは、まるで違う質感だ。


 どうやら、話の終わりに邪魔にならないよう蹴り転がしたらしく、石は道を外れて土の上に転がっていた。

 石が落下した部分の石畳は割れてしまっていて、風化した表面とは質が違う、荒々しい断面を覗かせていた。


 そりゃ、こんなもんを人力で持ち上げるのは容易なこっちゃないだろう。


 俺だって、やれと言われたら「無茶いうな」といいたくなる。

 たぶん百五十キロ以上ある。


 二人三人がかりで思いっきし持ち上げれば、持ち上がらないこともないが、問題なのはその形状だ。

 球状なので、持ちにくい事この上ない。


 途中一人が手を滑らせでもしたら、誰かのツマサキがグチャる事故が高確率で起こるだろう。

 途中で諦めて道の横に避けておいたのは、あの馬上の貴族にとっては不本意だったのだろうが、正解だった。


 俺は、この巨大な奇石を何に用いるのか、殆ど察しがついた。

 大要塞に篭っている連中にはお悔やみを申し上げるしかないな。


 いや、なにかしら事故が起こって計画が実行不可能になることを祈るほうが先か。

 恐らくは実験的な計画だから、暴発が起こって大惨事ということも、馬鹿にならない確率で起こり得るだろう。


 しかし、会戦での勝利から一週間も経たずこれほどの用意をするのは、よほどの手際だ。

 綿密かつ周到な計画なのだろう。

 敵ながら天晴と言いたくなる。


 それほど気の利いた連中の計画と考えると、事故を祈るというのは、なかなか望みが薄いようにも思えた。


 ……戻ろう。

 今の俺には手の届かないことだ。


 俺は巨石から目をそらすと、キャロルの待つ森の中に入っていった。

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