第4話 呪縛からの解放
「え? どうして私がバントック帝国に嫁がなければならないの!」
マデリーンの悲痛な叫びが、オルグレーン公爵家のサロンに響き渡った。手にした王家からの書簡を取り落とし、彼女の顔はみるみる青ざめていく。
戦争の終結とともに結ばれた和平条約。その条件のひとつが、重くのしかかっていた。――マールバラ王国から最も高貴な血筋を持つ令嬢を、バントック帝国の皇太子妃として差し出すこと。
だが、マールバラ王国には王女がいない。ゆえに、王族の血を最も色濃く継ぐ名門、オルグレーン公爵家の娘が選ばれるほかなかった。
候補は二人。姉である私と、妹のマデリーン。
けれど私はすでにシオドリック王太子殿下の婚約者。必然的に、バントック帝国へ嫁ぐのはマデリーンに決定したのだった。さきほどの書簡はそれを示唆するものだった。
「嫌よ、絶対に嫌! 敵国だった皇太子の妃になんかなりたくないわ。だって、きっと意地悪ばかりされて、殺されちゃうかもしれないじゃない? お姉様が行ってよ! 私は嫌よ」
「それは無理よ。あなたの代わりに、私が王太子殿下の婚約者になったのを忘れたの?」
「だったら、王太子殿下を返して。そうよ、元に戻せば良いわ。ねぇ、お姉様、取り替えっこしましょうよ、お願い!」
「そんなこと私の一存でできるわけないでしょう? わがままもいい加減にしてちょうだい」
私が冷たく突き放すと、両親は顔を曇らせながらも、王太子殿下に話してみようとつぶやいた。
その後、私に王太子殿下から婚約破棄が突きつけられた。場所は、オルグレーン公爵家主催の夜会。
大勢の客人が見守る中、殿下はわざわざ壇上に立ち、声高に宣言したのだ。
「マールバラ王国の王太子、シオドリックはここに宣言する! アンジェリーナ・オルグレーン公爵令嬢との婚約を破棄する!」
会場がざわめく。
私の耳に突き刺さったのは、続く理不尽な理由だった。
「おまえは妹のマデリーンを虐げていたと聞いている。そんな人間性に欠けた女を、未来の王太子妃に据えるわけにはいかない!」
身に覚えのない罪。会場にざわめきが広がった。私はあまりの言葉に呆然とし、反論すらできない。その横で、王太子殿下の腕にすがりついたマデリーンが涙を浮かべて訴えた。
「お姉様……私はいつも悲しかったのです。意地悪されても、仲良くしたかったのに……」
悲しいのは、むしろ私のほうだ。幼い頃から愛らしい妹を大切にしたいと願っていたのに、彼女はいつも私を責め、少しでも隙を見せれば悪者に仕立てあげ、両親を味方につけた。そんな妹と、どうすれば仲良くできるというのか――答えなどあるはずもない。
「黙っているということは、やはり本当に妹を虐げていた証拠だな。……君には失望したよ、アンジェリーナ。野蛮で教養もないと噂されるバントック帝国の皇太子にふさわしいのは、君のほうだ!」
その場に居合わせた国王夫妻も、異を唱えることはなかった。唯一の子である王太子殿下を盲目的に溺愛しているお二人にとって、彼の言葉がすべてなのだ。そして、私の両親すらもまた、黙り込んだまま私をかばおうとはしなかった。
バントック帝国のアレクサンダー皇太子殿下は、戦好きで残忍な性格だと噂されていた。しかも、その容姿は見るに堪えないほど醜いのだとも。
だからこそ、マデリーンはどうしても嫁ぎたくなかったのだろう。嘘をでっちあげ、王太子殿下に吹き込んでまで逃れようとしたのだ。……まったく、なんてわがままな妹なのかしら。
「マデリーン。そんな嘘ばかり言い続けていたら、きっとあなた自身が幸せにはなれないわ」
「まあ、お姉様ったらまた意地悪を……。でも私は祈っていますのよ? お姉様がバントック帝国で幸せになれるように、って」
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帝国へ旅立つ日、マデリーンは嬉々として私を見送りながら言い放った。
「うふふ。もう二度と会えないでしょうけれど……どうか敵国で殺されないようにしてくださいね? 皇太子殿下は人を殺めるのが趣味だとか。戦好きで、これまでどれほど多くの騎士を殺したことか……」
まるで私が生きて幸せになることを望んでいないかのような口ぶりに、私は深くため息をついた。
「……私はどこへ行こうと、自分にできる限り努力して、精一杯生きていくわ」
これまでいつも妹のわがままに振り回されてきた私だったが、皮肉にも敵国だったバントック帝国へ嫁ぐことで、その呪縛から解き放たれることになった。
ただ、皇太子殿下の恐ろしい噂を思えば、胸の奥に広がるのは不安ばかりだった。




