第10話 王太子の末路
やがて王太子殿下の身辺調査の報告が届いた。けれど、不審な点は見つからず、王宮内の彼の自室からも証拠となるものは何ひとつ出なかった。王太子殿下の居室まで調べられることに驚かされたが、アレクサンダー様は凄腕の複数の密偵を放ったらしい。
王太子殿下に常時仕える近衛兵は15名ほど。親衛隊として精鋭揃いと評判の者たちだ。数人の調査結果が順に届いたが、いずれも目立った収穫はなかった。だが――5人目の調査で、ようやく求めていた情報が掴めた。
近衛兵たちは王太子殿下の私室近くにある詰所に常駐しており、それぞれに個室が与えられ、そこで寝泊まりしている。その一室のクローゼットから、人目を避けるように隠されていた品々が見つかったのだ。それはブルゴーニュ公爵家の家紋が刻まれた指輪やペンダント、剣帯のバックルなど。いずれも純金で作られ、宝石が贅沢にあしらわれた一級品ばかり。本来なら遺族のもとに返されるべきものである。時が経てば闇で売りさばき、仲間内で山分けする算段だったに違いない。
また、別の部屋からは、恐ろしい現場を目にした者が神にすがる思いで綴ったような日記まで見つかった。その近衛兵の名はイアン。夜な夜な悪夢にうなされていたという。
彼はハリスン卿が暴行を受ける場に居合わせたが、無抵抗の捕虜を殴るなど騎士のすることではないと考え、手を下さなかった。ところがその態度を王太子殿下に咎められ、激しくなじられたうえ、自らも殴られた――そう記していた。
密偵はイアンをバントック帝国に連れ帰り、アレクサンダー様はイアンをバントック帝国の庇護下に置いた。彼は真実を証言すると誓った。
証拠と証人が揃ったことで、アレクサンダー様はマールバラ王国に対し、王太子殿下の罪を明らかにする証拠を確保していると公式に通告した。だが、その中身までは明かさなかった。やがて、二国合同の裁判が開かれることとなった。
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裁きの場に立たされた王太子殿下は、薄笑いを浮かべる。
「証拠だと? 笑わせるな。でっち上げに決まっている! いったい私がなにをしたというんだ!」
そう言い放ち、余裕の態度を崩さなかった。
最初に提示されたのは、近衛兵の部屋から見つかった品々だった。ブルゴーニュ公爵家の家紋が刻まれた指輪やペンダント、剣帯のバックル。いずれも純金と宝石で飾られた、一目で高位貴族の持ち物とわかる品だ。裁判を傍聴していたブルゴーニュ公爵夫妻の泣く声が痛ましい。
「ある筋から密告があった。真偽を確かめるため、密偵を忍ばせて王太子付き近衛兵の部屋を調べさせた。すると、クローゼットから私の従兄弟の遺品が見つかったのだ。……これはどういうことかな?」
アレクサンダー様の声は冷ややかだった。その言葉に、王太子殿下の周りにいた近衛兵たちは一斉に顔を青ざめさせ、なかには手を震わせる者もいた。
「そ、そんなものは知らないぞ! 私は見たこともない! 近衛兵どもが戦の混乱に紛れて、戦死した亡骸から盗み取ったのだろうな。まったく、モラルのない連中だ。……この件は私の監督不行き届きかもしれん。深く謝罪し、遺品は謹んで帝国に返還しよう」
王太子殿下は勝ち誇ったように笑った。うまくごまかせたと思っているようだった。だが、その背後で近衛兵たちの顔には、はっきりと不満と憤りが浮かんでいた。
次に呼び出されたのは、日記帳を大事そうに抱えたイアンだった。
「私はシオドリック王太子殿下の近衛兵を務めておりました、イアンと申します。幼い頃から日々の出来事を日記に書き留めるのが習慣でして、この日記にも、あの日の忌まわしい出来事をすべて記してあります。無抵抗の捕虜を殴るなど騎士のすることではないと思い、どうしても加担することができませんでした。しかし、目撃した出来事をなかったことにはできず、神に懺悔する思いで書き残したのです」
「なっ……イアン! おまえ、突然姿を消したと思ったら……」
王太子殿下が顔を引きつらせる。
「王太子殿下、私はもう黙っていられません。無抵抗の捕虜を痛めつけるなど、到底見過ごせるものではなかったのです。私は手を下しませんでしたが、その光景を見て胸が痛み、今もなお夢でうなされ、眠れぬ夜が続いています」
イアンの声は震えていた。それでも勇気を振り絞り、暴行の場に居合わせたこと、自分は加担を拒んだこと、そしてその態度をとがめられ、逆に王太子殿下から殴られた事実を証言した。
「ば、馬鹿な! イアンの言うことなど大嘘だ! 正しくは近衛兵どもが勝手に捕虜を殴り始めたのだ。私は止めた! やめろ、そんなことをするなと……しかし奴らは聞かなかった!」
その瞬間、事件に加担した近衛兵たちが次々と口を開いた。
「殿下は『生意気な奴がいる、順に殴れ』と命じられました。逆らえば次はおまえだと脅され、私たちは従うしかなかった」
「ハリスン卿は見目麗しく、礼儀正しい方でした。反抗していたなど、記憶にはありません」
「殿下はただ憂さ晴らしをしたかっただけです。ハリスン卿は軍服の上着を着ていなかったので、私たちはみんな平騎士と勘違いしていました」
そして最後のイアンの証言が突き刺さる。
「亡骸を隠すよう命じられたとき、私はハリスン卿の指に血で汚れた指輪を見つけました。拭ってみると紋章が刻まれていました。さらに衣服を改めた騎士たちが、高価なペンダントや剣帯の飾りにも同じ紋章があるのを確認し……そこで初めて、彼が高位貴族であるとわかったのです。私は殿下がきっと後悔されるだろうと思いながら報告しました。ですが――殿下は、ニヤリと笑われたのです。それは狩りの最中、大物を仕留めたときと同じような表情でした。あの背筋の凍る笑みを、私は今も忘れられません。亡骸や遺品がその後どう扱われたかは知りません。私に与えられたのは、床や壁にこびりついた血を拭き取るという命令だけでした」
「黙れ、イアン! 敵国に寝返った裏切り者め! それにあれを部屋に隠し持っていた奴は誰だ? あの指輪やペンダントは湖の底に沈めておけと命じただろう! 後で金に換えようとするなんて、浅ましいにもほどがある!」
部下の近衛兵たちに掴みかかろうとする王太子殿下を、帝国の騎士たちが乱暴に押さえつけ、腕をねじ上げる。一国の王太子とは思えぬ、あまりに無様で愚かな姿だった。
(こんな方の妃にならずに済んで、本当に良かった。……いっときでも婚約者だったなんて、思い出すだけで身の毛がよだつわ)
そして裁判の結果、王太子殿下は廃太子され、極寒の地に建てられた塔に一生幽閉されることになった。事件に加担した近衛兵たちは騎士の名を剥奪され、頬に罪人の烙印を刻まれたうえ、国外追放となった。
個人の罪は裁かれたが、その代償はあまりに大きい。捕虜殺害の外交問題を収めるため、マールバラ王国はバントック帝国に莫大な賠償金を支払い、国庫はすっかり底をついた。
重税に苦しむ民衆はやがて蜂起し、暴動は王都を焼き尽くすまでに広がる。こうして、マールバラ王国の王政は幕を閉じたのである。
さて、妹マデリーンはというと……




