番外編 ウィリアムの物語 その10
*ジル視点です。
私はジル。両親の顔も名前も知らない捨て子で、孤児院育ちのため苗字はなかった。
リシャール王国は近年福祉に力を入れているとかで、孤児院と言っても衣食住は十分に与えてもらえたし、子供達への教育もしっかりしていたと思う。
孤児院では友達が沢山出来て、院長先生も子供達を思いやる優しい修道女だったので、私はそれなりに幸せな環境で暮らすことが出来ていた。
私は子供の頃から本を読むのが好きだった。
孤児院には沢山の本があったけれど、私のお気に入りは『神龍の神子と運命の聖女』という子供向けの絵本で、ニンジャ服と呼ばれる黒い服で魔王を退治する神子と聖女の物語を、子供の頃から何度も何度も繰り返し読んでいた。
強くて勇敢な神子と聖女は、私にとってずっと憧れの存在だった。
神子姫は異世界に戻ってしまったけど、聖女様はオデット・マルタン伯爵夫人として現在もこの国で生活していらっしゃると聞いて、どんな方だろうと想像力を膨らませた。
勿論、雲の上の方だからお会いする機会なんて生涯ないだろうけど、噂では容姿端麗で全属性の魔力を有し、強いだけでなく天使のように慈愛溢れる方だと伺っている。
私も魔法らしきものが使えるのは自覚していたが、戦いで役に立つほどの威力はない・・と思う。使い方も良く分からないし。
オデット様はやっぱりすごい方だなぁと、その日も何度も読みすぎてボロボロになった本のページを捲っていた。
その時、院長先生から声を掛けられた。
「ジル。アデール男爵がいらっしゃったわよ。あなたにプレゼントがあるんですって。多分また新しいドレスよ」
うげ・・・。嫌だなと思ったけど、院長先生に心配をかけたくない。表情に出ないように気をつける。
アデール男爵というのは中年で小太りのおじさん(既婚)で、孤児院にも寄付してくれる有難い貴族らしい。・・・が、私が15歳になった頃から、やたらと私にドレスを贈ってくるようになった。
贈り物を貰う立場なので、直接御礼を言わないといけないし、その度に肩とか背中とか色々と触ってくるので気持ち悪い。
あぁ、気が重いなとその時も思っていた。
案の定、新しいドレスを持ってきたアデール男爵は、私の肩を抱きながら『ようやく大人になった』だの『素っ気ないところが堪らない』だの吐き気がしそうなことを言ってくる。
気持ち悪い・・・。
しかも、その日は私にその場で新しいドレスに着替えてみろと言う。
勿論、彼の前で着替えられる訳ないので、別室に入ってゴソゴソ着替えていたら、突然そのドアを押し破ってアデール男爵が入って来た。
私は気が動転した。半分裸だし、どうしていいか分からない。でも、アデール男爵がニヤニヤしながら私に手を伸ばしてきた時に嫌悪感が最高潮に達した。
「いや!!!!」
と叫びながら、私は無意識に魔法を使ったんだと思う。
男爵は思いっきり部屋の外に吹っ飛んでいき、そのまま気絶した。
その騒動が聞こえたのだろう。院長先生が慌てて走って来た。
半裸で泣きべそをかいている私を見て院長先生は察してくれたと思う。
「・・・気がつかなくてごめんなさい」
と私を抱きしめてくれた。
院長先生は私を着替えさせ部屋まで送ってくれようとしたが、その前にアデール男爵が目を覚まし、私達に向かって悪態をつき始めた。
「覚えていろよ!平民ごときが貴族を傷つけるなんて!お前は牢獄行きだ!」
と怒鳴り散らしながら帰って行った男爵は、本当に平民に魔法で傷つけられたと王宮に訴え出た。
しかし、現在の王宮では訴えられた平民側からの報告も提出できるようになっている。私と院長先生は何が起こったかを詳細に記した報告書を提出した。そして、その調査のためにやってきたのがダミアン様だった。
ダミアン様は、私に何の罪も責任もないことを王宮で証明し、逆にアデール男爵が罰を受けるように取り計らってくれた。奇跡のようだと感動した。
更に、ダミアン様は私の魔法の能力を買って下さった。良かったら魔法学院で勉強しないかと言われた時は夢かと思った。
何の血縁関係もない少女を後見するというと、口さがない人々から中傷を受けるかもしれないから、養女になった方が良いだろうと言われた時も、私は喜んで首を縦に振った。
こんな私を養女にしてくれるなんて、有難いという言葉以外に何も出て来ない。
院長先生もとても喜んで下さって、魔法学院に通うためのドレスを買ってくれると申し出てくれた。でも・・・私はもうドレスを着るのが怖くなった。男爵に女として襲われそうになった時のあの恐怖と嫌悪感を、ドレスを見る度に思い出してしまいそうだったから。
だから、私は黒いシャツに黒いパンツを選んだ。憧れの神子姫と聖女様のように、私は戦いたいと思った。魔法学院に通って、頑張って勉強して強くなる。そして、まずダミアン様と育ててくれた孤児院に恩返しをしたい。更に自分の力を使って、誰かの役に立てるようになりたい、と心から願った。
男みたいな恰好で学院に通うことに何の躊躇いもなかった。特に服装の規定はないと言われていたし、学院長からも許可が下りた。
ただ、ダミアン様から、魔法学院には鼻持ちならない高慢な貴族が多いと聞いて、多少の不安はあった。
当然だろう。
きっと貴族なんてあのアデール男爵みたいな奴ばかりだ。私みたいな平民でしかも孤児院出身と知られたらどんな扱いを受けるのか、覚悟していかないといけないな。
「・・・でも、そうでない生徒もいる。だから、全員がそうだと決めつけない方がいい」
と言うダミアン様の言葉を私はほとんど聞いてはいなかった。
*****
「ジル・フォーレと言います。平民です。どうか宜しくお願いします」
私は舐められないように、背筋を伸ばして堂々と自己紹介した。
「嫌だ~!やっぱり平民なの?」
「近くに来て欲しくないわ。なんでこのクラスに来るのよ」
「身分をわきまえなさいよ」
という声が聞こえて『ああ、やっぱり・・』と思った。所詮、貴族なんてこんなもんよ。
「あ、あの、先生!僕の隣の席にして下さい。分からないことがあるでしょうから、僕が面倒を見ます。僕の父も平民でした。この学院は魔法が使える者は誰でも学ぶことが出来る。学院内で身分差別などない、はずでしたよね?」
思いがけない声が聞こえて、私はそちらに視線を向けた。
やたらと顔が良くて背の高い男子生徒が、陰口を叩いていた令嬢達を睨みつけている。
なんなの?ヒーロー気取り?正義感アピール?
私は内心苛立った。
同情なんていらないわよと思いながら、隣の席についた。
一応御礼だけ伝えよう。
「ありがとう」
と言うと、私はそのまま前を向いた。
その後もウィリアムとかいう男子生徒は、何かと私に構う。その度に周囲の女生徒たちが私を睨みつける。舌打ちする子もいる。令嬢、怖!
正直言うと、ウィリアムにはもう話しかけて欲しくなかった。
彼は異常にモテる。
ウィリアムから話しかけられる度に、女同士の面倒くさい騒動が起きるのが嫌でたまらなかった。
マーガレットとかいうぶりっ子女が陰険な嫌がらせをしてくるし、勉強に集中したい私のイライラはどんどん悪化していった。
*****
私が魔法学院で勉強したいことは魔法だけではなかった。憧れの聖女オデット様のように是非剣術もマスターしたいと考えていた。
実は私は入学前に何度かオデット様に会ったことがある。なんとダミアン様はオデット様の上司でいらっしゃったんだ。ひぇ~~(驚愕)。
それを聞いた時、私はあまりの衝撃に数分間固まってしまった。
神の世界が存在したのだ。ダミアン様も私にとっては神のようで、やはり神の周りには神がいるんだな、と妙に納得した。
初めてダミアン様の職場に連れて行ってもらった時、私はオデット様に紹介してもらった。
オデット様は天使のように美しく、まだ若々しい少女のようだった。こんな優雅な方が魔王と戦ったのか・・・。信じられない。
緊張しまくった私は何を話したのか全く覚えていない。
その後も何度かお会いする機会があったが、同様に緊張で頭が真っ白になってしまい、何も記憶には残っていない(涙)。
ただ、オデット様の優しい笑顔と、鈴が転がるような愛くるしい声を微かに覚えているだけだった。
ダミアン様から、オデット様が魔法学院で剣術の訓練も受けていた話を聞いた。
女生徒でも剣術を習えるそうなので、私も是非剣術の訓練に参加しようと勇んで剣術指導の先生にお願いをしに行った。
しかし、剣術指導の先生は「うーん」と腕を組んで難しい顔をしている。
その時、ウィリアムが駆け寄って来た。
「先生。何かありましたか?」
「ああ、ウィリアム。ちょうど良かった。彼女が剣術訓練を受けたいっていうんだが、全く初めてなんだそうだ。女子生徒がここで訓練を受けることは滅多にないんだが、オデット様やスズもここで剣術指導を受けていただろう?彼女の指導を手伝ってくれないか?初心者は目が離せないが、私も彼女の指導だけするわけにはいかないから、手伝って貰えると助かるよ」
という先生の言葉に、
「もちろんです!僕に出来ることがあれば」
とウィリアムは答える。
私はこれ以上ウィリアムと関わることは正直避けたかった。女生徒からの嫌がらせを受けたくない。
「えーっと、君の名前は?」
と先生から訊かれて、
「ジル・フォーレです。あの・・・その人に手伝って頂く必要はないと思いますが」
とつい本音が出てしまった。
先生は困ったように頭を掻いた。
「いや・・・君ね。剣術をなめてるでしょ?女子で初心者の場合、危ないから目を離す訳にいかないが、私も君一人に時間を取ることは出来ない。そもそも、こんな猛者い男ばかりの中で訓練を受けたいというのが狂気の沙汰なんだ。ウィリアムは剣術が得意だし、紳士だからこの中でも一番信用がおける。感謝すべきところを、そんな言い方をするなんて、失礼だと思わないか?」
確かにその通りだ・・・。私は自分がいかに傲慢だったかを悟った。でも、それを認めるのは悔しい気持ちもあった。
「で、でも、女生徒でも剣術の訓練が受けられると聞きました!」
「ああ、そうだ。だけど、全くの素人はいない。ここに来る生徒は男女関わらず、これまでに剣術の訓練を受けた経験のある者ばかりだ。特にウィリアムの母君と姉君は幼い頃から物凄い剣術の訓練を受けてきた。あの二人には正直、私も敵わないと思う。だから、別格なんだよ。素人がいきなり訓練を受けたいと言っても、安全を確保するには誰かが常に付いている必要があるんだ。危険だからね。それが分からない生徒には剣術の訓練を受ける資格はない」
全く先生の仰る通りだ。私は自分がいかに非常識なお願いをしていたかと悟って、心から反省した。
「何も分かっていないのに失礼な態度を取って申し訳ありませんでした!良かったら剣術を教えて下さい!」
「そういうことだ。ウィリアム。頼んだぞ」
と先生は他の生徒たちの指導に戻って行った。
私は自分が恥ずかしくて、情けなくて、頭を下げ続けたが、先程からの会話で一つ気になることがあった。
ウィリアムの母君と姉君は剣術の達人だった。先生は『オデット様』ってさっき言ってなかった?
えと、えーと、ウィリアムの苗字は何だっけ?
聞いたような気がするが、すっかり忘れてしまった。
うーん。女生徒たちの噂話を頭の中で反芻する。
・・・ウィリアム・マルタンだった気がする。
それから、オデット様とお会いした時の会話の記憶が僅かに甦って来た。
『・・・私の息子も今魔法学院の2年生なのよ。良かったら仲良くしてやってね』
ああ、まずい・・・。ウィリアムはオデット様のご令息だ。私は神の御子息に何て失礼な態度を取っていたんだろう。
それに女生徒からの嫌がらせは彼が原因だけど、彼のせいではない。
彼は本当に親切心から構ってくれているんだろう、というのは徐々に分かってきたんだ。
でも、私が貴族に偏見を持ちすぎていた。中身はアデール男爵のような人に違いないと穿った見方をしていたんだと心から反省する。
ウィリアム様、ごめんなさい。
私は頭を下げ続けて、心の中で謝罪を繰り返した。
「えっと、あの、頭を上げて貰える?」
顔を上げると、困ったように笑うウィリアム様の姿があった。
ああ、本当に悪気はないんだろうけど・・・。こんなにカッコいいと女の子たちが夢中になるのは良く分かる。罪な人だわ。ついまじまじと顔に見入ってしまった。
「あの・・・ジルって呼んでもいい?」
と聞かれて、私は頷いた。顔が熱くなる。
「僕のことはウィルって呼んでよ」
「それは出来ません」
当たり前だ。本当に女生徒たちから殺されかねない。
「絶対に、何があっても、意地でもウィリアム様と呼びます」
私は頑なに言い張った。
*****
その後、私は不思議な縁でウィリアム様のご家族と仲良くなり、更には恋仲にまでなった。
ウィリアム様と一緒に過ごして彼を好きにならないのは非常に難しい。彼はとても魅力だ。家柄とか容姿とか、そういうことではない。彼はきちんとした常識を持った、とても誠実な人だ。そして、誰に対しても優しい。
私は真面目に剣技の指導をしてくれるウィリアム様に好感を持ち始めた。そして、それは知らぬ間に恋になっていた。
でも、ウィリアム様と私では身分が違い過ぎる。
ダミアン様も言っていた。
『貴族と平民なんて敵同士みたいなもの』
その言葉を聞いて、改めて私の想いがウィリアム様に届くことはないと実感した。
この想いは心の中だけで留めておこうと思っていたのに・・・。
今でも信じられない。『奇跡』以上の言葉って何だろう?語彙力がないから分からない。
「好きだ」と告白された時は現実のことだと思えなかったし、付き合うことになった時も現実感がなくて、足元がフワフワしていた。
あの時は頭がカーっとなって、ウィリアム様にご迷惑を掛けないためにも、誘拐犯がいるなら私が早く捕まえなくちゃ、と無我夢中だった。
あまりにあり得ない展開に脳みそが逆上してしまったのだと思う。
そのせいでかえって皆さんにご心配やご迷惑をお掛けしてしまったのだけど・・・(猛省)。
本当に人生ってどうなるか分からない。
*****
事件が解決した後、スズが私に
「ねぇ、ジルってドレスは嫌い?」
と聞いてきた。
私がドレスを避けるようになった理由を説明すると、スズは涙を流しながら私のために怒ってくれた。
「でも、今はちょっとドレスを着てみたいな、と思います」
そう伝えた。
ウィリアム様がどんな顔をするのか見てみたい。
好きな人の前で綺麗に見られたいという感情が自分の中に芽生えたことが驚きだった。
スズはニンマリと笑い、オデット様と一緒に私に白いドレスを着つけてくれた。
「ジルの黒い髪と瞳に良く映えるし、肌の白さも余計に強調されるから、これがいいわよ。ウィリアムは卒倒するかもしれないわね~」
そう言いながら、オデット様は、白い髪飾りを結い上げた髪に似合うように器用につけてくれた。
「私が初めて幸せな気持ちで着られたドレスです。本当にありがとうございます」
と頭を下げると、オデット様もスズもギュッと私を抱きしめてくれた。
オデット様がウィリアム様を呼んで来ると言って部屋を出た後、私の心臓が急に早鐘のように鳴り出した。
どうしよう?
いつもの恰好と違い過ぎる?
彼は気に入ってくれるだろうか?
彼は美しい令嬢を見慣れている。私に興味を持ったのは今まで会ったことがないタイプだったからかもしれない。だったら、私が普通の令嬢のようにドレスを着たらがっかりされてしまう?
どきどきする胸を押さえていたら、スズが
「ホント可愛いわね~。でも、心配することないわ。すごく綺麗よ」
と背中を擦ってくれた。
そして、私を見たウィリアム様は一瞬言葉を失ったが、
「すごく・・・綺麗だ」
と感極まったように言ってくれた。
眩しそうに私の見る彼の眼差しは愛情に満ちていて、私は心配していたことが杞憂だと分かった。
「ウィリアム様にそう言って貰えると嬉しい・・です」
と何とか素直に返事が出来た。
しかし、気づいたら周囲から人がいなくなって二人きりになっている。
え!?いつの間に?
心臓がバクバクしてくる。大丈夫かしら?
「君と出会えたことは僕の人生で一番幸せな出来事だと思う」
と言うウィリアム様は蕩けそうに甘い瞳で私を見つめる。
「私も・・・そう思っています」
ウィリアム様を見上げると、彼はそっと私の頬に手を置いて、そのまま顔を近づける。
彼の唇の柔らかい感触と吐息の熱さに胸が震えた。
ずっと一緒にいられますように・・・。
と心から願った。
そっと唇を離すと、お互い気恥ずかしくて何となく目を逸らしながらソファに腰を下ろした。
それでもウィリアム様の指は私の指に絡められている。
「ウィリアム様、あの・・・」
と言いかけると、彼は少し不満そうに口を尖らせた。
「あのさ、ウィリアム様はもう止めてもらえないかな?」
「え!?」
「恋人同士になったんだから、それっぽく呼んで欲しいな。ウィルとか?」
「ウィルは・・マーガレット様も呼んでいたし・・」
つい本音が口からポロリと漏れてしまった。案外嫉妬深い自分に驚いた。
「そっか。じゃあ、リアムは?『様』は抜きね」
「はい。リアム」
それを聞いて、満足気な笑みを浮かべるリアムは本当に可愛い。
私は持ち得る全ての愛情を籠めて、愛おしい人の名前を呼んだ。
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