番外編 ウィリアムの物語 その9
「ウィリアム、本当にすまなかった!」
憤懣やる方ない僕の前で、父さん、母さん、スズ、フランソワ、ジェラール、ドミニクが揃って頭を下げた。そして、ジルも申し訳なさそうに俯いている。
僕以外の全員が、ジルが誘拐されるかもしれないことを知っていた。そして、誘拐を裏で企てるのはマーガレットだろうと疑っていた。
それを僕にだけ伝えてくれなかったんだ。
「ウィリアム様はマーガレット様とずっと仲が良かったし、彼女がそんな酷いことをするなんて受け入れられないかもしれないと思ったんです。だから、私が皆さんにウィリアム様には言わないようにお願いしました・・・本当に申し訳ありませんでした」
ジルに深々と頭を下げられては、これ以上怒っていられない。
でも、僕はそんなに頼りないのか・・・と心底落ち込んだ。
ドミニクが気まずそうに顎を掻きながら釈明を始めた。
僕以外の全員一致でマーガレットがジルを害そうとするだろうと同意したらしい。
なんでも、ジルは転入して来て以来、マーガレットからの嫌がらせを受けていたという。
それに気が付かなかった僕は確かにぼんくらだった。
「マーガレット様は平民で卑しい私がウィリアム様と親しくするのは相応しくないと・・・色々仰って・・・でも、ドミニク様が助けて下さったりしたので、そんなに酷い目には合っていないんですよ。心配をお掛けしたくなかったので、ドミニク様にはウィリアム様には言わないようにお願いしたんです。だから、ドミニク様に怒らないで下さい」
僕は自分に腹が立って仕方がなかった。
僕のせいでジルが嫌がらせを受けたのに、僕だけが知らなかったんだ・・・。
「ジル・・・本当にごめん。僕がバカだった」
自分が情けなくて泣きたくなった。
母さんとスズは、いずれマーガレットがジルを誘拐して襲わせるというような犯罪を謀るだろうと予想していた。何でもこの世界の『お約束』らしい。だったら、早めに尻尾を出してもらって捕まえてしまった方が安心出来る。
魔法学院に戻ったら、ジルを守るのは難しくなる。僕とドミニクだけだと限界がある。
だから、学院に戻ってしまったら、いつか隙が出来てしまう可能性が高い。出来るなら今のうちに捕獲したいという意図だったという。
もし、マーガレットに裏心が無くて、何も謀をしなければ、それに越したことはないし、取りあえず相手がどのような手を打って来るのかを確認したかったそうだ。
最初はスズがジルに変装して囮になることを提案したそうだが、ジルが
「妊婦さんに囮なんて危険なことをさせる訳にはいきません!私がやります。どうか私にやらせて下さい!」
と強く希望した。
母さんもスズもジルに危険な真似はさせられないと説得しようとしたが、ジルはどうしても自分でやりたいと主張した。
僕と二人で遠乗りに出かけると知っても、マーガレットは予想に反して冷静で文句の一つも言わなかった。不満そうな顔すら見せなかったという。
それで母さんたちは遠乗りの時に何か仕掛けるのかもしれない、と予想して作戦を立てた。
スズは徹夜で例のストールを作ったそうだ。一人になった時に攫われる可能性が高いので、ジルに一人になったらストールの端の糸を木の枝に結び付けておくようにと指示した。
但し、僕達が遠乗りに出た後、マーガレットにバレないようにスズとフランソワが後を追いかけるから、それまでは絶対に無茶をしないようにと念を押したそうだ。
しかし、ジルはスズたちを待たずに消えてしまった。
「・・あの・・・その、私は色々な覚悟が出来たので、もし危険があるなら、とにかく早く解決したいと気持ちが逸ってしまったんです・・・ごめんなさい」
ジルは悄然として皆に頭を下げた。
「ジルが謝ることないわよ。こちらこそ危ない真似をさせてごめんね」
というスズの言葉を聞いて、ジルはぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ!オデット様から教えて頂いた護身術は素晴らしかったです。スズ様が沢山の武器を服の下に仕込んで下さいましたけど、使う必要は全くありませんでしたわ!」
誘拐犯の三人の姿を思い出したのだろう。父さんたちの目に僅かに同情の色が浮かんだ。
ジルを攫った男達は盛り場で見知らぬ男から、ジルを誘拐して襲うように依頼された。前金でたっぷり報酬を受け取り、後は成功報酬だと言われたそうだ。
平民の小娘で、襲ったとしても大きな罪にはならないし、大貴族が庇ってくれるから大丈夫だ、とその男は言ったらしい。
しかし、男達も危ない橋は渡りたくない。
その男の後をつけ、マクロン侯爵家の屋敷に入って行ったことを確認した。侯爵家関係者からの依頼であれば、何かあっても揉み消して貰えるだろうと、男達は誘拐を実行することにしたと言う。
でも、これだけではマーガレットが企んだ証拠には足りない。
どうするのかなと思ったら、スズが
「大丈夫。逃がさないから」
と不敵に笑った。
*****
その翌日、僕達は適当な口実をつけてマクロン侯爵を当家に呼び出した。
最初はみんなで和やかにお茶を飲みながら談笑していたが、そこに現れたのが祖父のモロー公爵だ。
マクロン侯爵は年若く爵位も自分より下の父さんと母さんを格下に扱っていたが、お祖父さまは違う。最高位の公爵である上に、国王陛下の右腕として宰相を長年務めている。
まさかお祖父さまが現れるのは予想していなかったのだろう。貫禄も違う。マクロン侯爵は完全に威圧されていた。
「も・・・モロー公爵閣下・・・拝謁仕りまして、大変光栄に思います。まさかこのようなところでお会いするとは思ってもおりませんでしたが・・・」
「マルタン伯爵は私の甥、夫人は私の娘ですからな。私の大切な孫の友人がこの屋敷に滞在中に誘拐される事件がありましてな。私としても看過できない。誘拐犯は捕まえましたが、なんとマクロン侯爵家の人間に誘拐を依頼されたと白状しました。どういうことか説明して頂きたいと思って、こうして参上した訳ですよ」
挨拶もそこそこに単刀直入に切り出したお祖父さまの言葉を聞いて、マクロン侯爵は震えあがった。
「なっ・・・ま、まさかそんなこと・・・あり得ません。そんな犯罪者の言葉を信じる訳ではありませんよね・・・何か証拠はあるのですか?」
慌てふためくマクロン侯爵の様子を見ながら、マーガレットの様子を伺うと平然とお茶を飲んでいる。
無実なのかと思いたくなるくらいの落ち着きようだ。もし、これで本当に彼女が犯人だったら、僕は人間不信になりそうだ・・・。
話しているうちにマクロン侯爵は怒りの感情が芽生えてきたらしい。
お祖父さま相手に抗弁を始めた。
しかしその時、フランソワが落ち着いた声で、
「マクロン侯爵閣下、お嬢様にもお聞きしましょう。マーガレット嬢、誰がジルの誘拐を男達に依頼したか知っていますか?」
とマーガレットに声を掛けた。
「な、なんでマーガレットに!?娘が何も知る訳ないでしょう?」
マクロン侯爵は、額に青筋を立てて怒りを露わにする。
「知っているわ。私が執事のシモンに頼んだの。シモンが直接男達に依頼したのよ」
マーガレットは無表情だが明確に答えた。
「な、な、な、な、なななに????マーガレット、何を言っているんだ!?執事のシモンが!?なぜ?なぜそんなことを?」
「だって、あのジルって女はウィルを私から奪おうとしたのよ。私は絶対に将来モロー公爵夫人になるんだから!邪魔はさせないわ。それにあの女が傷物になってしまえば、二度とウィルに近づこうとはしないだろうと思ったのよ」
マーガレットの言葉を聞いて、マクロン侯爵の顔はどんどん青褪めていく。
「それなのに、ジルは無事に救出されたんですって!?信じられないわ。今度は絶対に失敗しないようにするから!」
「マーガレット、マーガレット!何を言っているんだ?どうしたんだ?!」
振り絞るようなマクロン侯爵の叫び声を聞いて、マーガレットはハッと我に返った。
「・・・わ、私今何を・・・・?」
「マクロン侯爵。大切な孫の友人に対してマーガレット嬢がこのような仕打ちをするとは・・・。しかるべき措置を取って、正式に抗議させて頂きますからな。覚悟をしておくように。宜しいか!?」
最期はお祖父さまの一喝で事は片付いたようなものだった。
マクロン侯爵はどす黒くなった顔を歪ませて、まだ呆然としているマーガレットを引っ張って大急ぎで帰って行った。
彼らが退出した後、僕達は顔を見合わせて全員で大きな溜息をついた。
「あれは・・・自白剤?」
とフランソワに尋ねると
「まぁ、嘘がつけなくなる薬だよね」
と曖昧に濁された。ポーションマスター、怖!マーガレットのお茶に混ぜられていたのだろう。
でも、本当にマーガレットの仕業だったんだ。
やっぱり・・・というか、複雑な心境だ。
ジルが僕をいたわるように寄り添ってくれる。
お祖父さまに御礼を言うと
「いや、ウィリアムを後継ぎにしたために、余計な負担が増えて申し訳ないと思っている。公爵位というのは人が思うほど良いものではないよ。その地位のためだけに群がって来る人間も多い。人間が信じられなくなるようなこともあるだろう。でも、謙虚で真面目で、権力や特権を濫用しようとしないお前が一番適任だと私は思っているよ」
という言葉に胸が熱くなった。
「僕なんかでは務まらないんじゃないかってずっと思っていました。僕は・・・その世間知らずで坊ちゃんだから・・・」
「私も相当な世間知らずで坊ちゃんだったよ。でも、謙虚な気持ちがあれば、人に教えを乞うことが出来る。自分は何でも分かっている、人の助けなんていらないと思っている人間が一番この立場には向かないだろうな。ウィリアム、お前ならきっと大丈夫だよ」
お祖父さまの言葉にジルだけでなく、その場にいた全員が深く頷いてくれた。
僕は果報者だ。
「それに、そこのお嬢さんはきっとお前の支えになってくれるだろう。良い人と巡り合えて良かったな」
と続く言葉にジルの顔が赤くなり、
「ありがとうございます」
と小さくお辞儀をした。
その後、煩雑な手続きや後片付けを終えて、僕は一人でぼーっと考え事をしていた。
なんか・・・色々あったなぁ。
すると僕を呼ぶ母さんの声が背後から聞こえた。
「ウィリアム、ちょっとこっちに来て!」
母さんの後をついて行くと、広間に真っ白いドレスをきたジルが立っていた。
黒い艶々の髪をアップにして白い髪飾りで纏めている。
肩の出たドレスなので、色の白さが際立っている。あまりの美しさに咄嗟に言葉が出て来なかった。
ジルのドレス姿を見るのは初めてだ。彼女はいつも黒いシャツに黒いパンツに革靴だったから。
ジルがはにかんだように笑い、僕はその愛らしさにただ見惚れるしかなかった。
「すごく・・・綺麗だ」
とようやく言葉を絞り出すと、ジルが赤くなって
「ウィリアム様にそう言って貰えると嬉しい・・です」
と俯いた。気づいたら周囲から人がいなくなっている。
「君と出会えたことは僕の人生で一番幸せな出来事だと思う」
「私も・・・そう思っています」
目を潤ませながらそう言うジルの頬に手を当てて、僕は彼女の唇に自分の唇を重ねた。




