58.リュカ ― 結婚式
除目は無事に終了し、俺は正式にマルタン伯爵になった。イザベルの服喪期間はとっくに明けている。
・・・ようやく、ようやくオデットを迎えに行ける。
オデットに会えなかったこの半年。
毎晩夢に出てくるくらい恋い焦がれる日々だった。
叙爵後、改めてモロー公爵にオデットとの婚約を申し込み、正式な婚約が調った。
しかし、結婚式までの準備期間として更に半年待てと言われた時は溜息が出た。
勿論、準備期間はお互いに会えない訳ではないので精神状態は大分落ち着いたが。
オデットには会えるようになったものの、まだオデットに触れることは出来ないというジレンマの中で俺の自制心は常に試されていた。
ある日俺とオデットはお茶を飲みながら、結婚式の話合いをしていた。
お茶請けにチョコレートブラウニーを作ってくれたオデットの気遣いに感謝して、パクパクと食する。相変わらず美味い。
嬉しそうに見ているオデットと目が合うと彼女は照れくさそうに俯いた。
彼女はどんな仕草をしても可愛い。
「どうした?」
と聞くと
「うん。初めてリュカにブラウニーを作った時もそうやって美味しそうに食べてくれたなって」
少し赤くなって話すオデットを思いっきり抱きしめたくなって困る。
可愛すぎる。俺の理性と自制心がぐらぐらになりそうだ。
「あ、それでね。結婚式は出来たら学院にある修道院でやりたいんだけど・・・」
「・・・いいけど。そこはアランとの思い出の場所じゃないのか?」
声に棘が混じるのを止められない。オデットとアランが二人で見学した修道院だ。
「あの、リュカが嫌なら他の場所でもいいのよ。ただ、あの修道院はサットン先生との思い出の場所だから・・・」
としょんぼりするオデットを見て、自分の器の小ささを反省する。
どこで挙式するかなんて俺は全く興味ない。だったらオデットのやりたい場所が一番に決まっている。
「いや、オデットのやりたい場所にしよう。悪かった。俺は嫉妬深いな・・・。気をつけるよ」
とオデットの頭を撫でると、安心したように笑顔を見せる。笑顔になると幼い少女の頃の面影が出て、益々抱きしめたくなる。
二人っきりになって思う存分抱きしめたい、と妄想が膨らみそうになり慌てて首を振る。
しっかりしろ!俺!公爵を怒らせるようなことはしちゃいけない。ここで結婚をストップされたら、きっと俺は気が狂うと思う。
はぁ、と溜息とついて、ふと気になっていたことを思い出す。
「そういえば、オデットは俺と結婚してマルタン伯爵夫人になるが、それでいいのか?お前は一人っ子だろう?公爵家の後継ぎは・・・?」
と聞くとオデットは笑顔で、エレーヌとフランソワが公爵家の養子になると言う。
フランソワが公爵家を継ぐことになるから、心配ないと嬉しそうだ。
オデットはその気持ちに全く気付いていないが、フランソワはずっとオデットに片思いしている。形式上でもオデットの弟になることを彼は受け入れたということか・・・。複雑な心境だな。
・・・オデットは鋭いようでいて自分への好意には鈍感だ。
王宮で魔術師として働きたいと聞いた時も内心は反対したかった。
アランは分からないが、ダミアンだってクリスチャンだってまだオデットに気があるだろう。俺の知らないところで他の男と一緒に働くオデットを想像すると正直辛い。
でも、オデットには自由に好きなことをして欲しい。
そう思って最終的に賛成した。今楽しそうに働いているから、賛成して良かったと思うが、内心の嫉妬が和らぐわけではない。
早く結婚してオデットを独占したい、と悶々した思いばかりが募っていく。
『早く早く』と思う時ほど時間が経つのは遅い。時間が進むのがかたつむりの歩みのように感じられたが、ようやく・・・ようやく結婚式の日を迎えることが出来た。
結婚式当日。修道院にて。快晴で、雲一つない青空が広がっている。
俺は白いタキシードでオデットの支度が終わるのを待っていた。
蝶ネクタイは苦手なので青みがかった薄いグレーのクラバットと同色のベストをつけている。俺の目の色に合わせたんだろう。オデットが選んでくれたものだ。何でも尊い。
手持ち無沙汰で立っていると、モロー公爵とフランソワが連れ立ってやって来た。
二人とも美丈夫で礼服が良く似合う。公爵のプラチナブロンドとフランソワの金髪が目を引く。どちらも背が高いし、並んでいると絵画のようだと思った。
俺に近づくと二人はお祝いの言葉をくれた。
「ようやくオデットが幸せになれる。リュカ、頼んだぞ」
とモロー公爵に言われて「必ず」と約束する。
フランソワは言葉少なだったが「オデットの幸せが俺の願いだ」と言いながら、俺の手を力一杯握りしめた。俺もお返しで力一杯握り返してやったが。
モロー公爵に小声で
「・・・あの、誓いの口付けは本当に口付けしても・・いいでしょうか?」
と真剣に聞いたら、公爵はまじまじと俺の顔を見て笑い出した。
「まさかと思うが、まだ口付けも交わしていないのかい?律儀だな。さすが私の見込んだ男だ。勿論、式では口付けして構わないよ」
と上機嫌で背中をバンバン叩かれた。なんでだ!?
徐々に参列客も集まり始めた。
ソフィー、マリー、ナタリーだったか・・・?オデットの誠実な女友達が華やかな衣装で現れた。
クリスチャン、ダミアン先生、学院長までいるのか。他のクラスメートや教師たちもやって来る。
父さんにはオデットと二人で療養所に結婚の報告に行った。父さんは俺とオデットの結婚を喜んでくれたが、体が弱っていて結婚式への参列は難しいと言われた。
父さんを伯爵邸に呼び寄せようとしたが、父さんは療養所での生活に慣れたので環境を変えたくないそうだ。
「お前には苦労ばかりかけてすまなかった」と言った父さんの目が光っていて、俺も今までのわだかまりが解けた気がした。
父さんとジルベールが参列できなくて残念だ・・・。あと、勿論サットン先生にも参列して欲しかったな。
修道院の建物の前には多くのテーブルが並べられ、生花で華やかに飾り付けされている。
忙しそうにテーブルをセットしているのはモロー公爵家とマルタン伯爵家の使用人だ。
既にオデットは伯爵家の使用人の間でも大人気で、気難しい執事やメイド頭もすっかりオデットに心服し、褒めちぎっている。
若い男達がオデットを見てソワソワするのは気に入らないが、彼女が過ごし易いのであれば何よりだ。
式の後に結婚パーティを開く予定なので、彼らはその準備に追われている。
公爵令嬢の結婚式にしては質素だという声もあるかもしれないが、これはオデットが望んだ形で、心のこもった式だと俺も満足している。派手な式は二度とご免だ。
人が増えて賑やかになって来た。
大きな騒めきが聞こえたので、そちらに目を遣るとアランがエレーヌと連れ立って登場した。
俺に握手をしながら
「おめでとう!オデットを幸せにしてくれよ」
というアランの表情は明るい。
意外に思っていると、アランの隣にいたエレーヌの雰囲気が変わっていることに気が付いた。
冷静で事務的な印象しかなかった彼女が、今日は華やかに装って、しかもしっとりとした艶気がある。
エレーヌはものすごい美人だったんだな。
まじまじと見つめるとアランがむっとしたように彼女の肩を抱いて
「お前にはオデットがいるだろう。エレーヌを見るな」
と威嚇する。
・・・なるほど。そういうことか、と納得する。
オデットは喜ぶな、と俺も嬉しくなった。
俺はアランの背中を叩いて、
「お前達の結婚式は盛大だろうな。楽しみにしているよ」
と笑った。
アランとエレーヌは真っ赤になったが否定はしなかった。
すると、一際大きな歓声が聞こえて、支度を終えたオデットが現れた。
隣に立つモロー公爵夫人が満足気にオデットを見つめている。
エレーヌが大きな溜息をついて
「綺麗・・・」
と感極まったように呟く。
アランが小さい声で
「お前も綺麗だよ・・・」
とエレーヌに囁いたのが聞こえたが、聞こえないふりをした。
俺の目はオデットに釘付けだった。
レースを贅沢に使った真っ白なウェディングドレスは裾が優美に広がり、女性達がため息をついて眺めている。
オフショルダーなので、オデットのほっそりした首から肩の線が美しく強調されている。くっ!他の男には見せたくない。
髪をアップにして白いバラで飾ったオデットはこれまで見た誰よりも美しくて、こんなに美しい女性が俺の妻になるという事実に感動で胸が震えた。
俺がオデットに近づくと彼女が満面の笑顔を見せてくれた。
彼女の最高の笑顔を目の当たりにして、俺は思わず泣いてしまいそうだった。
胸が痛いくらい幸せな気持ちってあるんだな。
二度とオデットと会えないと思った日々が走馬灯のように甦る。
何度も何度もオデットへの想いを捨て去ろうとして出来なかった。
オデットも同じだったと言っていた。
俺達は離れている間に、お互いじゃないと駄目だと思い知らされた。
辛い思いを経験したからこそ、今ここで一緒にいられる奇跡に感謝できる。
俺達はこれから一緒に生きていくんだ。
その単純な事実で俺の胸は幸せにはちきれそうになる。
嬉しい時も、楽しい時も、苦しい時も、悲しい時も常に君と一緒にいたい。
俺はオデットに手を伸ばし、オデットがその手に自分の手を重ねる。
俺を見つめる彼女の瞳も喜びに煌めいている。
一生を共に歩いて行けるように。
その一歩を、俺達は踏み出した。
*これでほぼ完結なのですが、もうあと1話か2話お付き合い下さいませ。ジルベールのことも忘れていません!リュカがオデットとの初夜でパニックになる話を突然書きたくなり、それを入れるかどうしようか迷ってます。




