57.オデット ― エレーヌの恋話
リュカが公爵邸に挨拶に来てから数か月が過ぎた。
私はリュカを恋しいと思いながらも忙しく充実した毎日を送っている。
というのはアランから宮廷魔術師にならないかという申し出を頂いて、それを受けることにしたからだ。
最初に申し出を頂いた時は、もうすぐ結婚することが決まっているしどうしようかなと迷った。
でも、アランから国政改革の一環として女性が働きやすい社会を作りたいと言われて、決意が固まった。
結婚しても働き続けられるような職場環境を整えるためにも先達が必要だよね。
リュカは最初難色を示したけど、最終的には分かってくれた。
王宮に出仕して一番驚いたのが、直属の上司がダミアン先生だったことだ。
アランは学院を卒業してから王宮で執務を取るようになり、多くの改革を始めている。
腐敗した貴族政治を撲滅するための法制を整えて、平民への差別的な待遇も改善されるように努力すると言っていた。アランなら出来るよ!頑張れ!
そういえば、ミシェルの裁判は終わり処刑が確定したそうだ。公爵令嬢の誘拐・殺害計画だけでなく多くの余罪があり、どんな言い逃れも出来ないほどの証拠があったそうだ。
今後は貴族でも刑罰を受けるのが普通の世界になっていくとアランは言っていた。
アランは法制改革だけでなく、行政改革も進めたいと王宮に優秀な人材を募っているらしい。
その一環としてアランから誘われたとダミアン先生が恥ずかしそうに語っていた。彼は今では王宮の上級魔術師だ。
宮廷筆頭魔術師はマーリンと言うらしいが、私は会ったことがない。誰に聞いても謎の存在なんだよね。いつもフードを深く被っていて、顔を見た人もいないって相当だと思う。
初めての宮廷勤務で右も左も分からないし、馴染みのある人と一緒に働ける方が有難い。
「また先生に教えて頂けるのが嬉しいです!」
ダミアン先生は照れくさそうに私の頭を撫でてくれた。
王宮で働いていると、自分にはまだまだ知らないことが多いと気づかされる。
新しい知識を学べることは純粋に楽しいし、私は充実した日々を送っていた。
***
そんな中、相談したいことがあると休日にエレーヌが訪ねてきた。一応公爵邸は彼女の実家でもあるので『帰省した』と言うべきかな。
エレーヌの顔を見て少し心配になる。どうしたんだろう?ちょっと痩せた?
侍女がお茶を淹れて部屋から出て行くと、エレーヌはお茶を一口飲んではぁっと息を吐いた。
「美味しい」
良かったら焼き菓子も食べて、と勧める。私の手作りよ。
エレーヌは嬉しそうにマドレーヌを口に運ぶ。
「それで何があったの?」
私が尋ねるとエレーヌの表情が曇った。
「・・・あの、アラン様から学院を辞めて王宮で働かないかってお誘いを頂いているんです。その・・・アラン様の事務補佐として・・・」
「あら!いいじゃない!エレーヌが王宮で働いていたら私も嬉しいわ」
しかし、エレーヌが暗い顔をして俯いたので、私は戸惑った。
「・・・えーと、気が進まないなら断ってもいいんじゃない?アランだって無理強いしないでしょ?」
「はい・・・アラン様は無理だったらいいと仰っていて・・・でも、そしたら」
「そしたら・・・?」
何が問題なんだろう?と考えていたら、エレーヌが決然と顔を上げた。
「私は嫌ではないし、無理でもないんです。むしろアラン様のお側で働きたいんです!」
彼女の顔は真っ赤だ。
その表情を見ていてふと閃いた。
「・・・ねえ、エレーヌ、あなたもしかしてアランのこと・・・?」
エレーヌは近くにあったクッションに顔を埋めて悶え始めた。
「・・・わ、私みたいな!?平民で年上の女が!?・・・あり得ないですよね!分かってます。分かってるんです!」
クッションの隙間から聞こえてくる声を聞きながら、私は優しく話しかけた。
「エレーヌ。全然あり得なくないわよ。あなたは優秀でとても魅力的だし。何がいけないの?」
エレーヌはようやくクッションから顔を上げた。
目が潤んで紅潮した顔はいつもの冷静な面持ちとは違って、とても可愛らしかった。
「・・・アラン様はお妃候補の令嬢達と毎日のようにお会いになっています」
ああ、そうか。私と婚約破棄した後、ハイエナのような令嬢達に追いかけ回されて女性不信になりそうだ、とアランがこぼしていたっけ。
現在の国王はそろそろ引退したい意向を示しているという。
アランは立派に王太子としての職務を果たしているけれど、即位するのであれば結婚していなくてはいけない。
急ピッチでお見合い話がアランに持ち込まれているという噂は聞いている。
「・・・アラン様の補佐をしたい気持ちはあります。でも、アラン様と他の令嬢の婚約を身近に見る勇気がなくて・・・。どうしたらいいのか分かりません・・・」
泣きそうな声で言うエレーヌ。こんなエレーヌは初めて見る。
「フランソワは私の気持ちを知っています。フランソワは『好きになったら、相手が誰を好きだろうと関係ない』と言うんです。『ただ、一筋に思い続けるだけだ』と」
おお!フランソワにそんなロマンチックな側面があるなんて知らなかった!好きな子がいるのかな?
「でも、私はそんなに強くない。やっぱり嫉妬したり、醜い感情が生じると思うんです。そんな自分に向き合う自信がなくて・・・」
確かに逡巡する気持ちは分かる。私もイザベル様にはものすごく嫉妬したから・・・。
「アランに気持ちを伝えるとか・・・?」
エレーヌの赤かった顔があっという間に青褪めた。器用だな。
「・・・そ、そそそそんなの無理に決まってるじゃないですか?!私みたいな年上女に言い寄られたらアラン様は絶対に気持ち悪いって思うでしょう・・・。アラン様に気持ち悪いって思われるのは絶対に嫌なんです!」
「エレーヌは綺麗だし、可愛いよ。優秀だし性格もいいし。アランは気持ち悪いなんて思わないよ」
本当にそう思う。化粧っけのない顔にはシミ一つないし、艶のある金髪は日に透けるとキラキラ輝いている。蒼い眼は空の色みたいに晴れやかだ。
「っ、そんな!オデット様にそう言われても・・・」
エレーヌは泣き出してしまった。
・・・どうしよう?何かしてあげたいんだけど・・・。
「・・・それにアラン様は恐らく私の気持ちに気づいてらっしゃいます」
エレーヌがハンカチで涙を拭きながら言う。
「そうなの?」
「はい。私の態度は分かり易いので・・」
「そしたら絶対にアランは脈ありよ!」
私は言葉に力を入れた。
エレーヌはポカンと私を見ている。
「アランはとても優しい人なの。人を傷つけないように配慮する人よ。もしエレーヌの気持ちを知って、それでも側で働いて欲しいと言うんだったら、それはエレーヌの気持ちを受け止める覚悟があるってことよ!」
私は断言できる。彼はお母さんだ。お母さんのように包容力のある人なんだ!
「・・・そ・・う・・でしょうか?」
「エレーヌの気持ちに応えるつもりがないんだとしたら、絶対に自分の事務補佐をして欲しいなんて言わないはずよ」
私の言葉はエレーヌに響いたらしい。彼女はしばらく考え込んだ。
私はその間にマドレーヌを食べる。美味しい。
「・・・アラン様は思いがけなく鈍感で私の気持ちに気づいてらっしゃらない可能性もありますよね?」
疑り深いエレーヌに私はニッコリ微笑んだ。
「アランが鈍感ってことはないと思うわ。気遣いも優しいでしょ?」
「・・・アラン様は私が学院で事務補佐をしている時に令嬢達から嫌がらせを受けていることを知って、色々と対策を取って下さいました。とても・・思慮深くて思いやりのある方です」
ポッと赤くなって話すエレーヌはとっても可愛い。
こんな可愛いエレーヌが近くに居て、アランが心惹かれないってことはないと思うのよね。
「アラン様はまだオデット様を忘れられないんじゃないかなって・・そう思うことがあって・・・」
「それはないんじゃないかな?王宮でたまに会うけど、全然普通だよ」
「・・・そうでしょうか?」
「うん。それからね、アドバイスするとすれば、アランは追いかけられるのが嫌いなの。ずっと強引な令嬢達に追いかけ回される人生だからね。彼は多分追いかける方が好きなんだと思う。だから、エレーヌが事務補佐になって、素っ気ない態度を取った方が効果的だと思うわ」
これは私の渾身のアドバイスだ。
「そう・・・思います?」
「うん!もちろん、人の気持ちの問題だから100%保証は出来ないけど・・・。でも、私は脈ありだと思う」
「でも・・・私はアラン様より三才近くも年上なんです・・」
「三年なんて大したことないわよ。アランがそんなこと気にする人だと思う?」
「平民だし・・・絶対に越えられない壁がありますよね?」
「アランがそんなこと気にすると思う?それにお父さまはエレーヌとフランソワを養子にしたがっていたわ。いざとなったら公爵令嬢の肩書きはバッチリ手に入るわよ!」
私がサムズアップをすると、エレーヌは呆気に取られたようにそれを見て、笑い出した。
声をあげて無防備に笑うエレーヌは貴重だわ。とっても可愛い。こんなエレーヌを見たらアランだってきっとイチコロなのに。
エレーヌは笑顔で学院に戻って行った。
前向きにアランの事務補佐をすることを考えてみると言っていたのでほっとした。
アランには幸せになって欲しい。
私の学院生活は彼のおかげで救われたと言っても過言ではない。
頑張れ!エレーヌ!と心の中でエールを送った。




