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56.オデット ― リュカと自制心

*糖度高めです。苦手な方はご注意下さい。

卒業パーティの日から数か月後。ようやくリュカが公爵邸にやって来た。



その頃にはとっくに卒業式も終わり、私は自邸に戻ってきていた。


卒業式では、ソフィー達との涙の別れとか、クリスチャンとダミアン先生の土下座とか、色々とあったけど、最後はみんな笑顔でお別れできたのが嬉しかった。


アランとは気まずくなるかなと心配だったけど、彼は今までと変わらず私に接してくれて、懐の広さを感じた。


本当にいい人だ。私が言うことじゃないけど、幸せになって欲しいと心から思う。


アランにはお世話になってばかりだから、いつか恩返しできる機会があるといいな。


学院での生活は毎日充実していて楽しかった。最後の方はちょっと大変だったけど、それでも楽しい思い出が一杯詰まった学院生活だったと思う。みんなで卒業後も友達だよねって約束してお別れした。


お父さまとお母さまも卒業式に来て私の卒業を祝ってくれた。私が卒業生代表としてスピーチをしたことも含めて「自慢の娘だ」と言って貰えて嬉しかった。


***


リュカはまだイザベル様の服喪中なので、大っぴらに出かけられないと言う。


モロー公爵邸訪問も色々と根回しをして、もっともらしい訪問理由が必要だったそうだ。


来年の除目で叙爵が内定しているので、三大公爵家に内定の挨拶に伺うという口実を使ったらしい。


おかげでうちだけでなく、ルソー公爵家とベルナール公爵家も訪問することになったんだって。


大仰な事態になってしまいちょっと申し訳ないけど、リュカに会えるのは純粋に嬉しい。


その日は朝から大騒ぎだった。


お母さまと侍女が私のドレスやアクセサリー、髪型について喧々囂々と議論している。


リュカに会うんだから最高に可愛くして欲しいとお願いしたら、お母さまが身悶えしながら「もちろんよ!」と叫び、現在に至る。


お父さまとお母さまにはリュカに殺されそうになった部分は省いて、事情を説明した。


お父さまは実際にリュカに会ってみないと何とも言えないな、と複雑そうだったけど、お母さまは乗り気だった。


お母さまは拳を握りしめて燃えている。


「オデットは緑が一番似合うからドレスは緑色ね」


熱のこもった顔つきの侍女たちも頷いた。


「髪型はハーフアップがお似合いかと」


一人の侍女が言うとお母さまは考え込んだ。


「でも、高くアップに結うとうなじが出て、大人っぽくなるのよ。やっぱり大人になったオデットを見て欲しいわよね」


侍女たちは「確かに」と気合を入れ、私は色んなところを押したり引っ張ったりされて、ようやく支度が整った。


今日は肩の開いた大人っぽいエメラルドグリーンのドレスで、胸元がギリギリまで開いている。


このドレスだといつもつけているリュカの指輪のネックレスは付けられないので、指輪は小指につけた。小指ならまだ何とか入るんだ。


髪の毛は高く結ってシンプルな緑色の髪飾りを後頭部に一つだけ入れる。


お母さまが言った通り、かなり大人っぽい仕上がりになった。


リュカは何と言ってくれるだろうとワクワクしながら、彼の到着を待つ。


フランソワは私を見て「お前は綺麗だな」と感心したように言う。


そんな素直な褒め言葉が珍しくて目を丸くすると彼は拗ねたようにそっぽを向いた。


「何だよ。俺だってたまには正直な感想を言うんだよ」


ただ、その後小さい声で「リュカが羨ましいよ」と呟いたのは私の耳には届かなかった。


***


リュカが到着した時、私たち四人で彼を迎えたが、リュカはあまり私を見ようとしない。


まずお父さまとフランソワに握手をして挨拶した後、お母さまと私の手を取り唇を近づけて礼をする。


その時も私の方を見ずに、すぐにお父さま達と話し込んでしまったので、少しがっかりしてしまった。


しょんぼりしているとお母さまが背中を擦ってくれる。


「大丈夫。あなたが綺麗すぎて照れているのよ」


お母さまはそう言うけど、そうなのかな・・・?


段々自信がなくなってきた。


お母さまと連れ立って応接室に入ると、私とお母さまはお父さまの両脇に腰を掛ける。


フランソワはドアの近くに立ったままだ。


リュカは私たちに正対して座ると、咳払いをして話を始めた。


「モロー公爵。本日はお時間を割いて頂き、誠にありがとうございます」


丁寧に頭を下げるリュカにお父さまは軽く頷いた。


「ああ」

「お聞き及びかもしれませんが、私は来年の除目でマルタン伯爵として叙爵して頂くことが内定しております。公爵家の皆様にも是非ご指導ご鞭撻の程何卒宜しくお願い申し上げます」

「その話は聞いている。ガルニエ伯爵領をそのまま受け継ぐとか?」


お父さまの質問にリュカは頷いた。


「その通りです。若輩者ですが皆さんのご指導を仰ぎながら、精一杯務めさせて頂く所存です」


堂々と挨拶すると、再び頭を下げる。


「それで、オデットのことはどう考えているのかね?」


お父さまの直球の質問にリュカは瞳を瞬かせたが、たじろぎはしなかった。


「私はオデット嬢と結婚したいと考えています。服喪期間が明け、正式に伯爵となった暁にはオデット嬢との結婚を認めては頂けないでしょうか?」


リュカの真っ直ぐな瞳をお父さまは見返して、しばらく沈黙した後溜息をついた。


「リュカ、君は何の咎もないのに辛い思いをしてきた。それにサットン先生からも君がオデットを陰から助けてくれていたことは聞いている。オデットさえ幸せなら、私は反対するつもりはないよ」


お父さまの言葉にリュカの目が潤んだ。リュカは立ち上がって、深くお父さまにお辞儀した。


「必ず、必ずオデットを幸せにします。本当にありがとうございます!」


涙声だった。


「ただし!」


苦笑いしながらリュカを再びソファに座らせるとお父さまはニヤリと笑い、話を続けた。


「君はまだ服喪期間中だね。世間は口さがない。前妻の服喪期間中に既に新しい女性と付き合っていたという噂が立つとオデットに傷がつく」

「はい」


リュカの目は真剣だ。


「だから、来年の除目が終わり正式にオデットとの婚約が調うまで、オデットに会うのは控えて欲しい」


お父さまの台詞に私は抗議の声をあげた。


「・・・お父さま!」


しかし、お父さまは動じない。


「オデット。こういうことは大切なんだ。疎かにしてはいけないよ。お前達はこれまで何年も耐えてきたんだから、あと半年くらい耐えられるだろう?」


・・・確かにそうだけど。その半年が辛い、というのはやっぱり我儘なんだろうか・・。


リュカが私を切なそうに見つめる。


「オデット、俺は君の評判にどんな形でも傷をつけたくない。後ろ指さされるような結婚は嫌なんだ。俺も辛いけど耐えるから・・君も耐えてくれないか」


・・・そう言われたら、嫌だと言えなくなっちゃうじゃないか。


渋々頷くと、お父さまが私の頭をそっと撫でてくれた。


「しばらく会えなくなるから、今から二人で庭を散歩して来たらどうだ?」


お父さまの言葉にリュカが少し青褪めた。


「・・・公爵、いいのですか?」


声が少し切羽詰まっている。なんで?そんなに嫌なの?と悲しくなる。


「君を信頼しているからね」


リュカの肩をポンと叩いてお父さまは出ていった。フランソワとお母さまも続いて退出する。


私はリュカと二人きりになって何と言っていいのか分からなかった。


リュカは私から目を逸らして、私を視界に入れないようにしている、ように見える。


「その・・・散歩に行くか?」


ためらいがちにリュカに聞かれて、私は仏頂面で頷いた。


庭を歩きながらも私たちは黙っていた。


私は完全に拗ねていて、こちらからは口をきいてあげないと意固地になっていた。


リュカは困ったように私を見る。


「・・・オデット。何か怒ってるのか?」


私は返事をしなかった。


「・・・俺が何か悪いことをしたなら謝る。悪かった。これからしばらく会えなくなるんだ。仲直りできないか?何でもするから・・・」


弱り切ったように懇願するリュカを見て、私は小さな声で呟いた。


「私の方、全然見てくれないじゃない。朝から頑張ったのに・・。」


口調が完全に拗ねている。子供みたいで嫌になるけど・・・。朝から張り切って支度したのにバカみたい。


リュカは顔を強張らせた。やっぱり・・・。すごく悲しくなった。


「そりゃ、私はイザベル様みたいに魅力的じゃないけど、そんな風にあからさまに態度に出されると傷つくよ」


しょんぼりと言うと、リュカが顔面蒼白になって私の腕を掴んだ。


「誤解だ!逆だ逆!」


突然の大声に私がビクッとすると、慌てて手を離して距離を取る。


「・・・ごめん。怖がらせるつもりはないんだ。そんな風に思われているなんて知らなかったから・・・。俺はイザベルを魅力的だと思ったことは一度もない!これは断言できる」


え・・・そうなの?あんなに綺麗な人だったのに?・・・胸だって・・・すごかったよ。


リュカは頭を抱えて口籠った。


「・・・ああ、なんて言っていいのか・・」

「ちゃんと話してくれないと私には分からないよ」

「・・・お前は!魅力的過ぎるんだ!今日も綺麗すぎて、お前を直視したら色々我慢できなくなりそうだから、一生懸命視界に入れないようにしていたのに・・・」


そう言って、リュカは私を上から下までじっくり眺めるとゴクリと生唾を飲み込んだ。


彼の視線を感じるだけで、心臓がドキドキする。


リュカは頭を抱えてその場に座り込んだ。


「俺はもうダメだ。お前を見るだけで興奮と妄想が止まらなくなって・・・。やっぱり汚れた男なんだ!俺は!」


私が屈みこんでリュカの顔を覗き込むと、彼は真っ赤になって後ずさった。


「・・・私達結婚するんだよね?そんなに我慢する必要ある?」

「ある!絶対にある!結婚するまではお前に指一本触れないと公爵に約束したんだ!」


え!?そうなの?いつの間に・・・。


「・・・でも、キスくらいしちゃダメかな?」

「お前・・・なんて残酷なことを・・・」


残酷・・・?


「絶対に絶対にキスだけじゃ我慢できない。俺には自信がある。俺の理性はそんなに強くない」


自信満々に断言するリュカ。


「抱きしめてもくれないの?」


私が言うと、リュカがぐっと言葉に詰まった。


「今日お前を見て驚いたんだ。すっかり大人っぽくなって・・・っていうか、すげー色っぽくなって、見た瞬間居ても立っても居られなくなった」


リュカは顔を真っ赤にして言い募る。


「その・・・胸元だって目が離せなくなりそうだし、うなじは艶っぽ過ぎて破壊力が強い」


リュカの言葉に私も赤くなる・・・。そ、そうかな・・・。でも、嬉しい。


「抱きしめるのもダメ?」


もう一度聞いてみる。リュカの顔が完熟トマト並みに赤くなった。


リュカは何度も深呼吸を繰り返す。


「分かった。どんと来い。大丈夫だ。大丈夫。抱きしめるくらいは出来るはずだ」


何度も自分に言い聞かせている。


・・・大袈裟じゃない?


リュカはぎこちなく私に近づくと両手をそっと私の背中に回した。


そして、三秒もしない内に私を離すとすぐに数メートルほど後ずさった。


「・・・危なかった。凶器だ・・・甘い香りに誘惑されて離せなくなるところだった」


ゼイゼイしながら独り言を呟く。


「それだけ?」


私は全然物足りなかった。


だって、これから半年も会えなくなるんだよ。


私はリュカに近づいて彼の胸に顔を埋めた。鍛えてるから胸板も大きくて固い。彼の全身がビクッと動く。


リュカはそのまましばらく固まっていたが、私が離れようとするとグイと私の肩を引き寄せて力一杯抱きしめた。リュカの逞しい腕を背中に感じる。


息が圧迫されるほどの抱擁と私の首にかかる彼の熱い吐息を感じて、私の心臓の鼓動は急に激しくなる。彼の心臓も早く波打っている。


リュカは私の顔を蕩けそうな甘い眼差しで見つめ、私の後頭部に手を回す。もう一方の手で私の顎を少し傾けるともう少しで唇と唇が触れそうなところまで顔を近づけた。


は、初めての口付けかも・・・と心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしていると、リュカの唇は私の唇をわずかに逸れて頬に着地をした。


ちゅっと音を立てて頬にキスした後、私を離すとほぉ―――と息を吐くリュカ。


「・・・オレエライ」


一言呟くと、リュカはその場に倒れ込んだ。


青々とした芝生の上なので、私も彼の隣に座る。


「初めての口付けかなと思ったのに」


拗ねたように言うと「それは結婚した後にな」と私の頬を名残惜しそうに撫でた。

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