55.アラン ― 失恋
男子寮の寮監から「お客さんだ。オデット・モロー嬢が面会に来ている」と言われて、俺の心は浮き立った。
昨日の卒業パーティは大変だった。
その後の事務処理は更に大変だった。夕べは学院の執務室でフランソワとエレーヌと一緒にずっと書類の山に埋もれていた。
徹夜明けで寮に戻って来た途端に寮監に伝えられたので、疲れていたがスキップしたいような気持で男子寮の面会室に駆けつけた。
「よぉ、オデット。どうした?」
扉を開けながら声を掛けるとオデットが真剣な顔で立っていた。
その顔を見て、俺の高揚した気持ちは急速に醒めた。
オデットが何か良くないことを言おうとしているのが分かったから・・・。
何となくだけど彼女が言おうとしていることが想像できて、泣きたくなった。
・・・案の定、オデットの話は俺との婚約破棄のことだった。
やっぱりリュカが好きだから、婚約破棄して欲しいと言う。
卒業パーティの後にリュカに会ったことと、彼に殺されそうになった話までされて、俺は衝撃を隠せなかった。
殺される危険を冒してまでリュカに会いたかったオデット。
殺されかけてもまだリュカが好きだというオデット。
彼女の気持ちはリュカ以外の男には向かないんだな、と思うと胸がジリジリと痛む。
しかし、俺は彼女の気持ちを尊重すると約束した。男らしく身を引く以外に選択肢はない。
ただ、俺に黙って危険な真似をしたことについてはこんこんとお説教をした。
オデットは素直に謝る。頭を深く下げて「ごめんなさい」と言った後、小さい声で「お母さん」と聞こえた気がする。
キッと睨むとビクッと肩をすくませて「もう二度と危険なことはしません!ごめんなさい!」ともう一度頭を下げた。
俺は苦笑いをするしかなかった。
「俺は既に卒業パーティで婚約破棄を宣言した。お前が頼む必要はない。既に俺達の婚約は解消されている。俺の都合だからお前には何も責任はない。公爵家に累が及ぶことはないから安心しろ」
オデットの猫のような目がまん丸になった後、目尻が下がり優しい微笑みを浮かべる。
ああ、可愛いな・・・。
切ない気持ちになるが、仕方がない。
俺は三年かけても彼女の気持ちを変えられなかったんだ・・・。悔しいが。
オデットは嬉しそうに破顔すると俺の手を握って力強く叫んだ。
「アラン、ありがとう!アランは一生私の親友で戦友よ。いつか恩返しができるように頑張るから!」
「俺の治政になったら宜しく頼むよ」
「勿論!あなたは素晴らしい国王になるわ!」
瞳を輝かせたオデットが断言する。
やせ我慢をして笑顔でオデットを見送った後、俺は行き場のない思いをどう処理していいか分からなかった。胸の中でやり切れない気持ちがぐるぐると渦を巻いている。
俺は初恋の片思いを長い間こじらせてるからな・・・。
部屋で休むどころではなくなったので、結局学院の執務室に戻ることにした。
仕事は山積しているし、今は何かをして気持ちを紛らわせたかった。
執務室のドアを乱暴に開けると「キャッ」とエレーヌが軽い悲鳴を上げた。
「あ・・ごめん。いると思わなかった」
「・・いえ、失礼しました。私も殿下がいらっしゃるとは思わなかったので・・」
胸に書類を抱えたエレーヌが答える。
「殿下は止めろって言っただろ」
「・・申し訳ありません。つい・・・何かありましたか?」
エレーヌの声は思いやりに満ちていて、俺は涙腺が決壊しそうになった。
何とか我慢する。人前で涙を見せるのはごめんだ。
「いや、もう少し仕事をしていこうと思って。・・・・悪い。一人にしてくれないか?」
それを聞いてエレーヌは何も言わずに執務室を出て行った。
俺は独りになると思いっきり泣いた。
こんなに泣いたのは生まれて初めてだと思う。
泣き疲れて、ソファに横になって眠ってしまったらしい。
目を覚ました時、俺の上にはブランケットが掛けられていて、目の前のコーヒーテーブルにはカードとチョコレートが置いてあった。
カードを見ると几帳面なエレーヌの字で何か書いてある。
『愛は最高の奉仕です。愛を知る貴方はこの国のために身を捧げる素晴らしい国王になるでしょう』
なんだそれ!?と思いながらも悪い気はしない。
エレーヌらしい言葉だと思いながら、チョコレートを口に放り込む。
チョコレートは甘くて、苦くて、少ししょっぱい味がした。
***
俺はそれ以来、連日執務室に籠って仕事をしている。あと数週間で卒業だから最後の片づけの意味もある。
それに俺とオデットが正式に婚約を解消した話はあっという間に学院中に広がり、廊下を歩いているだけで俺は香水臭い令嬢達に取り囲まれる。
執務室に居るのが一番安全だ。
エレーヌは相変わらず仕事の鬼で有能さを存分に発揮し、俺の仕事の効率は急上昇した。
おかげで鉄血宰相と呼ばれるルソー公爵からお褒めの言葉を頂いた。
「次代は明るいですな」と言われ、嬉しくない訳がない。
俺は益々仕事に邁進した。
一度フランソワがふらりと立ち寄って、何を話す訳でもなく二人で黙って茶を飲んだ。
お互いの心境は想像して余りあるので、不思議な連帯感が生まれた。
そんなある日、仕事中にエレーヌのドレスの後ろ側が大きく裂けているのが見えた。
内側にパニエがあるから直接足が見えることはないが・・・変だな・・・?ナイフで破られたような感じだ・・。
それを指摘するとエレーヌが慌ててドレスの裾を持ち上げて裂け目を確認しようとする。
不意に形の良いふくらはぎが目に入って、ドギマギした。
「・・・し、失礼しました。替えのドレスがありませんので、今日は帰宅しても宜しいでしょうか?」
赤くなって言うエレーヌが可愛い。
「それより、偶然そんな風にドレスが破れるか?誰かにやられたんじゃないか?」
俺の言葉にエレーヌは俯いて黙ってしまう。
・・・仕方ないか。誰かに調べさせようと思いつつ、急いで机を片付けた。
「エレーヌ、寮まで送って行くからちょっと待っててくれ」
「いえっ、それは遠慮します。そんなことされたら、ますます・・・」
言いかけて、慌てて口を噤む。
俺は俯くエレーヌの正面に立って、彼女の顔を覗き込んだ。
「エレーヌ、君はずっと嫌がらせを受けているのか?・・・俺のせいで?」
エレーヌはもじもじしながら躊躇っていたが、最終的に小さく頷いた。
俺は腹が立って仕方がなかった。
エレーヌは優秀な俺の事務補佐だ。何か文句あるか?という気分だった。
「どんな嫌がらせをされているのか教えてくれ。俺が対策を講じるから」
「いえ、私は大丈夫ですから、お気になさらない下さい」
エレーヌは頑固だ。
「アラン様はおモテになるから仕方ないんです」
「みんな俺の王太子という立場に惹かれているだけだよ」
俺が肩をすくめると彼女は両手の拳を握り締めて力説した。
「いいえ、アラン様は素敵な方です。優秀なだけでなく日々の努力を欠かさず、立場の弱い使用人に対しても常に礼節を持って接して下さいます。それに剣術をしている時の真剣な表情は女なら誰でもメロメロになってしまうほどカッコいいです!」
俺は自分の顔が紅潮するのが分かった。
エレーヌもハッと我に返って、恥ずかしそうに拳を引っ込める。完熟トマトのように頬が真っ赤になっていた。
「・・・失礼します」
慌てて身を翻すとエレーヌは執務室を出ていった。
俺はふぅ―――っと息を吐いて、両手で顔を覆う。
顔が熱い。




