53.リュカ ― 希望と絶望
イザベルの葬儀が終わり、ガルニエ伯爵領の運営も徐々に軌道に乗って来た。
使用人たちは、俺がこの伯爵領を受け継ぐという話を喜んでくれた。
素直に嬉しい。
来年の除目でマルタン伯爵として叙爵されることは内定しているし、領地運営は難しいがとてもやりがいがある。
正式に伯爵になったら父さんを呼び寄せようとも考えている。
勿論、二度と物騒なものを作らないように注意しないといけないが。
毎日が忙しく充実していることに感謝している。
忙しさの合間にふとオデットの面影がよぎるが、すぐにそれを打ち消した。
彼女のことを考え始めると止まらなくなって、仕事が進まない。
今頃彼女はどうしているだろう?
元気にしているのだろうか?
短慮でイヤーカフを壊してしまったことを後悔している。俺は溜息をついた。
フランソワやエレーヌにも連絡できなくなってしまった。
壊したイヤーカフはすぐに捨ててしまったので、修理することもできない。
失敗したな。オデットの様子が全然分からない。
密偵を学院に送り込んだが、警備が厳しく内部の様子をなかなか探れないらしい。
ジルベールがいないのは痛いな・・と独り言ちた。
でも、彼女が聖女になったことは間違いない。きっと学院の人気者になって多くの生徒に崇拝されているに違いない。
アランとも仲良く過ごしていることだろう。
卒業まで間もない。卒業後すぐに結婚するのかもしれないな・・。
そう考えると、心臓が握りつぶされるような痛みを感じる。
息が荒くなり、過呼吸で苦しくなる。
彼女を独占したいという欲とアランへの嫉妬心で、俺の心は壊れそうだ。
どうして俺はこうも未練がましいんだ。
二度とオデットに会わないと決めて、モロー公爵家と縁を切ったのは俺だ。
・・・・・はあ、と溜息をつく。
オデットを忘れられる日は一生来ないだろうな、と思う。
そんなある日、学院から戻ってきた密偵が微妙な表情をしていた。
いつものように「情報は得られませんでしたが、異変はないようです」という報告を聞くのかと思っていたから「おや?」と気になった。
「・・・あの、学院の生徒の噂話を耳にしました。アラン様とオデット様はもう一緒にいないようです」
俺は激高して立ち上がった。どういうことだ!?
密偵が怯えて後ずさる。慌てて気持ちを落着けた。
「すまない。君に怒っている訳じゃない。どうして二人は一緒にいないのか理由は聞いたかい?」
穏やかに訊ねると、密偵は首を傾げた。
「噂では王太子が心変わりしたと」
・・・なんだと!?オデットのような婚約者がいて心変わりすることが可能なのか?
アランが誠実にオデットを愛していると信じたからこそ俺も身を引こうと・・・。
そう思いかけて、それは違うと訂正した。
汚れてしまった俺ではオデットの傍にいる資格がないから身を引いたんだ。
***
しかし、その日から俺の懊悩が始まった。
もし、本当にアランが心変わりしたとすれば、オデットは傷ついているだろう。
俺が慰めることはできないだろうか?
・・・俺みたいなものでもオデットに近づくことは許されるだろうか?
オデットは俺に会いたがっていた。イヤーカフから聞こえてきた彼女の声を思い出す。
あの時既にアランとは上手くいかなくなっていたのだろうか?
少しでも彼女の話を聞けば良かったと後悔しても後の祭りだ。
彼女から貰った手紙は何度も何度も読み返した。
イザベルの死を弔う言葉が並んでいただけだけど、それでも懐かしい彼女の筆跡を見るだけで目頭が熱くなった。
返事は出さなかったが・・・。
一度オデットが屋敷まで来たことがあったが、面会は断った。
応対した執事が「なんて礼儀正しく愛らしいご令嬢でしょう」と感動していて、俺が会えないのにと嫉妬したのを思い出す。
アランがいるし、俺は彼女に近づいてはいけないと思っていた。
でも、もしアランとオデットの関係がうまくいっていないのなら・・・?
そう考えると愛する女性の不幸を願っているようで、卑しい自分が嫌になる。
***
学院の卒業パーティの日。俺は逡巡していた。
遠くからでもいい。オデットの姿を見たいという気持ちが抑えられなかった。
自分の卒業パーティを思い出す。パートナーとして参加したオデットの愛らしさは今でも脳裏に焼き付いている。
俺は誘惑に勝てず父さんのドアを使って学院に潜入した。
関係者の振りをしてこっそりと卒業パーティの会場に入りこむ。
既に多くの生徒が集まっていて、あちこちに談笑の輪ができている。
賑やかな会場の光景に「俺たちの時もこうだったな」と懐かしく思い返した。
するとオデットが独りで会場に現れた。
騒がしく談笑していた生徒たちは、オデットが入った瞬間に黙り込む。
オデットは新緑の森のような明るい緑色のドレスで一際輝いていた。
彼女は緑がよく似合う。俺が一番好きな色だと胸が切なく疼く。
大人になったな。オデット。背も少し伸びただろうか?
背筋をピンと伸ばして歩く姿に見惚れながら、俺は会場の異様な雰囲気に気がついた。
オデットの周囲には冷ややかな空間ができていて、誰も彼女に話しかけない。
華やかな衣装の令嬢達がヒソヒソ、クスクスとオデットのことを嗤い、貶める。
生徒たちの視線はオデットに対して敵意に満ちている。
彼女が孤立しているのは明らかだった。
何故こんなことになっているんだ!?
エレーヌやフランソワは何をしているんだ!?
オデットが歩き出した先には、アランとミシェルが居る。
「オデットをこんな目に合わせやがって!」とアランに殺意が向かった。
隣りにいるミシェルは敵だろう!?何でそんなに寄り添っているんだ?
フランソワもアランの後ろに控えている。どうなっているんだ!?
突然アランの声が会場に響き渡った。
「オデット・モロー、私はお前との婚約を破棄する!」
な・・・なんだと!?今アランは何といった?
「それは何故でしょうか?」
オデットは落ち着いている。
今すぐオデットに駆け寄りたいが、彼女の冷静な様子からしばらく静観することにした。
ダメだ・・・俺の中の欲が暴れ出している。
アランとオデットが婚約破棄・・・俺にも可能性があるのか?
自分がこんなに卑しくて強欲だとは思わなかった。でも、思考が止められない。
俺が内心葛藤する中、彼らの会話が続いていく。エレーヌまで現れた。一体どうなっているんだ?
「オデット・モロー。お前には多くの容疑がかけられている。例えば、1月21日午前11時頃ミシェル・ルロワを西校舎の階段から突き落としただろう!」
「いいえ、そのようなことはしておりません」
「嘘をつけ!」
ミシェルは恍惚とした表情でやり取りを見ていたが、オデットを指さして叫んだ。
「あなたみたいな残酷で傲慢な令嬢がいるから、私のような大人しくてか弱い令嬢が辛い思いをしているのです!」
なんだ、この女は?何故こんな女に言いたいように言わせておくんだ。
憤怒で体が爆発しそうだった。
するとオデットが反撃に転じた。
「1月21日午前11時、2月1日午後4時、2月3日午後4時半前後に私がどこで何をしていたかの記録が残っています。エレーヌ、お願いできますか?」
そこからの逆転劇はまるで舞台を見ているようだった。
オデットが光属性の魔法を使い、彼女を敵視していた生徒たちに掛けられた魅了の魔法を解除し、フランソワが媚薬で操られていた学院長らに解毒剤を飲ませた。
・・・そうか。これは全て計画の内だったんだな、と納得した。
邪魔しなくて良かった。ミシェルも無事逮捕されたし、様々な犯罪の証拠もある。
オデット誘拐・殺害計画の念書には驚いたが、おそらくイザベルが書かせたのだろう。しょっちゅう似たような手口で貴族の弱みを握っていた。
・・・なんだ。俺は道化だな、と自嘲する。
アランとオデットは計画してこれをやり遂げた。二人が信頼しあっているからこそ出来たことだ。
それなのに、二人が別れれば俺にもチャンスがあるかもしれないなんて、愚かしいことを考えてしまった自分が恥ずかしくて穴があったら入りたい・・・。
心の奥底の闇がザワザワと蠢く。
アランへの嫉妬心と、俺ではない男を頼ったオデットへの怒りが湧いてくる。
完全な逆恨みだと分かっているが、自分の感情が止められない。
早く・・早く自邸に戻った方がいい。これ以上ここに居たら自分が何をするか分からない。
そう思った時、衝撃的な場面を目の当たりにした。
アランとオデットが親しそうに見つめ合う。二人の瞳はお互いへの信頼に満ちている。
そして、オデットがアランに抱きついた。
・・・止めてくれ。俺の前で他の男に抱きつくなんて・・。君は残酷だ・・・。
オデットは満面の笑顔だ。幸せそうに抱き合う二人に会場から惜しみない拍手が降り注いだ。
アランがオデットの耳元に何か囁くと、オデットが嬉しそうに笑う。
止めてくれ!もう俺には耐えられない。
アランとオデットが愛し合っていることは明白だった。
俺の知らない内にこんなに固い絆が出来ていたんだな。
・・・では、なんであんなに俺に会いたいと言っていたんだ?
何故思わせぶりなことを言って、俺の心を弄ぶようなことをしたんだ?
そんなことを考えるべきではないと頭では分かっているが、心の奥の闇が広がるのをどうしても抑えられない。
俺の心はズタズタに切り裂かれた。なまじ期待した分だけ、失望の落差が大きい。
オデットが欲しい。俺だけのものにしたい。他の男のものになるくらいなら、いっそのこと・・・。
俺の頭の中はそれしか考えられなかった。
アランと別れた後、オデットは何故か会場の二階に独りで上がっていった。
俺は堪らず、彼女の後をつける。
二階には全く人の気配がなかった。
オデットが一人で佇んでいる。
歩を進めると、オデットが俺の方を振り返った。
俺を見てエメラルドの瞳が大きく見開かれる。
美しいオデット。
残酷なオデット。
愛しいオデット。
その瞳に映るのは俺だけだ!
何かを言いかける彼女の首を俺は両手で思いっきり絞めつけた。




