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49.リュカ ― マルタン伯爵

魔王が封じられて以来、俺はガルニエ領で大火事にあった森への対策や領民の世話、魔王や神龍を目撃した人々への対応に追われていた。


王国は神龍の神子と聖女が神龍と共に魔王と戦い、封印に成功したことを喧伝したが詳細については触れず、神子と聖女が何者だったのかということも謎のままだった。


しかし、人里への損害を防ぎ、迅速な行動で魔王を封じ込めてくれた神龍の神子と聖女に対する感謝と崇拝の気持ちは人々の間で高まっている。


俺は忙しくも充実した日々を送っていた。


イザベルの存在がないことが、俺の心を甦らせてくれる。


久しぶりに思う存分呼吸ができる気分だ。


それに、イヤーカフから時折愛おしい声が聞こえてくる。一度も返事をしたことはないが。


「リュカ、あの、オデットです。話がしたいです。どうか一度でいいので会って頂けませんか?」


勿論だ。俺もずっとお前に会いたかった。一度だけじゃ嫌だ。


「リュカ、今日はチョコレートブラウニーを作りました。リュカの好物だったよね?」


懐かしいな。君が作ってくれるブラウニーが一番美味いよ。


「リュカ、ほんの数分でいいです。勿論、二人きりじゃなくていいので、会えないですか?一度だけでいいです。どこにでも行きます」


本当にどこにでも来てくれるのか?俺はお前と二人きりで会いたい。お前を抱きしめたい・・そして・・


妄想が暴走を始める。・・・まずいな。止まらなくなりそうだ。


俺にはもうオデットを愛する資格がない。


突然イザベルとの房事が思い出され、吐き気がするくらい自分が穢れた存在だと自覚する。


・・・ダメだな。これがあると欲が出る。


俺は耳からイヤーカフを外してそれをじっと見つめた。


サットン先生がいなくなり、ジルベールも療養中だ。


エレーヌとフランソワからも全く連絡が来ない。


・・・もう用済みって奴かな。


オデットにはアランという立派な婚約者がいる。


俺は・・・罪人だ。イザベルのおかげで刑を猶予されたに過ぎない。


イザベルが死んでいたら、俺は処刑されるか・・減刑されたとしてもオデットを迎えに行けるような立場にはならないだろう。


ガルニエ伯爵家からも追い出されるだろうし・・と自嘲気味に嗤う。


オデットはアランの妻として、将来の王妃として、国母として理想的な存在になるだろう。


彼女にはそういった輝かしい場所が似合っている。


俺のような・・あんな女の慰み者だった男が近づいていい女性ではない。


ぐっとイヤーカフを手の中で握り締めるとゴリっと嫌な音がして、バラバラになった破片が手から落ちていった。


彼女を忘れるためにも壊れてしまった方がいいんだ。


***


ガルニエ伯爵家では、失踪したガルニエ伯爵夫人を探すための、大掛かりな捜索隊を編成した。


俺が陣頭指揮を執ったが、どれだけ捜索してもイザベルの痕跡を見つけることは出来なかった。


しかし、魔王が復活した状況を考えると、イザベルの生存は絶望的に思われた。


イザベル失踪から数ヶ月後、国王陛下に謁見し事情を説明する。


教会がイザベルらによって破壊された結果、魔王復活が早まったのだろうという推測も伝えると、国王は深い溜息をつき、額に手を当てた。


「委細承知した。我が姉とは言え、愚かな人間であった。イザベルの死亡宣告を行う。葬儀は国葬とする。準備は任せても良いか?王宮の担当官と共同で手配してくれ」

「御意」


国王は自らを嘲笑うかのように独り言ちる。


「私は酷い人間だ。姉上が消えて安堵している。私はずっと彼女を恐れていたからな」


俺は国王の独り言を聞こえないふりをした。


しばらくの沈黙の後、国王は俺に質問を投げかけた。


「ところで、リュカよ。神子姫と聖女の活躍は知っているな?」

「勿論でございます」


国王が諦めたように苦笑する。


「聖女は褒章を辞退した」


オデットらしいな、と心の中で呟いた。


「神子姫は褒美を望んだが、それはお前に関することだった」


・・・意外なことを言われて、意味が分からずポカンと国王を見た。


国王はそんな俺を無視して話し続ける。


「神子姫が望んだのは、ヤン・マルタンとリュカ・マルタンに対する全ての罪の赦免と名誉の回復。リュカ・マルタンへの叙爵だ」


私は茫然として国王を見つめた。


「ガルニエ伯爵は元々血縁が少なかった。イザベルが彼を選んだ理由の一つもそれだ。彼女は面倒な親戚付き合いなどする気はなかったからな」


国王は再び溜息をつく。


「現在ガルニエ伯爵の爵位を継げる血縁は存在しない。このままだと廃爵となってしまう。代々の使用人たちに彼らの希望を聞いたところ、全員がお前に次期当主になって欲しいと答えた。立派に領地を運営していると聞いたぞ。領民にも慕われていると」


「・・・俺が・・・いや、私がですか?」


「ああ、ガルニエ伯爵領をそっくりそのままお前が継げるようにしよう。名前もガルニエではなく、マルタン伯爵と名乗るが良い」


国王の言葉を理解することは出来たが、飲み込むことが出来ない。


何かの罠ではないか、と逆に俺は疑った。


「疑うのも無理はないが、案じるな。他意もなければ裏もない。この話を受けるか否か?」


俺はまだ戸惑っていた。


「神子姫には魔王討伐だけではなく、王国として多くの恩がある。彼女の望みを叶えたいと思っているのだ」


国王の口調には誠意が感じられたので、俺は有難く話を受けることにした。


俺には勿体ないくらいの扱いだ。


実感が湧かないまま跪いて御礼を言う。


「まずイザベルの葬儀と服喪期間があるから、来年の除目で発表する。良いか?」


そう言って国王が微笑んだ。


***


屋敷に帰り一人になってから、国王の言葉を反芻する。


・・・俺が!?マルタン伯爵!?


信じられない!父さんも俺も赦された。名誉も回復されるという。俺は素直に嬉しかった。


そして、同時に思う。それが公になったら、俺は・・・オデットに求婚できるだろうか?


・・・いや、求婚できる立場になったとしても、俺には資格がない。


それにオデットにはアランがいる。オデットは王太子の婚約者こそ相応しい。


イザベルの高慢な顔や閨事を思い浮かべるとどんどん心の中の闇が濃くなっていく。


俺はオデットの瞳に映る資格もない。


一生オデットには会わない。決して連絡も取るまい。どれほど愛おしくても。


・・・そう決めた。

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