40. スザンヌ・サットン ― オデットとの出会い
翌日の朝、モロー公爵が再び訪ねてきた。
重ね重ねの無礼を謝罪する。
公爵は柔らかい笑みを浮かべて首を振った。
「いや、それはどうか気にしないで下さい。全く気にしていません。それよりも昨日あなたは不思議なことを仰っていました。覚えておいでですか?」
私は恥ずかしくなって俯いた。はい。かなり覚えています。
「その中にオデットのことが入っていました。オデットなんか殺されればいいとか仰っていたように思います。オデットとは私の娘のことでしょうか?」
公爵の言葉に私はカチーンと固まった。
そうだった。忘れてた。彼の娘は悪役令嬢のオデットだった。
彼の顔に見覚えがある理由も分かる。スチルでちらっと出てきたんだ。
恥ずかしさと申し訳なさに顔が熱くなる。
モロー公爵は良い人だ。溺愛している娘のことをそんな風に言われたら不快極まりないのが当然なのに、怒らずに話をしてくれる。
「本当に申し訳ありません」
深く頭を下げた。土下座したいくらいだった。
「頭を上げて下さい。オデットというのはやはり私の娘のオデットのことですね?名前を言ったこともないのに何故娘のことを知っていたんですか?それにリュカという名前も聞こえました。私の甥の名前です。あなたは異世界から召喚されたばかりだ。何故私の家族のことをご存知なのか、説明して頂きたいのです」
モロー公爵は穏やかに話を聞こうとしてくれる。
私は正直に真実を話すべきだと腹をくくった。信じてもらえるかどうかは分からないけど・・・。
そうして、私はオデットが悪役令嬢と言う部分も含めてゲームの話をした。
ゲームという概念がないので説明が難しかったが、物語というように転換して理解したらしい。
私の話を聞いた公爵は顔面蒼白になった。
「・・・そんな・・・」
彼は俯いて頭を抱えている。
「・・・あの、私の話を信じて頂けるんですか?到底信じられないような話だと思うのですが・・・」
「いや、異世界人には不思議な力が備わっているというのは常識です。ましてや貴方は神子だ。未来視の力があってもおかしくない。・・・・私のオデットが将来そんな目に・・・」
肩をがっくりと落として、両手で顔を覆う。
・・・・なんか、ごめんなさい。
涙目の公爵が顔を上げて、私の手に縋りついた。
「どうにかそんな未来を避ける方法はないだろうか?オデットはまだ三歳だ。その・・なんだっけ・・・アクヤクレイジョウというものにならずに済む未来はないのかい?」
「・・・あの・・オデットお嬢様に一度お目にかかって宜しいですか?」
***
ということで、私は後日公爵邸を訪れた。
公爵夫人も感じの良い美女で、こんなに素敵な両親から何故あんな悪役令嬢が生まれたのか理解に苦しむ。
オデットの部屋に案内された私は唖然とした。
小さな暴れん坊がそこには居た。
彼女の部屋はあちこちに物が散乱していた。侍女たちが慌てて片付けようとするが、彼女たちに向かってオデットが物を投げつける。
私が部屋に入ってもオデットは挨拶もしない。
私を無視して子猫の尻尾を握りしめて遊んでいる。
ああ、そんな風に引っ張ったら痛いに決まっている・・・と思っていたら、案の定猫に引っ掻かれた。
「悪い猫!殺して!」
と叫ぶ三歳児。
カオスだ・・・。
既に悪役令嬢の片鱗が見える三歳児に腹の底から怒りがこみ上げてきた。
私はオデットの脳天に厳しめのゲンコツを喰らわせた。
オデットと侍女は衝撃で固まる。
恐らく初めての経験だったのであろう。
オデットは最初呆然とゲンコツを喰らった頭を撫でていたが、次第に瞳に涙が盛り上がってきて、最終的にびえーっとものすごい音量で泣きだした。
私は「泣くな!」と彼女に負けない音量で叱り飛ばす。
「泣いてすむと思うな!痛いか!痛いのは猫も同じだ。お前が痛いと感じるなら、猫の痛みも感じてやれ!それを『殺せ』だと?!自分が何を言っているのか良く考えろ。この愚か者!」
仁王立ちになって怒鳴りつけた。
オデットの大きな目からはまだ涙が溢れていたけれど、ひくっひくっと泣きじゃくりながらも私の言葉の意味を考えているようだ。
「・・・猫・・も・・ひくっ・・痛い・・の?」
「そうだ!尻尾を引っ張られたら痛いんだ。自分一人が痛いと思うな」
ベッドの下に隠れた子猫を見つけて、オデットはペタリを腹ばいになりなが「ごめん・・なさい」と謝って、子猫に手を伸ばそうとする。
しかし、子猫は怯えてますますベッドの奥に入ってしまう。
「なんで・・出てこないのよ・・私が謝ってやってるのに・・・」
またふくれっ面になったオデットの脳天に二発目のゲンコツを入れた。
今度は特に痛いやつをお見舞いしてやった。
オデットは頭を押さえながら
「お父さまに言いつけてやる!」
今度は部屋から走り去った。侍女たちも戸惑いながら部屋から出ていく。
前途多難だな・・・。でも、一度謝ろうとした姿勢は認めてやってもいいと考えた。
しばらくして公爵と一緒に部屋に戻って来たオデットは見事なふくれっ面だった。
「オデット。彼女はお前にとって大切な先生だ。先生の言うことを良く聞くんだよ」
まさか父親にそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
公爵が部屋から一人で出て行った後、オデットは絶望と驚愕の入り混じった面持ちで父親が閉じたドアを見つめていた。
私はニヤリと嗤う。
「あんたねぇ。その性根をまず叩き直してやるよ。大体この部屋を掃除してるのは誰?」
「・・・・し、使用人よ。当然でしょ」
「あんたが使うあんたの部屋をどうして他人が掃除すんだよ!そして、掃除して貰っているのに感謝もせずに部屋を好き放題散らかすってどういう了見だい!?」
私は再び仁王立ちで怒鳴りつけた。
オデットがビクッとして、両目に涙が盛り上がる。
「泣くな!泣けばいいと思ってんのは小狡い女だけだ。泣く暇があったら出来ることを探せ!」
私が叫ぶとオデットは両手の甲で必死に目を擦った。
良し。
「まず自分の部屋は自分で掃除をすること!いいな?」
オデットは怯えながら「でも・・掃除なんてしたことないし・・」と鼻をすする。
「私が教えてやるから。一緒にやろう」
そして、その日は二人で彼女の部屋の掃除をした。
その後、どういう話し合いが公爵家で行われたのかは分からないが、モロー公爵から住み込みでオデットの家庭教師をしてくれないかと正式に依頼された。
私の好きなようにオデットを教育するという条件が呑めるなら引き受けると返答する。
実を言うと、泣くのを堪えながら散らかったぬいぐるみを必死で拾い集めるオデットを見て、この子はまだ矯正可能かもしれないと思ったんだ。
悪役令嬢にならずにすむような未来を与えてあげたい。
私はモロー公爵夫妻が好きだったし、公爵の提案は私にとって嬉しいものだった。
それに公爵家から私の要求は全て叶えるので是非お願いしたいという返事が来た。
よっしゃ~と気合が入る。
しかし、国王から『待った』がかかった。
『神龍の聖女』のお告げがあるまで、私は特にやることもないはずだ。
自由に働かせてくれよと思ったが、国王は異世界から召喚された私の驚異的な能力を欲していた。
元々格闘技の心得はあったが、ここでは重力がないみたいに体が動く。三十人の騎士をあっという間に身体能力のみで倒した時は、みんなが呆気に取られていた。
魔法を使ったことはなかったが、少しの訓練ですぐに魔法が使えるようになった。
属性も全属性だと言われ、国で最強の魔導士たちとの武闘訓練でも私の敵になるものはいなかった。
理論は全く分からないものの、感覚で魔法を完璧に使うことができた。すげーな、おい。
私が神龍の神子だということは極秘にされていたが、国王は私に国防の主体になって欲しいらしかった。あるいは王宮の守りというか。
この国王は気が小さくて臆病だ。圧倒的な強さを持つ存在を傍に置いておきたいんだろう。
私は自分の役割は魔王復活の阻止だと言われているし、それ以外のことは自由にしたい。
私の言うことを聞いてくれないと、他の国に行っちゃって魔王が復活しても退治なんてしないよ、と軽く脅しをかけてみた。
それに怯えたのか、国王は三つの条件を守れば好きにしていいと言った。
一つ、神子であることを秘密にすること
二つ、オデットが魔法学院に入学したら王宮に戻ってくること
三つ、王宮に脅威や危機が生じたらすぐに戻ってきて王宮を守ること
それらの条件を呑んで、私は公爵邸で『スザンヌ・サットン』として働き始めた。
オデットは思いがけなく根性のある少女だった。
私は悪役令嬢にしないためにと必死になりすぎて、厳しすぎた側面があったと思う。
それでもオデットは健気に頑張った。私の自慢の生徒だ。考えると涙が出そうになるくらい愛おしい存在になった。
絶対にオデットを死なせたくない。そう思って努力したつもりだが、やはり想定外の事態が多すぎて、私の読みが外れることもあった。
とにかく情報が必要だとミシェルと攻略対象のことは密かに調べていた。
ゲームと同じ流れにならないように王太子の婚約者の肩書きは外したかった。
王太子の婚約者にならなければ、婚約破棄・断罪イベントも起こらないだろうと思ったんだ。
でも、結局ゲームの補正というか強制力には敵わなかった。
本当にオデットとリュカには可哀想なことをしたと思う。今でも思い出すだけで胸が痛い。
ゲームではリュカに殺されるルートもあったけど、現実のリュカは心からオデットを大切にしてくれる好青年でオデットもリュカに恋していた。
だから、良い縁だと思ったんだけど、思いがけない結果になってしまった。
今ではイザベルという恐ろしい存在までもがオデットに目を付けている。
イザベルは陰の女王として王宮に君臨している。多くの無実の人間の命を奪い、恐喝と恐怖で人を操っている。
イザベルはオデットに冤罪を着せるような陰謀も図ったが、モロー公爵が王宮でイザベルの猛攻を凌いだ。
モロー公爵もオデットを守るために必死で闘っている。
公爵だけでない。私も、リュカも、フランソワも、エレーヌも、他にも多くの人たちがオデットを愛し、彼女を救うために闘っている。いわば『チーム・オデット』だ!
学院でもオデットを狙った陰謀が企てられる度に、みんなで力を合わせてそれらをつぶしてきた。
オデットには普通の学生生活を楽しんで欲しかったんだ。
そのおかげで少なくとも三年生になるまでは、オデットは比較的普通の学院生活が送れていたと思う。
オデットの楽しそうな学院生活を聞く度に『チーム・オデット』は喜んだ。
みんな、オデットを守りたいという一心で繋がっている。
全員が心からオデットを愛している。
それはオデットが自分で勝ち得たものだ。
私は最後まで見届けられないけど、どうかオデットをお守りくださいと神様に祈る。
***
王宮で私はこき使われていた。拒否すればいいだけなんだけど、性格上頼られると嫌とは言えない。
特に神龍の聖女のお告げが下って以来、身も心もクタクタになるくらい忙しくなった。
魔獣退治が主なんだけど、怯える国王の世話をしたり、兵士の訓練をしたり、王宮の警護をしたり、聖女選びの試練の内容を相談されたりもした。
第二の試練は当初体術と剣術だったが、最終的に料理対決になったと聞いた時は『やはりゲームの強制力か・・』と思った。
実際はミシェルとイザベルの共謀だった訳だが、やはりゲームのストーリーに沿った流れが優位になるようだ。
第三の試練はゲームのストーリーの流れに乗った上で少し変化を加えた。
ストーリーに乗るため試練と暗号は全くゲームと同じにして、卵の隠し場所だけを変えた。ゲームでは学院にある教会の礼拝堂に卵は隠されていたが、私はそれを変更させた。
オデットならきっと分かってくれると信じている。
『神龍の贈り物』の修道女の話。
オデットとアランが初めてこの修道院を見学した時、私は高齢の修道女に扮してわざと木製の箱に座って見せた。
暗号を見て、こちらを連想して欲しいと思った。オデットならきっと私の意図を汲んでくれるはずだ。
そして、私は今その修道院でオデットが来るのを待っている。
ジルベールが心配そうに私に声を掛けた。
「オデット様は現れるでしょうか?」
ジルベールは変わらず私に忠実に尽くしてくれる有難い存在だ。心から感謝している。
「きっと来るわ」
遠くを見つめながら返事をする。
「私が居なくなった後もオデットをお願いできる?」
「私の命に代えましても」
ジルベールは真摯な瞳で私を見つめた。
彼女との再会は・・・永遠の別れの始まりになるのね、と私は小さく呟いた。




