黒幕は私です②
「一体どのように責任をとって下さるおつもりですか?アル王子殿下」
室内に一際大きく響いた声は、怒りを隠そうともしていない。例えそれが王族相手であろうと、引くつもりは一切ないという強い意思が伝わってくる。
声の主であるユーリ・ブラックは傍らで涙ぐむ自身の姉であるマリアの肩を労るように抱き締め、眼前に唖然と立ち尽くすこの国の第二王子、アル・ローズを厳しく睨み付けた。
ここはレッド公爵家の一室。
人目を避けるように用意された室内で、今まさに修羅場が繰り広げられようとしていた。
室内には先に述べた三人と、館の主であるレッド公爵とその息子である俺、カロン・レッドが同席し、今回の婚約破棄騒動についての話し合いが行われていた。
まるで魂が抜けたように呆けている一応我が国の第二王子である彼は、先ほど庭先で妹のリリーに婚約破棄を突きつけられみっともなく追い縋っていた所を引き摺るようにして俺がこの話し合いの場へと連れてきた。
まあまあ落ち着いて、とこの場に似つかわしくない穏やかな声でユーリを制するのは俺の父親でもあるレッド公爵だ。
「落ち着いてなどいられる状況ではありません!!話し合いなどと悠長にしている今、この瞬間も姉の腹にいる子供は確実に育っていっているのですよ!?」
「確かにその通りではあるが……。やはりこういうことは結局当人同士の気持ちが一番大事だからね」
顎に蓄えた豊かな髭を撫でながらレッド公爵はちらりとアルの方へと視線を移した。
「お互いに想い合っているに決まっているではありませんか!!でなければ子をお授け下さるわけがありませんもの!!」
弟、ユーリの後ろに隠れて啜り泣いていたマリアが突然大きな声を張り上げる。
どうやらアル王子と自分は愛し合っている、というのは彼女の中では揺らぐことない決定事項のようだ。
愛する自分という恋人がいながらも親の決めた婚約者、つまりリリーが居るから私達は結ばれない、順番は間違えたかもしれないが愛の結晶である子が腹に宿った今、どうか二人の愛を阻んでくれるなと彼女は泣き叫ぶ。
「リリー様には大変申し訳ないことをしたと思っております。お詫びのしようもありません……。ですが、こうして想いあっている二人を、どうか引き裂かないであげてください!!姉の腹にいる子のためにもっ!!」
どんなに愚かでも、間違いを犯しても、大切なたった一人の姉なのです。幸せになってほしいのです……。そう感情をしっかりと込めた声でレッド公爵にユーリは頭を下げた。
そんな二人の姿にどうやらレッド公爵も心を動かされたようだ。
たしか、ブラック公爵家は先代ブラック公爵夫妻を早くに失くしたと聞く。
後見人として先代公爵の弟夫妻がユーリ達の親代わりとなっていると聞くがあまり良い噂を聞かない。
きっと苦労してきたのだろう……。姉弟肩をよせあって互いに互いを支えあって生きてきたにちがいない。
カロンは胸が熱くなるのを感じた。
もし、自分がこんなバカ王子に大切な妹を傷つけられたらどんな気持ちになるだろう。きっとこの世の地獄という地獄をみせ、殺してくれと泣いて懇願されようと終わらない拷問を……
……
…………
………………ん?
こいつよく考えたら俺の大切な妹めちゃくちゃ傷つけてなかったっけ?
あ、やばい。なんか腹立ってきた。
「わわっ!!何しようとしてるんだカロン!!」
先程まで呆けていたアルの大きな声でカロンは我にかえった。どうやら無意識に腰元から剣を引き抜き、アルの首もとに突きつけていたようだ。
「も、申し訳ございません!!バカ王子っ!!」
「バカ王子!?」
「あ、間違えました!!アル王子!!」
カロンはペコリと頭を下げた。
危ない危ない。どんなに憎かろうがバカだろうが彼はこの国の第二王子。仕えるべき主君なのだった。
カロンのせいでそれてしまった話をレッド公爵がコホン、と一つ咳払いをして戻す。
「話はわかりました。マリア嬢は私にアル王子殿下とリリーの婚約破棄へ同意して欲しい、と言うことで良いのかな?」
コクリとマリアが頷く。
レッド公爵は顎髭を撫で付けながらしばし思案した後、マリアとユーリの方を穏やかな表情で見つめた。
「……こんなに深く愛し合っている二人を引き裂くなんて神もお許しにならないでしょう」
レッド公爵の言葉に強ばっていたマリアとユーリの表情がパッと和らぐ。
公爵は婚約破棄に同意し、国王陛下への口添えまで約束した。
ありがとうございます、ありがとうございますと喜ぶブラック姉弟に話し合いも円満に終了するかに思われたその時、
「ちょっとお待ちください!!」
先ほど我にかえったアル王子が穏やかな空気に水を指した。
「僕はリリーとの婚約を破棄する気はありません!!そしてマリア嬢との間に子など出来るはずありません!!」
一瞬、シンと静まり返った室内に次の瞬間マリアの絶叫が響き渡る。
「酷いですわ!!何故そのような非情なことが仰れるの!?私を愛していると言ったあの言葉は嘘でしたのっ!!」
そんなのあんまりだわ、そう言ってマリアは泣き崩れた。
「殿下を心より慕う彼女に対して、あんまりな仕打ちではありませんか?」
「でも、あり得ないものはあり得ないのです!!」
泣き崩れるマリアを庇うように、レッド公爵は非難の視線をアルに向けた。
「あり得ないって……やることは、やっていたのでしょう?なのにいざ子を授かったら知らぬ存ぜぬなど通用しませんぞ、殿下」
男らしく認めて下さいと言うレッド公爵に、アルはなおも食い下がる。
「た、確かにやることはやり……ました。ですが!ギリギリ最後まではしておりません!!なので、子など出来ようはずがないのです」
「ギリギリって……殿下、ちなみにどこまで……」
何故か誇らしげに言い切ったアル王子に、レッド公爵は耳元で"ギリギリ"とは何処までなのか申告するよう促す。
「………………ふむ、…………え?!いやそれはギリギリアウトなのでは?!…………いや、確かに子は出来ぬが…………未婚のお嬢さんに対してというなら完全なアウトなのでは?!」
しばし、こそこそと二人でやり取りをしていたレッド公爵とアル王子だったが何らかの結論に至ったようでこちらへと戻ってきた。
「コホン。確かに子が出来るような行為はしていない、と言うのはわかりました」
言いづらそうにモゴモゴとそう言ったレッド公爵に、今度はユーリとマリアが食い下がる。
「そんな!!私のお腹の中には確かにアル王子の子が宿っています!!」
「レッド公爵は姉が嘘をついているとでも!?」
姉弟は非難の視線と言葉をレッド公爵に浴びせかける。
困ったレッド公爵はちょいちょいとユーリだけを呼び寄せ耳元で何ごとかを囁いた。
ユーリが段々と茹で蛸のように顔を真っ赤に染め、時折ユーリの「え!?」「そんなことっ……!!」「なっなんてことを!!」何て言う声が漏れ聞こえてくる。
高潔で、自分にも他人にも厳しく堅物だと言うユーリには姉と王子の繰り広げる愛の劇場は少々刺激が強すぎたようだ。
「コホン。お分かりいただけたかね?ユーリ殿」
ユーリは相変わらず真っ赤な顔で「確かに……」と頷いた。
そんなユーリに裏切るのかと非難の声をあげようとするマリアを制し、ユーリが口を開く。
「姉は早くに母親を失くしておりますゆえ、このような男女のことに関しましては疎い部分がございます。なのでアル王子殿下と特別な関係になり、一般的に言われている身籠った時の症状と類似するものが表れパニックになってしまったのでしょう」
悪気はなかったのです。そう言って頭を下げたユーリをレッド公爵が頭を上げるよう促す。
「未婚の女性なら当然のことだ。謝ることではないよ」
そう言って優しく微笑んだ。
「子は身籠ってはいなかった、が、未婚の女性にそうだと勘違いさせるような事をした責任は取るべきではないでしょうか、殿下?」
「えっ!?」
子を孕ませたという疑いがはれ、ほっと息をついていたアル王子にレッド公爵が厳しい声で問いかけた。
「え?!……ではありません。責任を取るべきだと申し上げているのです!!失礼ながら申し上げさせていただきますが、私の娘と婚約していながらマリア嬢と友人以上の関係を持たれていた、というのは先ほどお伺いした行為からも明らかです!!」
「え!?」「いや……」「そんなっ!?」と、何とか弁明しようとするアルにレッド公爵は口を挟む隙を与えない。むしろ冷静にあろうとしていた心が話しているうちに怒りで決壊してしまったようだ。
「身内贔屓かもしれませんが娘は、リリーは不器用な所もございますが賢く心優しい自慢の娘なのです。大切な大切なたった一人の娘なのです」
レッド公爵は渋い顔をしながら、文机の一番上の引き出しに入っていた麻紐で縛られた何通もの手紙をアルへと差し出した。
「実は、私は殿下が娘と婚約していながらマリア嬢以外にもたくさんの美しいお嬢さん達と仲良くされていることをずっと昔から存じておりました」
「これは……!?」
アルへと渡された封筒には様々な女性達の名が記されており、どれもリリーへ宛てて自分がいかにアル王子と特別な関係であるか、アル王子がどのように自分を愛するのか知らせるように事細かに記されており、時には脅迫めいたものまで混じっていることも珍しくなかった。
「私は臣下ではありますが……国王陛下の友として、友の息子であるアル王子殿下の事を信頼し、貴方様にならリリーを任せられると信じ恐れ多くも殿下との婚約をお受けしました」
だからこのような手紙が毎夜のように届こうと殿下の事を信じてきた、とレッド公爵は堪えるように怒りと悲しみで震える口元でアルはと訴えかけた。
「しかし今朝、マリア嬢とユーリ殿が我が家へ訪れ事の次第を伺えば、もう見て見ぬふりは出来ませんでした……」
娘を不幸にする、そうわかっている男に誰が大切な娘を託せるというのだろう。
レッド公爵は掌をぐっと白くなるまで握りしめ、アルをしっかりと見据えた。
「アル王子殿下と娘の婚約を続けさせることは出来ません!!国王陛下へも急ぎ事と次第を伝え婚約を辞退させていただきたいと申し伝えるつもりです!!」
そうきっぱりと宣言し、部屋を後にしようとするレッド公爵へアル王子が追いすがる。
待ってくれ、
これからは心を入れ換えるから、
何かの陰謀だ、
そう叫びながらレッド公爵の後を追ってアル王子も部屋を後にし、その後をブラック姉弟も追って行く。
☆★☆
やれやれ、何とか話し合いは終わったようだ。
部屋に一人残されたカロンは溜め息をつき、髪をかきあげた。
蜂蜜色の艶のある髪の毛がさらさらと指の間を落ちていく。
整った顔立ちはしているが、父親であるレッド公爵やリリーとは少し違った造作をしている。
レッド公爵やリリーはつり上がり気味の目が少しキツめの印象を与えるが、対してカロンは垂れ下がり気味の、目元の黒子も相まって色気の漂う顔立ちをしていた。髪色だって蜂蜜色のカロンとは違い、二人とも白銀色の髪色を持っている。
だがそれも無理はない。彼らは血の繋がりなど殆どないのだから。
「はぁーあ!!」
カロンは大きく伸びをする。
これでリリーはあのバカ王子と婚約破棄か。
カロンは滅多に表情を動かすことのない、可愛げのない妹の事を頭に浮かべた。
気の強い彼女。怪我をしても意地悪をされても婚約者に浮気されても、それが何か?みたいなすました顔を崩すことは決してない可愛げのない奴。
でも、俺は知ってる。あいつがエベレストよりも高いプライドをもってて、そんで結構泣き虫だってことを。
いっつも何かあれば庭の隅っこにあるウサギ小屋で、ウサギに顔を埋めて蹴り倒されながら静かに泣いてるってこと。
(しょうがない、不細工な面を拝みに行ってやるか。)
カロンはやれやれと首をコキリと鳴らし足を踏み出した。
それにしても誰があんな手紙を父さんに届けたんだ?そもそも宛名はリリーにだったし、レッド公爵邸の警備は厳しく関係者以外は入れないはず……
あ、俺だったわ、届けたの。
やぁ~うっかりうっかり。
カロンは悪戯な笑顔を浮かべ、ウサギ小屋へと急ぐ。
その足もとは軽く、スキップをしているようだ。




