イグニスの皇子たち
イグニス皇国の第二皇子……?
思い返してみれば、いままでもおかしいと思うことはいくつかあった。
質のいいマントや貴金属。毒見役に銀のカトラリー。
それに、将軍が本気で戦争をやめさせる方法を考えていること。
私の左手にくくりつけた剣飾りのプレートを、恐る恐る確かめてみる。
金に刻印されているのは、短剣を咥える炎の獅子の模様……
こんな簡単なことに、どうしていままで気がつかなかったのだろう。
炎の獅子はイグニスの国章で、イグニスの民にとっては神聖なもの。
それにアレンジを加えた模様を、皇族以外の者が使っていいわけがない。
これは、ただのデザインなんかじゃない。
彼の出自と身分を表す紋章だ。
「スティーリア!」
不安げな顔をしたエイデンが、私の目の前にやってきて膝をつく。
「私なら大丈夫です。だから……」
どういうことか説明して。
他にも聞きたいことは山のようにあったはずなのに、すっかり全部頭の中から消えてしまった。
エイデンが突然、私の背中に両腕を回してきたのだ。
抱きしめられるような格好にまた混乱がひどくなり、ぐらりと視界が揺れた気がした。
前言撤回。やっぱり全然大丈夫じゃない。
「殿下! 御身が汚れます!」
「そんな、砂にまみれた汚らしい女に、お止めください!」
取り巻きたちが口々に制止する声に、エイデンはうんざりしているとばかりに深く息を吐き出した。
「汚らわしいのは、どっちだ」
「皇子、殿、下……?」
「一刻も早く、ここを去れ。二度とスティーリアのもとに現れるな」
怒りに満ちた低い声に、令嬢たちはびくりと大きく震える。
そして、深々と一礼し、去っていった。
密着したところから、エイデンの温もりがじんわりと伝わってきて、また動揺がひどくなる。
見た目よりもたくましかった身体は、まだ私を離してくれそうにない。
香水を使っているのか、爽やかなシトラスと上品なムスクが混ざり合った香りに包まれて、安心感と緊張感という相反する感情がひたすら巡り続ける。
さっきまで危険な状況にあって、急に解放されて安心したせいだろうか。
それとも単に私が男性慣れしていないせいか。
心はどうしようもないほど、乱れに乱れた。
「……あの者たちがすまない。怪我はしていないか?」
エイデンは私の背中から手を離し、今度は両肩をつかんで聞いてくる。
密着が離れて、ホッと息をつく。
「はい。おかげさまで無事です」
「叩かれたのか? 微かに赤くなっている」
至近距離で頬をそっと撫でられて、また心臓が強く脈を打った。
エイデン! お願いだから、はやく離れて!
この距離は、男性慣れしていない私にきつすぎる。
ぷい、と顔を背けると「申し訳ない、敵国の男に触れられるのは嫌だったな」と、エイデンはどこか寂しげな顔で笑った。
敵国の男に触られたくない。
それは何一つ間違っていなかったはずなのに、彼の言葉と表情に、なぜか胸の奥がずきんと傷んで苦しくなった。
◇
そのあとすぐに、診察に向かったビオラが帰ってきた。
階段から落ちたという令嬢はどこにも傷がなく、問題はなかったそうだ。
きっとビオラを呼びに来たところから、令嬢たちの罠がはじまっていたに違いない。
「姫さん、置いていってごめんよ。でも、無事に殿下と合流できたようでよかった!」
何も知らないビオラは、声をあげて笑う。
エイデンが命令違反をしたビオラを怒ろうとした時、私は彼の袖を引っ張り、首を横に振った。
「落ちた女性も、大事に至らなくてよかったわ。行ってきてと命じたのは私だし、貴女は医者で、医者の使命は人を救うことだもの。行くのは当然のことよ。ね?」
にこりとエイデンに微笑みかけると、彼は渋々といった様子で頷いた。
「ところで……第二皇子とは、どういうことです?」
エイデンに詰め寄って尋ねると、彼は不思議そうに目を丸くする。
「言っていなかっただろうか?」
「初めて聞きました」
どこか刺々しい私の声に、エイデンは苦々しく笑う。
「別に、黙っていたわけではないんだ。イグニスでは、皇位継承の可能性が高い者も将軍職に就くしきたりになっていて。基本的に皇子の仕事をする際は白、将軍として動く時は黒の軍服をまとう決まりになっている。スティーリアも知っているものだと思っていた」
いまの軍服は、白。ビオラのエイデンに対する呼び名が“将軍から殿下”に変わっているのもそういうことね、と納得をする。
通常は名ばかりの将軍であることが多いのだけれど、エイデンはすすんで仕事を行うようにしているのだと話した。
「そんなしきたりなど、存じ上げませんでした。それに、第一皇子はどうされたのです?」
通常は余計な後継者争いを避けるために第一皇子があとを継ぐはずで、第二皇子は皇帝の補佐についたり、他国へ婿入りしたりするものだ。
第一皇子を差し置いて、第二皇子が後継者候補にあがることは、ほぼない。
私の問いかけに、エイデンとビオラは顔を見合わせ苦々しく笑った。
その様子に首をかしげていると、エイデンが困ったようにたどたどしく話し始める。
「兄様は幼い頃よりずっと、肺の病を患っていた……が、完治した今度は恋の病を患った」
「恋の、病?」
「アールデンス山の向こうにある女王国の姫に“首ったけ”というやつだ。相思相愛だから、手に負えない」
「それで、皇位継承を拒絶されてしまった、と」
エイデンは「そういうことだ」と、呆れたように深く息を吐き出した。
そんな態度になるのも仕方がないのかもしれない。
出世といえば聞こえはいいけれど、皇位継承権について兄の体調や発言、皇帝や臣下たちの判断にだいぶ振り回されてきたでしょうし。
先ほどエイデンは自分のことを『皇太子』ではなく『第二皇子』と名乗っていたし、後継者なのに外の任務も任されているところを見ると、もしかしたらいまも後継が定まらずに振り回され続けているのかもしれない。
「責任や故郷、民。全てを捨ててでもたった一人の女と結ばれることを願うなど、当時は気が触れたのではないかと心配したものだが……」
エイデンは何かを思い出すかのように淡々と語り、やがて柔らかく微笑んで口を開いた。
「いまになって、兄様の気持ちも少しはわかる」




