零れ落ちる涙
「貴方の夢と、私になんの関係があるんです? 戦争に勝つためには、情報が欲しい。そういうことですか?」
睨みつけながら尋ねると、怯みもせずにエイデンは笑う。
「いや、違う。反対だ」
彼は表情を真剣なものに変え、はっきりとした口調でこう語った。
「俺は、この戦争を平和的に終わらせたい」と。
思いもかけない夢に、何も言葉が出てこない。
戦争を平和的に終わらせる? イグニス皇国の将軍が……?
「そんなの、無理に決まっています」
王女である私でさえ何もできなかったのに、夢物語もいいところだ。
けれど、エイデンは静かに首を横に振った。
「いまは無理でも、未来はわからない。終戦宣言は望めなくとも、休戦協定を結んで平穏が戻れば、皆の心も終戦に傾くはずだ。俺はそれを狙っている」
なるほど、そういうことねと頷いた。
休戦に持ち込むだけでいいのなら、できそうな気がしてくる。
平和の予感に心躍るのが、自分でもわかった。
「それで、協定の目処は……?」
「いや、全く」
あっけらかんと言うエイデンに、がっくりと肩を落とす。
いままでの熱い主張は何だったのかしら。
明らかに気落ちした私を見て、エイデンはこればかりは仕方ないんだ、と苦笑いをしてみせた。
「まぁ、夕食ができるまで散歩でもして風に当たろう。馬車の中じゃ、息が詰まる」
彼の視線の先を追うと、幌の隙間から西日が射し込んできている。
エイデンはおもむろに立ち上がって私に手を差し伸べできたけれど、「自分で立てますから」と拒絶した。
◇
少しずつ辺りがオレンジ色に染まりゆくなか、私とエイデンは幌馬車を出て歩き出す。
小川が流れているのを発見して二人で喉を潤していると、岩陰から小さな生き物がぴょっこりと顔を出すのが見えた。
フサフサの尻尾に、つぶらな瞳。
リスだ。
「スティーリア、あれが気になるのか? イグニスリスは人懐っこいから簡単に寄って来るぞ」
エイデンはすぐそばになっていた赤い木の実をもぎ取り、リスに向けて差し出す。
すると、リスはちょこちょこ跳ねるように近寄ってきて、手のひらにある木の実を取って食べだした。
小さく可愛らしいリスがペットのようになついているのを見て、羨ましさが募る。
「やってみるか?」
その問いかけにこくりとうなずくと、エイデンは何粒か木の実をもぎとって、私の手のひらにのせてくれた。
驚かせないよう、下からそっと差し出すように。
コツを教えてもらって先程のエイデンのようにやってみる。
ドキドキしながらリスを見つめているとまた近寄ってきて、今度は私の手のひらの上にのったまま木の実を食べだした。
小さくてころんとしているリスが可愛らしく、微笑ましく見つめていると、視線を感じて隣を見やる。
すると、普段は堂々とした様子で笑うエイデンが、柔らかく微笑んでいて。
目鼻立ちが整った彼の優しい表情に、変にどぎまぎしてしまう。
気がついたらリスも離れていってしまい、なんだか身の置き場がなくなって、真面目な話を彼にふった。
「あの、先程お話ししていたことなのですけれど」
エイデンがまた、いつものような表情に戻ってほっとする。
敵のはずなのにあんな顔をされてしまっては、彼が味方になったかのように錯覚してしまうから。
「ああ。休戦協定のことか」
こくりとうなずくと、エイデンは視線を落として苦々しく笑った。
「戦争激化が目前のいま、休戦を望む者はほとんどいない。戦の裏では様々な思いや欲望が渦巻いているし、誰も彼も皆、この戦争に何らかの意味や価値を見出そうとしている」
「戦争に価値……平和のほうが尊く、価値があるのでは?」
「そう思うのは、スティーリアが戦を知らず、平和の中で生きてきたからだ」
突き放すように言われて、わずかばかりムッとする。
何も知らず、平和な箱庭の中でのんきに生きてきた王女だと暗に言われているような気がして。
だけど、悔しいことに実際そうなのだから、言い返すこともできないまま反論の言葉を飲み込んだ。
「この戦で……」とエイデンは苦しげな表情を見せ、わずかに言い淀む。
やがて、深く息を吸い込んで再び話し出した。
「両国とも何かを奪われ破壊され、我慢ばかりを強いられている。それなのに、戦いで得るものどころか意味さえなかったなど、誰も思いたくはないだろう? ……失ったぶんを取り戻し、負けて全てを奪われないためにも、引くに引けなくなってきているのさ。王も皇帝も、民も皆」
エイデンの言葉にハッとする。
誰だって戦いたくなんかないだろうし、休戦はすぐに受け入れられるのではないかと思っていた。
だけど、事態はそんなに簡単なものじゃない。
こんな戦争など、始めてはいけなかったんだ。
視線を落とすと、エイデンがこぶしを強く握りしめているのが目に入る。
骨ばった手の甲には、はち切れんばかりに血管が浮き出しており、彼の悔しさとくすぶり続ける想いを現しているようで。
これから、アクア王国とイグニス皇国はどうなってしまうのだろう……
無言のままでいると、食事ができましたと兵士が私たちを呼びに来る。
「行こう、スティーリア」
エイデンが呼びかけてきたのもわかっているけれど、足がすくんで動けない。
この戦争で、どれだけの人が死んで、どれだけの人が苦しむことになるのだろう。
親や子ども、恋人や友人を亡くす者だって大勢出てくる。
故郷の村や仕事を失う者だっているだろうし、誇りや未来への希望を失う者も出るかもしれない。
怖くて辛くて悲しくて、王族なのに何もできない自分が情けなくて、悔しくて仕方がない。
「スティーリア……?」
心配そうなエイデンの呼びかけで気づいた。
私の目から、ぽろぽろととめどない涙が頬を伝って溢れ落ちている。
ごめんなさい。
王女のくせに力がなくて。
王に意見する勇気がなくて。
民の気持ちも知らず、戦争のことも何もわかっていなくて、苦しませて辛い思いをさせて。
私なんかが王女で、ごめんなさい。
繰り返し繰り返し、何度も心の中で懺悔する。
「スティーリア、幸いまだ戦争は激化していない。平和を強く望み、行動し続ければ、火の神と水の神が道を示してしてくださる。俺はそう信じているよ」
エイデンは親指の腹でそっと私の涙を拭い、微笑みかけてきて。
どんなに道が厳しくとも平和を諦めることなく、この戦争を終わらせられると信じて疑わないエイデン。
そんな彼は、敵国の将軍で信じてはいけない人のはずなのに、なぜだか心が落ち着いて、こくりとうなずいてしまったのだった。




