最後の願い
「マルク……貴方は子どもの頃から優しくて、どんな時でも私を守ってくれた。そんな貴方のことが誰よりも好きだったわ。だけど……」
そこから先は苦しくて、辛くて言葉に出せない。
けれど、マルクはいつものように微笑みながら見守ってくれている。
ちゃんと言葉にして伝えなければ、と、ドレスを強く握りしめて再び口を開いた。
「私はイグニスにいるうち、敵国の皇子を愛してしまった。王女として、許されないこととわかっているけれど……あの方と離れたくないの」
落胆させていないだろうか。
怒らせたり、辛い想いをさせたりしていないだろうか。
恐る恐るマルクの顔を見やると、彼は穏やかに、だけどどこか困ったように微笑んでいて。
「王女殿下、貴女様は王女です。臣下に尽くされるのは当然のこと。私のことなど気にとめず、堂々となさっていて良いのですよ」
「でも……」
煮えきらない私の態度に、マルクの顔色が曇る。
そして、なぜか自嘲するように笑った。
「私は、貴女様の思うような男じゃありません。殿下のその優しさにずっと漬け込んでいたのです。愛される資格など、本来ないのです」
「優しさに、漬け込む……?」
意味がわからず首をひねると、マルクは視線を落として口を開いた。
「長い時をともに過ごしたことで、お優しい殿下の心を情で縛ってしまいました。ずっとその自覚はあったのです。けれど、分不相応にも貴女様を求めてしまい、いつまでもこの手を離せなかった……」
マルクはどこか寂しげな顔で、手のひらを見つめなから言葉を重ねる。
「先程も、殿下のお気持ちに気づいておきながら、あの方から一刻もはやく引き離そうと足を速めました。もう戻れない距離までお連れして、貴女様の愛を取り戻したかったのです」
「マルク……」
「私は、軽蔑されて当然の男なのですよ」
悲しげな表情に胸がずきんと痛くなり、「違う」と首を横に振った。
「辛くて悲しくてどうしようもない時、いつも側にいてくれたのはマルクだった。貴方がいたから、私はここまでやってこれたのよ」
私のお母様が亡くなった時も、私が王女としての重圧に耐えられなくなった時も、寄り添ってくれたのはマルク。
あの日孤独だったら、きっと今頃心が押し潰されて歪んでいたと思う。
にこりと微笑んで、言葉を重ねる。
「マルクは私の心を救ってくれた英雄で、軽蔑なんてできるわけがないわ」
「オデット王女殿下……貴女様という方は本当にお優しい。最後にそのお言葉を聞けてよかった。心から救われました」
吹っ切れたような笑顔が、とても綺麗で優しくて。
そして、気づいてしまった。
このままマルクをアクアへ一人で帰すわけにはいかない、と。
「だけど、どうしましょう……私が行かないとマルクは任務失敗の烙印を押され、罰せられてしまう」
「いいえ、問題ありません。書簡の他にも土産がありますから」
「土産?」
ふとマルクは何かに気づいたような顔をし、苦笑いを浮かべながら頭を抱えた。
「……っ! 優秀な策士は一つの策でいくつもの効果を出すと聞いていましたが……あの方は、本当に恐ろしいですね」
「どうしたの?」
「皇子殿下は、王女殿下がイグニスに残る選択をした時でも、私に罰が下ることのないように策を講じていたのです」
マルクが話した内容はこうだ。
武器商人としてリオン城に招かれたことで、マルクは城の造りや屋内の情報をある程度収集できたようで。
王族の寝室や火薬庫といった部屋はわからずとも、敵の城の情報は将軍たちが喉から手が出るほど欲しいものでもあるみたい。
元々、王女奪還作戦は失敗の可能性が高く、乗り気でない者も多かったらしく。
作戦は失敗でも、リオン城の情報を持ち帰ることは、軍にとって喜ばしいことなのだそうだ。
「皇子殿下が戦争に積極的なお方でなくて本当によかった。あの眠れる獅子を起こさないためにも、書簡は必ずや王太子殿下に届けましょう」
「ありがとう、マルクになら安心して任せられるわ」
にこりと微笑むと、マルクは同じように微笑んでくれて。
彼は最後に、ふっと視線を落とした。
「王女殿下。最後に一つだけ、私の願いを聞いていただけませんか」
どんな願いなのかよくわからないままたどたどしくうなずくと、マルクは私の手を見つめてきた。
「どうか、少しの間その右手をお貸しください」
その言葉に静かに右手を差し出すと、マルクは私の目の前にひざまずいてきて。
彼は差し出した私の手をとってきて、愛しげに見つめたあと、手の甲に顔を近づけてくる。
手の甲から伝わってくる柔らかな感触と温かさに、胸がぎゅっと締め付けられて思わず涙が溢れてきた。
ずっと大好きだった。
いつまでも一緒にいると思っていた。
私を想い、大切に守り続けてくれたマルク。
そんな彼からの最初で最後のキスは、忠誠を誓うキス。
「あの逢瀬の夜、貴女様にキスをしていれば。地すべりの時に手を掴むことができていれば……未来は違うものになっていたのかもしれませんね」
「マルク、ごめ……」
ごめんなさい、の言葉を飲み込む。
謝ったって私の罪悪感が和らぐだけだし、マルクだってきっと、そんなことを言われたいと思っていない。
それなら――
すぅと息を吸い込んで涙をこらえ、凛と背すじを伸ばしながら微笑みをたたえて口を開いた。
「マルク・ルヴェル。いままで私に仕えてくれて、支えてくれてありがとう。貴方に会えて、いつもそばにいてもらえて、私はとても幸せでした」
――アクアの王女として、一人の女オデットとして、貴方に賛辞と感謝を。
私の言葉に、マルクはひざまずきながら柔らかく微笑んだあと、深々と頭を下げてきた。
「ありがたき幸せ。高潔で心優しきオデット・アクアレナ王女殿下にお仕えできたこと、私の一生の誇りでございます」




