決意
足早に歩くマルクに連れられて、私は階段を降りていく。
あの角を曲がればエイデンと調べ物をした図書室が、向こうの廊下を渡れば皆で作戦を立てた軍議室がある。
この廊下の端にはビオラの医務室があって、あっちの階段を昇れば、エイデンとシェリの実を食べたテラスに出られる。
あちこちよそ見をしながら玄関へと向かう。
私は、ずいぶん長くリオン城に居すぎてしまったみたい。
最初はイグニスにいることさえ嫌だったのに、いまではどこを見ても思い出があって、寂しくて離れがたくて胸が苦しくなってしまう。
一階の玄関には衛兵たちが立っていたけれど、全部お見通しだったエイデンからすでに話があったようで、すぐに扉を開けてもらえた。
マルクに手を引かれながら外へ出ると、満月と城の灯りのおかげでにランタンがなくとも、かなり明るかった。
ぼんやり庭を見回すと、エイデンからプロポーズされたフラワーガーデンを視界の端に捉えてしまい、胸が切なく痛む。
こんなに幸せなことはないと思った、あの夜が霞んで滲んでいく。
ふいと目線をそらすと、今度は遥か遠くにそびえるアールデンス火山が目に入った。
暗い夜空の下、火口付近がうっすらと赤く燃えるように見える。
きっと、いまも噴火が続いているのねとそんなことを考えているうちに、ふと気づいた。
エイデンは、火山が噴火しているうちは、私を国に帰せないと言っていなかった……?
ああ。どうしていまになるまで気がつけなかったのだろう。
エイデンは私を厄介払いしたかったわけじゃない。
恋心に漬け込んで利用してきたわけでもない。
彼は自分が不利になるのを承知で、私の“故郷へ帰りたい想い”を優先してくれたんだわ。
庭を数歩歩いたところで、ぴたりと足を止める。
柔らかな金色の満月の下、マルクが不安げな顔で振り返ってきた。
「マルク、やっぱり私……」
「ここに残りますか?」
恐る恐る切り出すと、まだ全て話していないのに、マルクは寂しげな顔で尋ねてきた。
「どうしてわかったの……?」
その問いかけに、マルクは物悲しげにくすりと笑う。
「わかりますよ。十年の間、貴女様のお側でお仕えしていましたから。それに……あの方は王女殿下の未来のために、私を試していた」
「試す……?」
私の言葉にマルクはこくりとうなずく。
「私が本当に王女殿下を愛しているのか、ですよ。アクアに忠誠を誓い、勝利を願うならば、先程私は何を犠牲にしても皇子に斬りかかるべきでした。あの方がいなくなれば、アクアは有利になりますし、実際に上から“可能ならば暗殺を”という命令もありましたしね」
「どういうことなの? 何がどんなふうに繋がるのか、全然わからない……」
頭を抱えて唸っていると、マルクは先生のように話し出す。
「では、先程私が皇子を討ち取れば、未来はどうなったでしょうか? イグニスの臣下は怒り狂って私と王女殿下を捕らえ、死んだほうが良いと思うほどの苦しみを与えて殺すでしょうね」
物騒な単語にぞわりと悪寒が走り、自分で自分の身体を抱きしめながら、口を開く。
「つまり、皇子の暗殺は、アクアを有利にできても、マルクと私の悲惨な死は避けられない、ということ?」
「ええ。あの方は初めから、私が王女殿下の無事と奪還しか目的になく、剣を振るう気がないことに気づいていました。抜剣がただの脅しであることも見抜いていたのでしょうね」
そうか、だからエイデンは剣を抜かずに歩み寄ってきたのね、と納得をする。
剣を構えている相手に丸腰のまま近寄るなんて、斬られないという確信がない限り、できっこないから。
マルクは、自分の剣の柄をそっと撫で、思い出したように微かに笑う。
「剣を抜かぬあの方と対峙した時、あの方から“王国軍であるお前が、この状況でも皇子を斬らずにいられるか?”“国と王女殿下、どちらをとる”と聞かれているように、私は感じました。貴女を託すにふさわしい男か、試されていたのです」
そして、マルクはアクア王国ではなく、私を選びとってくれた。
マルクもエイデンも、こんなにも私のことを大切に想ってくれているのに、どちらかのもとにしか行けないのは、なんて残酷なのだろう。
胸がずきりと痛んで苦しい。
アクアの王女として生まれた私は、お父様の駒として政略的に他国に嫁ぐのが一番正しくて、周りから望まれているのはわかっている。
ずっと私に尽くしてくれたマルクはいまも私の大切な人で、時間と想いを捧げてくれた彼に報いたい想いだって溢れるほどにある。
だけど。
私は敵国の皇子を愛してしまった。
民の幸せを願い、困難を承知で平和を追い求めるエイデンに、心を奪われてしまった。
お父様や国民から望まれないこととわかっていても、マルクを傷つけるとわかっていても、それでも自分の心に嘘はつけない。
ようやく心を決めて、顔を上げた。




