幸せを願って
「抜剣しろだと? 冗談も大概にしておけよ」
エイデンは眉を寄せ、心底呆れるとばかりに深いため息を吐き出した。
距離があるとはいえ、エイデンは抜き身の剣を前にして平静を保ち、柄に手をかける素振りすら見せない。
正気の沙汰ではないし、彼の考えがわからない。
斬り合いにならないのは良いとしても、このままではエイデンの命が危険だわ。
その懸念は現実のものとなりそうで、マルクは「ならば、お覚悟を」と、エイデンににじり寄りはじめた。
「マルク、剣を収めなさい! これは命令です!」
慌てて声をあげると、マルクは身体をぴくりと震わせ動きを止めた。
「オデット殿下、なぜです……? いまを逃せばアクアにこんなチャンスはもう、二度と訪れませんよ!」
マルクはエイデンを見据えながら険しい声で言い、一方のエイデンは真剣な表情で諭すように話し出す。
「これを好機とみるならば、抜剣など促すべきじゃない。何を犠牲にしてでも俺の息の根を止めよ」
エイデンはマントを翻しながら歩み寄ってきて、マルクの剣先の前で足を止めた。
マルクが一歩踏み込めば、すぐに斬られてしまうような距離だ。
見ているだけの私でさえ、あまりの恐ろしさにひゅっと喉が鳴り、緊張から声も出ない。
「くっ……」
マルクは挑発的なエイデンに歯噛みして、鋭く睨みつけた。
「俺を殺せば、二人とも生きてこの国を出られないのは理解しているか? それを承知でなお、剣を抜けと言うのならば相手をしてやるが……犬死にを覚悟しろ」
エイデンが剣の柄に手をかけた瞬間、周りの空気が一変する。
鉛のように重く、それでいて針のように鋭く、大気が震えているようにも感じる。
それは、以前皇帝陛下が私に放ってきた殺気によく似ていた。
まっすぐ剣を構え続けるマルクだったけれど、やがて長く深く息を吐き出して、観念したように剣を鞘に収めた。
「私の負けです、皇子殿下。下手な脅しは通用しませんね……」
はは、と乾いた笑いを見せて、マルクは言葉を重ねる。
「どのような刑罰も、甘んじて受けましょう。ですがこれは、私が勝手に行ったこと。王女殿下の処遇を変えることは、どうかお止めください」
マルクの言葉に、さあっと血の気が引いていく。
敵の城に侵入しておきながら、おとがめなしなんて、そんな都合のいい話があるわけがない。
このままではきっと、何かしらの罰を与えられることになってしまう!
「マルク、そんなのだめよ! エイデン皇子殿下、どうかお許しください! 彼は、命令により私を故郷に連れ戻そうとしてくれただけなのです」
無言のままのエイデンにすがるように言うけれど、彼がうなずくことはない。
エイデンは値踏みするようにマルクをじっと見つめ続けていて、一方のマルクは、困ったような表情で笑った。
「いいえ、王女殿下。命令だけではないのです。私は幼い頃より、ずっと貴女様をお慕い申しておりました。今回の作戦で殿下を連れ帰り、結婚を申し込もうとしていたのです。が、いま思えば、あの夜の時点でともに亡命すべきでしたね……意気地のなかった私をお許しください」
マルクの言葉に、ふるふると首を横に振る。
勇気がなかったのは、私だって同じ。
あの夜、貴方にすがれなかった。
全てを諦めることしか、しようとしなかった。
もしもあの夜、私たちが想いを伝え合えていたら。
覚悟を決めることができていたら。
いまとは違う未来になっていた……?
たらればで悩んだって意味はないのはわかっているけれど、マルクのこれからを考えると、あまりにも悲しくて、苦しい。
「エイデン皇子殿下、私にも彼と同じ罰をお与えください。故郷に帰ろうとしてしまったのは事実ですから」
深々と頭を下げて懇願すると、「わかった」とエイデンはどこか寂しげに微笑んだ。
「マルク。お前の覚悟を見込んで、刑罰の代わりに三つほど頼みがある」
エイデンは凛とした声で言い、胸ポケットから書簡を取り出して差し出し、再び口を開いた。
「一つ目、これをフェルナンド王太子殿下に渡してほしい」
「これは……?」
「お兄様に書簡……?」
「先程謁見の間で、商人の格好をしたお前にこう言ったはずだ。“この戦争を終わらせ、二国に平和をもたらしたい”と。書簡は思いつく限りの最後の手段。王太子殿下を味方に引き入れるしかない」
真剣な表情のエイデンに、マルクは独り言のように小さく呟く。
「あれは、本当のことだったのですね……」
「嘘をつく利点が、一つでもあるか?」
マルクはもっともだ、といった様子で苦々しく笑い、書簡を受け取る。
「酌量を感謝いたします。確かに承りました」
マルクが拷問や刑罰を受けずに済みそうで、ほっと安堵の吐息を漏らす。
けれど、エイデンの『頼み』は残り二つ。
どのような内容なのか見当もつかないまま、私たちは緊張しながら彼の言葉を待った。
すぅ、と深く息を吸う音がする。
そして、エイデンはなぜか私を見つめてきて、優しく微笑みながら口を開いた。
「次に、二つ目。オデット姫をアクア王国へ連れ帰ること。そして三つ目は……姫を必ず幸せにすること」
「え……」
思いもよらぬ言葉に頭が真っ白になり、指先が震える。
「なぜです……?」
マルクも混乱しているようで、言葉を続けられずにいた。
「姫をお返ししないままで、停戦交渉など心象が悪いからだ。姫も故郷に帰りたがっていたし、好いた男のそばにいたほうが幸せだろうしな」
エイデンは穏やかな表情でそう語るけれど、私の心は荒れに荒れて、わけがわからなくなっていた。
あの時のキスとプロポーズは……?
隣は私以外に考えられない、という言葉は、人質として引き留めるための嘘だった?
だけど嘘にしろ本気にしろ、どのみち私はお父様の駒でエイデンと結婚なんて認められるわけなんかなくて。
それに大切な祖国と、ずっと尽くしてくれたマルクを裏切ることもしたくない。
帰国するか、ここに残るか。
どうしたらいいのか、わからない。
いくら考えたって、わからないの……
ぐるぐると頭の中を想いが巡る。
でも、一つも言葉になってくれなくて、ただただその場に立ち尽くした。
マルクはエイデンに深く礼を告げており、『頼みごと』の任務は必ずや達成してみせると話していて。
一方のエイデンはマルクに直筆の書面を手渡し、困った時は相手に見せるようにと話していたけれど、私には全て遠い世界の出来事のように見えた。
「行きましょう、オデット王女殿下」
何一つ考えがまとまらないまま、差し出されたマルクの手をとる。
そう、きっとこれでいいの。
お兄様と繋がりができるいま、エイデンにとって、私はもう必要なくて。
むしろ、このままイグニスにいては、交渉をするにあたって不利になるのかもしれない。
貴方の夢が叶うまであと少しなのに、私が足を引っ張るなんて絶対にしたくない。
だったら……ずっと私を守り続けてくれた優しいマルクと、故郷アクアで生きていく。
王女奪還を果たしたマルクは爵位も上がるでしょうし、ずっと夢見た結婚も夢じゃなくなるはず。
王女としての責任と重圧からも解放されて、恐ろしい目に遭うようなこともなくなって。
穏やかで幸せな日々を送る。
戦争のことだって、あとはお兄様の返答次第。
私にできることはもうやり尽くしたはずだわ。
全部、過去の私が望んだことで、それが叶ったいまは幸せな気持ちのはず。
なのに、どうしてこんなに心がモヤモヤとして晴れなくて、悲しくて苦しいの?
無言のままマルクに手を引かれながら、扉へと歩いていく。
マルクは廊下へ繋がる扉を開けてエイデンへ一礼し、部屋を出ていった。
私もそれに続いて出ていこうとした瞬間、柔らかな声が聞こえてくる。
「スティーリア」
すっかり呼ばれ慣れてしまったその呼び名に振り返ると、エイデンは穏やかな表情をしていて。
もう最後なのだと思うと、胸がきつく締め付けられて苦しくなる。
何か言わなければと思うのに、声を出したら泣いてしまいそうで、深く頭を下げて礼をするしかできないまま。
こんなところで泣いたらまたエイデンを困らせてしまうし、何があっても堪えなければ。
そんな想いを知ってか知らずか、エイデンは柔らかく微笑みかけてきて、そっと口を開いた。
「いままでありがとう、誰よりも幸せになれ」
途端、涙が溢れ出してしまい……エイデンに見られないように慌てて部屋を出ていった。




