策
「マルク、早く入って! 奥の方へ!」
扉を開け、慌ててマルクを部屋へと引き入れる。
アクア兵にとってここは敵の本拠地で。
兵服ではなくとも帯剣しているし、リオン城の者からしたら、マルクは間違いなく不審者で危険人物にうつるでしょう。
見つかった相手によっては、拷問にかけられたり殺されたりしてしまう可能性だって出てくる。
ガタガタと震えながら顔だけ出して廊下を見渡すと、幸い誰もおらず、しんと静まり返っている。
ホッと胸を撫で下ろし、急ぎ扉を閉めた。
振り返って部屋を見ると、見慣れたそばかすと、焦げ茶色の髪、そしてオレンジ色の瞳をした懐かしい男性がいる。
やっぱり、何度見ても夢じゃない。
イグニスに来てから、何度彼に会うのを願ったことか。
「マルク、どうして……?」
久しぶりに会えた愛しい幼なじみの姿に、歓喜と混乱と、ほんの少しの不安が湧き起こり、身体が微かに震えた。
「オデット殿下、お会いしとうございました」
マルクは切なげにそう言いながら私に向かって歩み寄り、手を伸ばしてきて……
気がついたら、私はマルクの腕の中にいた。
「あぁ、マルク……本当に無事で良かった」
労うように広い背中を撫でるとマルクは私から離れていき、熱に浮かされたような瞳で見つめてくる。
「オデット殿下……」
甘い声で名を呼ばれ、次第に顔が近づいてくる。
けれど、互いの唇が重なりそうになった瞬間、私は反射的にマルクの胸をぐいと押し返していた。
あんなに望んでいたマルクとのキスなのに拒んでしまうなんて、自分で自分がわからなくて、動揺が止まらない。
「マルク、こんなところにいては危ないわ。早く帰らないと」
とっさに口をついて出てきた言葉に、自分で納得をする。
そうよ、きっといまは再会を喜べるほどの余裕がないだけ。
彼を恋い慕う気持ちが消えたわけじゃない。
マルクは私の拒絶を『照れ』ととったのか、不安げな表情を浮かべることなくいつものように微笑み、口を開いた。
「オデット殿下もどうか共に。私は王太子殿下の命令もあり、貴女様を救出しに来たのです。目立たぬよう、町娘の衣装も用意してあります」
その言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
お兄様の命令があったとはいえ、マルクは危険を冒してまで敵の本拠地に単身乗り込んできたのだ。
マルクの想いを無駄にしてはいけないし、アクアに帰らなければ。
そう思う一方で、本当にいま故郷に帰るのが二国にとっての上策なのか、わからない。
それに……
左手首の獅子の紋章を、ちらと見つめて右手で触れる。
このまま、二度と会えないの……?
エイデンの横顔を思い出し、胸が切なく痛むと同時に、ふと違和感を覚えた。
マルクはどうして、ここに来れたのかしら。
この部屋の扉には常に見張りが二人立っていて、夜通し見張ってくれているはず。
「ねぇ、マルク。見張りはどうしたの?」
「交代のタイミングのようで、先程いなくなりました。私も武器商人だと偽れば簡単に城内に招かれましたし、イグニスはやはり、噂通り野蛮で、知恵が足りないのでしょうね」
ふふ、とマルクは微かに笑い、一方の私は事の重大性に気づいて、さあっと血の気が引いた。
「マルク! 窓から逃げて!! はやく」
慌てて彼の手を引き、声をあげる。
それと同時に、廊下への扉がキィと音を立てて開いていく。
私とマルクは押し黙り、開かれていく扉をただただ見つめる。
扉の向こうに現れて、足を踏み入れてきたのは、美しい顔をした金髪赤眼で白い軍服をまとった男。
あぁ、遅かった……
マルクの策は全部見抜かれて、彼の術中にはまっていたんだわ。
「オデット姫、アクアでは客人を窓から帰すものなのか?」
エイデンは困ったように笑いながら、私を見つめてくる。
全てを見透かすような赤い瞳は、私のことやマルクのことを、どこまで気づいているのだろう。
味方であれば心強いのに、敵対するとなるとこんなにも彼は恐ろしい。
「お前は……エイデン・イグナイト!」
マルクは腰に下げた剣を抜き、前に構えた。
「だめ! 剣なんてすぐにしまって!」
私の説得に、マルクは汗を垂らしながら首を横に振る。
エイデンとは距離もあるのに、マルクの視線はエイデンに向けたままで、一瞬たりとも離そうとしない。
「俺を、知っているのか」
エイデンの問いかけに、マルクは苦々しい顔でうなずいて口を開く。
「アクアの兵士なら誰だって知っていますよ……地形を巧みに用いた罠や、兵糧攻めを仕掛けて進軍を遅らせたり、撤退を余儀なくさせているのは、あなたでしょう? アクアの将軍たちは、皇帝よりもむしろ皇子の首を欲していますからね」
「そうか、それはなんとも光栄なことだ」
エイデンは、剣を向けられているというのに抜剣もせず、くつくつと笑う。
きっと、エイデンは命の奪い合いを避けるために策略を巡らせていて、それが彼なりの『戦争をやめさせるための戦い』の一つだったんだと思う。
だけどそれは、アクア側からすれば、皇子の手の上で振り回され、あざけられていると思われていても不思議じゃない。
エイデンの夢を知っているぶん、アクアからの誤解が悲しくて苦しい。
「マルク、と言ったな。俺は戦いたいわけじゃないし、物騒な剣を収めてくれないか。お前は、そんなものがなくても話せる男だろう? 望みは何だ」
エイデンは呆れたように尋ねるけれど、マルクはエイデンを睨みつけて剣の柄を強く握りしめた。
「どうか抜剣を。アクアと私の夢のため、あなたの首をもらいうけます」




