ずっと気がつけなかったこと
エイデンと共に部屋を出て、広い城内を案内されながら廊下を進み、軍議室へと入る。
中には炎の獅子が描かれた大きな旗が飾られており、部屋の中心にはイグニス皇国周辺の世界地図が置かれた、長くて大きい机がある。
壁一面に置かれた棚には、天井までぎっしりと書類が詰め込まれていた。
「スティーリアに一つ朗報がある」
エイデンは椅子を引いて私を座らせたあと、隣の椅子に腰掛けてきた。
「朗報、ですか?」
「ああ。水面下で活動していたテルム国の革命軍が、いよいよ本格的に動き始めたらしい」
エイデンはまるでチェスでもするかのように、駒をつまんでテルム国の国境あたりまで動かし、一方の私は、予想だにしていなかった情報に、固まって言葉をなくした。
「テルム国って、私が嫁ぐ予定だった……」
真っ白な頭のまま、呟くように言う。
もしもあの国に嫁いでいたら、革命なんて恐ろしいものに巻き込まれていた可能性もあったのだ。
一気に血の気が引いて、身体がぶるりと震えた。
「あと数日もすれば、結婚話は有耶無耶になって消えてなくなる。テルムの国王は愚かで浅ましい。革命軍が優勢とみれば国や臣下、家族を捨てて逃走するだろう。近いうちに、革命軍による新しい国が誕生するはずだ」
エイデンはまた駒を動かして、今度はテルムの首都の上に載せた。
「アクアは、どうして私をそんな国に……」
革命間近だなんて、どう考えても援軍要請をするメリットは少なく見える。
何を考えてそうしたのか、全くと言っていいほどにわからなくて頭を抱えてしまう。
けれど、エイデンは静かに首を横に振った。
「そんなテルム国だからこそだ。いま、イグニスは先日のアールデンス火山噴火による、神鎮めの儀式で手一杯。攻めるなら、またとない好機だった」
エイデンの言葉に、嫁入りの日お父様が『必ずや援軍を』と話してきた顔が浮かぶ。
切羽詰まった表情は劣勢だからではなくて、一気にイグニスを攻め落としたかったからだったのね。
一人で納得している私をよそに、エイデンは淡々と言葉を重ねていく。
「アクアの近隣国のうち、姫を差し出すだけで援軍要請が叶い、革命という混乱に乗じてオデット姫を取り戻すことさえも可能な国はテルムを置いて他にない。アクアにとって、テルムはメリットしかない同盟相手になるはずだったんだ」
「……でも、私が嫁入りできずにイグニスに流れ着いたことで援軍は望めなくなり、戦況はこう着状態になった。そういうことですか?」
私の問いかけにエイデンは「ああ」とうなずき、真剣な表情で地図上のカムビ川をなぞっていく。
「少し前までは争いが激化していく一方だったんだが、スティーリアがここに来てから流れが大きく変わった。これは、神々が味方をしてくれているとしか思えない」
「それでも、皇帝陛下と国王陛下がいがみあっていては、いずれまた……」
アクアが援軍を手にし、イグニスのアールデンス火山の噴火がおさまれば、再び戦いが始まるのは想像に難くない。
王たちが停戦の約束を交わさない限り、誰が何人死のうと、どの村や町が壊れようと、勝敗が決まるまで戦いはいつまでも続くのでしょう。
「そう。だから俺たちは、戦争が始まった理由、王と皇帝が望むものを知らなければならない。武力に頼らない方法で、両国の問題を解決に導いていく必要があるんだ」
◇
「戦争の理由を知る……? イグニスがアクアに侵攻してきたから戦いが始まったのではないのですか?」
首をかしげながらエイデンに問うと、彼は途端に眉を寄せて頭を抱えた。
「スティーリアは、そう聞いているのか? これは想定していたより状況が悪いな……」
唸り続けるエイデンに、イグニス側にしかわからない事情があることを察する。
どうやら私の知らない何かが、二国の間であるみたいだ。
「殿下、どういうことです? 情けないことに、私は“女は政治と戦に口を出すな”と毎回突っぱねられてしまい、何もわからないままなのです……」
きゅっと胸の前で重ねた自身の両手を握りしめる。
こんなにも国のことを考えるエイデンの前で無知な自分をさらすのは、惨めでみっともなくて恥ずかしくて仕方がない。
幻滅されるだろうか。
使えない、と思われるだろうか。
なんだかエイデンの反応が怖くて、まともに顔を見られない。
けれど。
「そうか、やはり俺は思い違いをしていたのだな」
エイデンの納得したような声に顔を上げると、彼は申し訳なさそうに微笑んでいて。
「思い、違い……?」
「アクアの姫たちは、国政や戦に興味を持たず、日々娯楽と自身の嫁ぎ先ばかり気にしている。そう聞いていて。だから、はじめはスティーリアのことも軽蔑していたんだ……すまない」
ああ、だからエイデンは初めて会った時に、私に対してあんなにも怒りをあらわにしていたのね。
王族でありながら、国や民を蔑ろにするなど、許せない、と。
「いいえ。私もイグニスに来るまでイグニスは野蛮で冷徹な国だと思いこんでいましたので、殿下を責めることはできません」
お互いに顔を見合わせて、困ったように笑う。
隣の国同士の皇子と王女なのに、相手のことも、その国のことさえもわからない。
これまでずっと、隣国について何も知らなかったことさえ、彼と出会うまで気がつけなかった。
きっとそれは、エイデンも同じ。
「スティーリア、今日は戦の話はやめだ。場所を変えて、話をしよう。民のこと、国土のこと、しきたりやならわし、考え方や信仰、どんな些細なことでも。俺たちはやはり、互いの国を知らなすぎる」




