贈られた呼び名
「俺を、信用してくれたのだな」
エイデンは喜びを噛みしめるように言い、私はこくりとうなずいて微笑んだ。
「信じることができた時に名を教えて欲しいと、初めてお会いした日にお話しされていましたから」
「ありがとう。アクアを良く知る貴女が味方になってくれるのは、心強い。ひとすじの光が見えてきた気がするよ。それに……」
柔らかく目を細めたエイデンは、すぅと小さく息を吸い、再び口を開く。
「オデット姫……、ずっと貴女の名を知りたかった」
低く穏やかな声が、心なしか甘やかに聞こえる。
普段とは違う雰囲気だからか変に緊張してしまい、きゅっと身をすくめた。
「ええと……スティーリアという名にも慣れてしまいましたし、私はその呼び名のままでも良いのですけれどね」
照れからごまかし笑いを浮かべてそう言うと、エイデンは一瞬目を丸くし、呆れたように笑った。
「それならば、お言葉に甘えさせてもらうとするよ。だが、イグニスでは愛しい女性に“呼び名を贈るならわし”があるのを、スティーリアはご存知か?」
「ふぇっ!?」
驚きのあまりみっともない声が溢れてしまい、慌てて右手で口を塞ぐ。
だけど、よくよく思い返してみれば、令嬢たちは私の渾名に対しても、“お前が寵愛を受けるなんて”と、ひどく怒っていたように思う。
やけに周りがエイデンと私を恋仲だと勘違いしている理由も、やっとわかった気がした。
「好きなように呼べといきなり言われたことも内心驚いたが、今度もまた渾名で呼んでほしいだなんて。貴女は俺をどうしたいんだ?」
向かいのエイデンは頬杖をつき、挑発するように微笑みながら私を見てくる。
これは絶対に、私が知らなかったことをわかっていて言っているわね……
無知な相手をからかって遊ぶなんて、性格が悪い!!
予想だにしなかったならわしのせいで、頬どころか耳まで熱くなっているのを感じる。
知っていれば、そんな発言絶対にしなかったのに。
知らずしらずのうちにエイデンへ熱烈アプローチを仕掛けていたなんて、恥ずかしいにもほどがある。
しきたりを重んじる国イグニス独自の文化は、恐ろしい……
『野蛮なイグニスの歴史や文化など知る必要はない』と言い張る教育係に隠れてでも、ちゃんと勉強しておくべきだったわ。
そんなことをひたすら後悔していると、エイデンは楽しそうに頬を緩ませながら椅子から立ち上がった。
「冗談は終わりにして、そろそろ行こうか」
いけない。このままでは呼び方を訂正する機会を完全に失う!
私も慌てて立ち上がり、エイデンの前に駆け寄った。
「あの、エイデン皇子殿下。やはり、私の呼び名はオデットのほうで……」
顔を見上げて必死に頼み込むと、エイデンは肩を震わせながら笑いを堪えていて。
「却下。渾名でも良い、と言ったのは貴女だ。イグニスにいるうちは、スティーリアと呼ばせてもらう。だから……」
急に声のトーンが変わり不思議に思っていると、エイデンは私に手を伸ばし、肩に垂らした青い髪を一束すくってきて。
「決して他の呼び名を受け取らぬように」
幼い子どもを諭すようにそう言うと、彼は私の髪にそっとキスを落とした。
骨ばった手から青髪がすり抜けるように離れ、また何事もなかったかのようにふわりと私のところへ戻ってくる。
髪に感覚なんてないはずなのに、くすぐったくていたたまれない気持ちになり、どくんと心臓が跳ねた。
キスをされたのは、たかだか髪。
身体に触れられたわけでもないし、好きだと愛を囁かれたわけでもない。
挨拶で行うハンドキスとさほど距離感も変わらないはずなのに、なぜだかやけに自分の鼓動がうるさくて仕方がない。
エイデンはどうしてこんなことをするの……?
考えれば考えるほどに、思考はドツボにはまってわけがわからなくなる。
混乱して何も言えないまま小さくうなずくと、エイデンは満足そうに微笑んでいた。




