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第九十話『入学式』

 アザレア学園の入学式が翌日に迫った夜、オレとアルが庭園で話しているとレオンハルトとエルメダが乗り込んできた。


「あにうえー!」

「あねうえー!」


 二人はアルの弟妹だ。まだ幼く、口調もたどたどしい。そんな所がめっぽう可愛い王城のアイドル達だ。

 彼らはとてもいい子だ。仕事や勉強が忙しくてあまり構ってあげられていないし、母であるカトレア王妃を独占してしまっているオレをあねうえと呼んで慕ってくれている。

 

「レオ! エル!」


 アルは二人に首ったけだ。飛び掛かって来たレオをしっかり受け止めて頬擦りしている。

 オレはと言うとエルメダを受け止めたはいいのだけどひっくり返ってしまった。ちょっと痛い。だけど、エルメダに怪我はないようだ。ホッとしつつ彼女を抱き締めた。


「だ、大丈夫かい!?」


 レオンハルトを抱きかかえたままアルが心配そうに覗き込んできた。


「ええ、エルメダにも怪我はないようですわ」


 いつまでも寝っ転がっているわけにはいかない。そろそろ起き上がろうとエルメダに声を掛けると彼女は顔をオレの胸に押し付けたまま首を横に振った。


「どうしたの?」


 心配になって声を掛けると漸く彼女は顔をあげてくれた。

 涙と鼻水で大変な事になっている。


「エルメダ?」

「レオ!?」


 アルが慌てふためいている。どうやらレオも泣き出してしまったようだ。

 オレは頑張って上半身を起こすとエルメダを抱え直して背中をポンポンと叩いた。


「落ち着いて、エルメダ」


 泣きじゃくるエルメダの言葉を断片的に拾ってみると、どうやらアルやオレと離れ離れになってしまう事が寂しかったようだ。

 今までにも仕事で王城を長期的に離れる事は多かったけれど、アザレア学園に入学したらこれまで以上に長く王城を空けることになる。

 長期休暇などで定期的に帰城出来る筈だけど、それでも二人にとっては耐え難い事だったのだろう。

 

「エルメダ……」


 陛下や王妃様は常に忙しく、ヴィヴィアンは既に学園に通っている。アルも日毎に忙しさが増していき、二人が家族と接する事が出来る時間は本当に短いのだ。

 本当はもっと構ってもらいたいと思っている筈だ。だけど、彼らは滅多に我儘を言わない。寂しい事が当たり前になってしまっているのだ。

 そんな二人が泣きじゃくっている。


「休みには必ず帰って来ます。それにお手紙も書きますからね」


 彼らの涙は将来のオレの子供の涙だ。

 我慢して、我慢して、それでも耐え切れなくなって零れ落ちた涙を拭ってあげる事すら出来ない。

 この前、オレは子供が欲しくてアルに迫ってしまった。その時に考えていた事は行為時の快楽と二人の愛の結晶が出来る期待感だけだった。

 肝心の子供の事を一欠片も考えていなかった。


「あね……うぇ……」


 いつしかエルメダは眠ってしまった。レオンハルトもウトウトし始めている。


「二人を部屋に連れて行ってあげよう……」


 アルも色々と思う所があるのだろう。悲しそうな表情を浮かべている。


「アル。今夜は二人と一緒に寝ない?」

「え?」


 オレはエルメダをベッドに寝かせた。その隣で横になるとアルを見た。すると、彼は頬を赤らめた。

 別にそういう意図は無かったのだけど、その反応が嬉しくて思わず頬を緩ませた。


「レオンハルトとエルメダの寂しさを少しでも埋められるようにさ」

「あっ、う、うん! そ、そうだね」


 そんな彼の反応に吹き出しそうになった。

 彼はオレの事を抱きたいと思ってくれている。だけど、必死に理性を働かせて耐えている。それがどうしようもなく愛おしい。

 けれど、腕の中で眠っているエルメダを見て、オレも漸く子供を生むという事の意味を考える事が出来るようになった。

 若気の至りでは済まされない。子供を生んだら、その時からオレとアルは親になる。

 その命を(はぐく)み、幸せに生きられるように全力を尽くさなければいけない。だけど、王族であるオレ達にはそれが出来ない。

 オレ達の全力は国に注がなければいけない。どれだけ寂しい思いをさせても、どれだけの涙を流させても、オレ達はその涙よりも国を優先しなければいけない。

 生まれていないどころか、まだ、そういう行為すらしていない。

 だけど、オレは自分の子供が辿る事になる人生を思い、悲しくて仕方がなくなった。


「……オレ、バカだった」

「フリッカ……?」

「オレ達の子供もきっと泣くんだよな……」

「……ああ、きっと」


 アルはずっと前から理解していたのだろう。

 エルメダの涙をハンカチで拭いながら、オレは自分の浅はかさに溜息を零した。

 

「大丈夫だよ」


 アルが言った。


「確かに、ボク達は子供よりも国を優先しなければならない。だけど、子供を大切に思ってはいけないというわけではないんだ」


 彼はレオンハルトの髪を優しく撫でながら微笑んだ。


「ボクも泣いた事があるよ。もっと構って欲しいとせがんだ事がある」

「アル……」

「だけど、そういう時だけはどんなに忙しくても時間を割いてくれたんだ。その時間の分だけ仕事は指数関数的に増えてしまう。それでもボクを抱き締めてくれた。話を聞いて、一緒に遊んでくれたんだ」


 生まれ変わる前の世界の常識で考えれば、それでも足りな過ぎる。だけど、その時間を捻出する為に陛下と王妃様は必死だった筈だ。

 以前、親父が言っていた。


 ―――― 『貴族の一日は数千人の人の命に匹敵する価値がある』


 傲慢に聞こえるけれど、それだけの人命に関わる事なのだ。

 アルの為に使った時間の分、穴埋めの為に忙しさが更に増してしまった筈だ。

 それでも、アルの涙を拭う為に迷う事なく仕事の手を止めた。


「父上と母上は示してくれたんだ。国を背負いながらも、子を思う。その親としての覚悟を」


 オレはやっぱりバカだ。王妃としての教育を受けていながら、王妃様の立場と覚悟を全く学べていなかった。

 国の為に生きる。そして、同時に親として生きる。その為に如何なる艱難辛苦を前にしても屈しない覚悟を。

 子供の涙を拭う事が出来ない。そう思って諦める事は王妃様に対する侮辱も甚だしい。

 拭っている間に仕事が山積してしまうなら、その仕事をすべて完璧にこなせるよう自分が頑張ればいいのだ。

 

「……オレ、全然覚悟が足りてなかったよ」

「ボクもだよ。経験も実力も父上には遠く及ばない」


 アルはオレをまっすぐに見つめてくる。


「成長しよう。出来る筈だ。君とボクなら父上と母上を超える王と王妃になれる。その為に、ボクは頑張る。だから、君にも付いて来て欲しい」

「……はい。どこまでも」


 彼の言葉はオレの不安を拭い去ってくれた。彼と一緒なら、きっと子供と国をどちらも幸せに導ける。そう信じさせてくれる。

 

「……あにうえ、あねうえ、うるしゃい」

「ぅぅ……、ねれない!! もう、しずかにしてよ!!」


 せっかく気持ちよく眠っていたのに耳元で話されて安眠を妨害されたレオンハルトとエルメダはカンカンだ。


「……ごめん」

「ごめんね」


 オレとアルはションボリしながら二人の頭を撫でて、今度は口にしっかりとチャックをした。

 

 ◆


 翌日、オレはエルメダにベッドから蹴り落とされた。アルはレオンハルトに腕を噛まれていた。

 昨日の安眠妨害をまだ怒っているのかと思ったけれど、二人は夢の中だった。どうやら夢の中のエルメダは武道家になっていて、レオンハルトは朝ごはんの真っ最中らしい。

 オレはついつい腹を抱えて笑ってしまった。そうしているとアルも目を覚まして、齧られている腕を見て苦笑した。


「おはよう、アル。大丈夫?」

「おはよう、フリッカ。噛み応えのあるハムだと思ってるのかな?」

「うーん、もちもちのパンだと思ってるに一票!」

「これでも鍛えているんだよ? 君を抱く時にみっともない姿を見せない為に」


 そう言えば、さっきレオンハルトに飛びかかられても微動だにしていなかった。

 だけど、一点だけ訂正しておくべき事がある。


「みっともない姿? アルがオレを抱いてくれる時にみっともなかった事なんて一度もないけど?」


 クリムゾンリバー号でオレをハンモックに運んでくれた時なんて、すごく素敵だった。


「フリッカ……」

「アル……」

「……あにうえ、あねうえ、朝からうるしゃい」

「うるしゃい」


 また安眠妨害で怒られてしまった。

 だけど、今は朝である。


「レオ! エル! もう朝ですよ! 二人もおっきろー!」


 オレは布団を引っ剥がした。


「フリッカ!?」

「ぎゃー!?」

「ふにゃー!?」


 二人は悲鳴を上げた。


「なにするのー!?」

「あねうえひどいよー!!」

「早起きは三文の徳と言います! 出発まで時間があるから一緒にお散歩しませんか?」

 

 二人はキョトンとしている。


「わたくしの庭園でアーリーモーニングティーと洒落込みません?」

「あねうえのていえん!」

「いくー!」


 素直で大変結構である。


『アイリーン、起きてる?』

『おはようございます、お嬢様。如何致しましたか?』

『今から庭園にレオとエルを連れて行くから、四人分のお茶とお菓子をお願い!』

『かしこまりました!』


 こういう時、念話(テレパシー)は便利だ。しばらくして、ミレーユがオレ達の身支度を整える為にやって来た。

 一人でもテキパキとオレ達を着替えさせてくれる。オレが着替えている時、アルは部屋の外に飛び出して行った。レオンハルトとエルメダはキョトンとしている。

 身支度を整え終わり、五人で庭園に向かうとアイリーンが準備を整えてくれていた。

 紅茶を飲みながらエルメダに花の種類や特徴を説明してあげているとライがやって来た。


「おはようございます、ライ」

「おはよう。ネルギウスからの伝言だ。出発前に話したい事があるらしい。アルヴィレオ殿下もだ」

「了解しました」

「分かりました。伝言、ありがとうございます」


 折角の茶会だけど、早々にお開きとなってしまった。

 レオンハルトとエルメダに謝ろうとしたら、二人はライに興味津々の様子だった。

 彼はフルフェイスの仮面を被っていて、見た目が実に怪しい。その怪しさが子供の好奇心にクリーンヒットしたようだ。


「……どうした?」


 珍しい。ライが戸惑っている。

 二人はライの体をよじ登り始めた。


「ん?」


 ライは行動の意図が読めずに困惑している。そして、レオンハルトはライの仮面を取り去ろうとした。


「それは困るぞ」


 ライは仮面を押さえた。すると、レオンハルトは頬を膨らませた。エルメダも不満そうな表情を浮かべ、仮面を押さえるライの手を掴んだ。

 しかし、さすがは元勇者である。ビクともしていない。まるで岩のような彼を動かそうと二人は必死だ。その顔は真剣そのもので、それがどうにもおかしくて吹き出しそうになる。

 彼も困惑しているけれど、悪い気分ではないようだ。


「アル。二人の事はライに任せて、とりあえず陛下の所に行こうか」

「い、いいのかな?」

「いいのいいの!」


 オレはアルの手を引いて陛下の執務室へ向かった。

 到着するとネルギウス王は仕事の手を止めて招き入れてくれた。専属使用人であるララティナ・ゾアの姿がない。

 

「すまないな、出発前に」


 そう言うと、陛下は数枚の資料をオレ達に渡した。


「出発の支度もある。手短に済ませよう。フレデリカ、お前に一つ指令を下す」

「は、はい!」


 その言葉にオレは居住まいを正した。陛下からの直々の指令を受けるのは初めての事だ。


「アザレア学園に在学中、エラルドが死去した場合は在校生の中から次の学園長が選ばれる事になる。その選ばれた者に学園長になる事を受け入れるかどうか確認し、拒絶の意思を示したならば全ての権能を使い、なんとしても学園の外へ連れ出して欲しい」


 二つ返事で答えたい所だったけれど、オレは直ぐに指令の内容を呑み込む事が出来なかった。


「……えっと」

「ち、父上、どういう事ですか?」


 アルも困惑の表情を浮かべている。


「話すとなると長くなる。詳細は資料に記してあるから学園へ向かう馬車の中で読め。一先ず、フレデリカ。この指令の為ならばお前が持つ全ての権能の使用を認める」

「す、全てと言いますと……?」

「全てだ。後先の事は何も考えなくていい。その時が来たのならばあらゆる力を行使する事を許す」


 オレは呆然としかけた。オレが持っている権能と言えば、魔王の権能と竜姫の権能、それにヴァンパイアの権能だ。どれも次期王妃の立場としては使う事を控えたいものばかりだけど、陛下はそれらを全て使えと言った。

 そうしなければ出来ない事なのだろう。色々と疑問を抱くけれど、その答えは資料にあるのだろう。


「かしこまりました」


 納得し切れない部分は多々あれど、これは王命だ。ならば、オレの答えは決まっている。


「ま、待って下さい! その事でフリッカの身が危険に晒される事は無いのですか!?」

「可能性はある。だが、他に出来る者がいない。オズワルドですら不可能な事だ。だが、フレデリカならば可能なのだ」

「なっ!?」


 アルが絶句した。オレもだ。オズワルドにも不可能と言ったけれど、そもそもあの人に不可能な事があるなど、それこそあり得ない事だと思っていた。

 そのオズワルドにさえ出来ないと陛下が判断した事をオレに出来るとは到底思えない。

 だけど、陛下は出来ると確信している様子だ。他でもない賢王の判断に間違いなどある筈がない。


「すまない。だが、恐らくは最初で最後の好機となるのだ」


 陛下はどこか思い詰めたような表情を浮かべている。


「……陛下。エラルド学園長に何かあったのですか?」


 オレはその事を聞かずにはいられなかった。

 なにしろ、陛下の指令は彼の死が前提となっている。


「聖女の呪い……いや、加護が失われようとしているのだ」

「聖女の加護ですか?」

「アザレア学園がそう呼ばれるよりも前、シュテルヴィスクと呼ばれた学び舎を築いた偉大なる人物がいたのだ。その者が施した加護を受けた者は常人よりも遥かに長い時を生きる事が出来る。だが、加護を受けるには資格があるのだ。その資格をエラルドは失いかけている。そう遠くない内に加護は消え、エラルドに本来の彼の時が戻ってくるだろう……」


 詳しい事は分からない。けれど、陛下の表情はエラルドの身に起きる結末を雄弁に物語っていた。


「……かしこまりました。王命、謹んで拝命致します」

「頼む」


 アルはオレを心配そうに見つめている。オレの身に危険が降りかかる事に対して葛藤を抱いているようだ。

 オレとしても本心では気が進まない。

 人の死を前提とした王命に従うのは、その人の死を待っているかのようで気分が滅入る。


 ◆


 陛下の執務室を出た後、オレとアルは入学式への出発準備の為にそれぞれの部屋に戻った。

 アルとミレーユ以外にもメイドがたくさん待機していて、オレはされるがままになった。

 全身をくまなく磨き上げられ、新品のドレスに身を包み、前にライから貰った『勇者の御守り』やいくつかのアクセサリーを身に付けた。

 出発の挨拶とかは特に無い。なにしろ、陛下や王妃様も一緒にアザレア学園へ向かうからだ。レオンハルトとエルメダも一緒にくる。

 アザレア学園の入学式のプログラムには毎年陛下と王妃様の挨拶が組み込まれている。

 王家の紋章をはためかせた豪華な馬車がいくつも並ぶ光景は圧巻だった。


「凄いな……」


 オレはアルと同じ馬車に乗り込んだ。オレ達の入学式は馬車から降りた瞬間から始まると言っていい。学園の生徒達に皇太子とその伴侶を披露する為、段取りが入念に組まれているのだ。

 これはまかり間違ってもオレとアルの顔を知らない生徒が現れないようにする為だ。

 オレ達の事を知らずに無礼な態度を取れば、そこに悪気がなくとも後々の人生に影を落としてしまう。そういう事を防ぐ為の措置だ。

 

「さてさて」


 アルと対面で座りながら、オレ達は陛下から渡された資料を開いた。


「……そういう事か」


 ろくに説明して貰えなかったのは、口頭で説明出来るほど単純な話では無かったからだった。

 嘗て、シュテルヴィスクと呼ばれた学び舎は聖女が求める『偉大なる王』を生み出す為の施設だった。

 その学び舎の学園長は聖女の意思を受け継いだ学園そのものが選定する。選ばれた者は大いなる加護を受ける代わりに学園から出る事を禁じられる。

 その加護を取り除く事は出来ず、外に出ようとすれば学園がそれを禁じる。あらゆる魔法、あらゆるスキル、あらゆる権能が破られ、外に出て行く者達の姿を見せつけられながら内に縛り付けられ続ける。


「アレがオレの敵か」


 馬車の窓の向こうにアザレア学園が見えて来た。

 その時が来た時、オレが戦うべき相手。それはアザレア学園という学び舎そのものだ。

 

「……マジかぁ」


 いずれ魔王の権能で敵と戦う時が来るかもしれないと思っていた。

 だけど、まさかである。まさか、学校の校舎と戦う事になるとは思っていなかった。


「大丈夫かい?」


 アルが心配して声を掛けてくれた。


「おう!」


 オレは元気に頷いた。その時がいつ来るかはわからないけれど、別に今日明日にでも戦うというわけではない。

 今はただ期待に胸を踊らせておこう。なにしろ、懐かしき学生生活のスタートだ。


「折角だし、学生生活を楽しもうぜ!」

「……うん」


 馬車が止まった。オレ達は頷き合い、扉が開かれるのを待つ。絨毯が敷かれた地面を二人で歩き、数カ月振りのアザレア学園に足を踏み入れた。

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