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第八十六話『王が背負うもの』

 ネルと名乗る女性にアルヴィレオは不思議な感覚を覚えた。

 直人(ただびと)ではない。まるで人の形を真似た神仏を前にしているかのように感じる。


「……あなたは一体」

「おや……」


 アルヴィレオの反応を見て、ネルはネルギウスに視線を向けた。


「超越者達との遭遇を重ねた事で感覚が研ぎ澄まされてきたようだな。彼女は権能を持っているのだ」

「権能を……。では、この感覚は権能に対するものなのでしょうか?」


 アルヴィレオの問いかけに答えたのはネルだった。


「権能と一口に言っても玉石混交です。殿下は恐らく《カテゴリー:キング》の権能を感知出来るようになったのだと思われます」

「カテゴリー:キング?」

「研究上の分類の為、規模や能力によって権能をカテゴライズしているのです。キングを最上位としまして、デューク、マーカス、アール、ヴァイスカウント、バロン、ナイトと分けられております」

「……最上位の権能。つまり、勇者の権能や魔王の権能などでしょうか?」

「他にも竜王の権能や剣聖の権能、救世王の権能なども含まれています。あくまでも大まかな指標ですので一定以上の権能はすべてカテゴリー:キングとしています」

「なるほど」


 納得がいった。これまでアルヴィレオは様々な権能の持ち主と遭遇して来た。

 英雄の権能を持つ者。王の権能を持つ者。そうした者達だけが持つ特有の気配を感じ取れるようになっていたらしい。


「ならば、ネルさんもその規模の権能を?」

「ええ、意図して得たものではありませんが便利に使わせて頂いております」


 ネルが肩を竦めて言うとネルギウスが口を開いた。


「ネルはジョーカーと同じく公安部に所属している。ネル、資料は持って来ているな?」

「ええ、もちろんです。どうぞ、殿下」


 ネルは何処からか取り出した資料をアルヴィレオに渡した。寸前まで何も持っていなかった筈だが、恐らくは権能を使ったのだろうと彼は推察した。

 彼女に渡された資料に目を通すとそこには複数の組織の情報が網羅されていた。ヴォルフが言っていた革命思想の組織も含まれている。


「三枚目の資料を見てみろ」

「はい」


 父に促されるまま、アルヴィレオは三枚目の資料を見た。

 そこには女性の地位向上を目指す活動家達の写真と名前が記載されていた。


「シェリー・ブロッサムが接触を受けたのは彼女達という事ですか?」

「そうだ。規模が大きい為に探りを入れさせたが、活動内容はそこにある通りだ」


 資料によると女性週刊誌を発行したり、定期的に講演会を開くなど、かなり活発な活動を行っているらしい。

 活動内容の中には行き場を失った女性の保護などもあった。本来ならば国が主導して行わなければならない事だが、保護される女性達の多くは国のシステムの被害者が多く、国を頼りたがらないらしい。


「貴族の奥方達や平民の主婦なども多数参加している女性だけの団体です。参加者の中には彼女の教え子達もいたようで、路頭に迷いかけていた彼女を放っておけなかったのでしょう。ただ、活動内容を公開していない為に一部の貴族が危険視していると報告を受けています」 

「秘密は時に武器となるからな。彼女達の実際の活動内容を知らなければ、何か恐ろしい力を秘めているように感じてしまう。それを一種の抑止力として使う事も出来よう」

「まあ、実際に彼女達は優れた情報網を持っていますし、貴族の奥方達はそれぞれの家や旦那の秘密も握っているわけですからね。その気になれば国を傾ける事も出来るでしょう。侮る事は出来ませんよ」

「だが、必要な組織だ」


 その組織は女性達が最後に逃げ込める場所として機能している。彼女達の女性の地位向上の運動もその組織が女性に対して絶対の味方である事を示す事を目的としている節がある。

 

「この組織を作り上げた人は何者なのでしょうか? 相当な切れ者だと思うのですが……」


 異なる立場や異なる環境で生きる者達を纏め上げる。早々誰にでも出来る事ではない。


「その者は信用が置けるのですか?」

「ああ、問題ない。思想は至って普通だ。そもそも、発端が発端だからな……」

「発端ですか?」

「ああ、お前はスーパーアイドルを知っているか?」

「スーパーアイドルですか……?」


 アルヴィレオは困惑した。彼にとって、その単語は全くの初耳だった。


「《歌って踊れるスーパーアイドル》を自称する少女が平民の間で話題になっていてな。その事に興味を示した一部の貴族が彼女の歌と踊りを見てすっかり魅了されてしまうというケースが多発していたのだ」

「その少女が組織のリーダーという事ですか?」

「そうとも言えるし、そうとも言えぬ。彼女の名がそれなりに広まった頃、彼女に魅了された者の一人が彼女の下を訪れたのだ。『日々に絶望していた自分に希望を与えてくれた。ありがとう』とな。その言葉を聞いた少女はどういう事かと訪ねた。そして、その人物が置かれている状況を何とかしたいと考えた。そして、彼女は自らの信奉者……、彼女の言葉を借りるならばファン達に助力を願ったのだ。結果、このような組織が誕生した」


 ネルギウスの言葉と共に新たな資料をネルがアルヴィレオに渡した。


「彼女がそのスーパーアイドルだ」

「……アリーシャ・ヴィンセント。たしか、夜会にも出席していましたね」


 大粒の青い瞳と茜色の髪が特徴の可愛らしい少女だった。


「ヴィンセント伯爵家の令嬢だ」

「ボクと同い年の女の子がこれを……」


 彼女は国が救えなかった者達を救った。それは紛れもない偉業だ。


「彼女はスーパーアイドルの権能を有している。まあ、そのスーパーアイドルが如何なる概念なのかは私も実のところ理解し切れていないのだがな……」

「父上がですか!?」

「なにしろ、彼女が言い始めた概念だからな。彼女自身以外はファン達や家族もどういうものなのか詳しく知らないようだ」


 なんとも規格外だ。ファン達はよく分かっていないものを信仰し、そのよく分からないものを権能にまで昇華させた。

 それほど彼女は彼らの心を掴んでいるという事なのだろう。


「ともあれ、シェリーは彼女の庇護下にある。フレデリカにもそう説明して安心させてやるがいい」

「……はい。ありがとうございます」


 ともあれ、これでフレデリカの憂いを晴らす事が出来る。

 しかし、彼女の為ならば何だってしてみせると気合を入れていたアルヴィレオにとっては少し肩透かしを食う気分だった。


「さて、本題に移るぞ」


 ネルギウスの言葉と共にネルが別の資料をアルヴィレオに渡した。

 そこにはヴォルフが警戒を促した名を持たない者達の情報が記されていた。そこには予想通りラグランジア王国の関与が示されていた。


「お前が直接この者達と関与する事は無いだろう。だが、知識としては知っておけ」


 記されている内容はやはり彼の予想を裏付けるものばかりだった。

 ラグランジア王国はアガリア王国を二つに割ろうとしている。ラグランジア王国がメルセルク王国に攻め入る時に援軍を出させない為だ。

 加えて、この組織はマグノリア共和国やクラバトール連合国、レストイルカ公国にも出没している。彼らの理想としては混乱が収まる前にマグノリア共和国を支配し、その軍事力を吸収してレストイルカ公国へ進軍し、クラバトール連合国を三方向から攻め落とした後にアガリア王国へ決戦を挑む予定らしい。

 浅はかにも程がある。彼らの工作はそれなりに効果を発揮するだろうが、内乱を引き起こす程ではない。加えて、事が上手く進んだとしても他国が侵略して来る中で内乱を続けるような愚は何処の国も犯すまい。

 

「……これは、そうか。これほどまでにラグランジア王国の内情は酷いという事なのですね」

「そうだ」


 彼らの浅はかさは他国を自国と同様と捉えているが故のものだ。

 この程度の工作でも容易く内乱が引き起こされると確信出来る状態だからこそ、彼らは何の疑いもなく行動出来てしまう。

 

「もはや、あの国に未来はない。故にメルセルク王国のアリア女王は決断を下した」

「……まさか、ラグランジア王国を滅ぼすのですか……? 勇者様の故郷を!?」


 アルヴィレオは勇者ゼノンに対して複雑な感情を抱いていた。それは男としての少しの嫉妬であり、そして、愛する婚約者を救ってもらった事に対する多大な恩義だ。

 その尊き御方の故郷を滅ぼす決断など即座に肯定する事は出来なかった。


「そうではない」


 ネルギウスは言った。


「アリア女王は王位簒奪を恐れたルードヴィヒによって暗殺者を差し向けられたロゼリア姫を匿っていた。彼女の御旗の下にラグランジア王家へ叛意を抱く者達が結集しつつある」

「革命を起こさせるという事ですか?」

「そうだ。それに際し、恐らくこの組織の者達も動き出すだろう。その前に一人残らず捕縛する。既に構成員全員の名前と素性は割れているからな。マグノリア共和国やクラバトール連合国、レストイルカ公国とも連携する予定だ」


 それが最善である事はアルヴィレオにも分かっている。けれど、革命によって玉座から引きずり下ろされた王の末路はいつの世も決まっている。民衆の怒りの矛先として凄惨な死を遂げる事になる。

 彼は確かに愚かな王だった。けれど、勇者ゼノンの父親だった。

 勇者は幾度も世界を救って来た。彼が居なければこうして父と子の会話を交わす事さえ出来ていなかった筈だ。

 その大恩ある御方の父親に死を与える。それはあまりにも罪深い事ではないかと感じてしまう。


「その通りだ」


 ネルギウスは言った。


「罪深い事だ。そして、その罪を背負う事が王の務めなのだ。その事はお前も重々承知の筈だぞ」

「……はい」


 分かっている。けれど、それでも重過ぎた。

 勇者ゼノンが居なければフレデリカは死んでいた。彼が居たから彼女が今も傍にいてくれる。彼女の笑顔を見る事が出来る。

 その恩を一欠片すら返す事が出来なかった。それどころか仇で返そうとしている。

 

「この事をお前に話したのはお前にも背負わせる為だ。その重みを知り、耐えるのだ。王となる者ならばその罪と向き合い続けねばならぬ」


 立っている事すら辛かった。それでも逃げる事だけは許されない。

 この罪は入り口に過ぎない。これからも彼の歩む道には夥しい血が流れ、その分の罪を背負う事になる。

 清廉なままではいられない。潔癖な王に国は守れない。


「……背負います」


 歯を食いしばり、拳を固く握りしめ、必死の形相を浮かべながら彼は言った。

 

「この罪を背負います!」

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