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第八十五話『問題』

 夕食後、アルヴィレオは父の下を訪れた。フレデリカの苦悩を一刻も早く解決したいと考えた為だ。


「……なるほど、シェリー・ブロッサムか」


 ネルギウスはその名をよく知っていた。彼女は昔、アザレア学園で教鞭を執っていた時期がある。アザレア学園の教師の任命は学園長と国王の合意が必要であり、彼も彼女と直接の面識を持っていた。

 厳格な性格ながらも面倒見の良さから生徒達に慕われていた。けれど、誰も彼もが彼女を好いていたわけではなく、厳しい指導に反発した生徒達が暴挙に出てしまった。虚偽の風説の流布を始め、様々な工作が行われたのだ。

 無論、風説はすぐに他の生徒達や教師によって訂正された。その他の工作活動に対しても他の優秀な生徒達が迅速に対処して事なきを得た。その結果、自らの能力や地位を悪用した生徒達には子供の悪戯では済まされない罪が残された。

 教師であると共にシェリーはブロッサム侯爵家の令嬢であり、その名誉を毀損する行為に対しては相応の罰が下される。退学処分だけでは済まされない。なにしろ、罰を下すのは法や学園ではなく彼らの親だからだ。

 侯爵家は公爵家に継ぐ家格であり、生徒達は侯爵以下の家柄の者ばかりだった。例え、目に見える形で敵視される事はなくても、爵位が上の相手に不快感を抱かれる事は貴族としての未来が閉ざされる事にも等しい事だ。それ故に時として貴族は法律よりも重い裁きを子に下さねばならない場合がある。

 だから、彼女は学園を去った。

 すべての責任は自分にあると宣言し、彼らの名を口外しないよう生徒や教師に頭を下げて回った。自分よりも未来ある生徒達の人生の方が大切だと説きながら。

 流された風説は少なからず彼女の名に傷を付け、アザレア学園の教師という職を失った彼女の人生はそれまでよりも遥かに厳しいものとなる筈だった。

 けれど、彼女の気高い行為に感銘を受けた生徒達は弟妹の家庭教師(ガヴァネス)に彼女を推挙した。彼女の家庭教師としての評判は非常に高く、だからこそギルベルトも彼女を娘の家庭教師に据えた。

 次期王妃の家庭教師となる者として彼女の名を聞いた時、ネルギウスも彼女ならばと太鼓判を押した。


「少し待て」


 ネルギウスは掌に光を集めた。その光は鳥の形となり、彼の手から飛び立って行った。

 光の鳥を見送るとネルギウスは書棚から魔法で一冊のファイルを手元に呼び寄せた。パラパラと捲ると目的の資料を見つけ、彼はアルヴィレオに渡した。


「これは……」


 それは一人の女性の不幸を綴ったものだった。その女性は望まぬ婚約を結ばされ、妻ではなく奴隷として扱われた。

 肉体的苦痛と精神的苦痛を日常的に与えられ、その最中で死亡した。彼女の死は当初事故死として処理されようとしていたが、詳しい調査が行われて事の真相が明るみになった。

 彼女の葬儀の席にはネルギウスも足を運び、そこにシェリーの姿もあった。


「彼女の教え子の中でも凄惨な末路を辿った女性のものだ」


 シェリーはその後も家庭教師を続けた。ただ、指導方針が少し変化していた。男を立てるのではなく、男を手球に取れるようにと。

 それが死亡した教え子を目の当たりにした彼女が導き出した答えなのだと悟り、ネルギウスはそれを良しとした。

 

「シェリー・ブロッサムは教師として冠絶した存在だった。彼女が解雇されたと聞いた時は驚いたものだが、その理由を聞いて納得もいった。貴族の令嬢のすべてがアザレア学園に通うわけではない。家庭教師による最低限の教育を施された後はすぐに嫁ぐ事を強要される者も多く、彼女は優秀な教師であったが故にそういう令嬢達の教育を託される機会が多かったのだ」


 短期間で貴族の伴侶として必要最低限の教養を与える事が出来る。それほどの能力を持った家庭教師などそうは居ない。

 優秀だからこそ、彼女は地獄を見続けて来た。途中で投げ出せる性格ならば良かったのだろうが、彼女は地獄で苦しむ令嬢達を見捨てる事など出来なかった。

 

「……父上。これほどの惨状を何故放置しているのですか!? たしかに、子を為す事は貴族として重要な責務です!! ですが、このような扱いを受ける女性がいる中で何故!?」


 アルヴィレオとて、貴族の後継者問題が如何に重要であるかを知っている。望まぬ婚約を結ばされる者がいる事も知っている。けれど、これほどの惨状とは識らなかった。

 もしかしたら、フレデリカが資料に記された女性のような地獄を歩んでいたかもしれない。そう考えると我を忘れそうになる。

 

「対策はしている。この事件を起こした者は奴隷として今も生き地獄を味わっている。奴隷制度は見せしめの意味合いもあるのだ。このような残忍な行為に及んだ者が死に逃げる事など許さぬ」


 ネルギウスは冷徹な眼差しを資料に向けながら言った。


「だが、後継者問題は重大でな。愛妾を持つ事を禁じる事は出来なかった。実際、一人の妻だけを愛し抜いた結果、血の海へ沈んだ者がそれなりにいるからだ。ディートハルト侯爵家の事件は知っているな?」

「……はい」


 ネルギウスが王となる前に起きたディートハルト侯爵家の惨劇の記録は後世に戒めとして残され、王族が学ぶべき重要な歴史の一つとされている。

 愛妻家だったマクベス・ディートハルト侯爵は妻との間に二人の子を為した。一人は娘であり、一人は息子だった。貴族の当主は男児が継承するものであり、通常ならば息子が後継となる筈だった。

 けれど、息子のクラウスは生まれつき病弱でベッドから起き上がる事がほとんど出来なかった。息子が当主となれないのであれば娘のレイチェルが婿を取る他無く、侯爵家の当主の座を求める者達がこぞってレイチェルに求婚をし始めた。

 マクベスはレイチェルに求婚する男達の目的を見抜いていた。彼らは侯爵家を乗っ取る為にレイチェルを口説いているのだと。

 家と娘を守る為には正当な後継者が必要だった。けれど、妻との間には幾度体を重ねても子が出来なかった。

 そうして時が過ぎ、レイチェルの心を掴んだ男が我が物顔で侯爵家に現れた。その事に反発したのは侯爵家の使用人達や領民だった。彼らはマクベスを慕い、彼の実子こそが当主であるべきだと主張した。やがてはクラウスを担ぎ上げ、内乱を巻き起こすまでになった。息子と娘が殺し合いを始め、領地には血の雨が降り注いだ。

 最終的には王宮が鎮圧部隊を向かわせ、強制的に内乱を鎮めたがマクベスは息子と娘を両方失ってしまった。その後も第三子は生まれず、ディートハルト侯爵家は没落した。


「しかし、あの事件はレイチェルが当主となれていれば問題は起きなかった筈です。婿ではなく、彼女が当主であれば領民や使用人達も納得したのではありませんか? 何故、女性を当主に据える事が認められる世へ変えていく事が出来なかったのですか?」

「理由は様々だが、一番の問題は妊娠と生理だ」

「にっ……」


 アルヴィレオは凍りついた。


「……お前もそろそろ知っておいた方がいいだろう。まず、生理だが中々に辛いものらしい。フレデリカも情緒不安定になる事があるだろう? アレは精神的にもいろいろとキツイらしくてな……。まあ、その……、冷静な判断を下さねばならぬ場面でそう出来ぬ精神状態となってしまう事が往々にあるのだ」

「そ、そうなのですか……?」


 ネルギウスは少し気まずそうに頷いた。

 

「それと妊娠だな。まあ、これは分かるだろう? 子を為す事が貴族の重大な責務である以上、これは避けられぬが妊娠は母子の命に関わるものだ。精神状態も常とは違うものとなるだろう。……いいか? フレデリカとそういう事をする時は少なくともアザレア学園を卒業するまでは避妊をするのだぞ。あの子が子を望んだとしてもだ。繰り返すが妊娠は命の危険と結びつくものだ。その事を肝に銘じるのだぞ」

「……はい」


 気まずい空気が流れる中、それでもアルヴィレオは深く頷いた。

 彼も男なのだ。男として、愛する婚約者とより深い関係になりたいと望む気持ちが無いわけではない。けれど、一時(いっとき)の感情に流されてフレデリカの命に危険が及ぶなどあってはならない。

 彼女を不幸にする事だけは決して許されないのだと彼は強く自分に言い聞かせた。


「……ゴホン」


 ネルギウスはわざとらしく咳払いをした。彼としても必要だから話したが、息子とこういう話をするのはあまり気が進まなかった。


「もう少し平和な世であればそういったハンデがあっても問題なく領地経営が出来るよう法を整備するなり、フォローするなりも出来るのだがな……」


 ネルギウスは眉間にシワを寄せながら呟いた。


「今はオズワルドの結界があるが、オズワルドも不老不死ではない。今の時代だからこそ可能な事も後の時代では不可能となる事も多いのだ。だが、手を打っていないわけでもないぞ。令嬢達の不幸を少しでも減らす為の一手として、アガリア警察には期待しているのだ」


 アガリア警察には貴族に対する逮捕権も認める形で事を進めている。

 これまでの問題の多くは治安維持を担っている騎士達の主君こそが引き起こしている点にあった。

 しかし、アガリア警察は貴族階級とは独立した組織となる予定だ。

 彼らの存在が貴族達の問題行動に対する抑止となる事を期待している。

 無論、警察と騎士が衝突する場面なども起こり得るだろう。そういった予想出来る問題点を組織が完全に立ち上がる前に可能な限り潰さなければならない。


「期待しているぞ、アルヴィレオ。お前の働き次第で多くの者の未来が変わるのだ」

「……はい!」


 アルヴィレオは力強く返事をした。

 不幸な運命を歩む者達を救えるかもしれない。アガリア警察にはその可能性がある。

 王子として等という生半可な覚悟では足りない。これは王としての仕事なのだとアルヴィレオは強く思った。


「さて、話を戻すぞ。シェリー・ブロッサムが勧誘されたとされる組織だが、これは問題ない」

「……どういう意味でしょうか?」

「そのままだ。お前が案じているような組織とは別口だ」


 その言葉と共にノックの音が響いた。


「来たようだな。入れ」


 ネルギウスが言うと扉が開かれた。入って来たのは赤い女だった。


「お初にお目に掛かります、アルヴィレオ皇太子殿下。わたくしはネルと申します」

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