第八十三話『ブロッサム侯爵』
予想外だった。女癖が悪いと聞いていたから、てっきりスケベそうなおっさんが来るとばかり思っていた。ところが、ローガン・ブロッサムはイメージと真逆の印象を与える男だった。
顔には年齢相応のシワが刻まれているけれど老いを感じさせず、ハッキリ言って、物凄くハンサムだった。
「お初にお目に掛かります、フレデリカ様。わたくしはローガン・ブロッサムと申します」
程よく掠れた渋みのある声に思わず聞き惚れそうになった。
「……ようこそお越し下さいました」
直視していると平静を失いそうになる。
「この度はわたくしめの為に御時間を融通して下さりました事、平に御礼を申し上げます。以前、わたくしめの娘がフレデリカ様に対し、大変な御無礼を働きました事を深く陳謝致します」
「頭をお上げください、ブロッサム侯爵」
やはりと言うべきか、内容はシェリーの事だった。オレとしても彼女の近況を知りたい。
ブロッサム侯爵は想像していたよりも話が通じやすそうな相手に見える。ここは回りくどい言い回しはせず、ストレートにいこう。
「シェリーは次期王妃の教育係として相応しくない行動を取りました。ですが、わたくしとしては彼女に感謝しています。彼女は今、どうしていますか?」
「……あの子の事を気に掛けて下さっていたのですね」
ブロッサム侯爵は嬉しそうに微笑んだ。やはり、イメージと違う。
オレはロクでもない父親なのだろうと思っていた。だけど、彼は良い父親に見える。
「フレデリカ様」
彼は真剣な表情を浮かべ、頭を深く下げた。
「……シェリーは行方を眩ませました」
その言葉にオレはあまり驚かなかった。彼女の立場を考えれば、その可能性も大いにあり得ると思っていたからだ。
世間知らずの箱入り娘ならばともかく、シェリー程の能力があれば市井に紛れて一人で生きていく事も十分に可能な筈だ。
「その際なのですが、どうも良からぬ輩と接触していたようでして……」
「良からぬ輩? どういう事ですか?」
「恐らく、陛下や猊下は既に御存知の事かと思われますが、王国内に危険な思想団体が蠢いているようなのです」
聞いた事がない。だけど、敢えてオレに話す必要が無かっただけかもしれない。
思想団体と一口に言っても宗教的な物や政治的な物、あるいは自然主義や菜食主義など様々だ。
ただ、シェリーの思想を考えると政治的な物である可能性が高い。
「その団体の目的などは分かっているのですか?」
「……詳細は掴めませんでした。しかしながら、王家を批判する内容の噂を流布するなど、革命思想を思わせる行動が目立つようです」
「なるほど……」
王家に対する批判もある程度までならば許容されている。だけど、あくまでも許容されているだけだ。度が過ぎれば罪に問われる。国家の主柱たる王権が揺らげば国力の低下に繋がるからだ。
他国と比べて楽園のような環境にあるアガリア王国だけど、貴族と平民の格差をはじめ、民に不満を抱かせる要素はそれなりに散らばっている。けれど、その不満は現状の豊かさに起因するものだ。
これはオズワルドの結界の有無にかかわらず、賢王による統治の下でなければ今の豊かさなどあり得ない。
脅威は魔獣や天変地異だけではないのだ。なにしろ、この世界の人間は魔法が使えるのだ。個人の資質や知識量によって使える魔法が異なるが、初歩的な魔法でも使い方次第で人を殺す事が出来る。
しかしながら、危険だからと言って安易に取り上げられるものでもない。この世界において、魔法は地球で言う所の科学だ。文化や生活の根幹として根付いていて、生きる上で欠かす事の出来ないものだ。
各国はそれぞれ魔法の使用に対して厳重な法整備を行っており、それを厳守させる為に重い刑罰を課すなどをしている。それでも御し切れず、他国では警察組織や騎士団に違反者への殺害許可を出している所まであるそうだ。
その中でアガリア王国は魔法使用の取り締まりが比較的緩い。それでも平穏が維持されているのは歴代のアガリア王が国を完璧に統治しているが故だった。
けれど、人間は慣れる生き物だ。平和な時間が長引けば、それが当たり前になっていく。その平穏の価値を忘れてしまう。
更なる幸福を求める者が現れる。日常に刺激を求める者が現れる。
恐らく、シェリーが接触した相手もそういう輩なのだろう。
「本日の訪問の目的はそれですか」
「……誠に御無礼の事と承知しておりますが」
アガリア王国には公安的な組織がある。ジョーカーが所属している所だ。恐らく、それなりの規模の政治的思想団体ならば彼らが情報を掴んでいる筈だ。けれど、その情報は秘匿されている。
彼らはアガリア王の目であり、手足なのだ。彼らが集めた情報はすべて頭脳であるアガリア王の下へ集められ、それ以外の者に情報を零す事は固く禁じられている。
つまり、シェリーが接触した組織の事を知りたければネルギウス王に尋ねる以外の方法が無いというわけだ。
だからこそ、彼はオレの下を訪れたのだろう。オレならば陛下から情報を聞き出せるのではないかと考えたわけだ。
「仮にその組織の事をわたくしが知れたとしてもあなたに教える事は出来ません。それは分かっていますね?」
「心得ております……」
対外的に見れば、オレはシェリーを憎んでいてもおかしくない。ブロッサム侯爵は娘の事でオレの反感を買っている可能性を考慮した筈だ。その上で今回の対談を望んだ。
恐らく、藁にもすがる思いだったのだろう。危険な思想集団と接触して行方不明となった娘を探す為に、あるいはオレから更なる反感を買う事になっても一縷の望みを掛けて今回の話を持って来たのだろう。
「分かりました」
陛下から情報を教えてもらえたとしても彼に伝える事は出来ない。
その事を心得た上で組織の事を口にしたのはオレの事を信じてくれたからだろう。
―――― あの子の事を気に掛けて下さっていたのですね。
あの時の彼の笑顔はオレに希望を見出したが故のものだったわけだ。
「シェリーの事はわたくしに任せてください。ただ、一つだけお聞きしたい事があるのですがよろしいですか?」
「何で御座いましょうか?」
きっと、彼が良い父親ならば答えてくれる筈だ。
「シェリーが一番好きな花は何でしたっけ?」
ブロッサム侯爵は表情を強張らせた。
「……彼女が好きなお菓子でもいいのですよ? もしくは他の食べ物でも、お酒でも……」
たっぷり十数秒待ち、オレはとても悲しくなった。
彼がシェリーを愛していて、彼女の身を案じるからこその行動だと信じたかった。
「娘がテロリストになって、お家取り潰しの沙汰が下る事を案じたのですね……」
否定して欲しかった。だけど、彼は青褪めたまま沈黙を貫いた。
「お引取り下さい、ブロッサム侯爵。シェリーの事は此方で対処致します」
「フ、フレデリカ様! わたくしは決して――――」
「……好きな花の名前くらい、知っていて欲しかったわ」
怒りはしない。ただ、哀しかった。
ブロッサム侯爵は口を幾度か開きかけた後、肩を落とした。
「本日は失礼致します。御時間を御割き頂きまして誠に感謝申し上げます……」
彼が去って行った後、オレは蹲った。
アイリーンとミレーユは何も言わず、そっと抱きしめてくれた。
涙が中々止まってくれない。この後の仕事が無くて良かった。この顔では人前に立つ事が出来ない。次期王妃は常に美しくあらねばならないのだから。
「……フリッカ」
気がつけば、傍にアルがいた。そう言えば、夕方以降は二人共仕事がないから一緒に過ごせる事になっていた。彼の方から迎えに来てくれたみたいだ。
「アル……」
昼食の時、庭園を見せる約束をしていた。
「大丈夫かい?」
心配してくれている。肩を抱かれて、少しだけ心のもやが晴れた気がする。
「……うん」
彼の手を借りながら立ち上がるとアイリーンとミレーユが心配そうにオレを見つめていた。
大丈夫だと示すために笑おうとしたけれど、どうしても顔が強張った。
「庭園に行こう」
アルが言った。
「そういう約束だったからね。君が作った花園を見せてもらえると聞いて、すごく楽しみだったんだ」
オレの手を握りながらアルは言った。気を紛れさせようとしてくれているようだ。
「うん。アルに見て欲しい」
オレは漸く笑顔を浮かべられた。
「お茶とお菓子を庭園にお願い」
そう頼むと、アイリーンとミレーユはホッとした様子で頷いてくれた。二人が先にお茶とお菓子の用意の為に部屋を出て、その後にオレとアルが出た。
二人で廊下を歩きながら、アルは今日の仕事の事を教えてくれた。どうやらアガリア警察の設立に向けて、会議や会談を重ねているらしい。
本格的に始動するのはオレ達がアザレア学園を卒業した後になるそうだけど、その前にベルーガーズの面々に王国騎士団の下で教育を施していく予定との事だ。
「凄いね、アル。組織の立ち上げを任せられるなんて」
「一任されているわけではないけどね。むしろ、経験を積ませてもらっている感じだよ」
アルもまだまだ勉強中という事らしい。それでも大したものだと思う。
そうして話している内にオレ達は庭園に辿り着いた。




