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第八十一話『思いがけない再会』

 カルネ伯爵家の当主であるキース・カルネにとって、フレデリカ・ヴァレンタインに献上品を贈る事はあまり意味のある行為ではなかった。

 なにしろ、カルネ・ブランドは既にアガリア屈指の大企業として君臨している。既に《王室御用達(ロイヤル・ブランド)》という箔を与えられており、今更次期王妃のお墨付きなどもらった所で大した意味がない。

 それでも百台の馬車に未発表の物を含めた最先端の衣服やドレス、アクセサリーをフレデリカに献上する為に遥々王宮へやって来たのは(ひとえ)にアルヴィレオ皇太子への感謝の意を示す為だった。

 

「……まったく、馬鹿娘が」


 アルヴィレオが居なければ、あるいはカルネ・ブランドの地位と名声が地に落ちていたかもしれない。

 彼の娘であるマリエール・カルネ・リールが嫁ぎ先であるリール侯爵家で家督争いを引き起こしたのだ。前妻の子であるヴォルフを押し退けて、自らの愛息であるジェラルドを当主に据えようと目論み、侯爵家を真っ二つに引き裂いてしまった。

 キースとて、カルネの血を継ぐ者が侯爵家の当主となる事に魅力を感じないわけではない。しかし、過程に問題があり過ぎた。

 正統後継者であるヴォルフ・リールは傑物だった。それこそ、ネルギウス王がアルヴィレオ皇太子の側近として侍る事を望む程だ。そのカリスマ性は十二歳にして一組織を纏め上げる程の物であり、リール公爵領でヴォルフよりもジェラルドを当主に据えたいと心から望む者など一握りに過ぎなかった。

 その為、マリエールはカルネの名を使った。伯爵家は侯爵家よりも爵位が低い。けれど、カルネ・ブランドは侯爵家以上の影響力を持っている。その力を恐れた者や(あやか)ろうとする者達がマリエールに味方した。

 その事を知った時、キースは怒りのあまり言葉を失った。カルネ・ブランドの名に泥を塗るどころではない。

 加えて、キースはリール侯爵家に対して多大な恩義を抱いていた。カルネ・ブランドは最初から巨大企業だったわけではなく、その成長の為にリール侯爵家は惜しみない援助をしてくれたのだ。

 それだけではない。理想が高過ぎて婚約話を蹴り続けた事で完全に婚期を逃してしまったマリエールをリール侯爵は後妻として受け入れてくれた。そのリール侯爵家に恩を仇で返したのだ。

 仮にジェラルドをリール侯爵家の当主に据える事が出来たとしても、あのやり方では破綻が目に見えている。

 その事態を未然に防ぎ、解決してくれた方こそがアルヴィレオだった。


「とは言え、人の口に戸は立てられぬからな……」

 

 此度の一件を隠蔽する事など不可能だ。マリエールが人の目も気にせずに暴れ回ったせいでキースが事態に気づいた時には領民の間でも噂になっていた。

 ここで対処を誤れば醜聞を知った人々はカルネ・ブランドの商品を買い控えるかもしれない。

 カルネ伯爵家はマリエールの蛮行を不服としている。そう広く知らしめる必要があった。その為にも事態解決の立役者であるアルヴィレオに強く感謝の意を示す必要がある。

 百台もの馬車を引き連れて来たのもそのアピールの為という部分が大きかった。


 ◆


「……って事か」


 ミレーユに用意してもらった資料を読み込む事でカルネ伯爵の意図が読めた。

 同時に彼女があまり資料を見せたがらなかった理由にも気付けた。オレの負担を考慮してくれたのも確かだろうけれど、それ以上にカルネ伯爵の目的がオレ自身ではなくアルに対する御礼だという部分が大きかったようだ。

 ダシに使われたと言えば確かにそうかもしれない。オレが不服に思う事を憂慮したのだろう。だけど、それは杞憂だ。

 むしろ、オレは嬉しい。カルネ伯爵が運んできてくれた数え切れない程のドレスやアクセサリーはアルに対する感謝の現れだ。打算が含まれていようが、アルが皇太子として為した偉業を示すものだ。

 

「凄いな、アル」


 まるで自分の事のように誇らしい気分になる。

 時間が来て、カルネ伯爵が待っている部屋へ向かった。


「お待たせ致しました、カルネ伯爵」


 以前までは王妃様が隣に居てくれたけれど、それも社交界デビューを果たすまでの事だった。いつまでもおんぶに抱っこというわけにはいかないという事だ。

 たった一人で大人とやり取りを交わすのはとても緊張する。だけど、甘えた事は言えない。

 オレは次期王妃だ。立派に責務を果たしているアルの伴侶として、恥ずかしくない仕事をしなければならない。

 もう子供でいる事が許される時間は既に終わっているのだ。

 基礎は固めてもらえた。そこから何を築くかはオレ自身の意思によって決まる。

 誰もが認める存在とならなければならない。国の象徴の一つとして揺るがぬ信頼を得なければならない。

 だから、まずは相手の目をまっすぐに見つめる。


「これはこれはフレデリカ様。この度はわたくしめの為に御時間をくださり誠に忝なく存じ上げます」

「構いません」


 胸を張る。椅子に腰掛け、笑顔を浮かべる。

 そして、言葉を吟味する。短い付き合いで終わらせる相手ならば嘘も方便かもしれないけれど、末永く付き合いを重ねていく相手には正直であるべきだ。


「カルネ伯爵。わたくしも我が国のファッション業界を牽引するカルネ・ブランドの新作を見せて頂けると聞き、とても嬉しく思っております」


 だから、これは嘘ではない。以前まではドレスなんてどれも大差無いと思っていた。興味が殆ど持てなくて、いつもアイリーンに選んでもらっていた。だけど、夜会の日にアルと体を重ねる事になるかもしれないと考えた時、オレの意識は大きく変わった。

 アルから見て、今のオレがどう映るかを意識するようになった。

 カッコいいと思ってもらいたい。綺麗だと思ってもらいたい。可愛いと思ってもらいたい。兎にも角にも良く思われたい。その為に見た目を良くしたいと思うようになった。

 

「光栄に御座います。僭越ながら、我が社は一流のデザイナーを多数抱えております。誠に勝手ながら、その中でも選りすぐりの者達をフレデリカ様の専属チームと致しました」

「わたくしの専属チームで御座いますか?」

「わたくし共と致しましては今後とも定期的にフレデリカ様へ献上品としてドレスやアクセサリーをお持ちしたく存じます。その際、お許し頂けるので御座いましたら、どうかお気に召されましたデザインを幾つかお選びになり、御教授願いたく存じます」


 どうやらオレが気に入った物を主軸として、今後の献上品のデザインなどをブラッシュアップしていく予定らしい。

 献上品もタダで用意出来るわけではない。信頼という見返りを得られる事で商売が安定し、販路も格段に増えるからこその先行投資なのだ。

 けれど、カルネ・ブランドは現時点で他の大多数の企業よりも遥かに安定しているし、販路もこれ以上増える余地がないほどに広い。

 それでも定期的な献上品の贈呈にはカルネ伯爵のアルに対する感謝の気持ちが現れている。

 アルから受けた恩義は一度で返し切れるものではないと考えたのだろう。

 オレは喜んでドレスを選んだ。アルが好む色、アルが好むポイントを確りと押さえて吟味した。


「ありがとうございます、カルネ伯爵」


 オレと彼の利害は一致している。

 アルに喜んでもらいたい。だからこそ、今後とも末永く付き合っていきたい。

 

「今後ともよろしくお願い致します」

「此方こそ」


 ◆


 午前の仕事が終わると庭園にやって来た。

 午後からはヴィルマ子爵がやって来る。直接会った事はないけれど、生花商を経営している以上は花を愛する人なのだろう。

 もしも時間に余裕があればオレの庭園を見て貰いたいと思っている。


「どんな人なのかな」


 花に水をやりながらオレはヴィルマ子爵の顔を想像した。

 なんとなく、純朴な顔の少年が浮かんで来た。


「……これ、連城だ」


 連城喜一は生まれ変わる前の世界でのクラスメイトだ。彼は園芸部に所属していて、よく校庭の花壇に水をやっていた。

 いつものほほんとしていて、一緒にいると落ち着く男だった。

 彼は実家で家庭菜園も行っていて、時々収穫した果物や野菜を分けてくれる事があった。

 愛情がたっぷり篭められて育ったトマトやキュウリの味はまさに絶品で、オレはいつも楽しみにしていた。


「ふんふふーん」


 思いがけず昔の事を思い出して、オレはなんだか気分が良くなった。

 鼻歌を歌いながら花の世話をして、昼食の後はワクワクしながらヴィルマ子爵の登場を待った。

 そして、現れたのは見知った顔だった。


「え!?」


 そこにいたのはヴァネッサ・アイビーだった。

 彼女はオレが公爵領に居た頃にダンスの家庭教師をしてくれていた。

 

「なんで、ヴァネッサが!?」


 目を丸くすると、彼女は悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべた。


「ふふふ、実は夫に頼み込んで一緒に連れて来てもらったんですよ」

「夫!?」


 驚いてしまった。けれど、よくよく考えれば妙齢の女性であるヴァネッサに夫がいる事は不思議でも何でもない。


「実はお嬢様が王宮へ向かわれた後、程なくして式を挙げましたの。以前からアプローチを受けていまして、最後の大仕事を終えるまで待って欲しいと頼んでいたのです」

「そうだったの!? じゃあ、オレの教育の為に……」

「お嬢様」


 ヴァネッサはオレを抱き締めた。


「わたくしにとって、お嬢様の教育係は結婚よりもずっと大事な事だったのです」

「ヴァネッサ……、ありがとう」

 

 もう随分と長い事会っていなかったのに彼女は何も変わっていなかった。

 全くもって、オレは愚か者だ。凛々しくて優しい彼女に惚れる男がいない筈がない。


「そうだ! 月の花はお気に召して頂けましたか?」

「あっ! そうだよ、月の花! 子爵に御礼が言いたくて仕方がなかったんだ。オレ、王妃様に庭園を一つ貸してもらって、そこで花を育ててるんだよ。あんまり上手くいってなかったんだけど月の花のおかげで一気に良くなったんだ!」

「まあ! 実はわたくしが頼み込んだんですよ。お嬢様の未来を華々しいものにする為に特別な花が欲しいと」

「そうなの!?」

「うふふ! 夫はわたくしにメロメロだから張り切ってくれたんですよ。元々、研究者肌で花の品種改良に情熱を燃やしていたので本人も楽しそうでしたよ」


 なんだか色々と予想外だったけれど、オレはますます月の花が好きになった。

 なにしろ、ヴァネッサがオレの為に頼み込んで作ってくれた花だからだ。


「……それにしても、しばらく見ない間に大きくなりましたね」

「そう? うーん、あんまり変わらない気がするけど?」

「間違いありません。前は抱きしめる時にもっと腰を屈めないといけませんでしたからね」


 彼女はしみじみと言った。


「お元気そうで安心しました」

「オレもだよ」


 オレはヴァネッサを抱き締めた。

 思いがけない再会は心身の疲労を癒やしてくれた。

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