第七十六話『解答』
エルフランと一緒に部屋を出ると通路の反対側の壁に背中を預けているライがいた。
「ライ、おはようございます。昨夜はありがとうございました」
お礼を言うと、彼は俯くように顔を傾けた。
「……礼は不要だ。お前の危機に駆けつける事が出来なかった」
落ち込んでいるようだ。オレは今更になって疑問を抱いた。ライに駆けつける気があったのなら、あの場に駆け付けられない事などあり得ない。
なにしろ、彼は元勇者だ。その実力は勇者の権能を失った今でも世界で指折りである筈なのだ。
「ライ。何かあったのですか?」
「わたくしが少々足止めをさせて頂きました」
ビックリした。いきなり影の中からオズワルドが現れたのだ。隣でエルフランも飛び上がっている。
「オ、オズワルド猊下!?」
「昨夜の一件は誠に申し訳御座いませんでした」
彼は深々と頭を下げた。
「お、お待ち下さい! どうか頭を上げてください!」
オレが慌てるとオズワルドは素直に頭を上げてくれた。
「全てはわたくしの至らなさによるものです。メサイアの要求を撥ね退ける事が出来ませんでした。言い訳にしかなりませんが、かの竜と戦う事となれば王国を包む我が結界の維持が非常に困難となるのです。加えて、他の者を戦わせれば余波によって学園が崩壊してしまう……」
彼の表情には苦渋が浮かんでいた。
「ま、待ってください! 猊下に落ち度などありません!」
そもそも、メサイアが来たのはオレがシャロンの力を宿している為だ。
責任の所在を問うならば、一番の原因はオレにある。
「元はと言えばわたくしが――――」
「違います」
オズワルドは言った。
「それは違います、レディ・フレデリカ。あなたにこそ落ち度などない」
「ですが、わたくしが魔王の力を宿しているから……」
「それは生まれた事を罪に問うようなものです」
体が竦んだ。オレが知る限り、オズワルドはいつも飄々としていて掴み所のない人物だった。
だけど、今の彼は激しく怒っている。
「それだけはいけません。そんな事を裁こうとする者がいたのならば、その者こそが最たる邪悪なのです」
「オズワルド様……?」
怒っている。だけど、泣いているように見えた。
「覚えておきなさい、レディ・フレデリカ。罪とは行動によってのみ生まれるものなのです。あなたが魔王の力を裁かれる時が来たのなら、それはあなたが自らの意思で魔王の力を悪用した時です」
「……はい」
彼の言葉には重みがあった。否定する言葉など見つからず、オレは素直に頷いた。
言われるまで気付かなかった。オレ自身の事だったから見えていなかった。
生まれた事を罪に問う。それはとても恐ろしい考え方だ。
「……話を戻しましょう。ライを含め、あなたの下へ駆けつけようとした者達をわたくしが阻んだのです。メサイアの目論見通り、キャロライン・スティルマグナスがあなたを襲撃出来るように」
「メサイアにわたくしを見定めさせるためですね?」
「実を言えば、もう一つあります」
オズワルドは言った。
「此度の戦闘において、あなたは二振りの刀を顕現させましたね?」
「は、はい」
そう言えば、あの時は無我夢中であまり気にしていなかったけれど、あの刀は何だったのだろう?
いつもの魔力を成形したものでは無かった。
「これで漸く、一つの確信を得るに至りました」
「確信ですか……?」
「レディ・フレデリカ。竜姫シャロンが使用していたスキルはほぼ全て記録に残されています。複数の魔法陣を一挙に展開する『デス・パレード』、自らの竜の力を解き放つ『レムリア・アルカード』など、彼女のスキルは詳細に至るまで全て。その中の何処にも『ブラッド・ジャベリン』を始めとしたブラッドと付くスキルはありませんでした」
「へ?」
ブラッド系はオレが魔王再臨時にいつも使っている技だ。
ブラッドなんたらというネーミングはオレが考えたわけではない。魔力を使って何かしようとする度に脳裏に技の名前が響くのだ。
てっきり、シャロンが使っていた技名なのだとばかり思っていた。
「あるいは記録に残らぬほど使用頻度の低いスキルだったのかもしれません。ですが、どうしても気になっておりました。そして、此度顕現した二振りの刀で確信を得られたのです」
「そ、それは一体……?」
「古来より片刃の剣は幾つも存在しました。ですが、あのように細長く、刀身に刃文がある剣が生み出されたのはごく最近の事なのです。少なくとも、竜姫シャロンが生きていた時代には存在し得ないオーパーツなのですよ」
オズワルドの言葉が本当ならあまりにも奇妙な話だ。
「アレは聖剣ではありませんが、同じ性質を持っています」
「……せ、聖剣と同じ性質!?」
「そうです。意思ある剣。レディ・フレデリカ。あなたは昨夜、何か夢を見ませんでしたか?」
見た。あり得ない光景だった。荒唐無稽過ぎて、笑ってしまうような夢だった。
「……ブラッド・ジャベリン」
オズワルドは掌の上にブラッド・ジャベリンを生み出した。
目を丸くすると、彼は微笑んだ。
「ただの幻影です。ですが、形状を細部に到るまで再現しております。この槍を……、ライ。あなたは見覚えがあるのではありませんか?」
「形状だけならばイルイヤ大陸の南東にある森で見た事がある。アンシーリーが生成する投げ槍だな」
「へ?」
オレはオズワルドが生み出した幻影のブラッド・ジャベリンをまじまじと見つめた。
この形状もシャロンが考えたものだとばかり思っていた。だけど、アンシーリーなんて魔獣はゲームでも聞いた事がない。
「アンシーリー……?」
エルフランが首を傾げた。
「殺戮を好む傾向にある危険な魔獣だ」
寒気のする説明だ。余剰殺傷という言葉があるくらい、獣の中にも加虐性を持つ種はそれなりにいる。けれど、殺戮を好むものは滅多にいない。
野生の中でそんな真似をすれば相当な力を持っていても淘汰されてしまうからだ。
「アンシーリーはその性質故に魔獣からも忌み嫌われております。故にこそ、殺戮の森の外へは滅多に出て来ない。竜王が目を光らせている為です」
「メルカトナザレが!?」
「彼は争乱を好みません。アンシーリーが無軌道に暴れまわれば魔獣や人類が彼らの討伐の為に動き出す事は明白でしたから、彼は殺戮の森からアンシーリーが出る事を禁じたのです」
「……争乱を好まない?」
胡散臭く感じる。
嘗て、メルカトナザレは生まれたばかりのシャロンを山から投げ捨てた。その時、彼女は死んでいたかもしれない。なにしろ、赤ん坊だったのだから。
そして、数年前にはシャロンの力を宿していたからという理由でオレを殺そうとした。
娘を殺す親が争乱を好まないと言っても説得力など皆無だ。
「前例があったが故、メルカトナザレは後の災禍となる事を恐れた。だから、娘を始末しようとした」
オレの考えを読み取ったのか、ライが口を開いた。
「だが、心から死を願っていたわけではない。本気で殺そうとしていたのならば他にも方法があった。それに、名前も付けなかった筈だ」
「……シャロンはウェスカーが付けたって本に書いてあったけど?」
「シャロンはそうだ。だが、メルカトナザレはその前にレムリアという名前を与えていた」
「レムリア……?」
それはさっきオズワルドが教えてくれたシャロンのスキルの名に含まれていたワードだ。
「メルカトナザレは本心では殺したくなどなかった。だが、争乱の種となる事が分かっていた。事実、彼女は災禍を齎した」
メルカトナザレは争乱を防ぐために苦渋の選択を下したわけだ。
それでも納得し切れなくてモヤモヤする。
「獣王のように無邪気ではなく、炎王のように献身的ではなく、妖王や霊王のように気紛れではなく、宝王や風王のように静観に徹する事も出来ない。それが竜王メルカトナザレなのです」
そう聞くとなんだか……、
「悩み、決断する。けれども迷う。まるで人のように、だからこそ人の姿をした子が生まれたのかもしれませんね」
計り知れない苦悩があったのかもしれない。
娘を投げ捨てた時、どんな気持ちだったんだろう?
オレの存在に気付いた時、どんな気持ちだったんだろう?
「……フリッカ、大丈夫?」
エルフランが手を握ってくれた。
「ありがとう、エル」
メルカトナザレの事を考えるとどうにも思考が乱れる。
「……話を戻しましょう。アンシーリーは竜王の監視下にあり、シャロンは己を捨てた父竜の傍には近寄らなかった。つまり、シャロンがこの槍の形状を知る事は不可能だったのですよ」
またしてもシャロンが知らない筈のもの。つまり、シャロンが作り出せる筈のないものだ。
存在しない筈のものが存在している。それは矛盾だ。
「おや? あなたならばそろそろ気付く頃合いかと思っていたのですが?」
「え?」
何の事だろう?
「シャロンが生み出す事が出来ないもの。しかし、レディ・フレデリカが生み出していないもの。ならば、それらを生み出した者は一体誰なのか? それはあなたが密かに悩み続けている疑問の答えでもありますよ」
「それって……」
オズワルドはジッとオレを見つめている。もう十分にヒントは与えたと言わんばかりの態度だ。
事実、そうなのだろう。オレの中で一つの仮説が組み上がっていた。
その仮説が真実だとしたらオレの中にあった疑問も氷解する。フレデリカ・ヴァレンタインの前世がシャロンだとしたら羽川祐希という存在がノイズになると思っていた。
けれど、ノイズだと思い込んでいたものがノイズでは無かったとしたら、川の水が上流から下流へ流れていく過程に過ぎないのだとしたら。
今朝の夢やガンザルディに見せられたビジョンが脳裏を過る。
脳が生み出した幻覚だと思い込んでいたけれど、あれが実際に起きた出来事だとしたらブラッド・ジャベリンを生み出したのは……、
「……オレ?」




