第七十三話『運命の糸』
ギリギリまでアンゼロッテやヴァイクと過ごして、わたしはネルゼルファーに案内してもらいながら夜会の会場へ向かった。
会場はとても豪華で、そこにいる人達もキラキラと輝いて見えた。
誰も彼もがドレスや燕尾服を見事に着こなしている。
「凄い……」
アンゼロッテに買ってもらったドレスはとても立派なものだけど、あくまでも既製品だ。
彼ら、彼女らが着ているものは一点物のオーダーメイドばかり。なんだか、すごく場違いに思えた。
アンゼロッテに聞かれたら『折角買ってやったのに、なんだとこら!?』と怒られそうだけど……。
「おや、どうしました?」
「え?」
急に声を掛けられてビックリした。振り向くと、そこには銀色の髪を逆立てた少年が立っていた。
見覚えがある。だけど、ハッキリと思い出せない。
「失礼致しました。見目麗しい方が御困りの御様子だったものでつい……」
「み、みめ!?」
ビックリするほどかっこいい子だった。まさに王子級だ。
「って、ああ!!」
思い出した。アルヴィレオと一緒にいた子だ。
「あの、えっと……」
「ジョーカーです。ジョーカー・レッドフィールド」
「ジョ、ジョーカー……?」
切り札とは、なんとも奇妙な名前だ。
それに、レッドフィールドという名には不思議と懐かしい感覚を覚える。
「えっと、わたしはエルフランです。エルフラン・ウィオルネ」
「エルフラン。星を探す者ですか、良い名ですね」
「えへへ……」
アンゼロッテに付けてもらった名前を褒められると凄く嬉しい気分になる。
「……良かった」
「え?」
どうしてだろう? ジョーカーはとても嬉しそうに微笑んでいた。
「さあ、殿下達がいらっしゃるまであちらでルルキアのジュースでも飲みませんか?」
「ルルキア……?」
「きっとお気に召すかと」
確信に満ちた声だ。よっぽど味に自信があるみたい。
ジョーカーについて行くと背の高い丸テーブルの側に綺麗な女の子がいた。
「御機嫌よう」
「ご、ごきげんよう」
お嬢様っぽい挨拶をされて、咄嗟に同じ言葉を返した。
「あ、あの……、エ、エルフラン・ウィオルネです」
相手は貴族の人だ。とても偉い人だ。失礼のないようにしないといけない。
「そう固くならずに……、エルフラン」
彼女は真っ直ぐにわたしを見つめている。
その瞳はとても綺麗な紫色で、思わず見惚れてしまった。
「わたくしの名はカザリ・リード。レストイルカ公国から来ましたわ。あなたはどちらから?」
「わ、わたしは迷いの……じゃなかった! マ、マグノリア共和国からです!」
危ない。迷いの森から来たと言うのは色々とまずいからマグノリア共和国出身を名乗るようにとアンゼロッテから言われていたのを思い出した。
「そうなのですね。そう……、マグノリア共和国から」
彼女はクスリと笑った。
「……ねえ、あなたの目にこの世界は……いえ、この国はどう映っているのかしら?」
「え?」
「難しく考えなくてもいいのよ。ただ、生きていて楽しいか、辛いかだけでもいいのよ。どうかしら?」
「えっと……」
なんだか圧が強い人だ。それに変な質問だ。
この世界がどう映っているかなんて、どう答えたらいいのかサッパリ分からない。
楽しいか辛いかだけでいいなら答え易いかと言うとそうでもない。
「……わたしは」
「この国で想像がし辛いなら、あなたが居た場所でもいいわ」
「そ、それなら……」
迷いの森なら答えに窮する事はない。あの森にはアンゼロッテがいて、ヴァイクがいる。
何も無いわたしだけど、あの森はわたしを十分に満たしてくれていた。
「……幸せだったよ」
そう呟くと、カザリとジョーカーは目を大きく見開いた。
「ど、どうしたの!?」
「……い、いえ」
カザリはまるで泣きそうな表情を浮かべていた。
「良い出会いがあったのですね……」
ジョーカーは嬉しそうに呟いた。
わたしはわけが分からなかった。この二人の目はアンゼロッテと全く違う。
アルヴィレオとも、ギルフォードとも……。
「……あの、誰に話し掛けてるんですか?」
わたしが問い掛けると、二人はギョッとしたような表情を浮かべた。
貴族の夜会で孤立無援は遠慮したくて気安く話し掛けてくれたジョーカーについて来てしまったけれど、この二人はわたしを見ていない。誰か知らない人を見ている。
なんだか、凄く気味が悪い。
「ふ、不快にさせたのでしたら謝ります!」
カザリは必死な顔で頭を下げてきた。ますます意味が分からない。
相手は貴族だ。カザリはともかく、ジョーカーはわたしが貴族社会とは全く無縁の存在だと知っている筈なのに彼まで狼狽えている。
「あなた達、一体……」
その答えを知る前に周囲の空気が一変した。フロアの扉が開かれたのだ。
そして、扉の側に控えていた少年が高らかに二人の人物の名前を叫んだ。
の先から見覚えのある二人が入ってくる。
「あれがアルヴィレオ殿下……」
近くにいた青い髪の少女が夢見るような表情を浮かべている。
「なんという可憐さだ……」
ジュースを片手に背の高い男の子が慄くような表情を浮かべた。
「……フレデリカちゃん」
わたしの瞳はフレデリカ・ヴァレンタインに縫い留められた。
今すぐにでも駆け寄りたい。そんな衝動に襲われた。
やっぱりだ。わたしは彼女を知っている。森で会った時が初対面じゃない。
ずっと……、ずっと会いたかった。
―――― 帰りたい。
帰りたかった。
会いたかった。
その想いが日に日に強くなっていった。
泣いて、怒って、それでも叶わぬ望みを抱いた。
だから、だから、だから――――、
「……落ち着いて下さい」
肩に手を乗せられた。
「あの方はフレデリカ・ヴァレンタイン様です」
「……違うよ。あそこにいるのは……、わたしの……」
「違います。あの方はヴァレンタイン公爵家が御令嬢にして、アルヴィレオ殿下の奥方となられる女性。次期王妃となられる尊き御方です」
違う。何もかもが違う。
「よく見て下さい」
うるさいと叫ぼうとした。だけど、出来なかった。
アルヴィレオと寄り添う少女の姿を見て、世界が揺らいだかのような感覚を覚えた。
まるで、隣の男の子に恋をしているかのような姿を見たくなかった。
「……わたし」
目を逸らすと喉元までせり上がっていたものが沈んでいった。
直前まで頭を満たしていた恐ろしい思考が抜け落ちていく。
「こちらを」
ジョーカーがグラスを渡してくれた。
「―――― 今宵は楽しんでいってもらいたい」
アルヴィレオがグラスを掲げている。周りの人達もグラスを持ち上げている。
わたしは戸惑いながら彼らの真似をした。
「乾杯!」
グラスの中身に口をつける。すると、懐かしい味が広がった。
リンゴじゃない。桃じゃない。みかんじゃない。パイナップルやマンゴーでもない。
だけど、不思議と舌に馴染む味だった。
「これは……」
「ルルキアのジュースです」
ジョーカーが言った。彼がさっき自信満々に勧めようとしていたものだ。
「ルルキア……」
飲んでいると心が落ち着いた。改めてフレデリカを見てもさっきのような衝動は湧き上がってこない。
「こちらをどうぞ」
カザリがいつの間にか現れた食事をお皿に盛り付けてくれた。
「あ、ありがとう……」
変な人達だけど、その瞳に悪意なんて一欠片も感じられない。
ただ、わたしを心配してくれている事だけが伝わってくる。
彼女が渡してくれた料理を食べてみると凄く美味しかった。
「美味しい」
食事をしながらもわたしはついついフレデリカの姿を視線で追いかけてしまった。
こんなに美味しいご馳走が一杯あるのに話してばかりいる。
それがどうしてか彼女らしくないと思ってしまう。すごくモヤモヤして、それを誤魔化すためにチキンを噛み千切った。
意識を食事に集中していないと何を仕出かすか自分でも分からなかった。
「……なんなの、わたし」
泣きたくなって来る。フレデリカに会いたくて森を出て来たのに彼女を見ている事すら出来なくて、嫌な気分ばっかり積もっていく。
帰りたくなって来た。
「エルフラン。こちらのゼリーはいかがですか? こちらもルルキアを材料に作ったものなんですよ」
「こっちの料理はどうですか? わたくしの好物なのですが、きっとお気に召すかと」
ジョーカーとカザリが気を使ってくれる。そんな二人に対しても嫌な態度を取ってしまった。
「……ありがと」
ルルキアのゼリーはやっぱり懐かし味がして、とても美味しかった。
カザリのオススメの料理もとっても美味しかった。
「ごめんね」
わたしは二人に謝った。
「エルフラン……?」
「ど、どうしたのですか?」
「さっき、嫌な態度取ったでしょ……? ごめんなさい」
アガリアの王様やオズワルドの事といい、わたしは優しくしてくれた人達の事を疑ってばかりいる。
もっと素直になりたい。どうして、わたしはこんなに疑り深いのだろう……。
「どうか頭をあげてください」
ジョーカーは懇願するように言った。
「エルフラン。わたしやリードがあなたを困惑させるような態度を取ったのが悪いのです。ですから、どうか……」
わたしは頭が悪い。だけど、ようやく分かった。
「……わたし、前にもあなた達と会った事があるの?」
そう言うと、二人は泣きそうな表情を浮かべた。
「会った事はありません……」
カザリが零すように呟いた。
「ですが、わたくし達はあなたを知っていました。我らが宿す権能はいずれ出会えるあなたを助ける為のものなのです」
「わたしを助ける……?」
二人の表情に冗談の雰囲気は一切なかった。どこまでも真摯にわたしを見つめている。
「……わたし、覚えてないの。自分の本当の名前も、住んでいた場所も、両親や友達の事も……」
わたしは言った。
「エルフランっていう名前も今お世話になってる人がつけてくれたものなの」
この二人はわたしを知っていると言った。
「……ねえ、わたしが誰なのか知ってるの?」
「知っています」
ジョーカーは言った。
「知りたいというのでしたら、お話します」
そう言いながら、ジョーカーはとても辛そうな表情を浮かべた。
問い掛ければ教えてもらえる。だけど、わたしは躊躇った。
自分の過去が気にならないと言えば嘘になる。だけど、それ以上に自分の過去が恐ろしくもある。
迷いの森やエリンで発動した光の弓を思い出す。信じ難いほどの威力があって、たくさんの魔獣を一掃してしまった。
あの力が告げている。わたしの正体は想像を絶する存在だと。
「あなたはどう思うの? わたしは正体を知るべきだと思う?」
ジョーカーに問い掛ける。すると、彼は苦々しい表情を浮かべた。
「……分かりません」
彼は言った。
「何も知らぬ事が幸福な事だとは思えません。ですが、知ればあなたの運命はその時点で大きく変わる。少なくとも、知る前の生活に戻る事は永遠に出来なくなると思います」
その言葉の意味が分からないほど、わたしは鈍くなれなかった。
この学園を卒業したら森に帰り、アンゼロッテやヴァイクとずっと一緒に暮らしていくのがわたしの人生設計だった。その未来が永遠に失われる。
彼はそう言っているのだ。
「……知りたくない」
あの森に帰れなくなるくらいなら自分の正体なんてどうでもいい。
アンゼロッテやヴァイクと一緒に居られなくなるなら何も知らない方がいい。
「……運命はいつかあなたを絡め取るかも知れませんわ」
カザリが言った。
「ですが、あなたがその運命から逃げたいと望むなら、わたくし達は全力であなたを逃しましょう」
「カザリ……」
彼女は真剣だ。本気でそう言ってくれている。
「……ありがとう」




