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第七十一話『アンゼロッテの昔話』

 森から出る事を決めた日、わたしはアンゼロッテと一緒に寝た。優しくて温かい彼女の腕の中で泣き続けた。

 瞼を閉じると燃え盛るエリンの街の光景が浮かんでくる。響き渡る悲鳴が蘇る。

 わたしが森を出たから起きた事だ。


「大丈夫だ、エル。わたしに任せておけ」


 そう言って、アンゼロッテはわたしの頭を撫でてくれた。

 何度も何度も慰めてくれた。


「お前は何も心配しなくていい。すべて上手くいくさ」


 その翌日、アンゼロッテは手紙を書いた。以前、森に現れた怪しい魔法使いに宛てたものらしい。

 たしか、名前はオズワルド。


「胡散臭い男だが能力はずば抜けている」


 あまり頼りたい相手ではないのだろう。その時のアンゼロッテの顔はまるで苦虫を噛み潰したかのようだった。

 彼女は倉庫から鳥の張り子を持って来た。張り子の内側に丸めた手紙を入れて呪文を唱えると、張り子はまるで本物のように動き出した。

 翼をはためかせて飛び去る張り子の鳥を見送った後、二人で森の中を歩いた。

 

「迷いの森全体を結界で包もうと思っている」


 誰も出られず、誰も入れない。そういう強力な結界を張ろうとしている。

 完成すればこの森は永久的に閉ざされる。

 

「心配するな。元々、この森の連中は殆ど外に出ない。頻繁に出かけるようならエリンはとっくに地図から消えているさ。それに、あくまでもわたし達がアザレアに行っている間だけだ。ヴァイクも連れて行くわけだからな。連中にとってはむしろハッピーな筈だ」


 その言葉を聞いてホッとした。

 わたしの身勝手の為に誰かが苦しむ事になるのはイヤだったからだ。それが人でも、魔獣でも。

 アンゼロッテは森の至る所に結界の基点を設置した。

 基点は二種類あって、一つは白く輝くもの。もう一つは黒く輝くもの。

 わたしは二種類の基点の違いについて聞いてみた。


「根本的に別物だ。白いのは聖女の権能によるもので、黒いのは魔王の権能によるものなんだ」


 聖女の権能と魔王の権能。

 正反対の響きを持つ言葉にわたしは首を傾げた。

 すると、アンゼロッテは歩きながら昔話を語ってくれた。


「今から七百年くらい前、わたしはレムサムルという地にいた」


 いきなりビックリするワードが飛び出して来た。


「そこで聖女として祭り上げられていてな。当時は結構聖女してたんだぞ? レオと……、当時の勇者なんだが、奴と異界から現れた魔獣と戦ったりな」


 ツッコミどころが多過ぎる。だけど、本当の事なのだろう。

 アンゼロッテは懐かしむように微笑んでいる。


「レオはいいヤツだった。いいヤツ過ぎて、心配になるくらいにな……」


 レオという名前からして男の人だろう。もしかしたら、アンゼロッテの好きな人だったのかもしれない。

 そう考えていると、アンゼロッテに見抜かれてしまった。


「そういう甘酸っぱい関係じゃなかったよ。レオは神だったからな」


 どういう事かと聞けば、彼女は「そのままの意味だ」と答えた。


「絶世の美男子にも、絶世の美女にも見える容姿だった。そして、どこまでも平等だった。アイツの前では善も悪も無く、ただ救うべき者がいた。どんな裏切りも、どんな邪悪も赦してしまう。その在り方を批難する者も受け入れる。その精神性は人の粋に無く、だからこそ神と崇められるに至った。そして、アイツと共に戦った事がある。それだけの理由でわたしは聖女として扱われた。神を助ける者。神の声を聞く者。神の記録者。色々な呼ばれ方をして、色々な信仰を向けられて、気付けば聖女の権能を手にしていた」


 わたしは何を言うべきか分からなかった。彼女の過去はわたしの想像を遥かに超え過ぎていて、キチンと理解出来ているのかどうかすら曖昧だったからだ。


「悪い気分じゃなかった。少なくとも、悪意によるものではなかったからな。寿命も伸びたし、色々と出来るようになったからな。それに、みんながチヤホヤしてくれたよ。だから、良くしてくれた分くらいは働こうと思ったんだ」


 そう呟いた時、彼女の表情は曇り始めた。


「シャロンが魔王を名乗った後、ジュド、ザイン、ヴァルサーレという魔人共が魔王を自称し始めた。そして、レムサムルにジュドが攻めて来た。だから、聖女としてみんなを守る為に戦ったんだ。そうしたら、守った連中に恐れられた」


 意味が分からない。助けてもらったら、普通は感謝するものだ。それなのに、アンゼロッテは恐れられ、敵意まで向けられたと言う。


「今なら多少は理解出来るがな。当時は訳が分からなかった。気付けば破壊神と呼ばれ、魔王の権能を手にしていたもんだから余計に混乱したよ。そんな時、メナスが現れたんだ。三代目の勇者だよ。レオに負けず劣らず優しいヤツだった。わたしをこの森に匿って、わたしが礼を言おうとしたら泣いて謝りやがったよ。『こんな事しか出来なくて、ごめん』ってな。誰も責めてないし、むしろ助けてくれた事に感謝してるってのに、アイツは泣き続けていたよ」


 語りながらアンゼロッテは溜息を零した。


「勇者ってヤツはどいつもこいつも優し過ぎる。ただまあ、おかげでわたしも人間を憎まずにいられたわけだかな」


 そう言いながら、彼女は魔王の権能による基点を設置した。


「……っと、これで全部だな」


 今まで彼女の過去を詳しく聞いた事はなかった。だから、教えてもらえて、彼女との距離が更に縮んだ気がして嬉しくなった。

 色々と信じ難い話が多かったけれど、わたしは全部信じる事にした。

 

「勇者の権能には届かないが、聖女の権能と魔王の権能を合わせた結界だ。ちょっとやそっとじゃビクともしないぞ」


 目に見える変化は無いけれど、既に結界は起動しているようだ。


「……っと」


 アンゼロッテがよろめいた。慌てて支えるとアンゼロッテの顔は少し青褪めていた。


「すまないな。さすがに疲れた……」


 森を結界で覆い尽くすのは相当に無茶な行為だったようだ。

 わたしの我儘の為にアンゼロッテは大変な思いをしている。それが申し訳なくて謝ろうとしたら止められた。


「わたしはやりたくてやってるんだ。謝られると……、少し哀しくなる」


 辛そうなのにわたしの頭を優しく撫でてくれる。

 アンゼロッテは勇者を優し過ぎると言ったけれど、彼女こそ優し過ぎる。

 その優しさについ甘えてしまう。


「それでいいんだ。お前はまだ子供なんだからな」


 わたしは自分の事を何も知らない。もしかしたら、アンゼロッテのように見た目通りの年齢ではないのかもしれない。

 だけど、七百歳を超えてるアンゼロッテよりも年上という事はあり得ないと思う。

 七百歳と比べたら百歳や二百歳だって子供も同然だろう。わたしは安心して甘える事にした。


 ◆


 森を出る日が来た。と言っても、今回は一時的なもので直ぐに帰って来る予定だ。

 アザレア学園の入学式までは半年ほど時間があるのだけど、その前にアガリア王国の王様から手紙が来たのだ。

 わたしがイメージしていた王様は堅苦しい文章を書く人だったけれど、ネルギウス王の文章はとても親しみやすくて読みやすいものだった。

 内容は夜会への招待状。アザレア学園に入学する前にわたしがアガリア王国の事を知る機会を設けたいと書いてあった。

 もしも自分には合わないと感じたのならば無理強いする意思は無いとあり、その上で助けが必要ならば最大限の援助を行ってくれるとも書いてあった。

 わたしはあまりにも都合が良過ぎる内容に対して半信半疑だったけど、アンゼロッテは信じていいと言った。だから、信じる事にした。


「アガリア王国の国境付近までゲートで一気に移動するぞ」


 魔王の権能とやらは本当に便利だ。馬車なら一ヶ月程度は掛かる道のりも一瞬だ。

 そこにはオズワルドが待ち構えていた。相変わらず怪しい人だけど、彼はヴァイクに隠蔽魔法を掛けてくれた。

 ヴァイクの姿はみるみる小さくなっていき、わたしの肩に乗せられるサイズになった。最初は心配したけれど、ヴァイクは嬉しそうに笑っていて、アンゼロッテからも大丈夫だとお墨付きをもらった。

 わたしは安心しながらも溜息を零した。


「どうした?」

「ウキィ?」


 最近、わたしは疑り深くなっている。

 わたしの為に動いてくれている人を疑ってばかりいる。

 自分の性格の悪さにウンザリした。


「仕方ないさ。アイツが怪し過ぎるのが悪いんだ。アガリア王の事だって、疑うのが普通だ」


 そう言われてももやもやは晴れなかった。


「……人を信じる事は美徳だが、盲信は悪だ。無闇に疑うのもダメだけどな」


 もっともだと思う。信じ過ぎても、疑い過ぎてもいけない。だけど、その匙加減が難しい。


「そういう匙加減を覚えていくのが成長って言うんだ」


 ちゃんと成長出来るのか不安だ。


「学校っていうのはその為に通うものだろ?」


 そうだった。森を出る事とか、フレデリカに会う事とか、そういう事ばかりに意識をとらわれていた。

 わたしはこれから学校に通うのだ。そこでいろんな事を学んで、いろんな事を経験していく。

 通い始めたら寮生活になるそうだけど、いつか森に帰る日の為にがんばろう。


「折角の機会だ。しっかり楽しめよ、学校生活」

「……うん!」


 わたしは力いっぱいうなずいた。


「まあ、その前に今夜の夜会だけどな。まずは宿を取って、それからドレスもいるよな」

「ドレス?」

「夜会と言えばダンスが付きものだからな。ネルギウスからの手紙にも書いてあっただろう?」

「あっ!」


 うっかり忘れていた。

 どうしよう。わたし、ダンスなんて踊った事がない。

 もしかしたら記憶を失う前に踊った事があるかもしれないけれど、体が覚えてくれている事に賭けるのは無謀過ぎる。


「ど、どど、どうしよう!?」

「心配するな。社交ダンスの基本は割りとシンプルだからな。それに、多少覚束なくても相手がフォローしてくれるさ。よっぽど器の小さい男じゃない限りな」


 途轍もなく不安だ。付け焼き刃にも程があるけれど、わたしは夜まで必死にダンスの練習をした。

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