第七十話『群雄割拠』
『……見事だ。さすがだな、姉上。よもや、アルトギアの隠蔽を見抜くとは』
メサイアは感心したように呟いた。
人々に竜王の息子や獣王の存在すらも悟らせぬ程の完璧な隠蔽をフレデリカはアッサリと見抜いた。その能力はまさしく竜王の系譜を継ぐ者に相応しい。
もう少し武力の面も見ておきたかったが、彼女はキャロラインを一時的にブラッド・プリズンで無力化してみせた。あそこで追撃を行っていれば、今頃は勝敗が決していた事だろう。
『まあ、一先ずは十分だろう』
メサイアの目的はフレデリカを見定める事だ。とは言え、一度ですべてを識る事など出来る筈がない。だからこそ、今宵は能力面の一部を垣間見る事が出来ただけで満足しておこう。
そう考えて微笑んだメサイアにフレデリカは言った。
「……ごちゃごちゃ言ってないで質問に答えろよ」
蒼から朱へ転じた瞳がメサイアを睨む。
『む?』
「お前がキャロラインにオレを襲わせたのか?」
正確には違う。キャロラインがフレデリカを襲撃するよう場を整えたのはオズワルドだ。だが、それはメサイアの目的を果たす為だ。
『……そうだな。我が意思によるものだ』
「理由はなんだ?」
『姉上を見定める為だ』
メサイアは正直に話した。彼は嘘を好まず、この場で嘘が必要とも思わなかったからだ。
「見定める?」
『姉上も我と同じく竜王の系譜を継ぐ者。同族として、一度世を混沌に貶めた姉上を見定めねばならなかった』
「だったら、自分で見定めればいいだろう!? 卑劣な手を使わずに!」
『……卑劣?』
その言葉にメサイアは不快感を抱いた。
「自分で動かないで、無関係の女の子を利用するなんて!」
『我とて本意では無かった。だが、我が直接動けば大地を焦土と変えてしまうかもしれぬ。我の目的はあくまでも姉上を見定める事。破壊ではないのだ』
「だ、だからって……!」
フレデリカは表情を歪めた。 メサイアの言い分にも一理あると感じてしまったからだ。
メサイアが姉上と呼んでいるのはフレデリカではなく、彼女の身に宿りし竜姫シャロンの力だ。嘗て、魔王を名乗り厄災を撒き散らした存在。フレデリカ自身も彼女の事を正確には理解出来ていなかった。
シャロンは竜王の娘であり、メサイアの姉だ。肉親として、その力の是非を問うのは当然の事かもしれない。確証もなく大丈夫だと判断する事を善しと出来るほど、彼らは無責任ではいられなかったのだ。
その上でメサイアは人類に対して最大限の配慮を払っている。
彼が言う通り、メサイアが自ら動けば大地を焦土に変えてしまう。それを防げたとしても、彼の存在が露見すれば大変な事になる。
今は隠蔽の為の結界内に身を隠しているが、彼が直接動けば結界が壊れてしまう。そうなれば人々が彼の襲来を知る事になり、竜王襲来事件と獣王事変による影響が抜け切らないアガリア王国は国家存亡の危機に陥りかねない。
そういう理屈なのだと理解は出来る。だけど、許せない。
「彼女は関係ないだろ!? どんな理由があっても、彼女の人生を滅茶苦茶にして理由にはならない!!」
『一つ、誤解がある』
激昂するフレデリカに対して、メサイアは言った。
『アレは鬼子だ。我が干渉せずとも、遅かれ早かれこうなっていた』
「お前、この期に及んで言い訳を――――ッ!?」
その時だった。悪寒が走り、フレデリカは咄嗟に身を翻した。すると、そこにはブラッド・プリスンを抜け出したキャロラインがいた。
彼女はメサイアを見ている。
「緋々色金の鱗、宝石の如き真紅の瞳。竜王の系譜ね」
『如何にも。我はメサイア。竜王の子である』
「ふーん」
さっきまでとは雰囲気が違う。
「しょ、正気に戻ったの?」
恐る恐るフレデリカが声を掛けると、彼女は首を傾げた。
「正気って?」
「いやその……」
キョトンとした表情を浮かべるキャロラインにフレデリカは言葉を呑み込むことにした。
藪をつついて蛇を出す必要はないと思ったからだ。
「な、なんでもないよ」
幸い、まだ誰にも気づかれていない。気づかれていたのなら、とっくに誰かが駆け付けている筈だ。
このまま無かった事にしよう。そう考えて、とりあえず地上に戻ろうとキャロラインに声を掛けようとした。
そして、フレデリカは彼女が自分に刃を向けている事に気がついた。
「竜王の子に会えるなんてラッキーだけど、浮気は良くないよね」
彼女の狂気は消えてなどいなかった。
「お、おい、メサイア! もう十分とか言ってたじゃねぇか! 解けよ! 洗脳!」
『……言った筈だぞ、姉上よ』
メサイアは諭すような口調で呟いた。
『その者は鬼子だと』
◆
メサイアの言う通り、フレデリカは誤解していた。
彼女はキャロラインの凶行をメサイアの洗脳によるものだと考えている。
実際、メサイアはフレデリカを見定める為に彼女を利用しようと考えた。そして、オズワルドは彼の目的を果たす為に動いた。
けれど、オズワルドは彼女に対して何もしていない。
「もういいよね?」
宙を蹴り、キャロラインは剣聖から譲り受けた最上大業物イクサを振るう。音を置き去る神速の一斬は魔王再臨によって強化された眼力を持ってしても見切ること叶わず、フレデリカは直感のまま真紅の妖刀を振り上げて防ぐ。
続けて放たれるDr.クラウンが開発した変形式鋼装鳥カイムによる死角からの斬撃を再び直感頼りにもう一振りの妖刀で防ぐ。
見えていない攻撃を防げた事にフレデリカは驚き、キャロラインは喜色を浮かべた。
休む暇を与えず、キャロラインは双刀を振るう。対するフレデリカも双刀を必死になって振るった。
十秒を超え、その間に百度刃を交えながらも剣戟は止むことなく続いている。一手仕損じれば命を落とす激戦の中、フレデリカは困惑していた。
一度や二度ならば奇跡も起こり得るかもしれない。けれど、偶然がこうまで続く筈がない、
「―――― むぅ」
絶え間なく華麗に響き渡る剣戟の音が唐突に止む。
距離を取り、キャロラインは苛ついた様子でフレデリカを睨みつけていた。
「ねえ、どうして防ぐ一方なの? 攻撃して来てくれなきゃつまらないじゃない」
「ど、どうして? 当たり前だろ! オレ達が争えば国を巻き込む事になりかねないんだ! 君にも分かる筈だ! 正気に戻れ!」
「……わたし、正気だけど?」
「クソッ! どうしたら洗脳が解けるんだ!?」
「洗脳って……」
話が噛み合っていない。キャロラインは首を傾げた。
「何か勘違いしてない? わたしは正気だよ」
「正気じゃない! お互いの立場を考えたら、こんな真似出来る筈がない!」
「立場……? ああ、なるほど!」
キャロラインはフレデリカが根本的な部分を誤解している事に気がついた。
そして、クスリと微笑んだ。
「お姉さま」
「お姉さま……?」
妙な呼ばれ方をして、フレデリカはキョトンとなった。
「わたし、国とかどうでもいいの」
「は?」
キャロラインは言った。
「わたしはあなたに会いに来たの」
恍惚の表情を浮かべながら彼女はフレデリカをジッと見つめた。
「本当はもう少し待つつもりだったんだよ? 最強と成り得る者が最強に到るまで……」
だけど、待てなかった。キャロラインは嗤いながら言った。
「夜会でわたしを窘める為に見せたあなたの片鱗があまりにも素敵だったから、我慢出来なくなっちゃった!」
「な、何を言って……」
フレデリカは誤解していた。
オズワルドは彼女ではなく、彼女がフレデリカの下へ向かう進路上にいた者達の目を欺いていたのだ。
キャロラインは自らの意思でフレデリカの下を訪れ、宣戦布告したのだ。
それを彼女は狂気と感じた。けれど、それが彼女にとっての正気だった。
「あなたを斬りたい! そうしたい! だから、わたしはあなたと戦うの!」
戦闘狂。それが彼女の本質であり、剣聖と成り得る者達が一人残らず宿していた狂気。
剣聖を超えた者だけが剣聖となる。
歴史の中で勇者不在の時代は存在した。しかし、剣聖はその権能の継承法故に常に存在し続けていた。にも関わらず、剣聖はただの一人も聖剣に選ばれた事がない。それは精神性の問題だった。
現剣聖マリア・ミリガンは大陸全土を護る英雄の中の英雄と称えられている。しかしてその実態は剣の鬼。天国よりも斬り甲斐のある鬼を求めて地獄を望む狂気の化身だ。
そんな怪物の弟子がマトモであるわけもなく、だからこそメサイアは鬼子と呼んだのだ。
「い、いや、しかし……」
フレデリカはキャロラインとメサイアを繋ぐ見えない糸を辿った。
あの糸こそ、メサイアの欺瞞の証であり、キャロラインが正気ではない証だと彼女は確信している。
「これ?」
その証である糸を彼女は事もなげに斬り裂いた。
「……え?」
「見てるだけだからそのままにしてたんだけど、気になってたんでしょ?」
「見てるだけ……?」
「情報収集系のスキルだよ。わたしに隠すべきものなんて一欠片たりともないから気にしてなかったけど、これであなたも本気を出せるでしょ?」
「だ、だって、え? は?」
フレデリカは大きく目を見開いた。
「……じゃ、じゃあ、お前は本気でオレと戦いたいから襲い掛かって来たのか?」
「だから、最初からそう言ってるじゃん!」
理解出来ない。
自らの破滅が待っているかもしれない。国が混乱するかもしれない。世界が荒れるかもしれない。
そういう可能性がある中で私欲の為に超えてはいけない一線を平然と超えられる神経が分からない。
「分かってくれたんなら、今度は思いっきり戦ってくれるよね?」
無邪気な笑顔で彼女は言う。
生まれ変わる前も生まれ変わった後も秩序の中で生きて来たフレデリカが初めて遭遇する混沌。
それが彼女自身の意思である以上、止める方法は一つしか無い。
「いえ、時間切れです」
「え?」
「は?」
いきなりオズワルドが現れた。そして、彼はオレとキャロラインを魔力で包むとメサイアに向かって放り投げた。
そして、戸惑う二人の前で彼は魔法の盾を生み出した。その盾に向かって、地上から無数の矢が飛んで来る。
「わーお、綺麗!」
「あれは……」
魔王再臨によって強化された視力は遥か先にある地上で弓を構えた二人の少女を捉えた。
その一人は夜会で親しげに話し掛けてきてくれたイルイヤ大陸からの留学生、シャシャ・シーライル・ウルクティン。
そして、もう一人は……、
「……エルフラン」
ゲーム『エターナル・アヴァロン ~ エルフランの軌跡 / ザラクの冒険 ~』の主人公の一人であるエルフラン・ウィオルネが光の弓を構えていた。




