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第六十四話『来賓』

 零れそうになる溜息をぐっと堪える。本音を言えば、少しゆっくりとしていたかった。なにしろ、今宵は初めての夜会なのだ。細かな段取りは予習しているけれど、それなりに緊張している。

 アルが居てくれたら良かったのだけど、彼がリール領に向かってから一度も会えないまま当日を迎えてしまった。てっきり、学園に着いたらすぐに会いに来てくれると思い込んでいたからガッカリだ。

 その上まさか、何の準備もなく外国からの来賓の前に放り出されるとは思っていなかった。急遽決まった事だとしても、校門からココも来るまでの道中で多少なりとも事情を説明出来たと思う。

 横目で学園長を見るとすまし顔で佇んでいる。色々と文句を言いたい所だけど、それはこの難局を切り抜けた後だ。想定外の出来事に一々動揺していては示しがつかない。


「お初に御目に掛かります。わたくしはヴァレンタイン公爵家長女のフレデリカ・ヴァレンタインで御座います」


 これが想定外の事態だと悟られないように堂々と胸を張る。オレの一挙手一投足がアルに対する評価となり、アガリア王国に対する評価となる。不安を抱いていても安心し、恐れていても怖がらず、自信が無くても自信を漲らせる。ここに居るのは頭でっかちな男子高校生ではなく、花よ蝶よと育てられた公爵家のお嬢様でもない。アガリア王国の未来を背負う皇太子の婚約者だ。

 来賓の対応も初めてではない。王妃様に付き従いながら十分に経験を積んできた。

 相手の反応を伺う為に一拍置くと、ポティファル教国から来たルミリアという少女が慌てたように立ち上がった。顔が薄っすらと赤く染まっている。彼女は幾度か口を開きかけ、何も喋らないまま俯いてしまった。どうやら緊張しているらしい。

 その姿を見て、オレは大事な点を見落としていた事に気がついた。それは彼女が十二歳の女の子である点だ。

 異国に来て、その国の次期王妃と対面する。一度は高校生になるまで生きて、それから十二年も貴族の令嬢として専門的な教育を受けながら過ごして来たオレでも二の足を踏みそうになる事だ。

 オレはバカだ。怖気づいている場合じゃなかった。いつも色んな人に助けられて来たから、すっかり甘えた性格になっていた。

 歳は同じでも、生きた年数はオレの方がずっと長い。それに、少なくともオレは自分の国にいる。異国に来ている彼女と比べたらずっと気楽な立場だ。

 意識を改めろ。助けてもらう立場に甘んじていてはいけない。オレが助けるんだ。


「レディ」


 オレはルミリアの手を取った。両手で包み込むように握ると、ハッと顔を上げた彼女の瞳を見つめる。


「わたくしに貴女の名前を教えて頂けますか?」

「ぁ……、わた、わたくしは……」


 彼女は顔を真っ赤に染めながら薄っすらと涙を浮かべている。

 大丈夫だ。そう語りかける代わりに微笑んだ。すると彼女は目を見開き、少しの間を置いてから口を開いた。


「わ、わたくしはルミリア・レントケリオンで御座いましゅ! あっ、あの……、お、お会い出来て光栄でし!」


 一瞬、そういう訛りなのかと思った。けれど、彼女は先程までよりも一層赤くなっている。

 どうやら噛んでしまったようだ。

 個人的には可愛いと思ったけれど、ここは流すのが人情というものだろう。


「よろしくお願い致しますわ、レディ・ルミリア」

「よ、よろしくお願いしましゅ!」


 彼女は泣きそうになっている。


「……ルミリア様も今年からアザレア学園に通うのですよね?」


 確定情報ではないけれど、ヴィヴィアンがルミリアとシヴァを留学生と言っていた。加えて、今日の夜会はオレとアルの夜会デビューであり、その会場はアザレア学園。十中八九、彼女達はオレのクラスメイトになる予定の人達だ。


「は、はい!」

「でしたら、学友を相手にあまり堅苦しい態度や言葉遣いはよくありませんわね。ルミリアとお呼びしても構いませんか?」

「は、はひ! か、構わないでしゅ!」

「ありがとうございます、ルミリア! わたくしの事も是非フレデリカ、もしくはフリッカとお呼びください!」

 

 人との距離の詰め方は王妃様の隣でじっくりと学んだ。とにかく押して押して押しまくる。

 

「はえ!? あの、それは……あの……」

「ダメですか?」

「ダ、ダメじゃないです! あの、その……」


 手を握りながらジッと待つと彼女はゆっくりとオレの名を呼んだ。


「……フレデリカちゃん」

 

 新鮮な呼ばれ方だ。


「ルミリア」


 見つめ合っていると、ようやくルミリアが笑ってくれた。


「……やはり」


 そう言って、シヴァが立ち上がった。


「オレを覚えているか? シャロン」

「え?」


 振り向いた途端、意識が飛びかけた。


「お嬢様!?」


 ふらつくとアイリーンが駆け寄って来た。大丈夫だと言おうとした瞬間、全身に電流が走ったかのような衝撃を受けた。目眩がして、おでこを手で押さえると激しい頭痛が起きた。

 あまりにも痛くて耐えられない。


「やめろ、ガンザルディ!」

「フリッカ!?」

「お嬢様!!」

「フレデリカ様!!」


 ライ達の叫び声が聞こえる。だけど、目を開けられない。

 来賓の前だとか、セットした髪やドレスがぐちゃぐちゃになってしまうとか、そんな事を考えている余裕すらなかった。


「あぐっ……いたっ……」


 頭の中で声がする。


 ―――― 君は一体?

 ―――― あの子を助けて!

 ―――― え? 謎の少女……?

 ―――― ダメ! 行かないで!


 声と共に奇妙な映像が浮かんでくる。

 学校の校庭のような場所に二つの顔を持つ異形の怪物。

 飛んでいる飛行機を襲う怪鳥。

 船を喰らおうとする巨大なイカ。


「なっ……、なんだよ、これ……」


 映っているのはこの世界じゃない。前世で生きた地球の光景だ。

 だけど、あり得ない。そこに居たのはエターナル・アヴァロンの魔獣達だった。

 どういう事なのか考えようと思っても、ズキンズキンと頭が激痛が走り続けるせいで思考がまとまらない。そうしていると脳裏に一人の少年の姿が浮かび上がった。

 知っている。彼を見た事がある。


「……メ、メナス」


 メナス・ミリガン。ゼノンの先代の勇者だ。

 

 ―――― な、なんで……、僕は君を殺そうとしたのに……。


 また、映像が浮かんだ。

 四冊の本が並んでいる。


 ―――― 初代魔王の側近、アルトギアの手記。何故、あの男が……? 


 オレの声だった。だけど、また知らない光景だ。

 この世界に生まれ変わってからもたくさんの本を読んだけど、この四冊の本には見覚えがない。

 考察したいのに頭痛は酷くなる一方で、映像も別のものに切り替わってしまった。

 暗闇の中、ヒカリゴケがほんのり辺りを照らしている。


 ―――― 竜王の娘よ。

 

 声は天から降り注いできた。見上げた先には巨人がいた。

 

 ―――― 我が領域に踏み込み、何を求める?


 押しつぶされそうなプレッシャーを感じる。


 ―――― ガンザルディ。嘗て、貴様は初代魔王と交戦した事があると聞いた。


 頭痛が少しずつ収まっていく。おかげで思考能力も戻って来た。

 おそらく、これは竜姫シャロンと宝王ガンザルディの会話だ。

 

「……あれ?」

「フリッカ、大丈夫かい!?」


 唐突に意識が明瞭となり、目を見開くとオレの身を案じて血相を変えている兄貴がいた。大丈夫と返しながら今一度目を瞑る。だけど、何も映らない。

 シャロンが何を求めてガンザルディの下を訪れたのか、その肝心な部分を見れないまま映像が完全に途切れてしまった。どうせなら、あと少しくらい見せて欲しかった。そう思いながら今一度瞼を開くと思わずポカンとした表情を浮かべてしまった。

 ライがアイリーンを抑え、ルミリアがシヴァの頬を叩いていた。


「シヴァ! あなたは何をしているのですか!?」


 さっきまで緊張し切っていたはずの少女が凄みを利かせている。


「見ての通りだ。彼女の内にシャロンの意思が如何ほど残っているのか探りを入れた」


 ルミリアに叱られてもどこ吹く風といった様子でシヴァはオレを見た。


「……えっと、シヴァ様はその……、ガンザルディなのですか?」

「そうだ。そもそも、ブリュートナギレスに住まうドワーフという種族はすべてガンザルディの分身体なのだ」


 オレの疑問に答えたのはライだった。


「……貴様、何故知っている?」


 シヴァはライを睨みつけた。

 周知の事実というわけでは無かったらしい。ルミリアや学園長まで目を見開いている。


「お前に教えてもらった」

「オレに……? 待て、まさか……、そんな!?」


 シヴァは目を見開きながらライを見た。


「し、死んだとばかり思っていたぞ!?」

「ああ、死にかけた。だが、フレデリカに救われたのだ」

「なっ……」


 シヴァは唖然とした表情のままオレに視線を移した。


「まさか……、そういう事なのか? シャロンの企てではなく……」

「違う」


 何の話をしているのかさっぱり分からない。


「ライ……、どういう事ですか?」


 問いかけると、ライは口元を手で覆った。

 幾度か見た事がある所作だ。こういう時、ライは何かを思い悩んでいる。

 

「ライ?」

「……すまない、フレデリカ。俺からは話せない」

「ライ!」


 話せないのならば仕方がない。そう言おうとしたら、アイリーンが怒声を上げた。


「話せないとはどういう事ですか!? お嬢様は危害を加えられたのですよ!? あなたは何の為にお嬢様の傍に居るのですか!? お嬢様を守るどころか、お嬢様に危害を加えた者を庇うなど……、それでも護衛騎士ですか!?」


 アイリーンは激怒している。彼女がオレに永遠の忠誠を誓ってくれた時からオレと彼女は見えない糸で繋がっている。その糸を伝って念話をした事もある。彼女の激情は嵐となり、意図せずオレの中にまで流れ込んできていた。

 さっきの頭痛は明らかにシヴァが原因だった。そのシヴァを取り押さえるどころか糾弾する事もなく、あまつさえ事情を知っている素振りを見せながら『話せない』と言って庇うライの事を許し難いと考えているようだ。

 

「……ありがとう、アイリーン」


 オレはアイリーンの手を取った。すると、彼女の感情は憤怒から一変してオレを労る優しいものに変わった。彼女は常にオレの事を一番に考えてくれている。時々行き過ぎてしまう事もあるけれど、彼女がいるからオレは頑張れる。


「ライ」


 オレはライを見つめた。


「話せないのならば構いません」

「……すまない」


 ライが悪意を抱く事はない。彼は勇者であり、誰よりも善良な人だから。

 

「アイリーン。おそらく、わたくしが識るべきではない事という事なのでしょう」

「お嬢様……」

「すべてを識る事が良い事とは限りません。そして、わたくしはライを信じております。わたくしが識るべきではないと彼が判断したのなら、そういう事なのでしょう」


 アイリーンは苦悩の表情を浮かべた。納得がいかないようだ。


「……ああ、ゼノン」


 どうしたものかと悩んでいるとシヴァが声を震わせた。

 

「ゼノン! ああ、ゼノン! 生きている……。生きているのだな!」


 涙を零しながら、シヴァはライに縋り付いた。

 思いっ切りライの真名を呼んでしまっている。


「ゼノン……? それって……」


 それまで黙っていたミレーユもゼノンの名を聞いて目を見開いている。

 仕方のない事だ。この世界でその名を知らぬ者はいない。その名を聞いて平静を保てる者などいない。

 ゼノン。それは勇者の名前だ。人類の希望であり、彼の訃報は世界を絶望させた。 


「……俺はライだ」

「嬉しいぞ……、オレは嬉しいぞ! ゼノン!」


 ライの訂正の言葉に聞く耳を持たず、シヴァは彼を抱きしめた。その存在を全身で確かめているようだ。


「……ああ、これほどの喜びが他にあろうか! 偉大なるオルネウス陛下も、レオも、メナスも! みんなオレを置いていってしまった……。だが、ゼノンは残ってくれた! 嬉しい……、嬉しいぞ、ゼノン!」


 ライの真名は秘匿しなければならない。だから、一度落ち着かせようと思ったのだけど、彼のあまりの喜びようを見て言葉を詰まらせた。

 彼にとって、勇者ゼノンは大切な友達だったのだろう。その友達が魔界という死地へ赴き、死にかけた。その絶望は想像を絶するものだろう。


「……ゼノン様」


 オレはゼノンを見つめた。


「……俺はライだ」


 この期に及んでもまだしらを切ろうとするゼノンにオレは少し腹が立った。

 隠さなければいけない理由がある。だけど、目の前で涙を流す友達には誠実であるべきだと思う。


「では、ライに命じます。今だけは勇者ゼノンに戻り、ガンザルディの想いに応えなさい」


 ゼノンはわずかに目を見開いた。


「お、お嬢様……?」


 アイリーンが困惑している。ミレーユや兄貴も似たりよったりだ。


「あとで説明します。今は……、邪魔したくない」


 いずれにしても、この場の人間にはシヴァの言葉を聞かれてしまっている。

 慌てて彼の口を塞いだところで意味はない。

 人の口に戸は立てられない。音にしてしまった以上、いずれは漏れてしまう。聞いた人の中には真実へ辿り着く人も現れる。

 オレが命令を下せば、アイリーン達や学園長を黙らせる事は出来る。だけど、シヴァと同じく来賓であるルミリアに命令を下す事は出来ない。それに命令を下せば言葉の意味を悟らせる事になる。

 つまるところ、結果は変わらない。少なくとも、この場の者には真実を知られる事になる。だったら、隠そうとする行為に意味などない。


「……了解した、我が主よ」


 そう言って、ゼノンは常に身に着けている仮面を外した。

 仮面の下に隠されていた素顔に誰もが目を見開いた。


「……あぁ」


 ルミリアだけは何故かオレを見つめていた。

 どこか安心したような笑顔を浮かべている。

 首を傾げていると、急にシヴァに肩を掴まれた。


「ど、どうしました?」

「う……、うおおおおおおおお!!」


 声を掛けたら泣き出してしまった。 

 ゼノンと再会出来た事が嬉しすぎて情緒が壊れてしまったのかもしれない。


「ゼ、ゼノン!」


 ゼノンに助けを求めたけれど、彼は肩を竦めるだけだった。

 オレの護衛騎士の筈なのに頼りにならない……。


「フレデリカ!! フレデリカ・ヴァレンタイン!!」

「は、はい!」


 涙と鼻水が飛んでくる。


「オレの友達になってくれ!!」

「も、もちろん構いませんが……」

「ありがとう!! オレは嬉しいぞ!! とても嬉しいぞ!!」


 いきなり抱き締められた。


「ちょっ!? 苦しい!」

「お、お嬢様!?」


 シヴァの胸板に顔を押し付けられたせいで息が満足に出来ない。


「た、助けて……」


 そう言った瞬間、慌ただしく扉を開く音が聞こえた。


「何事だ!?」


 誰の声かすぐに分かった。

 アルだ。久しぶりに聞くアルの声だ。


「アルー!」


 オレは早くアルの顔が見たくてシヴァの腕から逃れようともがいた。

 すると、背筋がゾクリとした。


「……貴様、ボクの婚約者に何をしている?」


 一瞬、似ているだけの別の人の声かと思った。

 その声はあまりにも冷たくて、あまりにも恐ろしかった。

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