第六十話『王立アザレア学園』
あっという間に夜会の日が来た。
「……アル、帰って来てないんだけど?」
「向こうで合流するのではないか?」
ライの呑気な言葉にフレデリカは頭を抱えた。
「オレ、まだアルと一緒にダンスした事ないんだけど!? え? ぶっつけ本番なの!? ウソだろ!?」
「夜会だろう。舞踏会ではない筈だが?」
「大人が主体の夜会はそうだけど、子供が主体の夜会はダンスタイムが必ずあるの!」
「そうなのか?」
「そうなの! 夜会は交流会なんだよ。大人同士なら酒を飲みながら情報交換をしたり、政治的な駆け引きをしたりとか色々あるだろうけどさ? 子供同士の場合は基本的に仲良くなる為のパーティーなんだよ。ダンスタイムも打ち解け合う為のレクリエーションなんだ」
「レクリエーションならば、そこまで固く考えなくてもいいのではないか?」
「オレ、公爵令嬢だぜ!? しかも、次期王妃だぜ!? 外国の要人も招いてるって言うし……」
ピンと来ない様子のライにフレデリカは溜息を吐いた。
「勇者は社交界とかに呼ばれないの?」
「……呼ばれた事が無いな」
ライは少し寂しそうに言った。
「勇者を自国の社交界に招く事は勇者に取り入ろうとしていると他国に思われる危険性があるか……」
フレデリカは冷静に分析した。
「まあ、今日の夜会にはライも同伴してもらう予定だからな! 折角だし、楽しんでくれよ! どんな感じになるかはオレも知らないけど!」
「お前こそ、楽しむ事だな」
「オレは……」
「仲良くなる為のパーティーなのだろう?」
その言葉にフレデリカは唇を尖らせた。
「不満そうだな」
「べっつにー」
何故か不貞腐れてしまったフレデリカにライは苦笑した。
専属の護衛騎士として仕えるようになってから一月あまり。二人はすっかり打ち解けていた。
何か切っ掛けがあったわけではなく、単純に話していて気が合った為だ。
「段取りを考えているのはネルギウスなのだろう? これも何かしらの意図があっての事ではないか?」
「意図って?」
「お前には悪癖があるからな。余計な事を考えさせない為ではないか?」
「よ、余計な事!? オ、オレは立場とかいろいろ考えて……」
「それが余計だと言っているんだ」
ライはにべもなく言い切った。
「……フレデリカ。俺もあまり友人が多い方ではない」
膝を折り、フレデリカに目線を合わせながら彼は言う。
「だが、そんな俺でも分かる事がある。立場だとか、国益だとか、そんな事を考えて接してくる相手と友達になりたいと思う人間は……まあ、稀だろうな」
その言葉にフレデリカはハッとした表情を浮かべた。
あまりにも当たり前の事だった。それなのに考えもしなかった事だ。
これから長い時間を共に過ごす事になるクラスメイト達と利用し合うビジネスパートナーとして付き合っていくつもりならば構わない。けれど、そんな付き合い方で信頼関係など生まれる筈がない。
次期王妃は人々の信頼を得られる者でなければいけない。その事はカトレア王妃を傍で見続けて来てフレデリカも実感していた。
ありのままの自分で信頼を勝ち取らなければいけない。
「フレデリカ。ネルギウスは王だ。王が許可した事なのだ。お前はただ、夜会を楽しめばいい。そこで何か不味い事が起きたとしても、ネルギウスがどうにかする。お前はもう少し頼る事を覚えろ」
「……うん」
ションボリしながら頷くフレデリカの頭をライは乱暴に撫でた。
「そろそろ時間だろう?」
「うん」
丁度、ノックの音が響いた。
「お嬢様、準備が整いました」
「わかりました」
迎えに来たのがミレーユだった為、フレデリカはお嬢様モードになった。
彼女は二日前に自領から王宮へ戻って来ていた。
「行きますよ、ライ」
「ああ」
ライと共に部屋を出ると、ミレーユはライを睨んだ。
「……お嬢様。護衛騎士とは言え、密室で殿下以外の殿方と二人っきりになるのは控えるべきかと」
「夜会の件で話していただけですよ」
戻って来てからミレーユはピリピリしていた。
最初はアイリーンとの事が原因なのかとも思ったけれど、どうにも夜会に来る彼女の妹が原因らしい。
イザベル・アイニーレイン。彼女の名前を話題に出した時の彼女の顔はあまり思い出したくないとフレデリカは溜息を零した。
三人で向かった先は支度室だった。そこは王妃と次期王妃だけが使用を許されている部屋で、最高級の化粧品が並び、たくさんのドレスが並んでいる衣装部屋が隣接している。
中に入るとアイリーンとその他の十人の女中がいた。彼女達はメイクアップのプロ集団だ。
教会への奉仕活動の時などは相変わらずアイリーンとミレーユに任せているが、公的な行事に王妃の付添いとして出席する時は彼女達にメイクをしてもらっている。
「ライ、あなたは外で待機していなさい」
「了解した」
フレデリカを見送ると、ライは支度室の前で腕を組みながら壁に背を預けた。
すると、そこに王宮騎士団の騎士団長であるヴォルスがやって来た。
「ライ様!」
「様はいらない」
「そ、そうでしたな……」
ヴォルスは恐縮した様子で頭を下げた。
ライの正体はフレデリカを除けばネルギウスとオズワルド、そしてギルベルトの三名の中でのみ共有されている極秘事項だった。
ところがヴォルスはライの正体を初見で見破ってしまった。
以前、一度だけ直接対面した事があるとは言え、佇まいを見ただけで見抜かれるとはライ自身も思っていなかった。
「フレデリカに用か?」
「い、いえ! ライ……殿にお話が御座いまして」
「俺に?」
「は、はい! 警備体制についてで御座います! こちらに巡回ルート、交代体制などをまとめたものになります」
ライはヴォルスから警備の資料を受け取った。その内容に隙はなく、夜会の警備は万全であるとライに確信させるものだった。
「……その、何かご意見などは御座いますでしょうか?」
「意見と言われてもな……」
ライは勇者だった。人類の守護者として世界を守っていた。けれど、特定の建物を複数人で警護した経験など無い。
まったくの素人と比べればマシだろうが、プロに意見を言える程の知見などなかった。
「俺から言える事は無い」
「し、しかし!」
それでもヴォルスは食い下がった。
幼い頃から憧れ続けて来た存在である勇者を前にして、彼の心はすっかり少年時代に戻っていた。
自分など、目の前の偉大なる御方と比べれば塵芥に等しいと心から思っている。
己の考えた警備体制など、彼から見れば穴だらけの筈だと確信している。
その無垢な信頼に対して、ライは困り果てた。
「……いや、本当に言える事など無いのだが」
「そこをどうにか!」
「しかしだな……」
そもそも、警備体制を敷くには様々な情報が必要となる。それらの情報は王宮騎士団の団長だからこそ知り得る物が多く、その事はヴォルスも分かっている筈だ。
行き過ぎた勇者に対する傾倒は彼を盲目にしてしまっている。
これは不味いと感じながらも、ライには説き伏せる為の言葉が見つからなかった。
彼のような者を初めて見るわけではない。むしろ、勇者という存在を盲信している者は多く、だからこそ勇者の権能は破格の力を有しているのだ。
「……参ったな」
ライが呟くと同時に支度室の扉が開いた。
「ヴォルス騎士団長」
出て来たのはフレデリカだった。まだ、時間的に支度が済んだわけではないだろう。
支度室に限らず、王妃や次期王妃が使用する施設は防音性能を意図的に低く設計されている。
それは内外の異常をいち早く感知する為だ。だからこそ、本来はそうした施設の周辺に警護を任せられている人間以外が立ち入る事は重大なマナー違反とされている。
その事をライは知らず、ヴォルスも頭から抜け落ちていた。けれど、フレデリカが出て来た事でヴォルスの頭は一気に冷やされた。
「フ、フレデリカ様……」
青褪めるヴォルスに対して、フレデリカは目を細める。
「騎士団長」
「ッは!」
敬礼するヴォルスに彼女は言った。
「あなたを騎士団長に任命したのはネルギウス王陛下です。陛下はあなたの能力と人格を信頼し、王宮騎士団の団長に据えているのです。この国において、あなた以上に万全の警備を敷く事が出来る人間はいません。それはライを含めても変わらぬ事実です」
「……フレデリカ様」
「自覚し、職務に励みなさい」
「か、かしこまりました! 此度は誠に申し訳ございませんでした!」
「構いません。あなたの行動はあなたの職務に対する責任感の高さ故のもの。だからこそ、わたくしもあなたを信頼しております。夜会の警護、よろしく御願い致します」
「ははー!!」
深く頭を下げた後、ヴォルスは去って行った。
「……すまないな」
ライが謝ると、フレデリカはクスリと微笑んだ。
「ヒーローは大変だな」
そう小声で呟くと、彼女は中へ戻っていった。女中達はアイリーンやミレーユも含めて全員が実に不満そうな表情を浮かべていた。
そんな彼女達を取り成す姿にライは尊敬の念を抱いた。
部屋では偉そうな事を言ってしまったが、彼女の方が自分よりも遥かに人間として出来ていると感じた。
「……幸せになって欲しいな」
フレデリカは勇者と魔王の力を同時に宿している。その真髄を引き出す事が出来れば、彼女は史上最強の存在と成り得る筈だ。その力があれば、メナスの悲願を遂げる事も可能かもしれない。
けれど、ライは彼女に何も語らない。
幸福に生きて欲しい。それは偽りなき彼の本心だった。
◆
支度が済んだのは二時間も後の事だった。
長かったけれど、女中達はオレがリラックス出来るように尽くしてくれた。
同じ体勢で体が固くならないように適度にマッサージをしてくれて、香りの良いお香を焚きながら無言で作業を進めてくれた。
ウトウトすると眠っていいと言われたけれど、そこは我慢した。頑張ってくれている彼女達を差し置いて居眠りなんて出来ない。
そんなこんなで支度を終えたオレはアイリーンとミレーユ、ライを引き連れて王宮の外に出た。
そこには大型の馬車が待機していて、その前には見覚えのある顔があった。
「あ、あに……お兄様!?」
兄貴と言い掛けて慌てて言い直したけれど、表情までは取り繕えない。
そこに居たのは公爵領で政務に励んでいる筈の兄貴だった。
「フリッカ! 会いたかったよ、俺の天使!」
駆け寄っていくと兄貴はオレを抱きしめようとした。
そして、慌てた様子のアイリーンとミレーユに止められた。
「ロ、ロベルト様! 申し訳ございません。お、お嬢様の御髪やドレスが乱れてしまうものでして……」
「そ、そうだな。すまない、フリッカ……」
ショボンとなる兄貴だけど、オレも抱きつこうとしていたから同罪だ。
「そ、それより! 領の方は大丈夫なのですか?」
「ああ、あまり長居は出来ないけどな。けど、フリッカの社交界デビューなんだ! 居ても立っても居られなかったよ」
「お兄様……」
久しぶりに会う兄貴は何も変わっていない。
オレをまっすぐに見てくれる。優しい声でオレを気にかけてくれる。
抱きしめて欲しいし、頭を撫でて欲しい。だけど、今はそれが許されない。
「……手をつないでもいいですか?」
「もちろんだ」
アイリーン達は使用人用の馬車に乗る。だから、馬車が動き出した後は兄貴と兄妹水入らずで話す事が出来た。
さすがに魔王の力でエリンや迷いの森に行った話は伏せる事にした。公にしていい情報ではないし、なによりも兄貴を心配させたくなかったからだ。
だから、オレは王妃様と過ごした日々を主に語った。
「この前も演劇を一緒に見に行ったんだ! それから、来週はまた教会に奉仕活動しに行く予定でさ! そこにはマイロやキャロルって子達がいるんだけど、オレの事を姫様って言いながら騎士の真似をしたりするんだぜ!」
兄貴はどんな話もすごく楽しそうに聞いてくれる。
それが凄く嬉しい。
「……フリッカ」
会場が近づいてきた頃、兄貴は言った。
「寂しそうだね」
兄貴は何でもお見通しだった。
「……うん」
兄貴と離れ離れになって寂しかった。それに、アルとも殆ど会えていない。
王妃様が一緒に過ごしてくれるけれど、いつも一緒とはいかない。
オレは寂しかった。
「まったく! 殿下には困ったもんだ! 俺の天使を寂しがらせるなんて!」
「ほんとだぜ! 仕事は大事だけど、少しくらい……」
言っても仕方のない事だとは分かっている。
なにしろ、アルは皇太子だ。いずれは国を統べる王となる立場だ。
彼の仕事は国の未来を左右するものであり、その責任はとても重い。
だから、仕事よりもオレを優先して欲しいなどとは口が裂けても言えない。
「フリッカ! 我慢する必要はないぞ!」
「え?」
「寂しい時は寂しいと言うんだ! 男って生き物は生憎と鈍い生き物なんだ」
「でも、そんな我儘……」
「フリッカ。愛する人に遠慮される事を喜ぶ男はいないよ」
兄貴は言った。
「俺が殿下の立場なら、遠慮などしないで欲しいと思う筈さ。我儘だって? むしろ、どんと来いだ! きっと、殿下も迷惑がるどころか喜ぶ筈だよ」
「そ、そうかな……?」
「そうさ!」
兄貴が言うと、不思議と説得力がある気がする。
「兄貴」
オレは握りっぱなしの兄貴の手を自分の頬に当てた。
ぬくもりが伝わってくる。
「ありがとう」
そうしている内に馬車が速度を緩め始めた。
窓の外を見ると大きな湖が広がっていた。その向こうには目的の場所が見える。
王立アザレア学園。そこが夜会の会場だ。




