第五十九話『凪咲』
社交界デビューが目前に迫り、王妃様とアイリーンは目の色を変えてオレのドレスやアクセサリーを選んでいる。
肝心のオレはと言うと二人が選び終えるまで待たなければいけないから部屋で一人ゴロゴロしている。
この世界で十二年も生きて来たけれど、基本的に公爵領の屋敷の中で暮らして来たから流行に疎い自覚がある。一応、シェリーやアスナタシアから社交界のスタンダードを習っているけれど彼女達に任せたほうが安心だ。
ちなみにオレのもう一人の使用人であるミレーユは自領に戻っていた。この前のアイリーンとの喧嘩が原因ではなく、陛下からの直接の命を受けての事だ。どうやら、今度開催される夜会にはミレーユの妹も参加するらしい。
「いよいよなんだなぁ……」
妹さん以外にも、恐らくは学園で共に過ごす事になるクラスメイト達と夜会で会う事になる筈だ。その内の一人、ヴォルフ・リールを夜会に招く為にアルはリール侯爵領へ向かっている。
「……もうちょっと真剣にプレイしとけば良かったな」
もう何度目になるか分からないくらい後悔している事がある。
それはもう少し『エターナル・アヴァロン ~ エルフランの軌跡 / ザラクの冒険 ~』をやり込んでおけば良かったというものだ。
一応、大まかな内容は覚えている。だけど、細かい部分がかなりあやふやなのだ。
それと言うのも、転生を自覚した時点で三歳くらいだった。それまではそもそも意識自体が曖昧で夢を見ている気分だった事を覚えている。
それからこの世界がエターナル・アヴァロンと酷似していると気づいたのは四年も後の事だった。要するに九歳の時だ。
九年前にプレイしたゲームの記憶など、よっぽど熱中していたものでも記憶に留めて置く事は難しい。だって、ゲームだ。人生において必要不可欠な知識ではない。楽しかった思い出の一つとして記憶の中に埋もれていくべきものだ。
まさか、ゲームの舞台となる世界に転生するなんて思わなかったわけで、むしろ大まかな概要や一部の登場人物を覚えていただけでもオレは凄いと思う。
「凪咲がいればなぁ……」
転生前の幼馴染である凪咲はエルフランのシナリオをこれでもかとやり込んでいた。
彼女から聞かされたネタバレ込みの感想や考察をもう少し真剣に聞いておくべきだった。
大半を聞き流してしまった事を今更ながらに後悔している。
「……ぶっちゃけ、乙女ゲーにそこまで興味無かったしなぁ」
今は女だけど、前世のオレは紛れもなく男だった。だから、少女の視点でイケメン達と恋愛を楽しむゲームに熱中出来る筈もなかった。
オレが主に楽しんでいたのはザラクのシナリオの方だ。
「ザラクのシナリオは結構覚えてるんだけどな……」
オレはザラクが好きだ。
運命に翻弄されながらも自分を見失わず、常に前向きで在り続けた主人公。
彼は多くの人間に裏切られる。そして、騙される。それでも人を信じ続ける彼の在り方に惹かれて仲間が集まっていく。
まさにヒーローだった。
「どうせならザラクの仲間に転生して一緒に冒険したかったなぁ」
言っても仕方のない事だけど、どうせ転生するならザラクのシナリオの登場人物が良かった。
時系列的にザラクのシナリオはエルフランのシナリオのエンディングからかなりの時が経過した後に始まる。
その頃にオレが生きているかも分からない。
「……現実逃避してる場合じゃないか」
考えるべき事は他にある。脳裏を過ぎるのは迷いの森で出会ったエルフランの顔だ。
「凪咲なのかな……」
彼女は凪咲にそっくりだった。その名前に引っ掛かりを覚えている節もあった。
考えられる可能性は二つある。一つはこの世界が凪咲のセーブデータの世界であるという事。もう一つはエルフランと凪咲が同一人物であるという事。
凪咲はエルフランの容姿と名前を両方共自分の名前と容姿に設定していた。だから、当初は一つ目の可能性が高いと思った。けれど、よくよく考えるとおかしい。
彼女の名前はエルフランだった。凪咲がナギサと付けたのはアンゼロッテが付けた彼女の仮の名だ。エルフランと呼ばれている時点でセーブデータ説は破綻している。
だとすると、二つ目の説が有力という事になる。実際、オレが転生している時点で凪咲も転生、あるいは転移していたという展開もあり得ないとは言い切れない筈だ。
なにより、彼女が不安や恐怖を感じている時の仕草は凪咲そのものだった。
「……エルフラン・ウィオルネ」
彼女のゲームでの設定はかなりふわっとしていた。
記憶喪失の状態で迷いの森の魔女に拾われた少女。彼女の正体がゲーム中で判明する事は終ぞ無かった。
過去を知らず、自分の事が分からないまま、それでも今を生きていく。そういうふわっとした感じで終わっていた。
ゲームとして、それでいいのか? と思わないでも無かったけれど、乙女ゲーとはそもそもプレイヤーが主人公になり切ってゲームに登場するイケメン達と恋愛をするというものだ。
要するに主人公自体の事は割とどうでもいいのだ。他の乙女ゲーをいくつか凪咲にやらされた事があったけれど、大抵の主人公が没個性だったと思う。たまに凄い個性の塊もいたけれど……。
記憶を失った状態で見知らぬ土地にいたという設定もゲームの世界観に入り込む為の優れた導入だと評価している人もネットの掲示板にいた。
重要な点は一つ。エルフランの正体は何者であってもあり得ないと言い切る事が出来ないという事だ。なにしろ、彼女の正体は不明なのだから。
「エルフランが凪咲だとしたら……」
これまで曖昧だった部分が明瞭になる。繰り返して来た多くの考察に一定の解答を得る事が出来る。けれど、そんな事はどうでもいい。
彼女が凪咲なら……、
「オレ、どんな顔して会えばいいんだ……?」
男だったオレが女になって、皇太子の婚約者としてヒラヒラしたドレスを着ている現状を幼馴染の女の子に知られる。
ドン引きされる事請負だ。
「……会いたいけど」
オレは頭を抱えた。
「会いたいんだけどなぁ……」
◆
フレデリカが自室で頭を抱えている頃、エルフランも自室でボーッとしていた。
「ウキ……?」
「悩んでいるみたいだな……」
その様子をこっそり覗き込んでいる猿と女。
ヴァイクとアンゼロッテは思い悩むエルフランの事が心配で堪らなかった。
「……二人共、そんな所に居ないで入って来たら?」
エルフランの言葉に一人と一匹はギクリとした。
「エ、エル。大丈夫か?」
「ウキィ……?」
二人の言葉に彼女は力なく微笑んだ。
「……わたし、ずっと気になってるの」
「気になってる……?」
「うん。フレデリカの事」
その言葉にアンゼロッテは苦々しい表情を浮かべた。
フレデリカは竜姫シャロンの生まれ変わりであり、シャロンは二代目魔王ロズガルドの親友だった。
アンゼロッテはエルフランの正体がロズガルドである事を半ば確信している。
だからこそ、フレデリカの存在がエルフランの失われた記憶を呼び覚ます切っ掛けとなってしまう事を懸念していた。
そして、その懸念が現実のものになろうとしている事を感じ取った。
「どう……、気になるんだ?」
「……多分だけど、わたしはあの子の事を知っているんだと思うの。そして……」
エルフランは頬を赤く染めながら言った。
「きっと、あの子の事がすっごくすっごく好きだったと思うの」
エルフランの言葉にアンゼロッテとヴァイクは呆気に取られた。
「ど、どうして、そう思うんだ?」
アンゼロッテは恐る恐る尋ねた。
「わからないけど、わかるの。きっと、あの子が男の子だったら恋をしていたと思う。それくらい、わたしはあの子が好きだったと思うの!」
「なっ……」
「ウキッ……」
あまりにも大胆な発言に一人と一匹は開いた口が塞がらなくなった。
そして、エルフランはアルヴィレオが残していったアザレア学園への入学許可証を持ち上げた。
「……アンゼ。ヴァイク。わたし、あの子に会いたい! エリンがあんな事になって森から出るべきじゃないと思ったけど! アルヴィレオの話を聞いて怖いと思ったけど! あの子と会ったら、昔の自分を思い出しちゃうかもしれなくて、それもすごく恐いけど! でも、会いたいの! だから、わたし……」
「行きたいんだな?」
「うん」
迷いのない瞳を見て、アンゼロッテは深く溜息を零した。
彼女としては『行きたくない』と言って欲しかった。例え、彼女が世界中の軍隊から狙われる事になってもヴァイクと共にすべての脅威から彼女を護るつもりだった。
だけど、彼女は『行きたい』と言った。
「……分かった」
ロズガルドにとって、シャロンはそれほどの存在だったという事なのだろう。
アンゼロッテは不意にシャロンと初めて出会った時の事を思い出した。自身が持つ『聖女の権能』によって、彼女は思い出したいと思った時にあらゆる記憶を鮮明に思い出す事が出来る。
シャロンは純真無垢で好奇心旺盛な子だった。優しくて賢い彼女の事を溺愛しているウェスカー・ヘミルトンの親バカ振りに呆れた事を覚えている。だからこそ、後の彼女の変貌振りには驚かされた。けれど、エルフランと共に過ごす中でシャロンが魔王となった理由が見えて来た気がした。
あるいは彼女は世界と一人を天秤に掛けたのではないだろうか? そして、今の自分のように一人を選んだ。
それほどの絆を結んでいたのなら、エルフランが記憶を失って尚もフレデリカに対して好意を抱き続けている事に納得がいく。
「ウキ……」
ヴァイクは哀しそうに鳴いた。けれど、ゆっくりと微笑んだ。
「ウキ!」
エルフランが望む事。それはヴァイクが望む事でもあった。
「……いや、待てよ」
アンゼロッテはヴァイクを見て、とても悪そうな笑みを浮かべた。
「ア、アンゼ……?」
「ウキ……?」
戸惑う一人と一匹に対して、アンゼロッテは言った。
「いろいろかき回してくれたんだ、きっちり責任を取って貰おうじゃないか」
「……どういう事?」
「ウキ?」
アンゼロッテは言った。
「エルだけじゃない。わたしとヴァイクもアガリア王国に行くぞ!」




