第五十六話『太陽と月』
鳥の鳴き声で目が覚めた。ハンモックに揺られている内に眠ってしまったようだ。
起き上がるとハンモックが揺れたけれど、落ちないようにアルが支えてくれた。
ずっと傍で見守ってくれていたらしい。
「おはよー、アル」
「ああ、おはよう」
寝起きでボーッとしているとアルが水をくれた。
適度に冷やされていて美味しい。魔法で冷やしてくれたみたいだ。
「ありがとう、アル」
「どういたしまして」
バレットとジョーカーはいないようだ。
「……っていうか、またやらかした」
「フリッカ?」
「ジョーカーの前でまたやっちゃったよ……」
反省したつもりだったのに、また素を出してしまった。
落ち込んでいるとアルが頭を撫でてくれた。
「ジョーカーなら大丈夫だよ。将来的にはバレットと共にボクの腹心になってもらう予定の男だからね」
ジョーカー・レッドフィールド。七英雄の一人、レッドフィールドの子孫。
よくよく思い出してみるとゲームにも登場していた気がする。学園編での彼は孤高の一匹狼というキャラクターだった。
「……どういう人なの?」
「バレットと似ている」
アルは言った。
「己の責務を理解し、全うしようとしている。凄い事だ。彼らに仕えてもらう立場の人間として、ボクはもっと頑張らないといけない」
オレの目から見たら、アルはとても立派だと思う。
まだ十二歳なのに皇太子としての職務に励んでいる。親元から離れ、馬車で遠方の村々を巡ったり、異国の首脳と面会したり、命の危険がある場所に踏み込んだり……。
「アルは凄いね」
彼の言う通り、バレットとジョーカーも凄いと思う。だけど、アルだって凄い。
「アルは今のままでもすごく立派だよ。だけど、満足してないんだね。もっともっと立派になろうとしている。出会った時と一緒だ」
あの時も自分の不甲斐なさを嘆いていた。
「……でも、無理はしないでね?」
「フリッカ……」
子供が背伸びをしたがる程度なら微笑ましいで済む。
だけど、アルは違う。向上心が強過ぎて、不安になる。
「アル。進み続ける事は大切だと思うよ。だけど、時々はペースを落とした方がいいと思うんだ。ずっと走り続けていたらバテちゃうでしょ? だから、時には歩くような速さで進んでいこうよ」
「……うん。君と居る時は走るよりも歩いていたいな」
アルはオレの隣に腰を降ろすと肩を抱きながら頬にキスをしてきた。
二人で並んで座っているとホッとする。
「フリッカ。君はどうだい?」
「オレ?」
「ああ、頑張りすぎていないかい?」
「全然だよ。王妃様と演劇を見に行ったり、花の世話をしたり、教会で子供達と遊んだり。時々は王妃様の政務を見学させてもらったりもしてるけど、オレの方はむしろ頑張りが足りないくらいだと思う……」
「そんな事はないよ」
アルは微笑んだ。
「どれも大切な事さ。それに……」
頬に彼の手が添えられる。
「君が苦労していない筈がないよ。だって、君の心は悲鳴をあげているじゃないか……」
「……アル」
「教えてくれないか? 君の力になりたいんだ」
「でも、アルだって大変なのに……」
「ボクよりも君だ。君が苦しい思いをしていたら、ボクも苦しいんだよ。大切なんだ。支えたいんだよ。分かるだろう? 君はボクのお嫁さんなんだから」
アルは悲しそうに目を細めた。
「君には笑顔がよく似合う。笑顔でいて欲しい。だけど、無理をして欲しくないんだ。心からの笑顔じゃなきゃイヤなんだ。それは……、我儘だと思うかい?」
「……まさか」
オレは話した。エリンで結界を張った事、勇者を救う為に魔王の力を使った事、すべてを語った。
さすがに予想外だったのか、アルは目を見開いた。だけど、『本当に?』とか、『ありえないよ』とは一度も言わなかった。
荒唐無稽な話だとは思わず、オレの言葉をすべて信じてくれた。
「そうか……、そんな事があったのか」
心配してくれている。だけど、どこか不満そうだ。
「何か気になる事があるの?」
「……いや」
「話してくれよ。オレだって、話したんだぜ?」
そう言うと、アルは少し気まずそうに言った。
「勇者様が君の護衛騎士になった事だ。彼は君の命の恩人でもある。そして……、いい男だ」
その言葉に吹き出しそうになった。どうやら、ライに嫉妬しているようだ。
「オレが浮気すると思ったの?」
「……器の小さい男だと幻滅したかい?」
「むしろ、嬉しくなったよ」
「嬉しい?」
キョトンとするアルにオレは微笑んだ。
「アルの嫉妬する顔なんて、きっと陛下や王妃様だって見た事ないだろ? そういう一面が見れた事、なんだか嬉しいんだ」
「……君はボクのそういう部分も受け入れてくれるんだな」
「受け入れるさ。だって、アルもオレを受け入れてくれたじゃないか」
男のような物言い、淑女に相応しくない態度。
それはオレが生まれ変わる前の世界で培った人格だ。母親には気味悪がられたし、父親には矯正するように怒られた。
だけど、兄貴だけは受け入れてくれた。そして、アルも……。
「それは当然だ。オレが恋をしたのは、ありのままの君だったんだからね」
「男みたいだから良かったとか?」
「君が男だったら、ボクは君と友達になりたいと思った筈だよ。だけど、君は女の子だった。そして、婚約者だった。だから、恋になったんだと思う」
オレにとって、その言葉はクリティカルヒットだった。
「……じゃあ、もしもだよ? もしも、オレがいきなり男の子になっちゃったら、アルはどうする?」
「フリッカが男の子に?」
「うん。友達になってくれる?」
期待した。彼なら、きっとオレが望んだ通りの言葉を返してくれると思った。
「それは無理だよ」
「……え?」
だけど、違った。頭が真っ白になり掛けて、アルにキスをされた。
目をパチクリさせているとアルの口がオレの口から離れていく。
「君が男の子になっても、ボクの心は変わらないよ。だって、もう好きになってしまった」
「あっ、そういう……」
「逆に考えてごらんよ。ボクがいきなり女の子になったとして、君のボクに対する気持ちは変わってしまうのかい?」
アルが女の子になったら、きっとすごく可愛い子になると思う。
「か、変わらないと思う……」
ちょっと嘘をついた。多分、かなり変わると思う。
余計な事を考えなくなる分、歯止めが効かなくなりそうだ。
「おや?」
その時だった。いきなりガシャンという音が聞こえた。
「何事?」
目を向けると、そこには鳥の模型が転がっていた。
「これは父上の魔道具だ。どうやら、魔力が切れたみたいだね」
「魔道具!」
魔道具と言えば、王家の湖で乗ったボートのように魔力を込める事で起動する道具の事だ。
「伝書鳩の変わりだよ。王国の秘宝の一つだから、あまりおいそれとは使えないんだけどね。ああ、あった」
アルは鳥の模型を弄り、筒を取り出した。
筒の中には王からの手紙が入っていた。
「フリッカ宛てだ」
「オレ?」
アルに手渡された手紙を開いてみる。そこには勝手にアルの下へ向かった事に対する短い叱責文と『魔王の権能』のゲートでアル達と共に帰って来いという指示が書いてあった。
「うっ……、怒ってる……」
短くて簡素な文章が逆に怖い。エリンに行ったり、勇者を助けに行っても怒られなかったけれど、さすがに三回目となるとまずかったのかもしれない。
「ボクも一緒に謝るよ」
「アルが謝る理由は無いだろ? オレがアルに会いたくて勝手に飛び出して来たんだ。ちゃんと怒られてくるよ」
「……理由ならあるさ」
アルはオレの肩を抱きながら言った。
「だって、君が来てくれた事を喜んでしまった。とても嬉しくて、君を叱る事が出来なかった」
「……今から叱ってくれてもいいんだぜ?」
「止めておくよ」
アルはオレの手を取った。
「君が魔王の権能の事で婚約について父上に物申した時、ボクは君を傷つけてしまった」
「あれはオレが……」
「ボクが悪いんだよ。姉上からも叱られた。ボクは束縛してしまうタイプの男らしい。叱ることを名目にして、君を縛り付ける為に必要以上の事をしてしまうかもしれない」
「そんな事は……」
「あるよ。だって、君の腕に傷跡が残っていない事を……、少しだけ残念に思ってしまった自分がいる」
そう言って、オレの腕に指を沿わせた。そこはアルが強く握り締めた事でアザになっていた部分だ。
「別にアルならいいぜ?」
オレは言った。
「オレ、アルになら腕にナイフを突き立てられても構わない。一生残る傷跡を付けられてもイヤじゃない」
「……あまり煽らないでくれ」
「本気だよ、アル」
ゲームでは、フレデリカ・ヴァレンタインは婚約破棄される事になっている。
どんなルートを辿っても、それは変わらない。
目の前のアルがオレを捨てる姿なんて想像も出来ないけれど、未来は分からない。
生まれ変わる前の世界の話だけど、熱愛カップルが浮気で破局する事なんて割とよくある話だ。
浮気じゃなくても、アルは王様になるわけだから国益を優先しなくてはいけない立場にある。
だから、オレは本気だ。今のアルとオレの絆を確かに存在したものだと裏付ける証拠となるのなら、それが痛みを伴うものでも構わない。
「不安なのかい?」
不安だ。だけど、それは傷を負う事に対するものじゃない。
「フリッカ。ボクが愛する人は君だけだ。例え、君からの愛を失ったとしても、ボクの愛は失われない」
そう言うと、アルはポケットから小さな小箱を取り出した。
「王宮に帰ったら渡そうと思っていたんだ」
小箱の中には指輪が入っていた。
銀のリングに青い宝石が嵌め込まれている。
「マグノリア共和国に着いた時、偶然見つけてね。君にピッタリだと思って買ったんだ」
アルはオレの薬指に指輪を通した。少しぶかぶかだ。
「待っていて」
そう言うと、アルは指輪に魔力を流した。すると、指輪はオレの指にピッタリなサイズへ変化した。
「これを証と思ってもらいたい。君に対する変わらぬ愛をこの指輪に誓うよ」
「アル……」
指輪なんて、欲しいと思った事がなかった。
宝石にも特に興味はない。
だけど、薬指に嵌められた指輪は違った。
船窓に向けて見ると入り込んできた陽光を反射して、キラキラと輝いている。
とても綺麗だ。
「気に入ってもらえたかい?」
「……うん」
オレは指輪を撫でた。アクセサリーを身につけるなんて、ただただ面倒くさいと思っていた。
だけど、この指輪が与える圧迫感や重みは特別だった。
「魔王再臨」
スキルを使って、魔王の力を起動する。
そして、手の中で魔力を練り上げた。
「ブラッド・リング」
魔力は指輪の形になった。だけど、このままだと魔力の消失と共に消えてしまう。
だから、金色に変化した髪を一束斬り取り、ブラッド・リングに溶かし入れた。
「出来た」
魔王の魔力がオレの髪を魔石に変換した。
金のリングが出来上がり、そこに指を切って滴らせた血液を乗せる。それを更に魔王の魔力でコーティングすれば、真紅の宝石に生まれ変わる。
「アル!」
魔王再臨を解いて、アルに向き合った。
彼は微笑みながら右手を差し出してくれた。その薬指に出来たばかりの指輪を通す。
ピッタリだ。
やっぱり、絆の証とするなら一方だけではなく、互いに持っているべきだと思う。
「素敵だね」
アルは愛おし気に指輪を見つめた。
オレもアルから貰った指輪を見つめる。
青と赤。銀と金。
よく、太陽をゴールデン・サン、あるいはレッド・サンと言う。そして、月をシルバー・ムーン、あるいはブルー・ムーンと言う。
月は太陽の光を反射する事で初めて存在を示す事が出来る。そんな太陽と月はまさにオレとアルの関係だ。アルが居てくれるから、オレは存在していられる。
アルはまさしく、オレにとっての太陽だ。




