第五十四話『クリムゾンリバー号』
混迷を極める状況を見兼ね、ジョーカーは口を挟む事にした。
「殿下」
アルヴィレオに声を掛けると、彼はフレデリカの肩を抱いたまま振り向いた。
「目的は既に達しています。これ以上、ここに居残っても彼女達を困らせるだけでしょう」
「……そうだな」
ここに来た目的はエルフランに選択肢を与える事だ。
出来れば提案を受けて貰いたい。彼女の身柄をアガリア王国の庇護下に置く事が出来れば予想されている様々な面倒事を回避する事が可能だ。
けれど、強制するわけにはいかない。彼女の意に沿わない真似をアンゼロッテとヴァイクが許す筈がないからだ。
「エルフラン」
アルヴィレオはエルフランを見つめて言った。
「色々とすまなかった。アザレア学園の事、前向きに考えてもらえると嬉しい」
「……その子、大丈夫なの?」
エルフランは心配そうにフレデリカを見つめている。
「分からない。だけど、寄り添い支えるさ。婚約者だからね」
彼は愛おしげにフレデリカを見つめると、彼女の体を抱きかかえた。
「ほあ!? ア、アル!?」
いきなり抱き上げられた事に驚いたのだろう。フレデリカは目を白黒させながらアルヴィレオを見た。
そんな彼女に微笑みかけると、彼はアンゼロッテを見つめた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
「まったくだ」
つっけんどんな態度を取りながら、彼女は魔王の権能でゲートを開いた。その先にはクリムゾンリバー号を停泊させている洞窟の光景が広がっている。
「……おい、フレデリカ」
アンゼロッテはアルヴィレオに抱きかかえられている事実に気づいて赤面しているフレデリカに囁きかけた。
「お前はシャロン本人ではないのだろう。だが、その魂は紛れもなくシャロンのものだ」
「で、でも……」
「何か引っかかる事があるらしいが、この事実は変わらんぞ」
「……はい」
フレデリカが俯くと、アルヴィレオは「失礼致します」と言ってゲートに向かった。
バレットとジョーカーもその後に続く。
三人がゲートの先に消えると、アンゼロッテは溜息を零した。
「……賢王の婚約者が竜の姫の生まれ変わりとは」
◆
ゲートをくぐり抜けたアルヴィレオ達はクリムゾンリバー号に乗船した。
「これ、海賊船!?」
フレデリカは目を丸くした。彼女の視線の先には真紅の海賊帽を被った髑髏の旗がはためいている。
大海賊レッドフィールドが掲げていた海賊旗は500年を経ても尚、クリムゾンリバー号のシンボルとして掲げられ続けている。
「海賊船クリムゾンリバー号へようこそ、レディ・フレデリカ」
ジョーカーはフレデリカの前で頭を垂れた。
「あなたは……」
「ジョーカーと申します。ジョーカー・レッドフィールドで御座います。 どうかお見知りおきください」
レッドフィールドの名を聞いて、フレデリカは僅かに目を見開いた。
「フレデリカ・ヴァレンタインです。此方こそ、よろしく御願い致します。レッドフィールドというと、もしや……」
「ええ、我が祖はウェントワース・レッドフィールドで御座います」
七英雄の一人であり、大海賊としても知られるレッドフィールド。
フレデリカは王妃教育の一貫として、王妃と共に彼をモデルにした演劇を見に行った事がある。
「やっぱり!」
フレデリカは瞳を輝かせた。
娯楽作品が溢れかえっていた前世の世界と違って、この世界にテレビや映画はない。
かなり文明的な世界だけど、科学技術はあまり発展していないのだ。代わりとなる魔法や魔獣が存在する為だろう。
公爵領に居た頃は家から出る事も許されなかった為、フレデリカにとって娯楽と言えば小説だった。
ドラマが見たい。映画が見たい。アニメが見たい。ゲームがしたい。そんな事を思いながら禁欲生活を送り続けていた彼女は演劇にすっかり夢中だった。
「海賊船とレッドフィールド! もしやと思いましたが! わたくし、イーサン・ハウアーの『真紅の影』を読みましたわ! つい先日も王妃様と真紅の影を原作とした舞台を見に行きましたの!」
「それは光栄にございます」
「これがクリムゾンリバー号なのですね! 7つの海を超え、数々の大冒険を繰り広げた!」
「その通りでございます。この船ならば死海であろうと、暗黒海域すら超える事が可能でございます」
「死海!! 暗黒海域!! くぅー、ワクワクする響き!!」
フレデリカのテンションが上がっていく。
この世界の死海はパシュフル大陸の北部に広がる海域を指す。
塩分濃度が高過ぎて生物が生きられないという意味ではなく、文字通りの死の海だ。
近くに死霊楽園という霊王レムハザードの支配領域があり、亡者や死霊が蠢いている。
死者達の海という意味での死海なのだ。
暗黒海域の方はポティファル大陸の西部に広がる海を指している。文字通り暗黒が広がる海域だ。
どうやら炎王レリュシオンの結界が極地の方角から伸びてくる光まで阻んでいる事が原因らしい。
位置の関係で光が完全にシャットアウトされてしまっている海域なのだ。おかげで闇を好む魔獣がこれでもかと住み着いてしまっているらしい。
「リーン・スペクターの『楽園への旅』で読んだんだけど!! この船って、アヴァロン島にも行ってるんだよね!? 霧の海での大冒険はまだ演劇化されてないそうなんだけど、その辺りが作者の妄想でほぼ補完されちゃってて、他の本や文献のレッドフィールドのキャラと全然違う感じになってるからみたいなんだ!! 子孫ならその辺りの事知ってるだろ!? ねえねえ、霧の海をレッドフィールドは本当はどうやって超えたの!?」
「き、霧の海を超えたのは武神と謳われたクレア・リードの功績が大きかったようです」
「クレア・リードって、七英雄の一人だよね!? その拳は山を砕き、その脚は海を水底まで引き裂いたという! 七英雄最強の英雄!」
「え、ええ」
ジョーカーは徐々に化けの皮が剥がれていくフレデリカに顔を引き攣らせていた。
咄嗟にアルヴィレオを見ると、彼は愛おしそうに彼女を見つめている。バレットも困惑した様子を見せていない。
なるほど、これが彼女の素なのだろうと理解し、混乱を腹の底に沈めた。
「そう言えばロイヘンバッハ歌劇団が新作を発表するって王妃様が言ってたんだ! 一緒に見に行く予定なんだけど、演目はまだ未発表なんだよね! でも、絶対レッドフィールドの話になると思うんだ!」
「……ええ、演目は『真紅と漆黒』。レッドフィールドとサリヴァンの逢瀬を描いた物語でございます」
「やっぱり! でも、よく知ってるね?」
目をパチクリさせる未来の王妃に対して、ジョーカーは苦笑した。
「それが契約ですので」
「契約?」
「我が祖と当時のアガリア王が取り交わした契約です。『我らの伝説を絶やしてはならない』。その為にアガリア王国では七英雄の演目が多いのです」
「そうなの!? でも、どうして?」
「一番の理由は権能の継続化ですね」
ジョーカーは言った。
「権能は信仰によるスキルです。信仰が薄まれば弱くなり、失われる事もある。だからこそ、人々に七英雄の伝説を覚えていてもらう必要があるのですよ」
「なるほど!」
「他にも幾つか理由はありますが、そういった理由なので演劇の内容も我が一族が監修しているわけです。先程仰られていた『楽園への旅』も真実と程遠い内容の為にわたしが却下しました」
「そうだったんだ!?」
フレデリカの大げさなリアクションにジョーカーは苦笑した。
魔王の姿で現れ、獣王と渡り合い、淑女らしい振る舞いを見せたかと思えば子供らしくはしゃぎだす。
ジョーカーはその在り方を危ういと思った。
強大な力には強大な精神が必要だ。けれど、こんなに簡単にボロを出すようでは精神が未熟過ぎる。
魔王の権能は初代魔王の力を宿すものだとアンゼロッテが言っていた。ジョーカーにとっても初耳だったが、恐らくは人類の大半にとってもそうだろう。
権能は人格にも影響を及ぼす。実際、ジョーカーは幼馴染に別人扱いされる程度に初代レッドフィールドの影響を受けている。
アルヴィレオやバレットが違和感を覚えていないのは影響がまだ出てきていないのか、あるいは彼らが元々の彼女を真に理解していなかったのかは分からない。
「……レディ・フレデリカ。良ければクリムゾンリバー号の船内をご案内致します」
「やったー! ありがとう、ジョーカー!」
「いえいえ……って、殿下? どうなさいましたか?」
ジョーカーはアルヴィレオが酸っぱいものでも食べたかのような顔で自分を見ている事に気づいた。
「アル! クリムゾンリバー号だぜ! 伝説の船だ! 楽しみだな!」
ところがフレデリカがそう言うと途端にアルヴィレオは頬を緩ませた。
「ああ、そうだな」
彼女の肩を抱き、手を取る。そして、ジョーカーを睨んだ。
ジョーカーは吹き出しそうになった。獣王の領域までの道中ではあれほど冷静沈着で御立派な姿をこれでもかと見せつけてくれたアガリア王国の皇太子がこの程度のやり取りで嫉妬に駆られるとは思っていなかった為だ。
「では、参りましょうか」
フレデリカの言動や態度からは邪気の欠片も見当たらない。それに、これほどの愛情を向けている相手の変化が分からないほど、アルヴィレオは鈍感ではない。
まだ、権能による人格汚染は始まっていないという事なのだろう。
「バレット! 何してるの! はやく行くよ!」
「すぐ行くよ!」
ジョーカーと同じく笑いを堪えていたバレットも合流して、四人はクリムゾンリバー号の船内を巡った。
◆
伝説の船を見て回り、フレデリカは大はしゃぎだった。
小説や演劇で描かれた船内の様子との差異に気付く度に嬉しそうに解説を始め、アルヴィレオは心底幸せそうに彼女の話を聞いてあげている。
「見て見て! ここ寝室だぜ! ハンモックだ! 船内は常に揺れているからベッドよりもハンモックの方が快適なんだぜ! それにベッドだと何かの弾みで固定が取れたら大惨事になるからな!」
「良ければ使ってみますか?」
「いいの!?」
フレデリカは大喜びで近くのハンモックによじ登ろうとした。
「フ、フリッカ! もうちょっと低いハンモックの方が……って、ああ!?」
フレデリカがハンモックに脚を掛けようとした途端、ハンモックが大きく揺れた。バランスを崩して落下するフレデリカの真下にアルヴィレオは慌てて体を滑り込ませた。
そして、バレットが難なく彼女の体を受け止めた。
「……殿下、大丈夫?」
フレデリカのクッションになろうとしたのだろう。アルヴィレオは床にうつ伏せになった状態で固まっている。
バレットが気まずそうに声を掛けても反応がない。
「ア、アル!? 大丈夫!?」
フレデリカが慌てた声を上げるとアルヴィレオは起き上がった。
恥ずかしそうな顔をしている。
「……みっともない姿を見せたな」
「何言ってるんだよ!? オレの事を助けようとしてくれたんだろ!? ごめん……。オレ、テンション上がりすぎてた……」
シュンとなるフレデリカにアルヴィレオは血相を変えた。
「フリッカ! 君が謝る事などないよ! そうだ、こっちのハンモックなら大丈夫だろう。あと、ジョーカー! ハンモックの乗り方にコツなどはないのか?」
「脚から乗るとバランスを崩しやすいので、座るように乗るとよろしいかと」
「なるほど、よし!」
アルヴィレオはフレデリカを抱き上げた。
「ア、アル!?」
「で、殿下、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ!」
アルヴィレオはプルプル震えている。
「フ、フリッカは羽のように軽いからな! さあ、ハンモックに乗せてあげるよ!」
「アル……」
見るからに無理をしている。それでもフレデリカに安全にハンモックを楽しんで欲しいという思いが伝わってくる。
もう二年も前の事になるけれど、バレットに釣りを教えてもらった時も彼はフレデリカの為に苦手な事に取り組んだ。
アルヴィレオの深い思い遣りにフレデリカは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、アル!」
フレデリカがハンモックに腰を降ろすと、アルヴィレオは彼女が落ちないように見守った。
あまりにも甘過ぎる雰囲気にバレットとジョーカーは胸焼けを起こしそうになった。
「……殿下ってば、嫁さんが来た途端にすっかり首ったけだね」
「悪い事では無いでしょう。アガリア王は代々が愛妻家でした。王に対する大衆の認知にそぐわぬ態度や行動は『賢王の権能』の力を低下させる恐れもありますからね」
「権能って、ちょっと厄介だよなぁ……」
「ですが、必要なものでもありますよ」
通常のスキルや魔法だけでは魔獣や厄災の脅威に対して抗う事が出来ない。
勇者や英雄を含めた権能を持つ超越者の存在が在ったからこそ、人類は今日まで生きる事が出来ているのだ。
「おや?」
どうやらフレデリカが眠ってしまったようだ。
あまりにも無防備過ぎる姿にジョーカーは肩の力が抜けそうになった。




