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第四十八話『悪の道』

 大海賊レッドフィールド。世界を股に掛ける大悪党であり、世界を救った大英雄の一人でもある。

 彼の海賊船であるクリムゾンリバー号は無類の強度と速力を誇り、幾百の海戦を乗り越えて『海の覇者』という称号を得た。

 

「……七英雄の中でも最も多くの記録が残っている人物だそうだ」

「どれも悪行の記録ですけどね……」


 レッドフィールドの子孫の下へ向かう馬車の中でアルヴィレオとバレットはレッドフィールドの資料を読み進めていた。

 どれもエルドスレイカの国立図書館で手に入れたものだ。

 そこに記されていた内容は到底英雄と呼ばれる者の所業とは思えぬものばかりだった。

 各国の海軍組織との海戦。人攫い。略奪。人身売買にも手を出していたようだ。


「……本当に英雄なのか?」


 人身売買の文章を読んだアルヴィレオは不快感を顕にしながら呟いた。

 

「アガリア王国でも奴隷は合法ですよ?」

「……あくまでも刑罰の一種だ」


 アガリア王国の奴隷は犯罪者に限られる。それも懲役五十年を超える者だけが奴隷の身分に落とされる。

 大抵の奴隷は鉱山や農業での労働を課される。そして、終身刑や死刑相当の罪を犯した者だけが治験奴隷や性奴隷となる。

 ある意味で死刑よりも過酷な刑罰だが、主人となる者には色々と条件を課されている。

 

「だが、そうだな」


 アルヴィレオは深く息を吐いた。


「人権の剥奪という面では同じ事か……」

 

 犯罪者と言えども人は人だ。刑罰とは司法上の正義に基づき執行されるものだが、人権を剥奪し、監禁し、傷つけ、殺す。そうした行為自体は紛れもなく悪である。

 裁きとは、悪を持って悪を排する悪の正義だ。

 王となる者には清濁併せ呑む器が求められる。

 アルヴィレオは自分の未熟さを痛感しながらレッドフィールドの資料を読み進めていく。


「『海の悪霊、(くれない)の悪魔、極悪の異名で呼ばれたレッドフィールドだが、一人の男によって変えられる事となった』か……」


 資料には古ぼけた写真も掲載されている。精悍な顔立ちの青年だ。

 七英雄を纏め上げた男、冒険家のウェスカー・ヘミルトンだ。

 

「竜姫シャロンの育ての親か……」

 

 アルヴィレオは父の言葉を思い出した。


 ―――― お前は七大魔王である竜姫シャロンの生まれ変わりだ。


 それはアルヴィレオの婚約者であるフレデリカに向けられた言葉だ。

 フレデリカはシャロンの生まれ変わりであり、彼女の力を『魔王再演』というスキルの形で宿している。

 

「……フリッカ」


 まるで連想ゲームのようにアルヴィレオの脳裏に愛しの婚約者の姿が浮かんだ。

 獣王が森を抜け出した一件が無ければ毎日のように顔を合わせ、話をして、関係を深め合える筈だった。

 

「殿下、大丈夫ですか?」

「……ああ、すまない」

「やはり、殿下は王国に帰還された方が……」

「それは出来ない」


 アルヴィレオは言った。


「一度言った事を曲げるような男など、フリッカには相応しくないからな」

「……なるほど」


 その言葉を聞いて、バレットは少し安心した。

 あの少女に対して恩人以上の感情を抱いているのではないかと疑ってしまったが、今でもアルヴィレオの心の中心にはフレデリカの存在がある。

 二年前のバレットならば主人を疑ってしまった自分を恥じ、アルヴィレオに罰を求めていた。けれど、二年に及ぶ旅路は王国に居た頃以上の絆を二人に結ばせていた。


 ―――― 王の側近となる者が王を盲信してはならない。


 それは旅立つ前にアガリア王国の宰相であるオルトケルン・アルヴィスから与えられた助言だった。

 王と言えども人であり、人である以上は過ちを犯す。

 完全無欠の人間など存在せず、それ故に王の側近は王と異なる視点を持たなければならない。

 疑うという形の忠誠もあるのだと言う事を旅の中で学んだのだ。


「……それよりもレッドフィールドの子孫という男、ボク達と同い年のようだな」

「同い年……? 陛下が頼れと申された相手はその者の両親、あるいは親族では?」

「いや、ジョーカー・レッドフィールドで間違いない。ついでにコレを渡せと手紙に書いてあった」


 そう言って、アルヴィレオは二通の封筒を取り出した。


「それはアザレア学園の!?」

「ああ、一通はあの少女の下に。そして、もう一通はジョーカーに渡せと書いてあった」


 ◆


 マグノリア共和国の南部に広がる港町の灯台。そこに彼はいた。


「……『王子を連れて迷いの森に入れ』か」

 

 銀色の髪を逆立てた少年、ジョーカーはアガリア王国の国王の手紙を上着の内ポケットに仕舞い込んだ。


「買い被り過ぎだ……」


 溜息を零す。迷いの森は世界でも指折りの危険地帯だ。単独でならばともかく、戦闘のいろはも知らない連中を引き連れての侵入となると難易度が跳ね上がる。

 けれど、任務は任務だ。命じられたからには遂行する以外の選択肢など存在しない。


「……あれか」


 ジョーカーは大勢の騎士を引き連れながらやって来る少年を見た。そして、彼らの視界に入るギリギリの位置に向かって跳んだ。

 ゆっくりと歩き、彼らが気付いたところで足を止める。

 跪き、(こうべ)を垂れる。


「君がジョーカー・レッドフィールドか?」

「如何にも、わたしがジョーカー・レッドフィールドで御座います。此度、アガリア王国国王陛下よりアルヴィレオ皇太子殿下の護衛任務を拝命致しました」

「感謝する。早速向かえるか?」

「問題御座いません」

「ならば、頼む」


 そう言うとアルヴィレオは側近であるバレット以外の王国騎士達に待機を命じた。その様を見つめながらジョーカーは密かに驚いていた。

 彼は今年で十二歳になる。必要とあれば偽装を施すが、今回はありのままの姿で彼の前に現れた。だから、もう少しやりとりが長くなる事を予想していた。ところが実際には短く終わった。

 その瞳には確かな知性と確固たる覚悟が宿っている。無思慮なわけではなく、迷いの森に入るという事を軽々に考えているわけでもない事が伝わってくる。

 騎士達はアルヴィレオの待機命令に対して素直に従った。普通ならあり得ない。一国の皇太子の護衛を十二歳の子供に託すなど、普通なら主命であっても認められない筈だ。

 彼らの顔を見ればアルヴィレオを軽んじているわけではない事が見て取れる。誰も彼もが堪えるような表情を浮かべている。


「なるほど……」


 ジョーカーは小さく呟いた。賢王と謳われる父王の血を彼は確かに受け継いでいるようだ。


「……では、此方へ」


 アルヴィレオとバレットを伴い、ジョーカーは港町を進んでいく。しばらく歩くと船着き場に辿り着いた。 

 

「殿下の目的は迷いの森に住むと思われる女性達との接触でしたね?」

「ああ、その通りだ。『森の魔女』と呼ばれる存在について調べてみたが、驚くほど多くの情報が出た。二百年程前から存在が確認されている。そして、彼女は獣王の領域に棲むという……」

「ええ、この近辺では有名な話です。お伽噺として……、ですがね」

「国は調査を行わなかったのか?」

「なにしろ、獣王の領域ですからね。『森に踏み込むだけで百の死を乗り越えねばならず、獣王の領域に辿り着くまでに千の死を重ね、その先には死が待ち受けている』……。そして、その死すら乗り越えたとしても獣王の逆鱗に触れる可能性がある。獣王の怒り、それは人間世界の終焉を意味しています。分かっていて、踏み込むのですね?」

「……ああ」

「承知致しました」


 ジョーカーは事のあらましを王の手紙で知らされている。

 勇者亡き今、各国は英雄を求め始めている。けれど、英雄は一時代にそう何人もいるわけではない。七英雄の時代が最も多かった程だ。

 だからこそ、エリンに現れた少女と森の魔女を各国はなんとしても手に入れたがる筈だ。そして、競争は狂乱を呼ぶ。理性が働いている内はいいが、いずれはタガが外れて獣王の怒りを買う事になる。その未来を回避する為には今行動するしかない。

 アルヴィレオは少女の為を第一に掲げているが、これは人類を救う為の旅だ。だからこそ、ネルギウス王や王国騎士団は彼の行動を認めざるを得なかった。


「今回は海路を使います」


 ジョーカーは言った。


「迷いの森の南部の海岸には洞窟があり、海賊の拠点があります。我々はそこから迷いの森の地下洞窟を潜り、獣王の領域に最も近い出口があるゼラスの区画に向かいます」

「ゼラス?」

「蟲系の魔獣です。迷いの森は獣王の領域とそれ以外の領域で大別されていますが、それ以外の領域も十二の区画で分かれているのです」

「……詳しいんだな」

「古巣ですから」


 その言葉にアルヴィレオはいぶかしげな表情を浮かべた。

 

「さあ、着きましたよ」


 ジョーカーは船着き場に停泊している一艘の船を指差した。


「赤い……」


 アルヴィレオは目を見開いた。その船は船体が血に染まったように赤かった。


「クリムゾンリバー号へようこそ」


 その名前に更に驚かされた。


「レッドフィールドの船なのか……いや、名を継いだだけか?」

「いいえ。これは正真正銘、レッドフィールドの船で御座いますよ、殿下」


 海賊船クリムゾンリバー号。その船の航路には夥しい量の血が流れ、それは大海を横切る真紅の川に見えたという。

 如何なる船の追跡も振り切り、如何なる船の逃走も許さず、幾百の海戦を超えて不敗。

 史上最高の船とも、史上最悪の船とも謳われる偉大な船だ。


「……七英雄は五百年前の人物の筈だが」

「『権能』です」


 ジョーカーはタラップを渡しながら言った。


「七英雄は魔王を討伐した者達です。その名はその時代のすべての人間の脳髄に刻まれ、歴史書に記された。それ故にそれぞれが権能を授かりました。冒険者ウェスカーは『冒険王の権能』、リエンの森の守護者であるジュリアは『守護者の権能』、後の勇者メナスの祖父であるアギトは『剣聖の権能』などなど。そして、我が先祖である大海賊レッドフィールドと暗殺者サリヴァンはそれぞれ『海賊王の権能』と『暗殺者の権能』を授かったわけです」

「……ん?」


 アルヴィレオはジョーカーの言葉に首を傾げた。


「レッドフィールドとサリヴァン?」

「ええ、史書には記されておりませんが二人は夫婦となり子を為しました。その子孫がわたしというわけです」

「な、なるほど」


 二人の英雄の子孫。その事実にアルヴィレオは驚きを隠す事が出来なかった。父からの手紙にもサリヴァンの子孫である事は記されていなかった為だ。


「陛下は書かなかったのでしょうね。わたしの口から説明させたかったのでしょう」


 ジョーカーは振り返ってアルヴィレオを見た。


「レッドフィールドとサリヴァンの息子は父の姓と母の職務を受け継ぎました。それ以後、我が一族はアガリア王家に仕える隠密となりました」

「……聞いた事がない」

「明かすには早いと判断した為でしょう。しかし、わたしとの接触を許した。つまり、時は来たという事です」


 ジョーカーは傅いた。


「暗殺、諜報、尋問、処刑、情報操作、隠蔽工作。いずれも国家の運営には避けられぬ悪行。その悪を背負うが我が責務に御座います」


 アルヴィレオは目を瞑った。暗闇の中、浮かんだのは愛する婚約者の笑顔。

 

「……ボクが命じる」


 アルヴィレオは言った。


「ボクの凶器として、ボクの悪行を為してくれ」

「イエス・マイロード」


 綺麗事を並べ立てる事ならば誰にでも出来る。

 多くの人間は十二歳の子供に処刑や暗殺などさせられないと正義感を振り翳す事だろう。それは正しい事だ。何も間違っていない。けれど、一度振り翳した正義は降ろす事を許されない。


 ―――― 子供だからダメだというのなら、一体何歳からならば大丈夫になるのか?

 ―――― 処刑や暗殺自体がダメだというのなら、敵国や国賊が現れた時にどう対処する気なのか?

 ―――― 他者に委ねる事がダメだというのなら、自分だけですべての敵対者に対処出来るのか?

 

 その正義はいずれ破綻する。それでも固執すれば国が滅び、降ろしてしまえば信頼を失う。

 だからこそ、王となる者は罪を受け入れなければならない。正義に背を向け、悪の道を征く。

 民主国家ならば罪を分け合う事も出来るだろうが、王は一人で悪を背負わなければならない。

 アルヴィレオは瞼を瞑り、開くまでの数秒間で覚悟を決めた。

 

「さあ、迷いの森へ向かうぞ」

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