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第四十話『幸福の代償』

 マグノリア共和国南東部の街、エリンに辿り着いた。

 

「……なんか、想像と違う」

「そうか?」


 わたしは華やかな街並みをイメージしていた。だけど、実際のエリンは華やかさと無縁の街並みだった。

 そもそも店が少ない。あってもこじんまりとしている。

 それに街全体が物々しい雰囲気に満ちていた。


「ここで買うの……?」

「いや、換金所に寄るだけだ。その後は馬車に乗るぞ。ここは防衛拠点だからな」


 良かった。折角のショッピングなのに、この街は雰囲気が最悪だ。


「防衛拠点って?」

「迷いの森と隣接しているからな。森から出て来た魔獣に対処する為の部隊が常駐しているのさ」

「なるほど……」


 道行く人達の多くが悲壮な表情を浮かべている。


「おい、離れるなよ? 結界の内側にいろ」


 今にも死にそうな表情を浮かべている人がいて、つい立ち止まってしまった。

 迷いの森から来た事がバレると不味いからと言って、アンゼロッテは結界を張ってわたし達の気配を遮断している。


「あの人、何かあったのかな?」

「……ヴァイクが外に出たからな」

「どういう事?」


 首を傾げると、アンゼロッテは深く息を吐いた。


「ヴァイクは人間にとって脅威だ。そのヴァイクが外に出た。……分からないか? この街は防衛拠点だと言っただろう。つまり、この街の人間はヴァイクと戦う事を恐れているのさ」

「で、でも、ヴァイクは……」

「お前にとっては可愛い猿でも、この街にとっては恐怖の対象だ。なにしろ、戦えば街の人間が全滅する。前に話しただろう。ヴァイクは森に攻め込んだ万の軍勢を瞬く間に殲滅してしまったと。運が介在する余地もない。圧倒的な暴力によって街が更地と化すんだ。その恐怖があの表情を生み出しているのさ」

「そんなに怖いなら逃げればいいのに……」

「……そう簡単な話じゃない。彼らは軍人だ。国を護る責務を負っている。彼らが役目を放棄すれば、民に犠牲が出る。民を逃せばいいと思うか? 家を捨てろと言って? 仕事も何もかも捨てて、真っ白な状態で生きろと? そもそも、どこに逃げ場がある? 脅威がどこまで追ってくるかも分からないんだぞ?」

「それは……」

「エル。もう少し視野を広く持て。さもなければ、お前の周りは敵だらけになるぞ」

「……わたし、間違ってるの?」


 わたしが聞くと、アンゼロッテは首を横に振った。


「間違っているわけではない。ただ、正解は一つではないという事だ」

「どういう事?」

「お前にとって、ヴァイクは危害を加えてくる事もなく、無邪気に懐いてくれる可愛い猿だ。一方で、森の魔獣達にとっては神にも等しき存在だ。その存在そのものに屈服している。その怒りに触れる事を恐れている。そして、人間達にとっては天災だ。意思の疎通を図る事が出来ない圧倒的な暴力だからな」

「そ、それはヴァイクの事を知らないから……」

「そうじゃない。考えるべきはヴァイクの方だ」

「え?」


 アンゼロッテは言った。


「ヴァイクはお前に懐いている。だから、危害を加えない。だが、森の魔獣達や人間に対しては無関心だ。どうでもいい存在だと思っている。だから、殺す気が無くとも殺してしまう事がある。それだけの力を持っているからな。そして、その事に罪悪を感じる事もない。お前だって、森を歩く時にわざわざ雑草を避けて歩いたりしないだろ?」

「……わたしがヴァイクで、人や魔獣は雑草っていう事?」

「そうだ。雑草だって、踏みつけられれば傷が出来る。場合によっては死んでしまう。だが、反抗する術など持たない。……どうだ? 少しは想像出来たか?」


 丁寧に教えてくれたから、想像出来てしまった。

 すれ違う人々が抱いている恐怖。わたしが無意識の内に踏みつけた雑草のように理不尽な暴力が振るわれる事を恐れている。


「視野を広げろとはそういう意味だ。雑草を踏む方ばかりではなく、雑草にも目を向けろ。そして、想像力を働かせるんだ」

「……わかった」


 さっきの人の事を考えてみる。ヴァイクの事が怖くて、それこそ死にそうな表情を浮かべていた人。

 彼が逃げないのは人々を護るためだ。わたしのヴァイクに対する愛情を抜きに考えてみたら、彼はとても素晴らしい人だと気付く事が出来た。

 誰かのために恐怖を感じながら立ち向かえる人は勇気を持つ人だ。それは讃えられるべき美徳だと思う。

 だからこそ、とても悲しい。


「悩め」


 アンゼロッテは言った。


「言っただろ? 正解は一つではないと。それでも自分なりの正解を見つけるんだ。答えはお前の中にしかない。その為に悩む事は悪い事じゃない」

「……うん」


 わたしは道行く人達の顔を見つめながら歩いた。

 自分なりの正解を見つける為に。


 ◆


 換金所まではかなり歩いた。最初よりも雰囲気がやわらかい。

 

「この辺りは行商人が出入りしているんだ」

「ほえー」

「じゃあ、換金してくる。ちょっと待ってろ」


 そう言うと、アンゼロッテは結界の基点をわたしに移して行商人達の方へ歩いていった。

 換金所とは彼らの事らしい。しばらくするとホクホクした顔で戻って来た。


「よし、軍資金は手に入った! 行くぞ!」

「う、うん!」


 アンゼロッテが持って来た宝石類を買い取った商人達が顔を赤らめながら彼女を見つめている。

 彼女は女であるわたしから見ても美人だから仕方がない。

 わたし達は彼らに見送られながら馬車に乗った。


「どのくらいで着くの?」

「半日くらいだな」

「半日!?」


 わたしは目を丸くした。早朝に出発したけど、もう昼が近い。到着した頃には夜だ。


「そんなに掛かるの!?」

「馬車だからな。それに万が一に備えて、防衛拠点(エリン)と他の街の間に距離を採っているんだ」


 万が一。それはつまり、防衛拠点を突破された時の事を意味している。

 少し暗い気持ちになった。


「まあ、ゆっくり寛ぐとしよう」

「……うん」


 馬車はガタガタと揺れながら進んでいく。酔わないように窓の外を眺めていると、道中には幾つかの監視塔が建てられていた。街と街を繋ぐ道の安全確保と共にエリンの状況を確認する為の施設だ。

 万が一、エリンが消滅した時は被害を逃れた監視塔から近隣の街へ報せが飛ぶらしい。

 エリンの人々は命をかけて責務を全うしているんだと実感した。


「……わたし、バカだなぁ」


 逃げればいいとか、簡単に言ってしまった。それがどんなに失礼で愚かな発言だったか分かった。

 それからしばらく外を眺めていて、いつの間にか眠ってしまった。


 ◆


「おい、起きろ」


 体を揺さぶられて目が覚めた。


「あぇ……?」

「着いたぞ。ロトフォールだ」

「ロト……?」


 宝くじ?


「……とりあえず宿に行くぞ。ほら、眠たいなら背負ってやるから乗れ」


 アンゼロッテがわたしに背中を向けながら屈んだ。

 徐々に目が覚めてきているけれど、折角だから甘える事にした。


「うん!」

「……おい、随分元気だな」

「えへへー」


 おんぶしてもらうとアンゼロッテの体温を体全体で感じる事が出来た。

 安心感に包まれて、また眠くなってきた。


「うにゃ~」

「猫か!? ったく……、しょうがないやつめ」


 クスクスと笑いながらアンゼロッテは歩き出した。

 とても心地が良い。


「……へへ」


 記憶は今も戻っていない。自分が何者なのか分からない事はとても不安だ。だけど、わたしは毎日笑えている。

 それはアンゼロッテがいるからだ。いつもわたしを見守ってくれている人がいるから、わたしはいつも安心出来る。

 

 ―――― 今を生きる! それだけで十分だ! 未来の事や過去の事は今を充実させた後でいい!


 わたしは今が幸せだ、十分に充実している。

 アンゼロッテとヴァイクが居てくれれば、他には何もいらない。

 この頃は記憶なんて取り戻さなくても良い気がしてきた。

 今の幸福を失うくらいなら……。


 ◆

 

 その日は宿で眠った。わたしはアンゼロッテと一緒に寝たいと駄々を捏ねた。彼女はやれやれと布団に招き入れてくれた。

 一緒に眠って、一緒に起きて、一緒にご飯を食べた。

 服や雑貨を買うために商業地区へ繰り出して、買った物はアンゼロッテが持って来たバッグに詰め込んだ。このバッグには魔法が掛けられている。内部の空間が圧縮されていて、見た目以上の量を仕舞える。その上、重量はとても軽い。魔法は便利だと改めて実感した。

 

「じゃじゃーん! どう? どう!?」

「おー、似合うじゃないか」


 アンゼロッテは何でも買ってくれた。値段を見てもイマイチピンとこないけど、お店の人が何度かビックリした顔を見せた。

 ショッピングを満喫していると時間があっという間に過ぎていく。

 日が暮れ始めて、もう一泊する事に決めた時だった。

 町中にサイレンの音が鳴り響いた。


「な、なに!?」


 目を白黒させていると放送が掛かった。


『避難警報! 避難警報! 現在、エリンにおいて魔獣との交戦が開始されました。第一防衛網が突破された為、避難を開始して下さい! 尚、エリン方面の門は封鎖します。エリン方面へ移動中の馬車も引き返しておりますが、乗車中の方との合流を待つ事は禁じます。現在、ロトフォールに滞在中のすべての方は即刻避難を開始して下さい!』


 その放送にわたしは慌てた。


「ア、アンゼロッテ!」

「……まずいな。ヴァイクが怒ったのか? それとも……」

「は、はやく帰らなきゃ!」


 放送では第一防衛網が突破されたと言っていた。わたしは防衛網の事をよく知らない。だけど、もしかしたら人が死んでいるかもしれない。

 もし、わたしがショッピングに夢中になって帰らなかったからヴァイクが怒ったのだとしたら……。


「……背中に乗れ」

「う、うん!」


 わたしはアンゼロッテの背中に乗った。

 彼女におんぶされているのにちっとも安心出来ない。

 胸がざわつく。


「『■王の■能』」


 アンゼロッテが呟いた。あまりにも声が小さくて、よく聞き取れなかった。

 そして、目の前にいきなり光の輪が現れた。その向こうには炎が見える。


「……行くぞ」

「うん……」


 アンゼロッテは輪の向こうへ踏み込んだ。

 そして、わたしは燃え盛る街を見た。

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