第三十八話『王妃の在り方』
果樹園で打ち解けた後、オレは本格的な王妃教育を受ける事になり、最初の数日が嘘のように忙しくなった。王妃の傍で立ち振舞や仕事を学ばせてもらっている。
アガリア王国の政治は王を頂点としたピラミッド型だ。もちろん、貴族達にはある程度の裁量権が認められている。だけど、最終的な決定権は王に帰属する。
領民の生活水準や治安などの情報を指標としながら領主の動向を監視し、上がってくる提案書や嘆願書の許可を出し、領主の裁量を超える案件に決定を下す。
それだけでも大仕事だけど、王は国内だけを見てはいられない。近隣のクラバトール連合国やレストイルカ公国はもちろん、同大陸に所属しているマグノリア共和国やメルセルク王国、ラグランジア王国の情勢にも目を向けなければいけないし、別大陸も無視する事など出来ない。最近では獣王が森を抜け出した事で迷いの森の事も気にかけなければならなくなった。
戦時になれば、更に仕事が増えるという。だから、王家としては戦争などもってのほかだ。そこで王妃の存在が鍵となる。
王妃に選ばれる者は他者と一線を画する美貌を求められる。それは他国の首脳との関係を良好に保つ為の武器となるからだ。
他国の使者が現れた時、その人々をもてなすのは王妃の仕事だ。
「いい? 王妃という立場は特別なの。卑屈になってもいけないし、高圧的になってもいけないわ。あくまでも自然体に彼らと接するの。こう考えるといいわ。彼らはわたくし達のお友達なのよ」
誰に対しても気安く接する事が許される。それが王妃というものだ。
実際、王妃は誰に対しても友達のような接し方をする。その在り方に反感を持つ人もいるかもしれない。だけど、彼女は王妃なのだ。女性貴族の頂点に立つ彼女の振る舞いに物申せる者などいない。
反感は要らぬ争いの火種と成り得るけれど、王妃の立場を妬む者は必ず一定数現れる。反感を持つ者はそうした人々だ。
「大切なのは物怖じしない事よ。その為には自分自身を誰よりも認めてあげる事! わたくしは誰よりも美しい! わたくしは誰よりも可愛らしい! そう信じるの!」
そう言う彼女はとても魅力的だ。自分を美しいとか、かわいいとか言う女は男の視点でも微妙に映るものだけど、王妃の言葉は素直にその通りだと思わせられる。
これがカリスマというものなのかもしれない。
「さあ、言ってみて!」
「えっ、あ、はい! わ、わたくしはかわいい!! わたくしは美しい!!」
「うーん、可愛いわ!! でも、もっと自信を持って言い切れるようにならなければダメよ? その為に己を磨くの!」
オレは顔がいい。次期王妃に選ばれるほどの美少女だ。だけど、自分で自分を可愛いと言うのは色々な意味で抵抗がある。
生まれ変わってからずっと女の子として扱われて来たし、初めは恥ずかしかった事にも慣れてしまった。
それでも心は男のままだ。可愛くなるよりもカッコよくなりたい。だけど、それは王妃に相応しくない思考だ。
「はい、がんばります!」
オレは可愛くならなければいけない。
王妃のように花や蝶が似合う女にならなければいけない。
それがオレの責務だ。女らしくなる事よりも、責務から逃げる事の方がよほど男らしくない。
「さあ、今度の収穫祭の段取りを決めに行くわよ!」
「はい、王妃様!」
王妃の仕事は他にも沢山ある。
宮中晩餐会を主催したり、教会で慈善活動を行ったり、国内のイベントを取り仕切ったり。
王の責務と比べると楽に見えるけれど、王妃の責務もとても重要だ。
王は国を守り、王妃は人を護る。王は時に残酷な決断を下さなければいけない事もある。その時、人々の心を繋ぎ止める事が王妃の仕事だ。
◆
王妃と共に行動する内にオレの顔も人々に知られ始めてきた。
教会での慈善活動やイベントなどでオレも表に顔を晒す事が多くなり、人と話す機会も一気に増えた。
あまりコミュニケーション能力が高い方ではないけれど、陰気な王妃など誰も認めない。
それに、今のオレは十一歳だ。多少やらかしても笑って許してもらえる。
「うーん、デリシャス!」
王都の広場で開かれた収穫祭は最高だった。
なにしろ、国内で採れた新鮮なフルーツや野菜で作られた食べ物が所狭しと並べられている。
王妃様や護衛と騎士達と共にいろいろな物を食べて回った。もちろん、最初に騎士が毒味をするのだけど、それが終われば幾らでも食べていい。
「これ、とっても美味しいですよ!」
「こっちも美味しいわよ、フリッカちゃん!」
こういう場ではとにかく楽しむ事が大切だと言われた。なにしろ、この場は王権と人心を近づけるためのものでもある。
お祭りには澄ました顔よりも溢れんばかりの笑顔が似合う。
「うーん、串焼きも美味しい!」
「こっちのケバブもいいわよ!」
この世界、元の世界の食べ物が普通にあるのがいい。
タコスも絶品だ。
「あっ、焼きそばだ!」
ちょっと自由過ぎるかとも思うけど、引き締めるべき時に引き締める事でこれも魅力の一つとする事が出来るらしい。
いわゆるギャップ萌えだ。さすが王妃だ。愛されるプロ。アイドルが存在しない世界だけど、王妃はまさしく王国のアイドルだ。
そう考えると王妃に相応しい振る舞いというものも分かって来た。
オレはあまり詳しくなかったけど、クラスメイトの播磨周平が結構なドルオタだった。何度かライブに誘われて、そこで彼の七色のサイリウム捌きに魅せられたものだ。
正直、アイドルよりもあのキレッキレなダンスを見る事の方が目的になっていたほどに見応えのあるものだった。
その時に本物のアイドルを見た事もあったし、播磨からアイドルが如何に素晴らしい存在か語ってもらった。
オレが目指すべきは彼女達だ。
◆
教会の慈善活動は結構楽しい。教会では孤児の世話や貧民に対する炊き出しなどが行われている。
アガリア王国では職業の斡旋にも力を入れている。だから、王都アザレアには貧民街というほどの地区はない。それでも貧富の差が発生してしまう。
慈善活動を行う傍ら、そうしたリアルタイムの情報を教会から受け取る事も王妃の重要な仕事の一つだ。
極端な貧富の差が発生している地区は担当している貴族の不正を疑う必要も出て来る。
どんなに書類を偽装しても実際に貧困で困っている人が増えれば隠し通す事など出来ないのだ。
「姉ちゃん! いっくぜー!」
「カモン!」
もっとも、オレの仕事は孤児の世話だ。孤児と言ってもオレより年上の子もいるから、みんなに混ざって遊ぶだけだ。
今日はサッカーだ。ずっとダンスの特訓をしていたおかげで前よりも体力がついている。
それでも運動神経はお粗末なものだけど、オレが来ると子供達はみんな喜んでくれる。
それが凄くうれしい。
「イアン、パス!」
マックスから受け取ったボールをイアンに回す。
すると、サリーがスライディングでボールを掠め取った。
「ミケーラ!」
「オッケー!」
「おっと!」
シュートの態勢に入ったミケーラからボールを奪う。
「メアリー!」
「はーい!」
メアリーにパスすると彼女はロイドにボールを回し、彼がシュートを決めた。
「やったー!」
みんなで手を叩き合う。
淑女の教育の成果を示す機会が驚くほど少ないけれど、思ったよりもやっていけそうだ。
「ライアンも惜しかったね!」
「ちぇー。指先触れてたんだけどな―」
ゴールキーパーのライアンに声を掛けると彼は唇を尖らせた。
「どんまいどんまい!」
これも大事な仕事なんだけど、同世代の子達と一緒に走り回れるのは凄く楽しい。
「へっへー! もう一試合いっくよー!」
◆
そのように三ヶ月ほど経った頃、漸くヴィヴィアンが王宮に戻って来た。
彼女はアルと手分けしてアガリア中の街や村を訪ねていた。獣王ヴァイクが迷いの森を抜け出した事に不安を感じている人々の心を慰める為だ。
「お疲れさまです、ヴィヴィアン」
「……ほんと、疲れたわ」
グッタリした様子のヴィヴィアン。アルの事を聞こうと思って来たのだけど、それどころでは無さそうだ。
「今日はすぐにお休みになられた方が良さそうですね。わたくしは御暇致します」
そう言うと、腕を掴まれた。
「ヴィヴィアン……?」
「もうちょっと付き合いなさいよ。アルの事だって聞きたいんでしょ?」
「ですが、お疲れなのでは……」
「……わたし、バレットと婚約する事になったのよ」
「バレットと!?」
驚いた。バレットとヴィヴィアンの婚約はまさしく寝耳に水だ。
「貴女との顔合わせも済んだし、そろそろ学園に戻らないといけないんだけど……」
彼女はため息を吐いた。
「えっと……、気が進まないのですか?」
「いいえ、バレットが相手なら不服なんて無いわ。ただ、学園には面倒な子がいるのよ。絶対にからかってくるわ」
やれやれと肩をすくめる。だけど、その顔は言うほど苦々しいものではなかった。
「お友達なのですか?」
「うん。いい子なんだけど、色恋沙汰には目の色変える子なのよ……」
「な、なるほど……」
オレのクラスにもそういう女子が居た。
世界が変わっても、そういう部分は変わらないようだ。
それからオレはヴィヴィアンの愚痴に二時間ほど付き合った。
途中から眠くなって来たけれど、なんとか耐えた。
「……ああ、それと」
ヴィヴィアンは言った。
「アルの事だけど、もう少し遅くなるわ。御父様の使者として、マグノリア共和国に行く事になったのよ。迷いの森の視察も兼ねて」
「迷いの森に……?」
オレはドキッとした。
オレはゲームの序盤を思い出した。森での生活を続けているとアンゼロッテが『服を買いに行くぞ』と主人公を街へ連れ出すシーンがある。
その帰り道、魔獣に襲われている一団と遭遇する。そこで主人公であるエルフランの『英雄再演』のスキルが発動して一団を救うのだ。
その一団こそ、彼女にとっての運命の相手だ。
要するにエルフランとアルの出会いのシーンというわけだ。
「……アル」
少しだけ、アルに会う事が怖くなった。
婚約破棄されなければ困るし、その為にはエルフランと出会う必要がある。
彼はその出会いを忘れられず、ずっと彼女を想い続ける。
「大丈夫?」
ヴィヴィアンに声を掛けられた。
いつの間にか俯いていた。
「だ、大丈夫です!」
オレは男だ。男同士の恋愛を否定する気はないけど、オレはあくまでもノンケだ。
だから、アルの心がオレから離れたとしても一向に構わない。
ただ、友達として付き合いを続けられればそれでいい。
「安心しなさい」
ヴィヴィアンが言った。
「迷いの森の視察って言ったけど、中には入らないわ。遠くから様子を見るだけよ。すぐに帰って来る筈だから心配しないの」
そう言って、彼女はオレの頭を撫でてくれた。
オレはその心地よさに身を任せた。
ズキズキした胸の痛みが和らいだ。




